リトル・ミスター・サンシャイン・2
「なんだか不思議だな~。今までずーっと、物心ついた時からお母さんと二人っきりだったからさ~。こんな風に家の中が賑やかなのって新鮮」
埃を被った謎の壺を磨きながら、私はしみじみと今の状況を噛み締めていた。
口に出したつもりは無かったんだけど、目の前のアルスがきょとんとしているあたり、つい言葉として零れてしまっていたらしい。
「そっか……。俺がもっと早くに会いに来られてればな」
――アルスが以前から自信たっぷりに発していた“俺はザラに会うために生まれてきた”、なんて大げさな口説き文句も――今となっては、本当にそうなんじゃないかと思える。
アルスは家族である前に、私にとっての白馬の王子様だ。きっと彼は、私が困っていたからやって来てくれたんだろう。
「……きっと、今だから良かったんだよ。去年だったらちょっと受け入れる余裕無かったかも」
たぶん、十年前でも去年でも、昨日でもだめで。明日や一年後じゃ遅くて。今ここにアルスが居てくれることが一番良い事なんだと思う。
「そうなのか?余裕ないって、どんな?」
「ちょっと……黒魔術科の課題に追われてて……」
「ナルホド……。確かにそんな忙しい時期に幻魔と戦ったりしてたら、しんどいな」
「そーなのよ。まあ、今だってこの冬休み終わったらすぐ進級試験と進路相談だけどね……」
「大変だなぁ。俺と一緒に魔物と幻魔のハンターやるか?」
「そ、そうしたいのは山々だけど、ちょっと無理かな……」
そこまでの身体能力と戦闘系の魔術の才能も自信もないかな……。魔物ハンターのギルドで仕事を貰えるような人は、殆ど“選ばれた人間”といっても過言じゃない。
士官学校にも通わず剣ひとつで生計立ててるアルスって実はすごいのよ、一流の戦士ってことなんだから。
……てかこの一年間色々ありすぎなのよ。因果律バグってんじゃないの。バグってんのよ。私自身の力のせいで。こればっかりは一生付き合っていかなきゃいけないみたいね。
私は一年間の疲労を汚れと一緒に拭い、気持ちを切り替えるように話題を次に移した。
「そういえばアルスはもう、うちの生活には慣れた?」
「うん。お陰でな」
「良かった。お父さんが色々ばーって決めちゃったし、戸惑ってるかなって思ってたの」
「ギルドの宿舎より全然居心地良いよ。ザラも居るしな!」
嬉しそうに笑うアルスが、ずっとつかえていた小さな木棚の釘を引っこ抜いて、やったーと更に喜びの声をあげた。
アルスは折れ曲がった錆び釘に視線を落として、ぽつりと呟いた。
「ただ、俺……みんなのことすっげー大好きだし感謝してるんだけど……どーやって形にしたらいいのか、わかんなくてさ」
それは、いつも元気いっぱいな彼にしては珍しい、思いつめたような表情だった。コミカルにあひる口を作っていても、美しい碧眼の翳りが悩ましさを物語っている。
「別にいいんだよ、そんなの。アルスが毎日元気にご飯食べてれば」
「……そんな事言われたらさ。どうにも出来ねえじゃんか」
まあ、確かに。
私が言うこっちゃないけど、うちの人たち全員、寛容すぎんのよね。ウェルカムムード強め。
それこそもう少し、アルスとお父さんについて戸惑う場面があったっていい筈なのに、私もお母さんもごく自然に受け入れてるし、何なら新しい家族の形に超前向きだ。
アルスとしてはいきなり自分に無償の愛情を向けてくれる私達に対して、どう気持ちを返すべきなのか困惑しているところだろう。
まあほんと、全然気にしないでいいんだけども。アルスがそういう子だっていうのも分かってるし。
「でも気持ちは分かるな。何かちゃんと伝えたいよね。……特にお父さんとお母さんには」
「うん……。こないだの聖人祭のプレゼントじゃ足りねーよ~……」
足りないことは無いと思うけど……アルスの気持ちだもんね。
先週の聖人祭の折には、家族全員集まってプレゼント交換などもしました。
私がアルスにキーケースを用意していたように、アルスもわざわざ全員に贈り物を選んでいてくれて、それはそれは心温まる一日になった。最高ですよ。自慢の兄です。お揃いのキーケースめちゃくちゃ喜んでくれてた。
ちなみに私は歯車細工の小物入れ、お母さんはジャスミンのアロマペンダント貰ってました。センス……!
でもアルス本人がそれだけじゃ納得いかないと言うのなら……私にはひとつ、心当たりがあった。
これなら絶対に、百パーセント、お父さんもお母さんも喜んでくれるサプライズが。
「あ。じゃあ、こういうのはどうかな……」
私が耳打ちすると、アルスは目を丸くして驚いていた。そして照れくさそうに頭を掻くと、小声で贈り物の練習をし始めた。
三回に一回は喉を詰まらせて、それでも何度も繰り返して、ようやく決心が出来たようだ。
「みんな~!!お昼にしましょ~!!」
そんなタイミングで、家のなかからお母さんが呼ぶ声がした。
ほら、いい機会だよ、とアルスの脇を小突きながら、私たちは一階のダイニングで待つお母さんのもとへ向かった。
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テーブルの上には、何だかあまり見慣れない、色鮮やかな料理が並んでいた。
「午前中たくさん働いたみんなにはぁ~、午後に向けてぇ、オムレツとオレンジサラダ、肉厚マッシュルームの鉄板焼きで英気を養ってもらいまぁ~す!」
『わ~いタパスだ~!!ってオレ食えないんだよ~~~い!!』
「あらぁ、そうだったわねぇ~!まあまあ、お父さんのぶんもアルスくんに食べてもらいましょ~」
どうやらお父さんの好物……というか、そっち側の郷土料理らしい。なるほど、もしかしたら十年ぶりにこの献立を食べるのでは。
お父さんの不在を気にしていない風だったお母さんも、意外と無意識にお父さんを思い出すような食事は避けていたのかもしれない。
「ハッ。無機物相手によくやるぜ」
『カミロもよく食べてたじゃないか~』
「地元にこれしか無かったからだっての」
そしていつの間にか酒杯を掲げているカミロもちゃんと席についていたりして。働かなくてもお腹は減るんだ。
「お父さんとカミロってどれくらいの付き合いなの?」
『う~ん。オレが子供の頃はもうカミロが教会に居たよ。父ちゃんが腰やって、治療して貰いに行ってた』
「ンな事もあったかもな」
『地元で凄く有名な人だったんだよ。飲んだくれのカスなのにやってることは聖人だって』
「今も大体同じだね」
「うるせえ」
『久しぶりに会ったのに聖人ってほ~んとに歳取らないんだもんな~笑っちゃうよ!!あはははは!!』
あははて。この軽妙さ、お父さんはもう全くといっていいほど、以前のような幻覚な魔剣としての人格を纏わなくなってしまった。アレとコレの真ん中くらいにしれくれないかな。
「じゃあ、幼馴染ってヤツなのか?」
「バカ言え。んな生易しいモンじゃねえよ。コイツは人の善意に付け込んで、両足がっつりホールドした上三百六十度フルスロットルでジャイアントスイングしまくるような歩くハリケーンの目だぞ。どっちかっつーとオレ:被害者、コイツ:加害者の関係だ」
「あ~……確かにそういう所あるな」
「あるわねぇ~」
『ないよ!?春のそよ風のように爽やかな男だよボクは!』
お母さんとアルスの呆れた同意の様子にもお父さんの厚かましいアピールにもツボってしまい、思わずオムレツが気管支に入ってしまう私だった。
本当に、賑やかになったものだ。
「それにしては、カミロとの写真少ないよね。うちにも一枚だけだし」
「……それは、」
『カミロってほら、聖人だから殆ど歳取らないし、よっぽどの事じゃ死なないだろ?置いてかれるのが寂しいから、思い出は残したくないんだって!あははは!変なとこ繊細だよな~!!』
「アルスクンさ。これどうやったら黙らせられるかな?」
「うーん……熔かして鉄とかと混ぜれば……」
「よォーし、とりあえず火山にでもぶち込んでみっか」
『冗談に決まってるじゃないかも~~~やだな~~~!!カミロと一緒に写真に映ると男前でオレが霞んじゃうから遠慮してたんだよ~~~!!』
「小娘。コレがテメーの親父だ。よく覚えとけ」
「はい…………」
身内の恥は我が身の恥。このふざけた生命体の血が自分に流れていることを、きつく心身に戒めて、反面教師として深く学ばせていただきます。
しかしこのデリカシーの無さ、二十年後に隔世遺伝していると思うとめちゃくちゃ怖いな。フュルベールくんも一歩間違ったらこんなんだったもんな。
とにかくこのお父さんとカミロの思い出の味をさっさと平らげて、大掃除もやっつけて、さっさと客間もといアルスの部屋の模様替えにも取り掛からなくちゃね。
焼きたてのオムレツにフォークを差し込むと……中からトマトとポテトとベーコン出てきた!いつもと味付けも違う。香辛料が多くてスパイシーな味わいだ。なるほど、これとマッシュルームのあいだに清涼剤代わりのオレンジサラダを挟んで塩味と緩急つけていく感じね。体力使ったからいくらでも胃に入りそう。
アルスをちらと窺うと、私と同じように頬にぱんぱんにオムレツを詰め込んでいたので、思わず二人して笑ってしまった。
辛抱溜まらずワインの栓を開けたがるカミロを止めたり、どうにか剣の姿で好物を味わえないかというお父さんの刀身にオムレツを乗せて結局失敗したりしながら、賑やかな家族の団らんの時間は過ぎていった。
私たちが昼食を終えて少し休憩をしているあいだも、台所で忙しなく後片付けに勤しむお母さんのもとに――アルスが近づいていった。
「洗い物、俺がやるよ」
「あらあら、いつもありがとぉ~」
私はあえて二人に割って入らず、リビングから様子を覗き見る。耳をそばだてて、アルスの作戦が成功することを祈った。
「こちらこそ。いつも美味しいご飯、ありがとう。えっと…………」
「あらぁ、いいのよぉ。お母さん、アルスくんが食べてるところ見るのだぁい好きなんだから」
「うん。その……俺も…………か……か…………、……母、さん、の料理、好きだから……」
頭を掻いて照れくさそうにシンクに立つアルスの背中に、私はガッツポーズ。なんなら隣で見ていたお父さんも歓声を上げた。静かにしてて。
「……まぁ〜……!!あらあらあら……あらまぁ~!!も、もう一回言ってみて?ね?」
「あ~、やっぱ慣れねえよ~!!一日一回が限界!」
「やだわぁ~ザラちゃんみたいなこと言ってぇ。恥ずかしがることないじゃないのぉ~!!このこの~孝行息子ぉ~!!えいえいっさてはお母さんを喜ばせる天才ねぇ~!?」
テンションが上がったお母さんに脇腹を突かれながら、アルスは何やらくねくねと身体を捩らせて、面映ゆさと格闘しているようだった。
それを見たおじさん達の感想。
「フン。どっかの誰かに似て他人に媚びを売るのが得意なガキだ」
『そりゃぁ、うちの自慢の子供だし』
「いきなり父親ヅラかよ」
みんなそれぞれの形で満足げだ。私も提案した甲斐があった。
アルスが感謝を形にしたいなんて水臭いこと言うからさ、だったら、“お母さんって呼んであげたら?”ってアドバイスしてみたのよね。見事成功したようで何より。
『あ〜!!酒飲みてぇな〜!!!!』
感極まったお父さんの叫びも、少し分かる気がする。私もお酒が飲めたら、今日という記念日に、きっと祝杯をあげていたに違いないもの。
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よし。なんとか。なんっとかあの大量のゴミを処理して、アルスの部屋をちゃんとした私室に変えることが出来た。
私たちは全員、真っ黒になった布巾やモップを手に、どこか誇らしい気持ちでアルスの部屋の前で胸を張って並んでいた。うん、壁に掛けた流木とプランターが良い感じ!
机や椅子なんかの家具はお父さんの書斎からそのまま持ってきたものも多いけど、何故だろう、使う人間が変わっただけで一気に爽やかな印象になる。
まあ流石に多少リペイントとかもしたしね。新品とまでいかなくても、普段生活するのには十分な品質だ。なんなら逆にアンティークで味わいあるし。
ギルドの宿舎から持ってきた細かい日用品や、趣味で並べていた調度品なんかも揃って、アルスらしい部屋になったと思う。
「はぁい、みんなお疲れ様でしたぁ~ぱちぱちぱち~」
お母さんの気の抜ける拍手で、一気に全員が膝から崩れ落ちた。気を取り直して。
アルスは改めて、部屋の椅子に腰掛けて、室内をぼんやりと見渡した。
「これで今日から毎日一緒だよ!」
私がそう声をかけると、
「なんだか、実感湧かねえなぁ」
アルスはふにゃりと柔らかくはにかんだ。窓の外を眺めて、夕焼けの眩しさに目を細める。
「……俺、家族ってものが何なのかまだあんまり分かってないけどさ……いつかちゃんと一員になれるように頑張るよ」
少し撓んだ窓硝子の凹みに反射した光は、どこか幻界のオーロラにも似ていた。
きっとアルスも思い出しているんだろう。魔硝剣ミストラルと共に過ごしてきた十年間を。自分を取り巻く環境ががらりと変化してしまったこの一年間を。
「頑張らなくても、もうアルスくんはうちの子よぉ」
「これからもよろしくね。……私もお兄ちゃんって呼んだほうがいい……?」
「今まで通りアルスでいいよ」
アルスはもう一人じゃない。でも、一人で居た時から、アルスはアルスだった。
そのお陰で、私たちは出会うことが出来た。きっと魔硝剣ミストラルの輝きは――アルスの心を映した鏡のようなものなのかもしれない。
「ザラは、どう思ってる?俺、ここに居てもいい……?」
「当たり前じゃん。確かに、今すぐ全部、前からあったみたいに慣れるってことは難しいかもしれないけど……今は、アルスに居場所ができたことが、ただ嬉しいよ」
「そっか。……俺、幸せだ」
「良かった」
「ハグしていいか?」
「いいよ」
もう何度交わしたかも分からない抱擁だけど、今日はなんだか、アルスのほうが甘えて縋っているみたいだった。
大切な友達……以上恋人未満……みたいな相手が、突然家族になるって決まったときは驚いた。
でもこれが多分――フュルベールくんとベルナールくんが、遺したかったものなんだろう。
未だ私は、グリムヴェルトと関わったことに、正しい答えを見出せないでいる。けれど今はただ――この温もりを手放したくないと思った。
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「アルスくん。あなたって不思議ねぇ……本当に、会ったことがあるみたい……」
私が居ないあいだに、お母さんがそんなことを話したらしい。
「俺もずっと黒猫横丁に居たし……どこかでは会ってるかもしれないぜ」
「そういうのじゃないのよぉ、なんていうかねぇ……私たちに男の子の子供がいたら、こんな風だったんじゃないかって……思うのよねぇ」
私は……一度だけ聞いたことがあった。
子供の頃、お母さんと一緒にお風呂に入ったとき、お母さんのお腹に大きな傷跡があって。幼かった私は子供心に、その傷跡について訊ねた。今となってはなんてことを訊くんだと思うけど。
その時に、お母さんが、言っていた。“ザラちゃんにはねぇ、本当はお兄ちゃんがいたのよぉ”って。
当時はあまり意味が分からなかったけど……お腹を撫でるお母さんの表情が忘れられなくて、それ以来、話題にするのを避けていた。
「それは……多分、俺が幻界生まれだからだよ。幻界は選択されなかった事象が眠ってる場所なんだ。だから、きっと、ニコラスとあなたにも……息子が居たかもしれない過去と未来があって。それが俺を構成してる一部になってるんだと思う。親近感を覚えるとしたら、その辺が理由かな?」
「……」
幻界で生じた人間も魔物も、それは本来、この世界に存在し得たものだ。因果の力によって、選ばれなかった・辿られなかった“もしもの世界”が、ふとした拍子に魂を持ったもの。
だからアルスは、たくさんの人々や物事の“もしも”であり、その実、時間軸を超越した何者でもない“アルス”でもある。だから、例えば他の誰かがアルスを見ても、「会ったことがある」って感じることもある。そう伝えたかったらしいんだけど――
でもね、お母さんたら、アルスの話を聞いて、泣いちゃったんだって。
“もしも”――アルスを作っているものの一つに……本当に、お父さんとお母さんが関わっていたんだとしたら。
「イ、イザベラさん、どうしたんだ?俺、何かヘンなこと言った?」
「奇跡って、あるのねぇ……」
きっと救われた人が居る。
それは私が呼び寄せたのか、カミロの祈りによるものか、はたまたグリムヴェルトや双子の因縁によるものか。
無意味なことなんて何一つ無くて、全部が複雑に絡まって、私たちは今、また家族になれた。
“お兄ちゃん”とアルスは別人だ。それは、私だってお母さんだってよく分かってる。
それでも、猛烈に、神様でも悪魔でもなんでもいいから、感謝したくなったんだ。
「……うん」
「あなたが来てくれて本当によかったわぁ。ザラちゃんのこともよろしくね」
「任せて!」
コペルニクスの家は少しだけ変わった。書斎からは物が減って、客間は無くなって、毎食用意するお皿の数が増えた。
私はお風呂に入るタイミングを少し見計らうようになったし、リビングにはいつも剣の鞘が置いてあるようになった。
何もかもががらりと変貌したワケじゃない。訪れたのはほんの些細な、愛しい違和感で、私は、早くこの日々が当たり前になれば良いと思いながら、新しい年の始まりを迎えた。
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