図書館闘争
寒さで目が覚める日が多くなってきた。
年間を通して過ごしやすい気候のアトリウム王国とはいえ、冬は寒い。雪は降るし、窓は凍るし。
とはいえ今年は優秀な男手も増えたことだし、いつもより暖炉にくべる薪の量を増やして、少しだけ贅沢な年末を迎えられるかもしれない。
そんな事を思いながら、私は毎朝の習慣をこなしていく。
顔を洗って、服を着替えて。なんとなく目をやったカレンダーには、赤い丸の印が記されている。
――今日で年内の授業は全て終了する。
さまざまな記念日が目白押しな三週間の長期休暇を挟んだ後には、進級試験やら進路相談が待ち受けているので、あまり去年のように手放しで喜べる状況ではない……。なんとか友達とあちこち出かけて、気を紛らわせたいところだ。
身支度を終えて一階のダイニングに降りると、最近にしては珍しく、お母さんが一人でお茶を飲んでいた。
「あれ?アルスは?」
いつもなら私よりも先に起きて、もりもりご飯を食べて、ハンターギルドの仕事に向かっている筈だけど。
「ジークくんとお仕事ですってぇ」
「ジークくんとお仕事ですってぇ……!?」
思わずオウム返しをしてしまう。そんな。あの二人が私になんの断りも無く。
……いやいや、いうてもあっちはあっちで友達だし……誘われたところで私は学校があるから行けないし……。
お母さんに差し出された紅茶を飲みくだしながら、何故か自分に言い訳しまくる私だった。
「どうしてもジークくんにお手伝いしてほしい用事があるんだーって言ってたわよぉ。あの二人も仲良しねぇ」
「ふ~~~ん………………」
何でしょうこの胸のもやもやは。寒い朝の寝起きに熱い紅茶を流し込んだから胸焼けしたのね。そういうことにしておこう。そんな私の様子を見て、お母さんが微笑ましそうにしているけども。
今日の朝食は焼きたてのバゲットとスクランブルエッグ、トマトとハーブのサラダに分厚いベーコンと温かいチーズスープ。やっぱり王道はたまらんね。
「……ザラちゃんも最近よく食べるわねえ~。アルスくんの影響かしらぁ」
「嘘ぉ!?」
「ほんとよぉ。昔はよく朝ごはんなんていらな~いって言ってたのにねぇ」
何年前の話をしているのか。え、てかマジ?
確かに言われてみれば……ここ一年くらいで食べる量が増えた気がする。体型も体重もそんなに変わってない筈なんだけど。どう考えても思い当たる節がある。
「……食べなきゃやってらんないよ……」
「あらあら。急に老けこんじゃってぇ」
誰かさんのせいで無駄に舌が肥えて、誰かさん達のせいで無駄に消費カロリーが増えたからかしらね!!
.
.
.
いつもより早い始業は、いつもより早い終業の為でもあり。
正午を回ったところで、療術科の講堂を兼ねる聖堂から、オルガンの音色が響いた。
「よし。というワケで例によって質問等あるヤツは職員室まで来るように!じゃあなお前ら!よい年を!さっさと帰れよ!」
と、同時に、我らが担当教諭であるタカハシ先生はいつも通り颯爽と教室を去って行った。相変わらず何という速さだろう。
「終わっ………………た〜〜〜!!」
私を始めとしたクラスメート達が、長い溜息と共に机に突っ伏した。
時間の管理だけでなく内容もしっかりとハードなタカハシ先生の授業が終わる頃には、私達はいつもこんな感じでくたびれ果てている。
どっさりと積み重ねられた宿題と提出書類の山を無理矢理鞄に詰め込んで、がやがやと席を立つ。この光景も、年内では今日で見納めだ。
――さて。午後は特に予定はないけど、私は何をしようかな。
うーん。ロザリーやグレンを誘ってショッピングに行こうか。ルリコの彼氏の話も気になるし……。ビビアンやフェイスくんも、さすがに授業終わったころよね。たまには一人で街を散歩してみるのもいいかな。
友人の顔を頭のなかで並べて、私はふとあることを思い出した。
浮かんだのは、地下図書館を管理するモニカ・キュリーの姿だ。
慌てて先ほど閉じたばかりの鞄を開いて、底に仕舞い込んだままの一冊の本を取り出して、背表紙裏の返却期限を確かめた。
――今日じゃん。
そうだった。先々週くらいから、図書館から借りっぱなしになっていたベタな恋愛劇の小説。
ロザリーが猛烈に勧めてくるので試しに読んでみたんだけど、こう、受け身すぎるヒロインにも、奥手で素直じゃないヒーローにも全然感情移入できなくて、半分も進まないところで放っていた。
というか、コレに限らず図書館が利用できるのは今日までって話じゃなかったっけ。年末に蔵書の整理をするから貸出を一旦停止するとかなんとか。
モニカを友人に持つ手前、延滞なんてするのは申し訳ない。お楽しみはひとまず置いておいて、この本を返しに行こう。
私は廊下ですれ違う他学科の友人の誘いを断って、一人、ヘルメスの地下図書館へと向かった。
.
.
.
エレベーターまで点検で停止するなんて聞いてないよぉ。
長い、長~~~い螺旋階段を降り続けて、ようやく地下図書館までやってきた。
今日の扉はなぞなぞでパスワードを入力するタイプになっていた。子供向けの意地悪なひっかけクイズだったので、頭に来てタイプライター型のパネルに向かって拳を振り下ろしそうになってしまったわ。
「はい、いらっしゃ〜い」
入口のカウンターですぐさま、図書委員長であるモニカが柔らかな癒やしの笑顔で出迎えてくれた。なぞなぞのイライラもちょっと解消されたわ。
「モニカ、これ返しにきたよ」
「はいはいどうもねー。はい、傷なし折れ目なし汚れなし。えーハンコハンコと……」
カウンターのなかで頭を引っ込めるモニカを待つあいだ、周囲を観察する。
今日の図書館はいつになく人の出入りが多い。そういえば図書館の前の階段では妙に大勢座り込んでいたし、縦長の本棚どうしを行き来する為の梯子が引っ切り無しに移動している。みんな、館内はお静かに、というモニカの手書きの注意書きに従って沈黙は守っているものの、なんとなくその熱量には騒がしさを覚えた。
「今日は随分混んでるね」
「冬休みの前だからねぇ。みんな考えることは同じなんじゃない?」
「なるほど……」
私と同じような愚か者ばかりということか。やや気恥ずかしさを覚えつつ、モニカに差し出された名簿にサインをした。
「どうだった、流行りのロマンス小説は」
「全然だめ。ストーリーが頭に入ってこなくて読むの諦めたよ……。モニカはこれ読んだことある?」
「あるよ~。やっぱベタすぎるよね~。ごく普通の地味な女の子が実は王族の末裔で、やたら男前を強調される国一番の騎士と禁断の恋に落ちるって。ファンタジーにしてもふわっとしてるっていうかねぇ」
「王道がいいって人の気持ちも分かるけどさあ。刺激が無さすぎない?大体一番強い騎士なら、屈強なオーガ族とかのおじさんであるべきじゃない?それくらいやってくれたらもっと引き込まれたかも」
「ふふふ。おじさんか。面白いこと言うねキミ」
小説の内容をしばらく語ったところで、ようやく全ての返却手続きが終了した。
今日また新しい本を借りることも出来なさそうだし、この混み用じゃゆっくり読書ってワケにもいかなさそうだ。
私はさっさと退散しようかなと、モニカに別れを告げようとしたところ、引き留めるようにぐっと腕を捕まれた。
「そんなザラにとってもおすすめな、刺激的な仕事があるんだけど」
「……嫌な予感」
何だか不気味な笑みを浮かべたモニカに有無を言わさず引き摺られて、私は図書委員の――最も過酷な業務を手伝うことになった。
.




