図書館闘争・2
『えー、研究棟の皆さん。こちらは地下図書館のモニカ・キュリーです。蔵書を借りている方は速やかに返却してください。延滞は悪逆非道を極めた残忍な犯罪行為であることを自覚してください。繰り返します。延滞は一分一秒たりとも、許されるものではありません。手元に自分のものではない本がある方は可及的速やかに、地下図書館への返却をお願いします。』
紙のメガホン片手に、モニカが研究棟へ呼びかけるさまを、私は呆然と眺めていた。
図書委員長による厳正な注意喚起を聞きつけたのか、研究棟の内部がにわかに騒がしくなる。やれ隠せだの、逃げろだの、聞こえてくるのは物騒な怒号ばかりだ。
「あの。モニカ。これって……」
「借本の取り立てよ。」
モニカは真顔できっぱりと言い放った。借金の聞き間違いかとも思ったけどそうではないらしい。
『えー、では今からそちらに参ります。部屋を順に回りますので、過去一か月以内に図書館を利用されました方は、お覚悟と本の準備のほどを、宜しくお願いします』
研究棟が更なる喧噪に包まれる。中で生徒たちがどたどた走り回っているのか、窓という窓が震えていた。
お覚悟て。
「これが……刺激的な仕事?」
「そ。大変そうに見えるけど、やってみると楽しいよ」
「あ、そう……」
数々の修羅場を他力本願で潜り抜けてきた私には分かる。これは、戦いの気配だ。
騒然としていた研究棟は静寂を取り戻し、異様な緊迫感さえ漂わせている。嵐の前の静けさだ。森の狩人が、しんと息を潜めて、獲物が罠に掛かるのを待つような、張り詰めた空気。
私はごくりと固唾を飲んだ。
「行こう、ザラ」
目録を抱えたモニカの堂々たる闊歩に続いて、私は研究棟に足を踏み入れた。
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まず私達の顔を見るなり「げっ」とか声を上げて後退ったのは、よく見知った彼(彼女?)だった。
部屋の扉を閉めようとする相手にも億さず、隙間に爪先を捻じ込んで、モニカは本の返却を迫った。
その相手というのも。
「マーニくん……」
「待って待って待って無理無理今は無理、後で必ず返すから。一周してきて、最後にもう一度来てよ、ね?」
冷や汗を額に浮かべたマーニくんが、必死にモニカに懇願していた。
彼もこの研究棟に工房を構える生徒の一人だ。当然、さっきのモニカの呼びかけも聞いていたようで、それはもう土下座も辞さない勢いで遜りながら、一心不乱にモニカのご機嫌を窺っている。
が、モニカにそれは通用しないらしい。一応美少女に分類される筈のマーニくんのとっておきのウインクを物ともせず、淡々と交渉に応じる。
「だってまだ解読が……!あと、あと一ページなんだよおぉ〜!!一日だけでいいから、ね、お願いっっ!!」
「駄目です」
「頼むよこの通りほんとに何でもするから、お金でも何でも払うから、ホンットここで許してくれたらもう一生奴隷になるから!!」
「無理です。規則なので。ほら、本出して」
「やだやだやだやだ!!」
「ザラ、扉抑えてて」
「あ、うん」
「やーーーめーーーてーーよーーー!!おーーーもーーーいーーー」
「ちょっと。誰が重いのよ!!」
モニカに指示されるがまま、私は部屋の扉に全体重をかけて、足で突っ張った。
で、そんな私をひょいと飛び越えて、モニカはマーニくんの部屋に侵入。私とモニカ、どちらを対処すべきか逡巡したマーニくんは僅かに遅れを取り、まんまとモニカに机の上の魔導書を取り上げられた。
「いくらなんでも横暴だぞ、図書委員ー!!」
「延滞は不許可です。年明けまで手元に置いておきたい場合は、今日一度返却してから、来週再度借用を申請し直してください」
「めんどくさすぎるーっっ!!!!」
モニカ、割と普段はヘラヘラした雰囲気なのに。こういう時は眉一つ動かさないんだな……。
とか第三者として怯えるくらいには凄い剣幕で、モニカはマーニくんを圧倒していた。
「はい、これにサインを」
「うう……もう二度と図書館なんか使わないぞ……」
泣く泣くサインを終えたマーニくんから書類を奪い取ると、モニカは涼し気な笑みを浮かべて、どすんと重い仕草で判を押した。
「またのご利用を」
背後からマーニくんからの誹謗中傷を受けながらも、毅然とした態度で次の部屋へ向かうモニカの姿には、戦士としての貫禄さえ感じられた。
「……まさか、本を借りた人全員に、これをやるの?」
「当然。みんながちゃんと本を返してくれれば、すぐに済むのにねー」
一冊の魔導書を巡るだけでもこのゴネよう。幸先がいいとは言えないわね。
「よし、次は……」
モニカが目録に目をやって、くるりと方向転換するだけで、いつの間にか湧いていたギャラリー達が顔を青くして散っていく。
「あ」
図書委員の強引な取り立てから逃げ出そうとする生徒の中の一人と、目が合ってしまった。
「キョウ先輩……」
無駄にスマートな黒い狐が、目を見開いて固まっている。その小脇に、数冊の図鑑を抱えて。
一番見やすいタイトルは……『女性ランジェリーの歴史』。
「……」
一瞬、そのあまりのお馬鹿さに呆気に取られてしまったのが良くなかった。
僅かな隙を見出したキョウ先輩は、先に逃げ出した延滞者たちの波を掻き分けて階段をダッシュで駆けあがっていく。逃げてどうにかなるものでは無いと思うんだけど、本能というやつなのでしょうか。
「逃げた!!」
「大丈夫大丈夫。その為の図書館カードだから」
しかしこんな時でも我らが委員長は冷静だ。
モニカは懐からヘルメス魔法学校の学生証であるプレートを取り出した。
彼女のものは、私達一般性とは違って、特殊な役職に就いていることを示す意匠が加えられている。
まあ要するに――特権があるというわけで。
モニカが静かに学生証を掲げると、突然、周囲が光に包まれた。
「ウギャーッ!!!!」
そして、次の瞬間には、研究棟の廊下にキョウ先輩の焼死体が転がっていた。
こんがりローストされた狐のジビエが真っ黒な煙を立てて、手足を痙攣させている。
というかキョウ先輩以外にも脱走を試みた生徒の屍が積み重なっているんですが。
でも何故か、キョウ先輩が抱えていた本には傷ひとつ無い。倒れたときに散らばったお陰で他のタイトルも分かってしまった。
その光景に、周囲の生徒は悲鳴を上げるどころか、恐怖に声も出せず、ただ震えながらその場に立ち竦んでいた。この場合どっちなんだろうか。モニカへの恐れか、キョウ先輩の性癖か……。
「ななな何!?何したのモニカ!?」
「このように。不正を働こうとした者には容赦なく魔法を発動しますので」
見せしめのつもりだったらしい。モニカは学生証をちらつかせながら、不敵に口角を吊り上げた。
「図書館カードはいわば呪いの契約書。署名したものが契約に違反すれば、それ相応の罰が下るのよ……」
「そ、そんな……!!」
――恐ろしすぎる。
私達は今まで、随分と容易く、この魔女と魂のやり取りをしていたらしいわ……。
「実はモニカって最強……?」
「ふふふ……人の命は……本よりも軽いんだよ、ザラ……」
「ヒッ……!!」
この学校で最も敵に回してはいけない存在は図書委員長、と。後輩たちにきちんと語り継いでいかなくていけないわね……。
あと、部屋の中から事の顛末を見ていたマーニくんが半べそでへたり込んでいた。一歩間違ってたらこうだもんね。良かったね、一命を取り留めて。
え?これ何?私、何してたんだっけ。死神の修行か何か?
ほんと、マジで、授業終わりに自分が本借りてたことに気付いた私、グッジョブすぎる。
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キョウ先輩への公開処刑が効いたのか、あの後は結構スムーズに本の取り立てが進んだ。本の取り立てがスムーズって何だよ。でも間違ったことは言ってない。
研究棟での仕事はひとまず完了し、私とモニカは次なる取立に向かうこととなった。
今日の黒魔術科の宿題なんか比にならないくらいの本の山をワゴンに乗せて押す、これだけでも重労働な気もするけど、相変わらずモニカは何てことのないように目録を指でなぞっている。
「次は……先生だね」
「先生!?」
「うちの図書館が使いたくて、わざわざ講師になる人も居るみたいだからね」
「なるほど……確かにそれくらいの見返りがなきゃ、外部からプロの魔導士がわざわざ学生に教えに来たりなんてしないよね」
ちょっと驚いたけど、そりゃ先生だって図書館くらい使うわよね。
「……いや先生なんだから本返せよ……」
「ほんとだよね。この学校の教師、大人として規範になろう、みたいな殊勝な心がけの人殆ど居なくない?」
「居ない。変人と偏屈と偏執狂しか居ない」
「ああいう大人にはならないようにしなきゃね」
「もうみんな、姿勢からして悪いもんね」
「三回に二回は服着てない人とか居るしね。文明すら捨ててんじゃんて」
「自分を客観的に見られなくなったら終わりだね」
身近な大人たちへの不平不満を口にしながら、私達はカフェテリアの隣にある職員室を目指した。
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「先生。返却していない本がありますね。『ベイマール式並列時空演算術』、『ミナモリ・シゲルの妖怪解剖大全』……またマニアックな専門書を」
「あ〜そうか、今日までか……」
うーん。どうしてこう見知った顔ばかりが悪さを働くのでしょう。
職員室に入ると、唯一うちの――黒魔術科を担当するサラ・タカハシ先生だけが、ワゴンを押すモニカの姿を見て「うげ」と押し潰された蛙のような呻き声を上げた。
他の先生達が素知らぬ顔でデスクワークに没頭している辺り、なるほどこれは常習犯ですね。
「今手元に無いんだよ〜勘弁してくれ」
「ではペナルティを受けてください」
「あ〜……お前。甘いもの好きだろ。ほら、飴やるから」
「図書館カードを使用します。心の準備はいいですか?」
ここでも特に動じることなく、モニカは音もなく学生証を手にした。
条件つきとはいえあれを翳すだけで図書館の貸出カードを持った人間全員に攻撃できるなんて、なにさらっとトンデモない技術生み出してんのようちの校長は。
「おいおい……あれキッツいんだよなぁ……」
そしてやはり前科持ちのタカハシ先生であった。
「先生。仮にもヘルメスの講師を担えるほどの高位の魔道士なら、転移や瞬間移動の魔法で、今すぐこの場に借りた本を持ち出すことも可能なはずですよね?」
「わかった、わかったよ。出す、出すってば〜も〜」
モニカの有無を言わせぬ雰囲気に圧倒されて、タカハシ先生も観念したようだ。スーツの胸ポケットから真鍮の鍵を取り出すと、空中でそれを回した。ジークもよく使っている魔法の倉庫だ。
こっちはジークのとは違って青白い光を放ち、テレビの画面のようなガビガビの映像の中に、様々なアイテムを浮かべていた。
先生がその中から二冊の分厚い本を選ぶと、ノイズが走っていた平面から、立体的な本物が排出された。
「……はい。確かに。ではこちらにサインをお願いします」
「これがめんどくせ~んだよな。そっちから取り立てに来てもらうほうが楽だな、やっぱり」
「先生。半年間、図書館カード失効にしますね」
「あ、ちょっ!!お前マジかお前……!!」
仕事が速い女・モニカの手腕を甘く見た先生が悪い。
頭を抱える先生から本を奪……もとい、受け取るついでに、私はその表紙をまじまじと観察した。
どちらも本屋では見かけたこともないくらい、年季の入った書物だ。焼けて色褪せた装丁に、人が捲った形に汚れた小口がそれを物語っている。
「それにしても……タカハシ先生、いつもこんな変な本読んでるんですか?」
「いや~?今回は特別。古い友人が書いた本でね。昔を懐かしもうと思って借りたはいいが、すっかり忘れてた」
室内にも関わらず、タカハシ先生は遠慮なく葉巻に火をつけて、その煙を吐き出した。
「……その二冊が発行されたのは、五十年も前ですけど」
「え?そうだっけ?」
「先生って……意外と若作り?」
「おう。用が済んだならさっさと出ていけクソガキどもめ」
面白い話が聞けそうだったのに、私の余計な一言で、残念ながら職員室を締め出されてしまった。
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・ザラが借りたのは『ロイヤルシュガー』という巷のティーンに人気の恋愛短編小説です。時折挟まれるオリジナルのポエムが乙女の心情を繊細に描いていてサイコー!という評価です。ザラ本人曰く昔はこういうの好きだった筈なのになあ…とのこと。
・マーニが借りたのは『古代ゴーレム制御ルーン一覧』。合成獣作りの一環で研究していたようです。
・キョウ先輩が借りたのは『女性ランジェリーの歴史』、『文化的性欲』、『裸婦画デッサン』、『名刀擬人化R18アンソロジー・アナタの刃で首っだけ!』。
・首っ“だ”けです。(ココ大事)
・タカハシ先生が借りた『ベイマール式並列時空演算』は、五十年前行方不明になった魔導士ベイマールによる異世界への渡り方が記されたオカルト本。『ミナモリ・シゲルの妖怪解剖大全』はキョウの故郷である西部大陸で発見された魔物の研究書になります。
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