マーキュリー・アタック!
新しい年を迎えてから、とうとう初めての登校日がやって来た。
久し振りに乗る列車はなんだか新鮮で、駅から校舎までの坂道も随分長く感じた。
真冬の装いに身を包んだ生徒たちが校門をくぐっていく光景は、冬休みに入る前と全く同じで、ここだけ時間が止まっているみたいだ。
学校でしか会えない友達を探して、黒魔術科の教室に入る前に、少しだけ中庭を覗いた。
――それが裏目に出た。
「会いたかったぞザラーーーーーーーーーーッッッ!!!!!」
「ギャアアアァーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!!」
廊下から一歩進んだその瞬間、獣の金眼と目が合ってしまった。
一週間ぶりに会うジークは私を視界に捉えると、こちらに向かって一直線にダッシュ。逃げる隙も与えず大型車両のような速度と質量でタックルを決めると、私の身体を恐ろしいほどの力で締め上げた。
魔族名物、死の抱擁である。
「痛い痛い痛だだだだだ死ぬ死ぬ死ぬゥ!!」
ぎりぎりぎり、と骨が、関節が軋む音が響く。身動きも取れず逃げ出すことも適わない、ひたすらリンゴのようにすり潰されるのをただ享受するだけの時間だ。
「一週間ぶりか?お前と出会って以来こんなに離れたのは初めてだ……!!この一週間、長かった、耐えがたかった……ッ!!」
「わがっだ、わがっだがら離じでぐだだい」
会えなかった日数分だけ強くなるの?想いと?筋力が?勘弁してください。
正直、予感はしてたよ。こうなるだろうなって。
いや、そんなにも再会を喜んでくれるのは、嬉しいは嬉しいけど。離してくれないかな、一旦。一旦ザラちゃん置こう。
ていうかジークと出会ってから殆ど毎日顔を合わせてたのか……と思うと感慨深い。学校の外でも一緒にいる分、クラスメイトより頻繁に会ってることになる。
気持ちは分かる。分かるから、分かるから。
「一体お前に会う以前の俺は何をしていたというのか……去年の今頃の記憶が殆ど思い出せない程に色褪せている……!!そしてあともう少しで……っ!!今年もくすんだ冬になるところだった……!!」
「ワ ワタシモ アイタカッタ カラ ハヤク タスケテ」
ああ……なんか意識が遠のいていく。血と酸素がね、止まってんのよ、胸の辺りで。万力みたいな馬鹿力で圧迫されてるから、循環すべきものが全然循環してないんだよ。やばい。焦点を合わせる余裕すら無くなって来た。
生を諦めた私ががっくりと脱力して項垂れると、ジークはようやく力を緩めて、私の亡骸を横抱きにした。
「ザラ!?どうした、しっかりしろ!!誰にやられたんだーッ!!」
あんただよ。
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「はあ、はあ……新学期早々エライ目に遭った……」
あの後何とか蘇生してもらい、予鈴を理由にジークを振り切ることに成功した。あのままジークに付き合ってたらどうなってたか分からない。三倍激烈ハグとクソデカポエムのコンボは結構心身に響くのよ。どうしてこう全てに対してフルスロットルなの。今に生きすぎだろ。
私だって寂しくなかった訳じゃないけど…今年はアルスが居たし、さっきのハグという名の拷問で完全喪失分以上のおつりが返って来ちゃったっていうか、胸焼けしたっていうか。
なんとか教室に辿り着き、いつものようにルリコの隣の席に座ると、中庭での私とジークのやりとりを見ていたというクラスメート達にしっかりからかわれた。最悪。許さん。二週間ぶりの授業は屈辱に身を震わせながら受けることになった。もうやだ。
ジークは授業なんて出席してないから、私ばっかりこんな風に冷やかされるんだ。あまりに不公平でしょうが。最もジークが周囲に私との仲をどうこう言われたところで、狼狽える姿なんて全くといっていいほど想像出来ないけど。むしろあいつがドヤ顔で触れ回ってんじゃないの。
午前中ずっと疑心暗鬼になりながらも、ようやく昼休みの時間になった。
年始初回の今日は流石にビビアンやフェイスくんも校舎に登校していて、食堂ですぐに合流することができた。二人とも相変わらずで何より。
久々に会うフェイスくんに、少し背が伸びた?と訊くと、そういうのセクハラだから、と冷たく突っぱねられた。そういう所もフェイスくんらしいっす…。
で。最近弛みきってたし、これからまた午後に備えて早めに教室に戻ろうとか珍しく殊勝な気紛れを起こしたところ。
黒魔術科の教室に繋がる廊下で、一人の人物に呼び止められた。
「君。黒魔術科のザラ・コペルニクスだね」
「は、はい……?あなたは、確か占星術科の……」
「うん。僕は二年担当のパール=パドパラドシア」
早口言葉みたいな名前だ。
……じゃなくて。名前を呼ばれて振り返ると、私より背丈の小さいローブ姿の少年……ではなく、スプライト族の男性が佇んでいた。
「君には、フェイスの兄弟子って言ったほうが分かりやすい?」
「あっ、そう言われれば確かにすごく分かりやすいです……!!」
占星術科のパ……パパドシア先生。始業式や全校集会、共同演習で何度か見かけたことがある。
有名な天文台に所属する研究者の一人で、フェイスくんとは師匠を同じくする兄弟弟子の関係、らしい。
言われてみればこの無表情と物静かな喋り方、動作の少ない仕草などは、フェイスくんと共通しているものがある。……いや。フェイスくんの家族もみんなこんな感じだったと思うけど、あれなの、同じような人間が集う工房とかなのかしら。
「君に聞きたいことがある。僕の部屋まで来てほしい」
「え、あの、ちょっと」
詳しい説明をするでもなく、パド……パド先生はそれっきり踵を返してずんずん先を歩いて行ってしまう。えっ。待ってほしい。私も先生を速足で追うことにした。次の授業の準備をしている暇は、無いかもしれない。
校内に存在していることは漠然と知ってたけど、先生の私室というものに初めて実際に立ち入った。
パ……パラドア先生の部屋は、校長先生のものとは打って変わって、シックで落ち着いた調度品や、天球儀や観測器、大掛かりな望遠鏡に囲まれた、研究室と呼んだほうが相応しい場所だった。
天井に張られた布には魔法で常に夜の星空の映像が投影されていて、あちこちで星々が煌めている。
私は先生に促されてカウチソファに腰掛け、金縁のティーグラスに並々注がれた紅茶を受け取った。
「占星術科の先生が、私なんかにどんなご用でしょうか……」
「そんなに緊張しないで。本当にただ、話があるだけ。サラにはもう了承を得てる」
サラ……って、そういえば、タカハシ先生のファーストネームだ。お二人とも学園内では古株の教員らしいし、それくらい仲が良くても不思議じゃないか。
なるほど、じゃあ私が多少授業に遅れても怒られないってことね。ことよね?お願いしますよ。
パド……パ先生はテーブルを挟んだ向こう側に腰を降ろすと、無表情ながらも、僅かに視線を落として、重たそうに口を開いた。
「君、モニカ・キュリーと仲が良かったよね」
「え、あ、はい。友達です」
「……彼女が行方不明になったの、聞いてる?」
「え…………?」
……――え。
モニカ・キュリー。図書委員の。地下図書館の。私の親友の一人で、占星術科の生徒の一人。
「モニカが行方不明ぃ!?」
情報を呑み込むのに数秒の間を要してしまった。
「い、いつからなんですか」
「冬休みに入ってから。今日も登校は確認していない」
「は、初めて聞きました……」
行方不明って……行方不明って、ことよね……。そんな。
冬休みの間、何度か電話を掛けた時は、本人の代わりにご両親が応対してくれて、ただ今は居ないとしか告げられていなかった。たまたま他の用事で忙しいのかなあとか呑気に受け止めてたのに。もしかしてその間ずっと……。
「学生証の魔力を辿れている内は、あまり公表しない方針だったんだけど」
「じゃ、じゃあ……私に話したってことは……」
「それもとうとう追跡出来なくなった。どんな情報でも良いから、何か心当たりがあれば、隠さず話してほしい」
ご両親に、そんな素振りは無かったのに。電話口で、一生懸命、娘の安否を心配する心を押し殺していたのかと思うと、居た堪れない。何も知らずのうのうと過ごしていた自分が、急に恥ずかしく思えてきた。
――モニカ。最後に会ったのは、終業日だ。
二人で地下図書館の蔵書を整理するという彼女を手伝って……あの後、それっきりってこと……!?今まで、ずっと。今この瞬間も、モニカがどこに居るのかも分からないなんて。
全身から血の気が失せていく。手が異様に冷たく感じる。一口分の紅茶すら上手く飲み込めない。
モニカは、優しくてお茶目で、図書館の仕事に文句のひとつも言わない真面目な子だ。そんな普通の女の子が、突然周囲に何も告げずに行方をくらましてしまうなんてこと、あるのだろうか。
でも、実際に今起きている。私と笑い合っていたモニカが蒸発……、あるいは何か事件に巻き込まれたりするなんて、想像だにもしていなかった。
「……分かりました。ただ、今は……少し、ショックが大きくて」
私は率直な心境を告げた。
「うん。正直僕も、驚いてる。この件については、君にも気持ちを整理する時間が必要だと判断する」
「はい……」
暗に力にはなれないと伝えたにも関わらず、パラ……パシド先生は淡々と私を慮るような言葉を繋いでくれる。フェイスくん同様、表情が無いだけですごく思い遣りのある人なんだろう。
「進級試験が近い時期に、君にも負担を掛けるような話をして、申し訳ない。もし精神的に背負いきれないと思ったら、遠慮せずに僕たちを頼ってほしい」
「ありがとうございます……。……きっと、ご家族の方が一番心配ですよね」
「そう。本人も決して安全であるとは言い切れない。……でも。それを考えるのは僕たち大人の役目。情報提供を指示しておいてなんだけど、君はモニカ・キュリーが無事に帰ってくることを信じて待っていてあげてほしい」
「はい。先生もモニカのこと、想ってくれてるんですね」
「当然。ヘルメスに居る子たちは、みんな僕の大切な生徒だ。ここでは、君たちの心身の健康が最も優先されるべき」
パラパ……ラシア先生は初めて、小さく口角を上げて微笑んだように見えた。慈しむような瞳には、間違いなく私達に対する無償の愛があった。
そっか。つい忘れがちだけど……私達にはいつでも、私達を見守ってくれている大人が側に居てくれるんだ。
そう思うと、少し安心した。きっとモニカのことだって、必死に捜索してくれる筈だ。
うん、先生の言う通り、私は親友として、彼女が帰って来たときに、笑顔で迎えてあげられるようにしなくちゃ。
でも、もし――なんて考えが脳裏を掠めた矢先、
「……あと。くれぐれも、自分で捜索しようとか思わないように。サラにも釘を刺されてるんだ。君はそういう無茶をする子だって聞いたから」
「うっ……わ、分かりましたぁ……」
速効で注意勧告を受ける私だった。さすが、担任教師。よおぉっく分かってらっしゃいます……。
私が自分の危険な素行を見透かされて苦笑いを浮かべていると、部屋の扉を開けて、タカハシ先生がやってきた。
「話は終わったか~。心優しいタカハシ先生がわざわざ迎えに来てやったぞ~」
タカハシ先生は気怠そうに入室してくると、私が座るカウチソファの手すりに堂々と足を掛けて休ませた。
「サラ。彼女を貸してくれてありがとう」
「いーえ。パールに何か脅されたりしてないな?」
「サラの生徒にそんな事しない。君と同じことを話しただけ」
「ったく……あんまうちの生徒にストレスかけないでくれよな~……。コペルニクスはただでさえ……アレなんだから」
え。暫くお二人のやり取りを観察してようと背景に徹していたのに。いきなり漠然とディスられた。
「アレってなんですか!さっ、最近は頑張ってるじゃないですかぁ!」
「自覚あんじゃん。ま~、でも、そうな。ボーイフレンド達のお陰で、実戦経験だけは豊富みたいだし。去年に比べたら大分マシになった方か」
「先生~……!!」
そう。そうなんです。バカ共に引っ張り回されてるお陰で攻性魔法や身体強化の補助魔法ばかりが上達していく今日この頃。
でもそんな私の甲斐甲斐しい努力を見逃さないでくれているなんて流石、誰に対しても公正明大、というか全人類に等しく横柄なタカハシ先生。思わず抱き着こうとしてもサッと避けられる辺りに愛情の無さを感じます。でもそこがいいんです。
「じゃあ、僕の用事はこれでおしまい。ザラ・コペルニクス。僕と君は、モニカ・キュリーの件に関しては、志を同じくする仲間だ。困ったことがあったら、力になる。約束するよ」
「は、はい。失礼します、えーと、パ……パパ……」
私とタカハシ先生は、パ……パルパティーン先生の私室の玄関口で軽く会釈をした。
えーと。結局名前覚えられてない……。ファーストネームがパールさんなのは覚えてるんだけど、先生を気安く呼ぶ訳にもいかないし……。
「パパブブレ」
「パパブブレ先生」
「パドパラドシア。テストに出すよ」
まんまと担任教師に耳打ちされてハメられる私だった。
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・新年あけましておめでとうございます。というわけで新年一回目の更新。期せずして作中の季節としっかり重なるというミラクルが起きました。今年も無限の~ならびにコールドスリープの両作品を宜しくお願い致します。
・ジークさん、実に三話ぶりの登場。むしろメインヒーローが居ない状況でよくストーリー保ったな。
・フェイスくん、パドパラドシア先生の師匠は大魔導士と呼ばれる国内最難関の天文台を束ねるほぼ不老不死のショタじいさんです。現在行方不明。名前はナクシャトラ。異星からやって来た機械人たちと衣食住を共にし、共同で研究を進めている為、師匠のもとで修行する弟子たちは必然、機械っぽい感じが身についてしまうとかしまわないとか。フェイスくんの義肢に関する技術もこの辺がルーツになっています。最近The ROOM Threeをクリアしたのでその影響もあります。いや、キャラ達の設定自体は大昔に創ったんですが…。




