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無限の少女と魔界の錬金術師  作者: 安藤源龍
3.双子とホムンクルスと、時々オトン。
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ガールズ・ドント・クライ・3





「ザラ!!」

「ア……ルス…………?」

 アルスの腕のなかで、目が覚めた。

 こう表現するとまるでロマンチックだけど、状況は何も変わっていない。

 そりゃそうだ、私はただ幻夢の世界から帰ってきただけで、相変わらず幻魔のお腹の中に居るのだから。

「良かった~っ……!いきなり眠って魘されるから、悪いモンでも食ったのかと思った~」

「アルスの中の私どうなってんの……」

 私ゃ動物か何かですか。

「……私たち、幻魔に呑み込まれた、よね?」

「ん。どうやって脱出すっかーって話そうとしたら、ザラがぶっ倒れてさ、もう超~焦ったぜ」

 なるほど。じゃあ……落っこちて来てすぐから今までずっと、私は呑気に寝ていたワケか。

 性別が反転した世界の夢のとこから、ぜんぶ丸っとインチキだったのね。はあ。

「一応確認なんだけど」

「なに?……いふぁいいふぁい!!ふぁいふんあよぉ!」

 さまざまなチェックを兼ねて、自分とアルスの頬を抓る。痛いし、目の前にいるのも、ちゃんと現実のアルスのようだ。これでようやく一安心。寝起きだというのにどっと肩の力が抜けた。

「私……どのくらい眠ってたの?」

「せいぜい十分とかそこらじゃねえの」

「ウッソ……お、お待たせしました」

「うん。元気そうで良かった。おはよう!」

 体感十万年クラスだったよ。身体はそうでも無いけど精神的な疲労がやばい。

 てゆか私、ついさっき魔界から帰ったきたとこなのよ。それなのにこの仕打ち。思えばタフになってきたものだわ。

 気を取り直して。

 アルスに支えられながら起き上がり、現状把握に努めましょう。

 つい癖でスカートの埃を払ってしまうけど、この空間には埃や塵どころか、虫一匹だって存在するか怪しいものだ。

 大体、生き物の内部なのに何で普通に空と地面があるかな。

 その手の冒険小説だと、こう、胃袋の辺りなんかを攻撃して内側から突き破って脱出するのが定石だけど。この環境じゃそうもいかなさそうね。

「どう……しよっか……」

「ミストラルもねーしなー。まんまとやられちまった」

「うーん……。魔法……ぶつけてみる?」

「意味ねーと思うけど、一応やってみっか」

 アルスの魔硝剣(ミストラル)さえあれば、どうにか出来るんだろうけど。

 ていうか、アルスの手を封じたからこそのこの手段?まあ兎に角、私の杖は無事にホルダーに収まっているので、無駄だと知りつつ、万が一突破口が開けることを期待半分諦観半分で、この濡れてもいないのに波紋が広がる透明な大地に雷の魔法をぶち当ててみることにした。

「アルス、ちょっと離れて、目も瞑っててね」

 加減する必要は無さそうなので。

 意識を魔力と杖に集中させ、空の対流のなかで魔術と繋がる火花を探し出す。

 ――ここだ。

「閃け――!」

 太鼓の轟音が霹靂を引き連れてくる。

 雷光は血脈のような枝の軌跡を描いて、渇いた水面を疾走する。

 ――どうかな。

 魔法がその威力を失うまで、じっと見守る。

 ……が、結局、望み通りとはいかなかった。ですよねー。

「ねえ。今の魔法、この……体の持ち主の幻魔に、吸収されちゃったりしないよね?」

「あー……」

 あっやばい。アルスには珍しく目を逸らされた。これはアカン。

 ま、まあ、どうせ倒すんだから、一緒よね。むしろ、アンリミテッドの魔力なんて受け止めきれないでしょそうでしょ絶対そうに決まってる。このことについては深く考えないようにしよう。

「出口とか探すか?」

「出口って……その……やっぱ、アレ?」

「まあ……口……っていうか、頭から入って来たし……?」

「むっ、無理無理無理!幻魔でも無理!」

「だよなぁ」

 基本的に生き物には入口と出口があるものですが。ちょっと……いくら何でもそれは嫌すぎるので却下の方向で。

 それ以前に、どこをどう見渡しても、出入り口どころか道も無いのよ。

 とりあえずアルスと二人で闇雲に歩いてみたけど、一向に景色は変わらないし。

 このままじゃ悪戯に体力だけを消費してしまう気がする。

 ……と、なると。

「打つ手ナシかぁ……」

 流石に学校でも、魔物あるいは幻魔に丸のみされた時の対処法は教えてもらったことがない。咬まれないようにするとか、咬まれたらどうするか、くらいのものだ。

 私は脱力して、その場にしゃがみ込んだ。アルスも隣にやってきて、同じように地べたに座り込む。

「ま、ちょっと待ってみるか。俺たちが居ないのに気づいたら、ジークかあの兄弟が来るだろ」

「アルスもそー思う?」

「こーゆー時はジタバタしないのが一番。気長に構えて、いいアイデアが浮かぶのを待つもんさ。幸い、幻魔はもう手出ししてこないみたいだしな」

 大らかなアルスらしく前向きというか呑気というか、だけど私も概ね賛成だ。

 二人で楽な姿勢になり、一旦緊張を緩めると、何だかとりあえずどうにかなる気がしてきた。

 私たちには仲間が居るんだ、信じて待ってみるのもいいかもしれない。

 初対面の割りに、アルスがあの兄弟に対して信頼度が高いのは、ひとえに同じ武具を持つ者同士のシンパシーだろうか。

「幻魔は一点特化の能力多いから、俺たちを封じ込めた後のことは多分考えてないだろ。警戒するとしたらグリムヴェルトだけど……アイツもよくわかんないしな」

 流石、永らく幻魔を追ってきた専門家(スペシャリスト)

 確かにアルスの言う通り、残す懸念といえばグリムヴェルトがいつ現れるか、だけど――気にしてもしょうがない、のである。何せ神出鬼没だし。出てこられてもどうせこっちは不利だし。

 そういう考えも含めて、アルスは気兼ねしなくて楽だ。

 案外似た者同士なのかな、私たち。自分ではいやいや馬鹿なことを、なんて頭を振るような日和見も、アルスが口にすれば、じゃあ平気なんだろうと思えてしまう。

「それに、ここならザラとの時間をジャマされなくて済むな」

 アルスは機嫌良さそうにはにかんだ。

 そっか、今日だって元々は私に会いに来てくれたんだもんね。やだな、顔赤くなってるだろうなあ、私。

「もしかして、アルスって、誰にでもそういうこと言ってる?」

「誰にでもって?」

「他の……女の子とか」

「いーや?ザラとジークだけ!」

「あ、そう……」

 ぐ。なんだろうこの敗北感。お前だけだよって言われてもきっと困ってただろうけど。常にジークと同列、それはそれでやや複雑というか……いやいや好意を抱いてくれているだけでも感謝に値するんだ、それにこんなに顔が良いじゃないの。まさに私の理想の王子様のようなひとが、こうして笑いかけてくれるだけでも贅沢だというもの。

「ザラ、もっとこっちおいで」

「な、なんで?」

「その方が安心するだろー」

「やめて、くすぐったいし、重いよー!」

 いつの間にか横になったアルスが、私の腰をぐいと引き寄せた。

 抱き枕的に体重を預けられ、つい危険も忘れて笑い合ってしまう。こういう無邪気さは、困ったお兄ちゃんか弟みたいだ。

 でも本当に、身体を寄せ合ってくっついていると、幻魔の中も、不可思議なキャンプ場くらいに見えてくるものね。

 アルスの髪の毛をもさもさ弄っているうちに、不安なんかどこかへ行ってしまいそうだ。

 ……これイチャついてる?いやでも、私とアルスにその気は全然無い……筈だから、う、浮気とかには……。

 ジークがもしヒルダさんとこういう事してても多分嫉妬はしな……しない……きっと、恐らく、多分。

「ザラも寝ちゃえよ!」

「わっ!」

「よーしよしよし」

「もー、子供じゃないんだって」

 そうして、背後から抱き疲れるような形で、頭を撫でまわされる。あったかくて気持ちいい。

「……前から思ってたんだけど……。アルスは……なんで私に、ここまでしてくれるの?」

 さっきの仕返しといわんばかりにほっぺを摘ままれながら、私はふとした疑問を口にした。

 アルスにとって私とジークが特別なのは……照れくさいけど認めるとして。

 実際そこまで好いてもらえるようなきっかけがあったようには記憶してない。ひとの気持ちのことだから、分からないけどね。私だっていつの間にかジークに惚れてんのよ。地獄だわ。

「好きだから!前も言ったろ。ザラにずっとずっと会いたかったんだ」

「……言ってたね」

 ああ。思い出すのも恥ずかしいけど。そんな告白をされた覚えはある。

 あれは……私のチョーカーが壊れた時だっけ。

 チョーカーを直す材料を集めるのに、アルスとジークが協力してくれて。

 その時に、私と会いたかったって、話していた。ような。あの瞬間に突然のときめきに襲われたので記憶が曖昧になってる。

「ミストラルが……いつも自分の娘の話をしてた。優しくてお天馬で我が儘で、勇敢な女の子の話だよ」

 アルスは宝物の話でもするように、思い出を聞かせてくれた。

 子供のころからずっと愛用していた道具に万巻の思いを込めて感謝をするように、ひどく愛おしそうに、懐かしさをなぞる表情をしている。

「俺はその子の話を聞くたび、羨ましかったし、嫉妬した。ミストラルの息子は俺なのにって」

 ――そっか。アルスはずっと……独りぼっちだったんだもんね。

 頼れる家族……のようなものが物言う剣だった彼にとって、その無機質な相棒から語られる物語は、きっと幼い子供にとっての英雄譚にも等しいものだったのだろう。

 ……ていうかやっぱ家庭あるんだ、あの剣おじさん。

「でもだんだん外の世界に興味を持ち出して—ミストラルがいつも話す女の子に会ってみたくなった。きっと素敵な子なんだろうなって思ったんだ」

 ほうほう。それってまさに、アレですな。私の乙女センサーが反応しているよ。

「それで実際に会ってみたら—すごく、懐かしい気持ちになった。安心して、ああ、俺はずうっとこの女の子のことが大好きだったんだって、自覚した」

 初恋じゃん。それってマジで、初恋じゃん。(五七五)

 そっかそっかー、刷り込みとはいえアルスにとって憧れの存在って唯一その女の子だったんだね。かわいいなあー。

 私も自分が大好きな物語の主人公なんかが目の前に現れたら、ワーッってなるわ。てかアルスがまさに、昔好きだった騎士物語の主人公だもの。実際常にワーッてなってるよ。

 ……え。いやでもその話と私に何の関係があるの。

「ザラに会ったとき、きっとこんな子だって直感した。一目で分かったよ」

「私!?」

「うん。俺が憧れ続けた女の子って、まさにザラそのまんま!」

「ま、またまた~!私そんなんじゃないよう~っ」

 お、おふぅ。

 ジークの火の玉どストレートもなかなか効くけど、アルスの全く無垢なドストレート感情も、時と場合によっては十分凶器に成り得るね。

 きらきらの笑顔つきだと、なおさら。アルスに好かれてる私まで、なんだか誇らしい人間になったみたいで、胸が温かくなる。恋とは全然違う、純度百パーの無償の愛情。

 まさか私にそんな憧憬を重ねていたとは。いやはやなかなか侮れん男ですぞ……。

「じ……じゃあジークは……?」

「あいつはほら、何て言うか、放って置けないだろ?自分では結構カッコついてるつもりみたいだけどさ、変な所でドジだし」

 まさか、ジークに対する評価の解釈が完全に一致するとは。

 そうなのよ、あいつ、アレで結構ダメなとこ多いのよね。世話が焼けるっていうか。危なっかしいっていうかね。

 でも同時に悔しさも感じちゃうわ……。いつの間にそんな仲を深めてんのよ……どっちにも嫉妬するわ……。

「でも何より、頼れる!あいつに任せておけば絶対大丈夫!っていう、謎の安心感がある」

「あははっ!アルスもそうなんだ」

「あと、ザラの隣に並んだ時がイイ……」

 おっ。何だかちょっと雲行きが怪しくなって参りましたわね。アルスが恍惚の表情を浮かべて鼻息を荒くさせていることに目ざとく気づく私であった。

「なー、だからさ、三人で付き合おうぜ」

「それはちょっと……インモラルが過ぎるというか……」

 爽やかな笑顔とは裏腹にトンデモないことを口走るアルスに動揺が隠せない。未だにこの温度差に慣れない。

 どうして普段はこれだけパーフェクトイケメンなのにこと私とジーク絡みになると変態にジョブチェンジしてしまうのか。やはり私が変態キラーなのか。

「ていうか、アルスはその、恋愛とか……付き合うとか、理解してるの?」

「……ザラはわかる?」

「わかんないや、ごめん……」

 そのまま二人で俯いてしまう。分からん人同士で考えても何の生産性もないよ。分からんなりに考えよう。

「えーっと、したいことによるんじゃないかな……手繋ぎたい、とか……」

 えーと。げ、下世話な話かもしれないけど。要は……こ、興奮するかどうかっていうかさ。

 私は今までそういう……熱烈な恋みたいのはあまり覚えがなくてですね……強いて言うならエレメンタルスクールでクラスで一番足が速かった男の子とか、バイト先の誰にでも優しい先輩とか、お花屋さんのお兄さんに憧れた程度でして……本当に何の参考にもならないクソ女なんですけれども。

 そんな私でもジークのことを好きだと自覚してから変わったことと言えば、そういう、もっと近づきたいとか、さ……触りたい、みたいな、よ、欲求の部分だと思う。

 例えばふとした時に、ああコレ、ジークと共有したいなあと思ったり、そばに居たいなと思ったり……いやもう恥ずかしいからヤメませんか?

「んー。二人とやりたいこと……一緒にご飯食べるとか?」

「それもうしてない?」

「一緒に夜更かし!」

「夜更かしでいいの?」

「うん。星とか見ようぜ。そんで、今日読んだ本の話とかすんの」

 そしてアルスから返ってきたのは案の定ピュアッピュアな提案だった。かわいすぎか。

「あ!旅行とかもいいな!俺まだ行ってないところが沢山あるんだ」

 あー。それ超楽しそー。さいこー。

 想像するだけで楽しいのか、ここが幻魔の中だということも忘れて、アルスは照れくさそうに鼻を掻いて満面の笑みを浮かべている。

「もうあとは……アレだな。二人の子供を俺が貰うとか……」

「怖いよ!!」

 ピュアすぎて歪んでるよ。時々瞳から光が消えるのは何なんだ。

「いや、そうじゃなくて、キ、キ、キッッ……スしてみたいとかは……?」

 このままだと埒があかないので、私は思い切って質問を投げかけることにした。

 そ、そこが想像できたら恋愛感情なのでは。よく分からないですけど!

「…………うーん?」

「あ、首傾げちゃうんだ……?」

「してみたら分かるかもな!」

「えっ!?」

 アルスが急に起き上がり、私の肩を掴んだ。

 いやいやいや。って、そうか、アルス自身には、自分の感情がどういうものなのかよく分かってないのか。それにしても思いきりすぎでは。

 私の狼狽もお構いなしに、アルスがゆっくり顔を近づけてくる、額と額がくっついて、思わず目を閉じる。

 どうしようどうしよう。抵抗するのも悪い気がして、無下に振り払うことも出来ない。最早身体を石のように堅くして、身構えることしか……。

 …………。

 あれ……。

 いつまで経っても唇の感触がない。

 恐る恐る目を開けてみると、困惑した表情のまま私の顔を至近距離でまじまじ眺めているアルスが居た。

「どきどき、する……?」

「う~~~ん……???落ち着きはするけど……」

「私も……」

 由々しき事態ではあるのだけど。不思議と不快感も、高揚も無い。

 それはアルスも同じらしく、二人で同時に頭を捻る。お互いの目に映るその仕草があまりに似ていたから、またしても同じタイミングで吹き出した。

「ぶふっ」

「ふふっ、もう!笑わないでよ……!」

「だ、だってさ、何か面白くって……!あはは、ザラがヘンな顔するからっ」

「し、してないよぉ~!!あははは!」

「何で声裏返ったんだよっ……!」

 結果、スイッチでも入ったように、何が可笑しいのかもよくわからないまま二人で笑い転げて、息切れするまで地面をのたうち回った。

 ひとしきり笑い終えると、涙を拭いながら、

「うーん。ハグはしたいな!」

「いいよ、仕方ないな」

 私たちは親愛の抱擁を交わした。これもやっぱりツボに入ってしまい、最終的に睨めっこ合戦まで突入した。いい歳して何やってんだ私たちは。後から思い出して恥ずかしくなりそうだけど、まあいいか。

「こっから出たらジークにも試してみるな!」

「それがいいよ」

 といってもジークを捕まえてキスに持ち込むなんて至難の業だと思うけど。その時は私も協力しよう。決して他意は、他意はないですぞ。



.

.

.




 そんな事をして時間を潰して――もうどれくらい経っただろう。

 ちょっぴりお腹も減ってきて、心なしかアルスも、ここに来たばかりの時と比べたら元気がない気がする。

 外敵の危機もないし、と思ってグダグダしていたけど、特にいい脱出計画も思い浮かばなかったわね。アルスとちょっと仲良くなったくらい。

 今はまだ平気だけど……これがあと一日、とか一週間、になってくると、気が滅入るかも……。

 そうなる前にどうにかする、あるいはしてもらいたいものだ。

 あとね、椅子。椅子が無いのが地味にツライのよ。地べたに座りっぱなしなんて、普段の生活で殆ど味わったことないから、下半身のあらゆる筋肉と関節が限界を迎えそうなのよ。

 そうして私がもう何度目か、痺れた足を組み換えたころ、空腹で少しだけショボくれていたアルスが、何かを察知したように素早い動作で立ち上がった。

「――誰か、来る。」

 アルスの察知を皮切りに、予言通り、この永遠の幻夢の世界に、突如として亀裂が走った。

 ぱきぱきと、砕かれたガラス窓のように景色が零れ堕ち、まるでそれが楔だったとでもいうかのように色を失っていく。形を失っていく。

 亀裂は何度か衝撃を受けて、割れ目から穴へと変わる。

 拳ほどの大きさに開いた空洞から、ぬっ、と黒い手が伸びた。幻魔の身体が容易く解体されていく。

 ミストラルでしか破壊できない筈の情報の塊は、その手が触れる度、青白い光となって空中に溶けていく。

 そうして人一人が十分に通れるほどの出入口が形成されたころ、バラバラになっていく風景の破片(ピース)を押しのけるようにして、一人の男が、幻魔の(はらわた)に侵入してきた。


「やあ〜、無事かい、君たち」


 現れたのは、私とアルスが心底会いたかった救世主ではなく。

 やたらフレンドリーにこちらへ向かって手を振る男性に、私もアルスも、見覚えは無かった。

 真っ黒な毛皮のコートに身を包んだ痩躯の男性は、現実(そと)を背景にして不敵に微笑んでいた。

 アトリウム人には珍しい真っ黒い髪に、血のような紅い瞳。髪と瞳の色を強調するような、真っ白な肌と尖った耳、そして牙。これらに該当する特徴を、私は既に知っている。

「……誰?」

 誰、だかは分からない。けど、存在としては理解できる。

 そして――直感でわかる。

 “()()()()()()()()()()()()()()()

 今まで会ってきたどの吸血鬼にも抱かなかった親近感を、この一瞬で覚えた。

 私はアンリミテッドとして生まれてこの方、誰にだって感じたことがない。

 魔力量とかそんな問題じゃない、異常性・希少性という点で、この人は恐らく、私と似たような存在であり、生物として圧倒的に格上だ。

「全く……あの人形もなかなか強硬手段に出るじゃないか」

 そして忌々しそうに吐き捨てる吸血鬼の後ろに続いて、今度こそ私たちのヒーローが顔を覗かせた。

「ザラ!アルス!無事か!?」

「ジーク!」

 二人でジークに駆け寄り、猛烈な勢いで抱きつく。

 私はすぐにジークを解放したものの、アルスはやや長めにジークと接触、果てはグッと顔を近づけたところを彼に拒否された。

「何のつもりだ……?」

「うーん。ちょっとドキドキする……!」

「マジで……!?」

「いい匂いした……!」

「わかる……!」

 嫌そうなジークを他所に、私とアルスは盛り上がる。するよね、いい匂い。香水かな?私これめっちゃ好き。二パターンくらいあるよね。

 私とアルスはジークの手によって、ようやっと、何時間かぶりに、現実の大地に引き摺り出された。

 原っぱの土の感触が、すでに懐かしく思える。後ろを振り返れば、私たちを呑み込んだ人形型の幻魔が、半壊した姿で佇んでいた。……サイズ感どうなってんのよ。

「あの、あなたが助けてくれたん、ですよね……?」

 というのもおかしな質問だけど。

 この吸血鬼、怪しいんだもん。

 まるで、さあ助けたんだから代価に魂を貰おうか!と請求されそうな雰囲気。

 そういう意味では魔族に近しいものすら感じる。“人外”と呼ぶに相応しい。

「そうとも。そこな弟子二匹が全く役立たずだからね。君たちに死なれちゃあ困るんで、こうして俺がわざわざ出向いてやったという訳さ」

「「勝手に弟子にするなー!」」

 吸血鬼さんが薄く笑う後ろで、何故か二人一緒に縄で縛られたフュルベール・ベルナール兄弟が叫んでいた。どういう状況?

「アルス、君にはこいつを」

「ミストラル!」

「幻魔を殺すのに使おうと思ったんだが、俺やジークウェザーでは適合しなくてね」

 吸血鬼が魔硝剣を放って、こちらも暫く振りにアルスの元に戻ってきた。

 アルスはミストラルを構えるや否や、躊躇う暇もなく、即座に切っ先を幻魔に向けた。さすがの判断の速さだ。

「俺達が弱らせた、今なら斬れる筈だ」

「分かった。――ミストラル、行くぜ!」

 ジークの助言を合図にして、アルスは鞘を握り込む。

「“その輝きを、解き放つ”!」

 指先で撫ぜられた刀身は一瞬、呼応するように光を宿す。

 アルスは根を張るみたいに深く屈んで、幻魔(てき)を一直線に捉え、下段から一気に幻魔を斬り上げた。

 もはや幻魔は抵抗すらしない、立っているだけの木偶の坊と化している。

 剣戟とともに硝子の刃は粉々に散り、両断された幻魔の身体をその破片の煌めきの中に取り込んでいく。

「封印完了っと!」

 魔力で元の形に戻ったミストラルは、更に濁っていた。美しかったころの面影を残しながら、蝕まれたように透明度を失っている。アルスがそれだけ多くの幻魔を封じてきた証拠だった。

 それもこれも、――彼が現れてからなのだと思うと、やりきれなさがあった。

 予想はしていた。予感はしていた。

「グリムヴェルト……!」

 人形幻魔が輪郭を失うのと入れ替わりで、相変わらずどこからともなく、グリムヴェルトが滲みだすようにゆっくりと姿を現した。

 勇み出ようとするジークとアルスは吸血鬼のお兄さんに制止され、私たちは一定の距離で睨み合うことを余儀なくされた。

 グリムヴェルトは、私の夢のなかでもそうだったように、怒るでもなくゆっくりと瞬き、眼前の吸血鬼に注意した。

「この時代の君は、磔にされたままなんじゃなかった?」

 誰の知り合いかと思ったら。吸血鬼はやっぱり幻界(そっち)関連かぁ。

 グリムヴェルトも敵が多い子ね……いや、この吸血鬼さんも味方と決まったわけじゃないかもだけど。

「そんなもの、抜け出してきたに決まってるだろう。俺が人間たちの処刑を甘んじて受けていたのは、ひとえに俺の気まぐれに他ならない」

「わざとだったと?」

「そりゃそうだ!俺だって少しくらい悪いことをした自覚がある。千年くらいは大人しくしてやろうと思っていたんだが……どうしても看過できない記録を見つけてね。こうして見事復活、この場に馳せ参じたって訳さ」

 大仰な仕草の人外どうしが、互いの腹を明かさんと嘲り笑い合う。

 しかし、グリムヴェルトの眉間には、堪えるような(いろ)があった。

 下唇を食いしばり、固唾を飲んで吸血鬼の一挙手一投足を見逃すまいと視線で追いかけている。

 どうやらグリムヴェルトにとっては、私とジークの存在以上に――この吸血鬼への恐怖が優るようだ。

「フュルベール、ベルナール、出番だ」

 吸血鬼が指を鳴らすと、兄弟を縛っていた拘束が解けた。

 二人は命じられたまま、それぞれの魔硝の武器を携えて、吸血鬼の隣に並んだ。

 今にも、吸血鬼が指示を出せば、そのままグリムヴェルトに斬ってかかるだろう。そんな殺意を漲らせて。

「今日こそお前を殺そう、クロムウェル=グリムヴェルト」

 ――。

「おい、ザラ!」

「駄目だって!」

「止めないでっ!!二人とも、離してよっ……!!」

 ジークとアルスにがっちり腕を固められた私の叫びに、兄弟がはっとした様子でこちらを振り向いた。くそう、馬鹿力ズめ、全然振り解けないじゃない。

 私は飛び出すのを諦めて、吸血鬼に訴えるべく声を張り上げた。

「まっ、待って、待ってください!!殺すんですか……!?」

「殺すとも。事情を聞き出したいのは分かるが、奴は危険でね。出来るなら一分一秒でも早く、この世界から消し去りたいのさ」

 ――そんなこと、させたくない。

 フュルベールくんとベルナールくんがそんなことをするのも見たくないし、あんなに、怯えたグリムヴェルトも見たくない。

「どうして、そこまでする必要があるんですか!」

「あれはね――弱いんだよ。弱すぎる」

「そんな理由なら、私だって弱いです……!」

「力の話じゃない。魂として。人間として。俺の世界に存在するにしては、あまりにも不完全だ。分かる?アレを容認するってことは、俺が今まで必死こいて創ってきたものを否定するって事になるんだ」

 別に。言葉を交わしたから、とか。

 束の間とはいえ家族ごっこをした仲だから、とかでもない。

 同情した訳じゃない。哀れみとか、ないし。こっちだってさんざん被害に遭ってきたし。

 彼は明確に私たちに敵対して、何度も、命を奪うつもりで幻魔をけしかけてきた。

 怖かったし傷ついた。何で私がこんなことにって、たくさん恨んだ。

 ――でも、それは。そうする必要があったんじゃないの。

 彼だって何かを証明したくて、得たくて、死ぬ気で私たちを妨害していたんじゃないの。

 彼は、()()()()()()()

 たとえ最終的に命を奪い合うにしても、今じゃない。私は、彼の怨嗟も悲哀も、背負う責任がある。彼を理解するために、もっと時間が欲しい。

 それに何の権利があって、この人はグリムヴェルトの命の価値を計ろうというのか。

 私の憤りは、吸血鬼にも伝わっていたらしい。

「俺が何者か、知りたいって顔だな」

 吸血鬼は肩を竦めた。

「――俺の名はドラクルーカ。元祖の吸血鬼にして世界の創造主。まあ、気楽にルカさんとでも呼ぶといい」

 吸血鬼は、合ってた。まあ、見るからに、だし。

 ああでも――なんて?創造主?

「……!」

「まずいのに目をつけられたな……」

 耳元でジークが呟いた。

 世界を管理しているという噂の、超上級魔導士の、なんてレベルじゃない。

 にわかには信じがたい。今さっき会ったばかりの吸血鬼の言葉を真に受けるなんて、馬鹿げていると思うかもしれない。

 けれど。それなら合点が行く。同時に、全て理解した。

 ――それほどの人物が名乗りをあげるほどの事態なのだと。

 グリムヴェルトは間違いなく――敵なのだと。果たして、彼等がそう望んだのかは分からない。

「さ、出来損ないは死ぬ時間だ」

 黒髪の吸血鬼――ルカさんが、炎の魔法を生み出すのを合図にして、兄弟もグリムヴェルトに襲い掛かった。

 黒い魔炎は兄弟の姿を巧みに隠しながら、グリムヴェルト目掛けて飛行する。

 グリムヴェルトは地面に縫いつけられたように、動けないでいる。はたまた、幻魔を呼び寄せようとしているのか。

 私は――ジークとアルスの力が緩まったことを確認した。

 駆け出さない理由がない。どうなろうが知ったこっちゃない。

 違う、この結末だけは違う。動け、走れ、私の身体。

 ――そんな顔しないで、フュルベールくん。ベルナールくん。

 勝手に出しゃばってきたのは私。

 ちょっと、かなり痛い……どころか、熱いけど。これでいいんだ。

「――ザラ!!」

 刃なのか鏃なのか魔法なのかわかんないけど、まあ全部同時に食らえばそりゃあ、私如きじゃ受け止めるのが限界よ。

 世界が反転する。

 妙に時間はゆっくりで、妙に寒くて、妙に息苦しい。服が濡れてて、重たい。

 深くも浅くも、息が吸えない、吐けない。喋りたいのに、口のなかで、喉の奥で、熱い粘液が溢れだして止められない。視界が悪い。色も輪郭も、ひとつずつが欠けていく。

 グリムヴェルトのこと、守れたかな?それだけ確かめたいのに、手足が言うことを聞かない。

「ザラ、駄目だ、ザラ……!!」

 そんな顔しないで、ジーク。

 ジークに握られた手が滑り落ちる。ごめんね。ごめんね。もっとこうしていたいのに。

 みんなの声が遠い。

 頬に落ちた雫の冷たさだけが最後に残って、私は、そのまま意識を手放した。






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