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無限の少女と魔界の錬金術師  作者: 安藤源龍
4.月の魔力は愛のメッセージ
180/265

仄暗い海の底から

 



 ええと――

 私たち一家は西方諸島に新しく家を買ったという父方の祖父母に挨拶に赴き、まあ現在お父さんはこんな感じで、新しく家族も増えました、と――軽く報告も済ませ、アトリウム王国まで帰る為の船旅が始まろうというところだった。

 ――それが、どうして、なんだってこんな事になってんですかね。

 海原を揺蕩たっていた筈の船上は、自分の腕を伸ばした先も分からないほどの深い霧に包まれている。

 マジで自分の半径数センチしか開けてないのよ、これじゃほとんど視界が無いのと同じだわ。

「どうなってんのよぉ~~~……」

 私もしかして水難の相あるかな。あと男難。今度ちゃんと、フェイスくんに占ってもらおう。

 この真っ白な霧に包囲されるごく直前まで、私はアルスと共に甲板に立っていた筈だ。ほんの数分前のことだし、お互いにそう遠くへは行っていない……と思いたい。

「ア、アルス~~~どこ~~~!!」

「ザラ!こっちだ!」

 両手を翳して自分の領域を確かめながら恐る恐る歩いて回ると、靄の隙間から伸びてきたアルスに腕を掴まれて、そのまま引っ張られた。

「アルス~!!」

「大丈夫だ、もう俺から離れんなよ」

 そのままアルスの胸へ格納される。アルスの大きな手を握れば、ひとまずの勇気は湧いてきそうだ。

『イザベラさんは無事か!?』

「わかんねえ……!」

「私もはぐれちゃったの……!無事だといいけど……」

 三人……正確には二人と一振りで身を寄せ合って、お互いの死角を補助するように周囲を見渡す。

「お母さん!どこーっ!?」

 雲の中に居るような霞みがかった船上で頼れるのは、最早聴覚だけだ。私は力の限りお母さんを呼んだ。

 でも――――返事は返ってこない。

 それどころか、私達以外にも居た筈の乗客の影すら掠めない。

 音も無く形も無く、ただひたすらに伸び続ける煙霧の街道。自分が今どこを歩いているのかすら分からない。

 きっと――きっと、死後の世界なんかは、こうなんじゃないかと思えてしまうほどに、不気味な静寂。

 ……いや、私が死んだときはやたらトロピカルなジャングルの中だったけど。あれを知らなかったら、目の前の景色のほうを死後の世界として思い描いていただろうってことで。

 色彩を欠いた水蒸気の幕なかを右往左往し続けて、ようやく目が慣れてきた。

 分厚い霧のヴェールの向こうに、なんとなく、人影のようなものが浮かんだように錯覚した。私はすかさず、錯覚のほうへ駆け寄った。

「お母さーん!!居たら返事してーっ!!」

『イザベラさーん!!』

 全神経を集中させて、とにかく聴覚を研ぎ澄ましてみる。

「おーい!!てか、誰か居ないのかよーっ!?」

 アルスの声に、僅かに反応する何かがあった。

 もわ、と煙を掻き分けて現れたのは――お母さんとは程遠い、動く骨格標本だった。

 もっと直接的に言うと――スケルトンだ。

 死霊(アンデッド)系に属する骸骨の魔物。びりびりに破け黒ずんだ洋服を引き摺って、ネズミや蛆が這いまわる白骨死体が、魔力に突き動かされて霧の中を徘徊している。

 剥き出しの手には曲がった剣を持っていて、なるほど人間を攻撃する気は満々みたいね?

 数は、視界に捉えられるだけでも三、四体。それぞれ武器を手にしている。

 死霊が放つ強烈な腐臭に思わず私が呻くと、骸骨たちの虚ろな眼孔がいっせいにこちらを向いた。

「……こっ、こっち向いたよ……!?」

 カルシウムがぶつかる音を響かせて、歯の根をわざと何度もかち合わせて、スケルトンたちが威嚇する。今にも崩れて砕けそうな脆い歩みで、けれど確実に迫って来る。

 私がホルダーから(キャスリング)を引き抜くよりも早く、アルスが魔硝剣を鞘から解放した。

「ミストラルって、ゴーストは斬れるっけ?」

『どうだかな……。聖属性の魔法さえ付与できれば、木の枝だろうと太刀打ちはできるような連中だけど……』

 最初は数体だったのが、近寄って来るにつれ仲間を増やしながら、スケルトンの群れが大挙して押し寄せてくる。

「ひーっ!な、なんか冷たいよー〜っ!!」

 気が付けば、無数のスケルトンに四方八方を塞がれていた。

 ロロくんのような蒼く冷たい膜を纏ったスケルトンたちが、背後から私の耳元で息吹く。氷よりも鋭く寒々しい、生臭い吐息が、私の正気と体温を奪っていく。

「ザラ!!」

『手を伸ばせ!』

「アルス、お父さん……!」

 凍える手を伸ばす。アルスの背にも覆いかぶさるように骸骨が組みついていて、お互いが思うように手を取れない。

「くそ、数が、多いって……!」

『アルス!無茶するな!ゴーストは触れただけで頭おかしくなんだぞ!』

「そうは言っても……!」

「ああ、もうだめ……私死のうかな……生きてる意味ないかも……」

「ザラーッ!!」

 ホネホネ軍団に手足を絡めとられるうちに、段々と助からない絶望感に胸が支配されていくのが分かった。これが死霊系の一番恐ろしいところだ。

 それはじゅうぶん分かったから早く死にたい。敵の付与魔法(エンチャント)だと頭では理解していても、抗えない。血と神経に悲しみが注がれていく。

『諦めるなザラ!ゴースト達の囁きに耳を貸しちゃダメだ!!』

「でもみんな、寂しくて辛いんだって……だったら私も……ついていってあげなきゃ……」

「ザラを離せっ……!退けったら……!!」

 ああ……アルス……抵抗しても無駄なのに……。ミストラル(お父さん)の輝きをいくら翳したところで、私と死霊の無念が晴れることはない……。

 もうなにを考えたって、なにをやったって無駄なので、私は仲間たちが誘う暗闇に身を委ねた。

 重たい眠りのような感覚が頭のなかを掻き混ぜる。どんよりした気持ちのシチューの一部になって……私はたぶん……永劫に……なんかこう……嫌な気持ちを……こう……お母さんとプリンの取り合いで喧嘩した日とか……列車でナンパされた時とか……ジークにネロ先輩を優先されたこととか……食堂で好きなパン売り切れてたこととかを……ずうっと恨んで……生きもせず死にもせず彷徨うんだ……。


 ――「オウ、無事か。嬢ちゃん。危ねえところやったのう」


「――――ッ!!」

 スケルトンたちの骨が転がる光景を目にして、私はようやく正気に戻った。

 私の周囲は少しだけ霧が晴れて、船の床の色くらいまでは判別できるようになっていた。

 あれだけ纏わりついていたスケルトンたちは灰となって、“彼”を避けるように、“彼”から弾かれるように、さらさらと風に流されていく。

 オーガ族の巨体が、立ちはだかっていた。

 緑色の肌に、額から伸びた長い角。背筋と関節も同じく角のように隆起した骨格と、臀部から生えた太い尾。

 鮫や鰐の擬人化を思わせる、まさしく鬼の亜人の偉丈夫は、振り向きざまに最期の死霊を斬り伏せて、灰燼へと帰した。

「あ……あなたは……?」

「ワシか?ワシャ、ヤイバっちゅうモンじゃ。嬢ちゃん、もう呪いは解けたんか」

「は、はい」

「ほんならええ。こっちの霊は手口が大胆じゃのう。せやけど、殴っただけで消えるんやったら、ウチんとこよりなんぼかやりやすいわ」

 聞き馴染みの無い大陸語の発音だ。ディエゴくんとは、少し違うような。着ているものはどちらかというとキョウ先輩のような羽織りものに近い。

 何より私が呆然としたのは、その筋骨隆々の逞しい肉体に相応しい、凛とした鋭い美貌だった。

 がっしりと骨張った輪郭と口元の牙はオーガ族の特徴そのもので、そこに相対する涼やかで艶っぽい夕焼け色の瞳の流し目に、否応なく惹きつけられた。

 ……じゃ、なくて。

「あ、わ、私。ザラです。ザラ・コペルニクス。助けていただいてありがとうございました」

 腰を抜かしていた私はなんとか立ち上がり、オーガ族の男性――ヤイバさんに会釈した。

「気にすんな。ゴーストに気に入られるなんて嬢ちゃん、珍しい気質みてぇやな」

「まあ、ハイ……そうですね……」

 いつものことなので。そこは否定も肯定もせずにおこう。

「そういやぁ、オメェとおった兄ちゃんはどこ行きよったんや」

「そういえば……!!アルスー!お父さーん!」

「わっ、バカなんかお主!?」

 見当たらない家族の名を呼んだ瞬間、ヤイバさんに取り押さえられて、口を塞がれた。

 何かまずいことをしたのかと思ってヤイバさんを窺うと、口元に人差し指を充てがわれた。

「さっきので気づかんかったんか?奴等は呼吸でこっちを探しとるんよ。迂闊に大声出したら餌になり行っとるのと変わらん」

「そうだったんだ……す、すみません」

「家族とはぐれたんならしゃあねぇわ。けど、なるべく小声でな」

「は、はい……!気を付けます」

 な、なるほど。私は無心で首を縦に振った。どうりで私とアルスが群れで襲われたわけだ。

 そうなってくると、同じく私たちを捜してるであろうお母さんのことが非常に心配になってくる。

「ヤイバさん、あの」

「その敬語もええ。むず痒くて適ん」

「えと……じゃあ、ヤイバ。あなたは、今この船がどういう状況か分かるの?」

「おうよ。大方、荷物の魔力に誘われて、幽霊船――死霊系の魔物の巣が、そのまま乗りつけて来とんのやろ」

「荷物の魔力……?」

「なんじゃ、知らんのか。この船な、武器の密輸も兼ねとんのや」

「えええ~~~っ!!?」

 ――っと叫びかけたところで、勿論唇を結んで、耐えた。私のその功績を、ヤイバもサムズアップで讃えてくれた。

 いや、いやいや。何を。民間人が利用する船に何を乗せて運んでんのよ。

 ……う。だからか。誰も、観光用の客船に商品としての武器が積んであるなんて思わない。

 お腹を探られたくないなら、最初から別の場所に隠しておけばいいだけの話……と。うーん流石、西方諸国の風はきな臭いぜ。

「つうても、そちらさん――あーと、なんちゅうたかの……ああ、そうや、グリュケリウス将軍じゃ。軍のお偉いさんからの命令でな。ウチの幽鬼調伏部隊から運び出した対魔の刀やら札が積んであるんよ」

「おおう……」

「あの人は羽振りがええもんで、助かっとるわ。がっはっはっ!」

 諸悪の根源ががっつり知り合いだったことについては伏せておこう。何ならその幽鬼なんたら部隊の人も知り合いだし。

 改めてとんでもない交友関係を持ってしまっていることに気付いて、一気に肩の荷が重くなるような感覚を覚えた。嫌だなぁ、気付かれたくないなぁ。

 ……というか、この訛りと、キョウ先輩の所属する組織を()()と喩えたあたり。

「……ヤイバも、やっぱり西方の人なの?」

「おう。ここからもんっげぇ遠くの、クルっちゅう藩国から来とる。ちいと野暮用があってな、アトリウムっちゅーとこ目指しとんのや」

「あれっ、そうなんだ。私もアトリウムに帰るとこだよ」

「おお!奇遇やな~!!言われてみりゃあ、随分ハイカラな着物着とるわな」

 ハイカラと来たか…………。

 私がヤイバの放つ新鮮な語彙に感心している間にも、再びどこからともなく、霧と骸骨の空っぽな足音が近づいてきているのが分かった。

 雑談を切り上げて、私達は息を潜める。

「まだまだ居そうだね……」

「こういうモンは、大体どっかに親玉がおるもんじゃ。そいつを探してぶちのめしゃあ、万事解決よ」

「確かに……。他の乗客も探しつつ、親玉を倒すってことでいいかな」

 ヤイバの言う通り、この手の魔物の群れの襲撃には、必ず統率を執っている個体が居る筈だ。

 指揮系統が失われる、あるいは同期している魔力の流れが絶たれれば、自然と退却するものだとヴァロータ先生も言っていた気がする。

 私は(キャスリング)に魔力を込めて、淡く発光させた。その光景に、ヤイバがほう、と物珍し気に感嘆の息を漏らした。

「お?なんじゃ、随分やる気やな」

「はあ……こういうのって、自分で解決しなきゃいけないものだって身に染みてるから。それに、私のお母さんだけじゃなくて、他にも魔物と戦えないような人が、さっきのスケルトンに襲われてる可能性だってあるんだから。放って置けないよ」

 何なら、私がこの船に乗っていたせいで……ってのも十分有り得そうだしね。

 こんな海の上でいつ来るかも分からない助けを待つよりは、自分で出来ることをさっさとやってしまった方がいいって、色んな人たちから学んだもの。

「よしよし、よおけ言うたわ。ほんなら、ワシも協力しちゃるわ」

「ありがとう!心強いよ!」

「オウ。なんや、嬢ちゃんとは相性良さそうやな。宜しゅう頼むで」

 差し出されたヤイバの大きな手を握り返す。意志を持ったグローブに包まれるような握手だったけど、その力加減で彼が信頼に足る人物だということは分かった。どっかのバカ魔族は全力で握りつぶしてくるもんね。

「ほんなら、幽霊退治と洒落込むかのう」

 オーガの相棒と共に、悲鳴が上がった方向へ駆け出す。

 幻魔ならいざ知らず、ただの魔物なら雷で焼き払っちゃえばいいし。待っててね。






 .

.

.

.

・新キャラ・オーガのヤイバさんが登場です。また男です。申し訳ない。。


・岡山弁が書いてあるだけで笑ってしまうの、完全にミーム汚染。


・岡山弁監修待ってます。

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