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無限の少女と魔界の錬金術師  作者: 安藤源龍
3.双子とホムンクルスと、時々オトン。
163/265

トリスメギストス・7

 



 幻影が晴れ、視界にはエメラルド・カレッジ・タウンへ続く野原のなかの街道の景色がもどっていた。

 馬車道には、元通りの灰肌のキメラとなったグリムヴェルトが、力なくうつ伏せに倒れ込んでいた。

 ジークを初め、アルスもフュルベールくんもベルナールくんも、もう武器を抜くつもりは無いようだった。

「殺せ。……殺してみろよ!殺してくれ!!何だっていい、私に名前を付けてみろ!!」

「そうはいかん」

「あなたの思う通りにはさせないよ」

 ――やっと。

 待ち望んだ、この時がやって来た。

 安堵する私とは打って変わって、グリムヴェルトは屈辱の表情で項垂れる。

「……私を殺してくれれば良かったんだ」

 涙さえ流れない人造人間の瞳には、虚空が、孤独が宿っていた。

 彼を――少しでも彼に、命があるものだと思うのなら、ここで憐れんではいけないと。私は歯噛みした。

「誰が産んでくれなんて頼んだんだ。理不尽に生を受けて、理不尽に迫害される。私を望んだのはお前たちなのに」

「ならここで死ね」

「幻魔は死ねない。出来っこない。それに、私にそんな覚悟がないのは知っているだろう。私は、やりたくてこんなことをしているんじゃないんだ」

「だったら、必死に生きればいいじゃない……!自棄になんかならなくたって……」

 酷い二律背反。自己憐憫と自己破滅を望んで、それさえ適わない、歪んだジレンマの輪の中に閉じ込められた矛盾の生命。

 どこへも行けないのなら――どこへだって行ける筈なのに。彼は宙ぶらりんになることを選んで、結局、撃ち落されてしまった。

「なら、君は私を愛してくれるのかい?そうすれば私は生きられる。家族より大切に扱って、毎日甘く、優しく囁いてくれ。そうすれば私は透明じゃない。現実に存在する生き物になる」

「愛だけが全てじゃないよ!」

「君のその言葉には説得力が無い。親に愛され、友に愛され、恋人に愛され、子に愛され。誰からも一番に想われている君が、愛を否定できるはずもない」

「そんなつもりじゃ……」

 グリムヴェルトが求めていたものは、すごく、単純なものだ。本来はこの世界に生まれたものなら、最初から所有している、ごく当たり前の“繋がり”。“温もり”。“当たり前に生きていていい”という承認さえ得られなかった、人間でも悪魔でも天使でもない、善悪、陰陽の狭間から生まれた何か。

 それを裁定することは、私には出来ない。だから、――成ってもらうしかない。

「……なぜ、私を作ったんだ、ジーク」

 途端、寄るべのない子供のように、グリムヴェルトがジークの足下に追い縋った。

「知るか。未来の俺に聞け」

「もう聞けない」

「……今の俺は。お前に殺される訳にはいかん」

 ジークは相変わらず、一瞥もくれずに冷淡に答える。そうするのが誠意だとでも言うように。

「なら答えてくれ。私を産んだ理由を……教えてくれよ……!」

 ――見ていられなかった。だけど、目を逸らしちゃいけない。

 それが私達の罪だからだ。私が事故なんかに遭って、ジークが勝手に暴走して、彼を創ってしまった。不幸を不幸のままにしてしまった。

「お前は。ザラに似てる」

「そんなのは分かってるんだ!私は、あの子の代わりだから……」

「ザラに代わりなんか居ない」

「……ッなら……今の私は!一体何だって言うんだ!!空っぽで、虚ろで!誰のモノにもなれやしない!私は……」

 ジークが脅すように、グリムヴェルトの首を掴んで地面に押し付けた。人造人間の暗い瞳を、金の眼光で射殺す。

「そんなものが欲しいのか、お前は」

「君には分からない!!」

「……もしかしたら。俺は寂しかったのかもしれない。ザラを失って、取り戻せるならそうしたかったのだろう。だがそうはならなかった。その上で、それでも失敗作であるお前を生かした、そうだろう」

「……」

 見ると、魔族の手も震えていた。私はそっとその強張った手を解き、グリムヴェルトの喉元から引き剥がす。

 ――そうだ。彼を遺したのは、紛れもない未来のジークだ。自分のことなら、自分が一番よくわかる。

 何故そうしたのか。考えなくたって。私もジークも、いつだって同じ選択をする。

「――お前は、お前でしかない。グリムヴェルト。お前の存在に理由はない。原因はない。……憎まれる為だけに生まれたんじゃない」

「……諦めろって?」

「そうだ。諦めて生きろ。誰も――笑って看取ってくれたりなんかしない。いつかやって来る奇跡に賭けて、地獄を見続けてみろ」

 魔族はいとも容易く、残酷に言い放った。志を持てない赤ん坊に、強さを強要して、突き離した。それが、感情さえ向けられたことのない人造人間に送った、彼なりの愛憎だった。

「私は……欲しかった、だけなのに……」

「……――」

「謝ったら殺す。これ以上私を惨めにさせないでくれ」

 何かを言いかけたジークを、グリムヴェルトが鋭い口調で封じた。幻影の父子は、和解ではなく、拒絶を選んだ。

「お前を造り変える、グリムヴェルト」

 名前を呼んで、ジークが静かに、エメラルド・タブレットを引き抜いた。

 ゆっくりと、労わるように、願うように翠玉の刃を人造人間の心臓に突き立てる。グリムヴェルトも、その敗北を受け入れた。

 角が、翼が、尾が、朽ちていく。

 無機質な皮膚に血が通い、ほのかに色を帯びる。

 器に満たされた憎悪と悲哀の視線が、私を捉えた。私達の目論見どおり――人間として生まれ変わったグリムヴェルトが、正しい殺意を持って、私の胸倉を掴み上げる。

「……これで、ようやく君に届く」

 そうだ。もうこれで、グリムヴェルトは、わざわざ私を傷つけられる可能性(いんが)を手繰り寄せて、手を拱くような真似をしなくて済む。

 いまこの場で私を殺せば、彼の魂に何かが宿る。それなら、それでいい。

「いいよ。やって見せてよ。空っぽでも生きていけるって。私を恨んでもいい、憎んでもいいから。あなたが満足するまで生きて。お願い」

「無責任だ」

「……責任、取ればいいのね?」

「ああ。君には出来ないだろうけど」

 やっと。私の番が回ってきた。

 アルスが私からグリムヴェルトを引き離し、組み伏せた。その隙をついて、私は立ち上がり、街道のどこへともなく呼びかける。

「――ルカさん!見てるんでしょう!?」

 思った通り、一匹の蝙蝠が、空から舞い降りた。蝙蝠はその場で回転すると、瞬く間に人に姿を変えて、嘆息した。

「やれやれ。やっと呼んだか。俺を失望させる準備でも出来たのかな」

 ――ぶっちゃけ。一番の敵はこの人だと思ってたのよね。

 原初の魔人、吸血鬼ドラクルーカの登場に、一気に空気が緊張する。

「そのホムンクルスを生かすのか?それなら俺はこの世界を見限るぞ。お前たち人間も、加担した魔族も天界人も皆殺しにしてやる。殺すというなら喜んで協力しよう。これからも末永く、お前たちを見守ってやるとする。どうだ?」

 いつでも取って食ってやれるんだぞ、と誇示するように、わざとらしく牙を見せる。

 一瞬垣間見せた本物の――私達を愛する虫けらのように扱わんとする残虐な超越者の側面に、本気で悪寒が走った。

 この人は間違いなく、世界で一番怒らせてはいけない人だ。膨大な魔力に、魂としての格の違い。吸血鬼ドラクルーカは、世界そのものだ。


 ――それが何よ。


 負けん気が顔を出す。どうせ、やんなきゃいけないのよ。小難しい宿題と一緒。投げっぱなしになんかできない、いつかは立ち向かわなきゃいけない相手なら、いつ挑んだって同じ。

 怖い。怖いけど。深呼吸する。言え。言うんだ。

「私と――勝負をしてください」

 時が止まった。

 みんなが唖然としているのが分かる。グリムヴェルトまで度肝を抜かれたように静まり返って。

 その中でただ一人、ルカさんだけが、肩を震わせて――嗤っていた。

「カミロに似てきたね」

 何ウケとんねん。

「世界が許さないっていうのなら、その。世界をあれしてる……イヴァンさん……でしたっけ。あと、魔界の王様とかも、呼んでください。今ここに」

 私の決意は――そういうことだ。イジめられた息子の代わりに、ママが話つけてやるってやつよ。

 グリムヴェルトが生きるのなら、彼が生きられる世界にしなくては。私は嘘偽りで彼を騙して、自己満足に付き合わせただけの、どこにも顔向けできない、臆病者になる。

「いいだろう、アンリミテッド。紛い物の魂を救済する為だけに、世界に仇なさんとするその意気や良し。正々堂々、俺たちと賭け比べてみようじゃないか」

 そう言って、ルカさんは早速、魔法で何もない場所にいきなり、扉を出現させた。そして何も言わず扉を潜り、私に目配せする。

「ザラ……!」

「止めないで、ジーク」

 ルカさんの後に続こうとして、ジークに腕を引かれる。まあ当然よね。

「……止めはしない。俺がお前を制御できた事なんかない」

「そうだね。だから、待っててくれる?」

「ああ。信じてるよ」

「ありがと」

 ――そうは言っても。本当は怖かった。

 精一杯美少女みたいな綺麗な微笑みを浮かべたつもりだけど。失敗したら、全部台無しだもの。戦ったことも、グリムヴェルトを錬成したことも、それどころか、生まれた意味すら無くなっちゃうかも。相手はあのルカさんだし。死ぬよりヒデエわよ、きっと。

 だから、勇気を貰いたくて。勇気をあげたかった。

「ジーク」

 爪先立ちになって、彼の頬を両手で包んで、唇に口づけた。

「行ってくる」

「…………」

 呆然と立ち竦むジークを振り返らずに、私はルカさんが用意した扉の先へ向かった。

「かっ…………けぇ~~~………………」

「惚れ直したぞ……!!」

 そんなアホな声たちも、これで最後かもしれないと思うと、愛おしかった。




.

.

.




 真っ白だ。

 恐らくどこかの部屋の中だけど、天井も壁も床も、何もかも真っ白で、その色のない海の中をルーンのような謎の文字の羅列が魚のように流れていく。

 ルカさんが用意した扉を抜けた先は、そんな景色で。

 部屋の真ん中には、一つのテーブルと、それを囲む四脚の椅子。どれも鉄製の骨組みが剥き出しで、とても心地が良さそうには見えない。

 私はルカさんに促され、そのうちの一脚に腰掛けた。

 ルカさんは私の対面に座り、天井に向かって手を叩く。

「イヴァン!」

『はいはーい。今行きますよー』

 聞き覚えのある軽~い声が響いた。

 しばらくしてから、私達が通ってきた扉の向こうから、一人の男性とも女性ともつかない機械人と――いかにも魔族らしい出で立ちの二人組がやって来た。

 先ほど戦ったタロースのような、衣服さえ身に着けていない無機質で艶やかな球体関節の肢体、それでいてふんわりと優しい雰囲気を持った機械人が私に手を振って、ルカさんの隣に空いた席につく。

 恐らくあれが天界の最高神・イヴァンさん……の本体なのだろう。

「やー。この疑似体を使ってアナタ達に会うのも五百年振りくらいですかねー。あ、ザラさんも。その節はどうもどうも。カミロがお世話になってます」

「ど、どうも……お久しぶりです」

「失礼するわよ」

 博物館でしか見たことないような物凄い年代物の、不気味に歩く鎧を引き連れた、青い肌に尖った耳、角と翼を生やした真っ黒なドレス姿の女性は、ルカさんの隣に腰掛けて、気安く挨拶を交わした。

 吸血鬼と天界の主が揃っている、ということは……彼女は魔界の代表だろうか。

「あれ。何でグロッサムとヘリオが出てくるんだ。グリッドはどうした?」

「私は代理。陛下は毎年この時期は居ないのよ」

「ああ、そういえば……!結婚記念日の旅行の最中だったか。今年も祝いの品を送り損ねてしまった」

「私達だって暇じゃないのよ。用があるならさっさと済ませてくれると嬉しいわ、お嬢ちゃん」

 ……微妙に違うらしい。お嬢ちゃんと呼ぶその声に僅かな苛立ちを感じた。

 グロッサム、と呼ばれた魔族の女性の傍らに、灰色の鎧が音も無く剣を携えたまま立っているのが異様だった。

 さて、とルカさんが芝居がかった咳ばらいをひとつ。

「これで役者は揃った。世界を創造し管理する人間界の王、吸血鬼ドラクルーカこと俺。人間を監視する天界の最高位存在・イヴァン。魔界を統べる魔王――の代理、夢魔の女王グロッサムと、そのオマケ。そして人間――アンリミテッドのザラ」

 名指しされた人物を一人ずつ、ぐるりと見渡す。同じように、超越者たちも私に注目する。

 その誰もが、ヒトに似た容を持っていながら、私達人間よりも遥かに強大な存在であることが肌で感じられる。

 同じ空気を共有していることさえ恐ろしく、背筋と首筋の冷や汗が止まらない。少しでも生きることを投げ出したら、存在ごと押し潰されてしまいそうだ。

 だから、全身の機能をフル動員して、私はここに居続けるしかない。

 ルカさんが、指先で示した空間からマッチのような気軽さで一束のカードを取り出した。

 弄ぶような器用な手つきでカードの束を広げ、私達にその全容を披露する。四種類のシンボルと十三枚の絵柄。――ただのシンプルなトランプだ。

「簡単なゲームにしよう、ザラ。君は“アタリ”を引けばいい」

 ルカさんがトランプを覆い隠すと、テーブルの真ん中にはトランプが塔となって積まれて姿を現した。それをまた崩し、飛ばし、消したように見せて、片手に収める。

「それだけ……?」

「そう。俺達との勝負だ。この世界そのものが――創造主たる俺達を選ぶか、それとも、この世界が生んだ君の因果が勝つか」

「……ッもし、私が負けたら?」

「彼は処分する。当然だ。彼は居てはならない。在ってはならない。その為に、多くのものが犠牲になった」

 固唾の呑み込むことにすら痛みを覚えた。それくらい、全身の筋肉が強張って、怖いよ動きたくないよと駄々をこねて張り付いているのがわかる。足が異様に寒く、冷たい。爪先が痺れる。

 幻界の存在であった以前のグリムヴェルトならばいざ知らず、いま私達の手で人間へと堕とされてしまった彼を殺すのは、例え吸血鬼でなくとも容易だろう。

 あるいは、この人たちはそれをずっと待っていたのかもしれない。私達の希望すら先読みして、深読みして。得物が差し出されるのをただ悠然と眺めていたのかもしれない。

「あの……後ろの方は」

「私の護衛だから気にしなくていいわ」

 グロッサムさんの後ろで控える鎧兜の魔族( ?)が、少しだけ会釈をした。見た目はオバケだけど悪い人では無さそうだ。ということは私の相手はこの三人。……三対一。おおう。

「この束からはジョーカーを抜いてある。俺が何度も確認した筈だ。君も確認してご覧」

「はい……」

 手渡されたトランプを一枚ずつめくって確かめる。確かに五十二枚。ハート、ダイヤ、スペード、クラブがそれぞれ十三枚ずつ。ピエロが描かれた特別な準札は、どこにも見当たらない。

 私からトランプを受け取ったルカさんは、入念にカードを切って、ひとつに纏めた。

「君がやる事はただ一つ。この山札の中からジョーカーを引けばいい」

 テーブルの中心に積まれたカードの山を指して、それ以来トランプに触れなくなった。

「はい???そ、そんなの――」

「出来るだろう、アンリミテッド。それがこのゲームのルールだ。君が俺達に提示している条件を簡略的な形に落とし込んだまでのことだ」

「ちなみに、私達がジョーカーを引いても負け。いいわね?」

「一方的なゲームですねー理不尽極まってますよー」

 イヴァンさんはそう言うけど、つまり、私はそれくらい滅茶苦茶なことを要求しているのだと暗示されている。

 要は――これだけの人ならざる力を持った存在たちと完全なる運を競い、ジョーカーに見立てたグリムヴェルトを手にしたら勝ち。

 “存在しないものをどうやって引き寄せるのか。”

 アンリミテッドが持つ因果に干渉する力を、ここで発揮しなければいけない、ということらしい。

「もちろん魔法を使っても構わない。吸血鬼と主神、魔王を欺けるものならね」

 ルカさんの紅い瞳が妖しく光る。そんなことしませんできません……。

「じゃ、早速私から」

 私だけがパニック寸前の状況で、何でもないゲームをするように、グロッサムさんが最初の一枚を引いた。トランプを裏返し、絵柄を確かめて、退屈そうに手札を投げ出した。

「じゃあ次は俺が」

 ルカさんもまるでくじ引きの軽薄さで、山札の一番上のカードを手中に収める。思ったカードではなかったことに少し唇を尖らせて、腕組みをし直した。

「では引かせていただきますうー」

 私の前。イヴァンさんが、ケーキのクリームを指先で掬う悪戯っ子のように、ちょんとトランプに触れた。テーブルの表面から自分の目の前の縁までトランプをずずずと引き摺って、両手のなかの答えを見てあちゃちゃー、なんて笑って頭を掻いていた。

 私も三人に倣って、山札からトランプを一枚引き抜く。札はハートのクイーン。

 これが良かったのか悪かったのかも分からないまま、再び順番はグロッサムさんに巡る。

「ま、そう簡単に勝負がついちゃ、つまらないわよね」

 グロッサムさんは無感動に引いたトランプを開示して、乱暴にテーブルの端に避けた。

 続いて、ルカさんも同じように、柄付きのカードを指で弄び、イヴァンさんがクラブの並ぶ札を捲った。

「俺から提案しておいて何だが、退屈なゲームになりそうだ」

「やれやれ、ルカはいつもそれですねー」

 そしてまた、私はトランプを引いて、溜息を吐く。

「全く、ブラッディナイトメアに向けて準備もしなくちゃならないのに。魔界の女王なんて引き受けるんじゃなかったわ」

「悪かったよ、グロッサム。君のところもそろそろ記念日だったかな?」

「そうよ。誰かさん達に邪魔されてなきゃ、今頃旦那様との蜜月を過ごしていたところだったのに」

「グロッサムは昔からタイミング悪いですからねー。その旦那様と出会ったのも、持ち前のドジ由来ですし……」

「何よ、私のせいだって言うの?」

「ほら、後ろで旦那様も苦笑しているぞ」

「あー。ヤなイジり方ですね、ルカ。いかにもパワハラ上司っぽいです。あなたって未だに飲みニュケーションとかしたいタイプですか?」

「酒は人間の本性を暴くからな。ツールとしての邪悪さは好きだよ」

「大人しく生き血だけ飲んでいてほしいものだわ」

「あれじゃ酔えないんだよ。美味いワインを作る限りは、人間を可愛がっておいてやらないとね」

 なんて。超越者たちは、まるでこの先の結末を知っているかのように、優雅なお茶会のノリで世間話に花を咲かせているし。

 そりゃそうか。一世一代の勝負を仕掛けているのは私のほうで、彼等は挑戦者を迎え撃つチャンピオンなのだから、余裕で当然だ。

 完全なるアウェーだわ、私……。お腹痛くなってきたよ……。



 ――どのくらいの時間、それを繰り返していたのだろう。

 山札には、四枚のカードが重なっている。

 今のところ、誰も、道化師が笑う絵のカードを見ていない。

「私の出番はこれでおしまいかしらね。なあんだ、人造人間を魔界に堕とすっていうのも、面白そうだったのに」

「いやいや。人工の生命ならば、天界向きです。……と言いたいところですが。運勢は主神すら見放すこともあるようです。ルカ、あなたも私も、()()()()()()()ねぇー」

「さてね――。それを決めるのは、彼女次第さ」

 カードを一通り引き終えた三人の視線が、私の手元に集中する。震えが止まらない。

 私の前の三人は全員、つまらないお酒でも飲み干したように、消沈していた。

 残されたのは、私が引くべき最後の一枚。

 これで全てが決まってしまう。

 手汗をボロボロになったスカートで拭って、テーブルの真ん中を目指して腕を伸ばす。

 これ。どう引くのが正解?なんかもうそれすらわからん。一気に?それともゆっくり?見えるように?見えないように?何を引けばいいんだっけ?それとも押すんだっけ?呼吸ってどうやるんだっけ?私はどこでここは誰?

 僅か数秒もない時間のあいだにあらゆる心配事が脳裏を駆け巡って行った。

「……あ……」

 半分だけ捲りあげて。それだけでも、私は、自分が()()()()()()ことに気付いた。

 一気に気が抜けた。

 もう駄目だ。目の前が真っ暗になる。

 ルカさんたちは、決着がついたと言わんばかりに沈黙している。

「――これで、どちらが敗北者か、決まったようだ。人間(ザラ)

 嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ。

 頭をハンマーでぶん殴られたような眩暈が襲ってくる。目の奥が熱くなったり冷たくなったりしている。身体中の水分が大波のようにうねる。

 ルカさんがゆっくりと、私が引いたカードを皆に分かるように裏返した。

「これって……」

 ――それは。白紙に半分だけ印刷されたハートのクイーンだった。

 ……かと思えば、ルカさんが抓んだ指先の部分から透明になっていった。

 カードから細い手足が生える。

 一度消えたように見えたカードは、今度は半分ジョーカー、半分スペードの3という、奇妙な印刷ミスのような姿に変わる。

「あら。とっても小っちゃい幻魔ちゃんですねー。いつのまに紛れ込んだんでしょう」

 カードを背負った虫のような幻魔は、テーブルから飛び跳ねて、どこかへ去って行った。私はただ呆然と、その後ろ姿を目で追う事しかできない。

「――あっはっは!俺が用意した切札より更に確率の低いカードを引いたか!負けたよ、負けた。君の勝利だ、ザラ。人造人間グリムヴェルトの身柄は――君に任せよう。好きにすると良い」

 ――。

 視界が。白く染まる。何も無くなっていく。私という魂の入れ物が、重力にされるがまま、テーブルの中へ堕ちていく。

 何か、凄い衝撃があったような気がするけど。私はもう、自分を保っていられなかった。眠いと思う暇さえない、引き摺り堕とされたような気絶。

 トランプの束が吹っ飛んで、私の頭に降り注いでいた。まるで祝福の紙吹雪みたいに。






/






「ありゃりゃ。倒れちゃいました」

「疲労と緊張から解き放たれた途端にこれか……」

「ふふふ。それくらい頑張ってたんだ。偉いじゃない」

 人間の少女は、ルカから勝利を告げられた途端、安堵で気を失ってしまった。

 血の気を失った顔で白目を向いて、カードの海のなかで溺れるように突っ伏している。

 そんな光景が面白くて、かつて世界を創生した人外の仲間たちは久しぶりに、酒も無しに大声をあげて笑った。グロッサムの護衛で同行していたヘリオでさえ、かつての仲間を思い出して兜の下で小さく微笑んだ。

「やれやれ。この世界はもう、君たちのものだということだね……」

 ルカは愛する我が子の一人である少女の髪を優しく梳いた。

 短い人間の生の、その半分も生きていないこんな子供が、怪物たちと世界を賭けて運試しをした。その事実が、ルカには堪らなく愛おしくて、たまらなく哀しかった。

 それは即ち、人間が吸血鬼も神も悪魔も、必要としなくなってきている証拠だったからだ。

「ルカ、いい加減子離れしたらどうなんです」

 イヴァンの子離れ、とは、言い得て妙だった。ドラクルーカという吸血鬼は――他の創造主たちよりも遥かに、過保護体質であった。

 しつこく付きまとい、いつまでも未熟者のように扱い、口を出す。まさに干渉し毒になる親だ。

「はぁ。せっかく自分に都合のいいように作ったのに。思い通りにいかないね」

「イヤなら人間なんか造らなきゃ良かったのよ」

「……それは。駄目なんだよ」

「そういうところが君は甘いんですよー。人間が憎いくせに、人間を甘やかすって、なんかもーDVですよね、DV。一度カウンセリング受けた方がいいんじゃないですかー」

 原初の魔人・ルカをからかって遊べる者など、機械神と魔王の代理以外に居ないだろう。

 やれやれと(かぶり)を振って、思えば永く生きたものだと、ルカは自嘲した。

 もう彼等彼女等は、自分たちの手を離れて、彼等だけの力で立ち、歩いていくべきなのかもしれない。

「置いて行かれるのは、いつだって寂しいものだ」

 百年ぶりに使った会議室から、少女を運び出す。彼女の在るべき場所へ。

 人間――アンリミテッドのザラは、勝利した。

 その魔力が選び出す無限の可能性の中から、見事に吸血鬼たちの計算さえすり抜けた“事故(バグ)”を拾い上げて、まだ誰も知らない運命を手にした。

 これからあの人造人間(ホムンクルス)がどうなるのか。最早この創造主たちにも分からない。

 彼がまた、人間への憎しみから凶行に走るとも限らない。あるいは人間を幸せにする存在になれるのかもしれない。

 それって、まるきり人間だ。ドラクルーカが一番最初に知っていた間たち。

 吸血鬼が世界を創り直す前から存在していた、弱く、儚く、愚かな生命体。原初の人間たち。

 ああ、そうであるならば――あれは、あの子は。

 心地よい透明な敗北の香りが、ルカの胸を抜けていった。

 これでいい。

 扉の向こうで叱られるのを待っている双子たちに英雄の少女を預けて、ルカは最後の一仕事に取り掛かるべく、もう一度、イヴァンとグロッサムを呼びつけた。






 .

.

.

.

.

.

・ここまでの長~~~~~い間、無限の少女と魔界の錬金術師を読んでくださって、ありがとうございました。色々書きたいことがありますが、まとめて活動報告のほうに書きますとも。


・そしてここで一旦、ザラ達の物語は幕を閉じます。


・もうちっとだけ続くんじゃよ。


・次回作『コールドスリープから目覚めた裏切りの英雄は魔法学校で教師をするようです』も近々アップ予定です。そちらも宜しければ。


・閉じるということは、開くということ。

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