ファニー・ヴァレンタイン・2
「ザラ。お前も来てたのか」
駅に戻ろうとする途中で、今最も遭遇してはいけない人物に遭遇してしまった。
「ジッ、ジジジジ」
「セミの物真似……?」
何故あんたがここに。やばい。私と同じく休日の格好をしたジークが買い物袋を抱えて現れた。どうやら同行者は無し。ひとまずヨシ。
「…ジークも買い物?」
「そうだ。色々と入用でな」
「ふ~ん…」
せっかく外で会ったのに意外と淡々とした態度を取られて戸惑っちゃうんだけど。
てゆかただの買い物なら私を誘ってくれても良かったんじゃないの。誘われても私は私で用事あるから今日は無理だけど。一回は誘われたい複雑な乙女心。
「お前は?」
「えっと……あー……そう。オヤツ、買いに来たんだけど。何か全部売り切れちゃってて。途方に暮れてるとこ」
我ながら無理のない嘘だ。あくまで自分用のおやつを。わざわざ休日に。そこそこオシャレして、一人で。うん、なんらツッコミどころのない完璧な建前ね。
「ああ。確かに。騒ぎになっていたな」
ほーら騙されたもの。その様子だとジークはお菓子を買っていない…ということね。ヨシ。
――と、何気なく談笑していると。
ぬっ、と、背後から何者かの気配が近づくのを感じた。
突然覆うように降ってきた大きな物陰に、即座にジークが反応し、私を抱き寄せた。遠くで誰かが魔物だと叫んだ。
『グーッブッブッブ。それはオラの仕業だッピ!!』
地の底から響くような声に、流石の私も杖を取り出して、突如現れた敵の姿を確認した。
泥を煮詰めたような濃い茶褐色。脂ぎったように鈍く陽光を反射する体躯は、パンパンに膨れ上がった人間のようにも見て取れる。
そこまでは良い。普通の魔物かもしれない。いや、喋るくらいの知能を持った魔物もかなり珍しいけど。
――なんかさ。見間違いじゃなければさ。
身体のところどころが飴細工とかチョコ菓子でデコレートされてんだよね。
手足の爪の代わりににウエハース生えてるしさ。顔も果物と生クリームで器用に出来てんだよね。
っつーか頭に棒のラングドシャとかねじねじマシュマロ刺さってるし。マカロンが服のボタンみたいに着いててさ、立ってるだけで甘い匂いがしてくる。
『オラはウァレンティヌスの抑圧された心と、愛の日の乙女たちの怨念が生んだ愛のアフェクション・ジャンキー……“渇望せしウァレンティヌス”だッピ!!!!』
スイーツの魔物が全身で咆哮すると、口や関節部分からばらばらと汚れた包み菓子が零れだした。黒っぽい糸を引いてるけど、多分あれも糖蜜とかなんじゃないの。だったら良いってもんじゃないけど。
ていうか。ジークが気配を感じたということは、幻魔の可能性は無くやっぱりれっきとした魔物ということで。
んでその名乗りが確かなものだとするならば。
「聖人、魔物堕ちしてんじゃん!!」
『そう……愛の日なんかもうどうなったっていいじゃん、昨日そう思った瞬間、オラの身体は悪しき魔力と怨念に包まれ、今の姿になっていたッピ……!!』
なんという悲しきモンスター。聖人が魔物にそんな事有り得るんですか。本人がそう言うなら事実なんだろうか。
私とジークはすっかり言葉を失って、渇望せしウァレンティヌスの前に立ち竦んでしまった。
「これ……倒していいんだよな?」
「もし本当にこいつのせいで町からお菓子が消えてるなら……お仕置きするべきだとは思う」
倒したところでお菓子が戻って来るのかは分からないけど。あの魔物の身体を形成しているスイーツの山々を見るに、ぶっちゃけもう手遅れな気もするけど。ばっちいじゃん。
『そうはさせないッピ……オラはまず手始めにこの町、そして次はアトリウムじゅうの――やがては世界中のお菓子を全て取り込んで、愛の日を台無しにしてやるんだッピ!!貴様らはその礎となるんだッピーーーー!!!!』
「うわ……!?」
「ザラ!!」
渇望せしウァレンティ……ああもう長ったらしいな!渇ウァレがウエハースの指先から、ピンクに輝く光線を発した。
私たちは咄嗟に互いを庇って、結果的に二人してその攻撃?の餌食になってしまった。
ジークと支え合いながら立ち上がってみるけど、外傷は見当たらない。どころか、何ら異変すら起きてないように思える。
しかし。その代わり、というか。私達自身に問題は無い。あるとしたら――そう、目の前に出現した、新たな人影二つ分だろう。
――チョコだ。
「……チョコだな」
チョコで出来た私とジークの全身像が、佇んでいた。
ええ、きっかりしっかり、原寸サイズの。服や装飾の細部まで細かく再現された、まるで鏡像のような生き写し。素材がチョコであること以外は。
『グーッブッブ!!そいつはチョコラータ・スーペルウォーモ。オラの波動を食らった人間から作られたチョコ像だッピ……!!』
「はい??」
「チョコ像がまず何なんだよ」
わざわざ説明してもらった割りには全然容量を得ないよ。
『さあチョコカップルよ、行くッピ!!』
渇ウァレが指示を出すと、チョコで出来た私とジークの人形が、ゆったりと面を上げて、私達を見据えた。
そして、これまた私達と同じように姿勢を低くし、杖まで取り出す始末。
「てか何でピンポイントで私達だけ襲ってくんのよ!!」
『貴様等が一番良い魔力してるからだッピねぇ~~~!!』
「確かに……!」
「うわーんこんなのばっかり!」
素朴な疑問にも丁寧に答えて頂いたところで。ヴァロータ先生曰く、魔物はより強い魔力に反応するらしいので、そりゃアンリミテッドと魔族が居たら襲うわな。まあ、私(、とジーク)にだけ被害が行くぶんにはいいか。
チョコジークはジークに、チョコ私は私に、それぞれ狙いを定めて、各々の特技をぶつけてくる。
流石にジークの持ち物に掛かった魔法までは再現出来なかったみたいで、チョコジークはチョコが詰まったフラスコを投げつけてくるだけだけど、それでも質量のぶんぶつかったら結構痛そうだし。
私は私で、相手の雷魔法を障壁で防ぐので手一杯だ。私の癖に妙に詠唱が速いし魔法の威力も高くて、矢継ぎ早に雷撃が襲ってくるのを堪えるのがやっとだ。
「ちょ、向こうの私、微妙に強いんですけど…!?」
「クソッ、こっちもだ。チョコの癖にやたら力がある……!」
そう言いながらも、ジークが自分そっくりのチョコを躊躇なく蹴っ飛ばす。オリジナルの蹴りで吹っ飛びながらも、正確に受け身を取って立ち直るチョコジークは、どこか不敵に笑っているようにも見えた。
『グッブッブ……チョコラータ・スーペルウォーモはコピーした人間の生涯菓子所得がそのまま力になるんだッピ』
「生涯菓子所得」
「知らん言葉がポンポン出てくるな」
「つまりどういうことなの……」
『――人生で獲得したお菓子の量だッピ』
「説明してくれた」
「言い直すくらいなら最初から妙な造語を作るなよ」
私とジークからのツッコミでちょっと渇ウァレが俯き気味になっちゃった。
何。何でそんなもんが力に還元されるかわかんないんだけど、確かに自分があげたお菓子ならいざ知らず、人から貰った……この場合買った、にも含まれるのかな……なら、自分の魔力よりも上かも……?何の話してんだ私。正気じゃねえよ全然。
ん?つーかチョコジークも強化されてるってことは、こいつ、自分で振舞うだけじゃなく他者からも……い、いやいや、例によって魔界に人間界の行事は浸透してないだろうし自分で買ったぶんならこいつグルメだし全然有り得るなうん別に貰ったりなんかしてないだろ全然そうに決まってるわね。
私の睨みが渇ウァレからジークに移ったのを見計らってか、渇ウァレは更にウエハースの指先を弾いて、新しい魔法を発動させた。
『ちなみにこんな事も出来るッピ。見せつけてやるッピよ!!』
しまった、と身構える暇もなく、チョコジークが一歩踏み出す。
しかしそれは敵意を剥き出しにした踏み込み、というより、覚悟を決めた戦士のような、ゆったりとした前進だった。
チョコジークは大きく息を吸うと――
『ザラは今日も可愛い!学校に居る時と違う服も可愛い!結婚したい!』
本物と同じ声色、同じ表情で、大きくそう宣言した。
突然感極まるところとかジークそっくりだねー。急にどうしたんだろうねー。
別に私にとっては見慣れた光景なので特に反応もせずに停止していると、渇ウァレがしてやったりというような嘲笑を噛み締めて、ラズベリーの瞳を閃かせた。
『どうだ見たッピか!!チョコラータ・スーペルウォーモは、本物の深層心理を暴きだして、本人が隠したがっているような本音も勝手に暴露しちゃうんだッピ!!グーッブッブッブ!!』
そうして得意げにもう一度指を鳴らす。あの指でどうやって鳴ってんだ。
『ザラが好きだ……愛してる……出来る事なら一生側に居て甘やかしてあげたい……俺の手でダメにしたい……』
チョコジークは尚も愛の言葉を紡いでいるけど、それで動揺する時期はもう去っちゃったんだよねぇ…。
「あんま普段と変わんないなァ……」
「思ったことしか言ってないからな」
もう少し脳を介して喋ってほしいところだ。
アホはどこまでいってもアホなんだと、わざわざ魔物にまで変じた聖人の御業を見せつけられた。
ここで――私は、はたと気が付いた。今しがたの渇ウァレの言葉を反芻する。
……――“本人が隠したがっているような本音も勝手に暴露する”?
背筋に悪寒が走る。顔を上げてももう遅かった。
既に渇ウァレはチョコ私に向かって指を鳴らしていた。
まずい。まずいまずいまずい。
全身から血の気が引いて、一気に冷や汗が吹き出した。止めないと、止めないと止めないと。
チョコ私はチョコジークに倣い、ゆったりと貴婦人のような優雅さで一歩踏み出すと、隣に居るチョコジークの腕に自分の腕を回して、溶けそうなほどの幸福な笑顔を浮かべた。
『本当はジークのこと大好きなの。いつも冷たくしたり、誤魔化したりしてごめんね。ジークとずっと一緒に居たいなぁ。もっと二人っきりになれたらいいのに』
「は…………?」
――時間が、停止した。
『ジークは今日もかっこいいな~。怖い顔ばっかりしてないで、ぎゅっとしてほしいな~。でもそんなことお願いするの恥ずかしいな~……どうしよっかな~、えへへ……』
あ、あ、あ。ああ、あ、あああああ、あ。
あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。
チョコのくせに。チョコのくせにチョコのくせに。
『好きなことに熱中してるジークも好き それを待ってる時間も好き それってつまり 君にまつわる全部が たまらなくシアワセってこと…』
「ホギャラピーーーーーーーーーー!!!!!!お願い死んでーーーーーーーーーーッッッ!!!!!!」
私が瞬発的にお見舞いした超超超限界突破特大雷撃魔法で、チョコ私はいとも容易く、瞬く間に爆発四散した。煙に包まれた粉塵が舞い上がり、周囲に焦げたチョコの香りが漂う。
「ハア、ハア……なんて悪質な魔法なの……!!偽物を作って本物が思ってもないようなことを口走らせて相手の動揺を誘おうだなんて卑劣にも程があるわ……!!」
「おま……仮にも自分の姿をした物をよくそこまで容赦なく……」
「うるさいな!!自分だからこそ殺さなきゃいけない時ってのがあんのよ!!」
危なかった、咄嗟に過去の自分を越えるくらいの力を出して全てを無に帰さなければ大惨事になっていた。危ないとこだったわ。なんっつー魔法なの。
「と、ところで今のは本音なのか?」
「そんな訳ないでしょ思ってもないっつってんだろ!!話聞いときなさいよ!!」
「成程……」
「ウオォーーーッ何を納得した顔してんだーーーッお願い記憶から消してお願いお願い……!!」
「いいんだ。俺は。ザラが想ってくれているだけで幸せだ」
「何にも聞いてくんないじゃん……!!私のこと好きなら私を無視するのはおかしいだろうが……ッ!!」
どうしてどうしてどうしてよりにもよって本人が居る前でこんな、よくもこんな酷いこと思いつくな。
しかも自分で一度も奏でたことのないポエムまで披露するとか。私の深層心理怖ッ。もう絶対に許さない、今決めた。渇望せしウァレンティヌス、絶対に倒す。聖人とか知るか。
愛の日に沸く人々からお菓子を取り上げて、おまけにチョコで作った影法師に本音を暴露させるだなんて。残虐非道にも程があ……あれ?
ウァレンティヌスの思惑に、ふと、引っかかるものを感じた。
「あの……あなたって、もしかして」
私の問い掛けを最後まで聞くこともなく、ウァレンティヌスがゆっくりと目を伏せて頷いた。瞼あったんだ。
愛を司る聖人は、生クリームに縁どられた口を開いて、静かに語り始めた。
『お前らは忘れてないッピか?結ばれるカップルが居る一方で、結ばれない人々だって居るッピ』
魔力に浸食されているとは思えない理性的な口調で、聖人は淡々と事実を口にする。
『種族、年齢、性別、思想、国家、宗教……あらゆるものに阻まれて、悲しみの中で愛する人と別れなければならなかった人達を、オラはたくさん見てきたッピ』
私はジークを横目で窺った。警戒こそ問いていないものの、彼も、私と同じように、聖人の言葉に耳を傾けているようだった。
辺境の教会で悲恋を見守り続けた聖人の思い出のなかに、もしかしたら、人間と魔族のカップルだって居たのかもしれない。
当人たちがどれだけ納得していて、深く愛し合っていたとしても、それが許されない環境だってあるだろう。
片思いだってそうだ。どれだけ想っていても、それが伝わったとしても……報われなかったとしたら、きっとそれは永く続く苦しみに変わる。
ウァレンティヌスの力を以てしても救うことのできなかった、取り零してしまった人々の悔恨と哀愁と憎悪が――今、こうして、彼を蝕んでいるなんて。人間はどれだけ、身勝手なんだろう。
『だけど……この力で……毎年一日だけ顕現できる今日この日に、お菓子なんかに頼らず無理矢理にでも告白させ合えば!!そういう不幸なカップルが少しでも減るかもしれない!!まどろっこしい事してんじゃねえよ人間!!さっさと抱けェーーーッ!!』
「あ、あわわわ……狂気の恋愛脳……!!」
彼にも色々あったんだろうな、色々と。
思い出している内に万感の思いが込み上がってきてしまったのか、ウァレンティヌスはふざけた「~だッピ」口調も忘れて、力強く叫んだ。
ウァレンティヌスの身体から、彼の感情に反応するように、真っ赤なオーラが立ち昇った。
ラズベリーの瞳がいっそう強く輝き、彼を象っているお菓子の群れがざわざわと音を立てて脈動する。お菓子の嵐が暴れ狂っているみたいだ。
「貴様の加護なんぞ無くとも、俺は俺の愛を貫く」
『うるせーーーーーッッ全員幸せになれーーーーーッッ!!!!』
宙に掲げられたウエハースの先に、どこからともなく、これまた盗んできたであろうケーキやクッキーが飛翔しながら集まって来る。それらはどんどん数を増し、体積を増やし、球状に固まっていく。私が呆気に取られているあいだにも、ちょっと大きめの家具ぐらいのサイズになっていくんですけど。
やばい。魔法とか抜きにしてもあれを物理的にぶつけられたら普通に死ぬんでは。
「ザラ……あれをやろう!」
「どれ???」
事態を危険視したジークがついに、魔法の準備に取り掛かった。
「お前も俺ならザラを守れ!」
ウァレンティヌスの魔力があっちに集中したことで指揮を失ったらしく、すっかり動かなくなったチョコジークを掴み上げて、用意した魔法陣に叩きつけると、ジークは手早く錬金術を発動した。
「“我は序列四十八位、地獄の大公である。朝を夜に、心臓を脳に、大地を海に変える者。ヒトに富と知恵を唆し、真理を視る紅き雄牛である。意志なき万物よ、有魂の万象よ、我が手によって汝らが到達すべき姿へと導かん”!」
赤黒い錬成反応と共に、人型だったチョコの塊が、即座に大砲へと形を変えた。
どう見ても、魔界で初めてグリムヴェルトの放った幻魔と戦ったときに使った、あれだ。
魔力変換ビーム砲。
「ああ……これね……」
「装填頼む」
「はいはい」
言われるがまま、私は雷の魔法を大砲に落とし込む。蒼白い火花を纏った鈍色の砲門が、ジークの手によって、力を溜めているウァレンティヌスの方へ向けられる。
「発射」
そして無慈悲な砲撃。音を置き去りにした衝撃が、ウァレンティヌスに見事に命中した。
『ア゛ァ゛ーーーーーッッ!!!!』
「もう一発」
びん、と、質量を持った光が薙いで、ついでにお菓子の巨大ボールをも穿つ。
あとに残ったのは、真っ黒な煤の山と、甘ったるい香りを放つ灰燼のなかで気を失って倒れている、法衣姿の男性だった。
恐らくあれがウァレンティヌスの本体、というか本人なんだろう。
ビーム砲で魔物化していた魔力のソース全てを打ち砕いたことによって、元の姿に戻ったようだった。これにて一件落着。
「……ウァレンティヌスさん、反省……してますか?」
「……してます……」
私が小声で訊ねると、聖人は両手で顔を覆って、同じく小声で返してきた。
魔物ハイから解き放たれた今、きっと物凄い羞恥に苛まれていることだろう。これに関してはもう、見なかったことにしてあげる他ない。
私とジークは頷きあうと、それ以上の追及はせず、その場から離れることにした。
「……ちなみにこの後デートでもどうだ?」
「いやちょっと用事あるんで」
そして最後にここぞとばかりにナンパしてくるジークであった。これマジで毎回やってない??
.
.
.
.
・Q.三月になってからバレンタインの話を更新する気持ちってどう???
A.ほんとにほんとにほんとにほんとにごめんなさいでしたどうか命だけは勘弁してください。ビックリマンチョコあげるから…ほら…いっぱい買ったから…。




