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無限の少女と魔界の錬金術師  作者: 安藤源龍
3.双子とホムンクルスと、時々オトン。
138/265

クリムゾン・ビーク・5




/




 ―――「よう、イフリート」


 魂の海。どこまでも堕ち続ける呼吸と光なき水面の下で、ネロは初めて、自分の心臓の正しき主の姿を垣間見た。

 にも拘わらず、目の前に佇む魔人が永らく時を共にした盟友(とも)であると直感した。

『ネロ・グリュケリウス。お前も、俺たちの身に何が起きているか、知らぬ訳ではあるまい』

 想像通りの不遜な立ち居振る舞いに、笑みさえ零れた。言葉を交わすことさえ無かったというのに、不思議と居心地の良さを覚えた。

「付き合いは短くねえんだ。大方の察しはついてるさ」

 互いに互いの燃える双眸を見つめる。古来より炎が人々を魅了してきたように。焔の化身と心に熱を宿した青年は、その火花の閃きに目を奪われた。

「イカレた話だ。同化を拒む為に、結局テメエに()()なんてよ」

『それは俺とて同じ。否、これは進化だ。ネロ。俺は俺ではない何かに――お前はお前では何かに変化する。恐ろしく、そして蠱惑的だ。かつて人間を食い取り込みこそすれ、共に肩を並べ魂を預けた魔族が居ただろうか』

 魔界と人間界。魔族と人間。砂漠の国で千年間暴政を揮った王と、魔導の都で亜人を虐げる一族に産まれた若き青年。交わることのなかった因子。

 たったひとつ、数奇な呪いによって結合された心臓だけが、彼等を引き合わせた。初めからそうなるべきと決められていたように。

「戻れる保証は?」

『ある筈もなかろう。此度の試みは全く前例が無い』

 ネロは小さく舌打ちをした。イフリートに呆れたからじゃない。

 ――そんな面白いことがあるなんて、今まで知らされていなかったからだ。

「つまり、本気のハーゲンティと()れるってワケか」

『お前の執着も底が知れんなぁ』

 むしろ呆れかえったのはイフリートのほうで、何なら全てがネロがジークと“遊ぶ”ための大いなる口実を与えているようにさえ思えた。

 しかし、それを一笑に付すのも魔族の度量だ。

 ネロ・グリュケリウスが長年求めたもの。それは自分と対等かそれ以上の同志であることをイフリートもよく理解していた。

 闘争と誇示。それが自分たちの魂の根底に刻まれた、抗いようのない本能だった。

『では行くぞ』

「おう、頼むぜ相棒」

 もしかすると、俺たちは、元は二つに割かれた一つの存在だったのかもしれない。あるいは生き別れた双子だったのかもしれない。

 鉄のような融解、溶岩のような熔解を繰り返し、絶え間なく細胞が癒着し、自我が蒸着する。

 呑み込まれる恐怖はそこには無かった。無限に自分という存在が拡大しては、沈んでいく。

 冷める暇もなく皮膚が燃える、骨が燃える、血が煮える。絶叫さえ焦がされていく。

 幾度かの喪失と再生のなかで、確かなものだけを手繰り寄せる。

 そうして時間の流れさえ灰になりかけた頃――ネロとイフリートは、自分が新たな生命として生まれ変わったことを自覚した。






/






『くっく……人間の身体に如何ほどの価値があるものかと狐疑していたが――成程。なかなかどうして気味が良いじゃねえか』

 熱波のあと、私たちの前に在ったのは、煌めく炎の角と尾を揺らめかせる、ネロ先輩の姿だった。

 いや、ネロ先輩にしては背が高いし、制服の上に更に鎧のようなものも纏っている。袖から伸びる真っ赤な手足はイフリートさんのものだ。

 火傷痕は入れ墨に変わり、黒目と白目の虹彩が反転している。

 何より――存在そのものの威圧感が違う。ネロ先輩のものともイフリートさんのものとも違う、もっと強大で、もっと恐ろしい何かに思えた。

『特にこの昂り……。俺が千年間忘れていた熱き渇き!これこそが人間の心髄!おお、おお――情調は斯くも我が魔力を掻き立てるか!!』

 ネロ先輩はまるでイフリートさんのような口ぶりで、自分の姿を確かめて高揚していた。

「あれ、何……!?」

「恐らくネロとイフリートの完全同位態だ……!」

「つまり!?」

「合体だよー!!」

「が…………」

 フュルベールくんが言うと途端にチープな印象になるのは、もうこの際いいとして。

 とにかく熱い、暑い。太陽が目の前にあるみたいだ。さっきの衝撃で部屋中のものはすっ飛んで行ったし、何ならその辺で熔けてるし、スカートの端も焦げてるし。自分が汗かいてるくらいで済んでるのが逆に不気味だった。

 てゆか、その合体を防ぐために私たち、こんな所まで来たんじゃなかったの。

「“盟約”は……当事者以外の魔族、あるいは神や吸血鬼に認められることで初めて繋がりとしての形を得る。つまりこの場合、魔界でも割と高位にある俺があいつらの同化に立ち会うことで、その利点を見定め証明する必要がある。――要するに、殴り合いだ!」

「結局戦うんじゃ~ん!聞いてないよ~!」

「コレは言っただろ!」

 言ってたわね。相当投げやり気味に。でもまさか本当にそうなるとは思わないじゃん出来ればそうなってほしくないと思ってたじゃん。

 再びネロイフリート先輩……ああもうややこしいな、名前が欲しい。

「魔人ネロ、でどうだ」

「分かりやすい、採用!」

 魔人ネロ先輩は、揶揄うように尻尾を床に打ち付けて、狭い部屋に立ち込める熱風を更にかき回した。

『俺は今――お前と戦いたくてたまらねえぜ、ハーゲンティ!』

 主の咆哮に周囲の炎たちが呼応し、より一層紅く輝く。それは確かにネロ先輩の声でありながら、全く別の意志が働いているようにも見えた。

 一体全体何がどうなって、ここに居ない筈のネロ先輩があんなことになっているのか。それとも、あれが盟約とやらの力なのか。確かめているような時間も無さそうだ。

 私も(キャスリング)を握る手に力を込めた。

 魔人ネロ先輩が動くよりも速く、先にジークが例の鍵で取り出したアイテムを宙へ放った。これが大体いつもの開戦の合図だ。

 ジークがブン投げた一枚の鏡のようなプレートは天井近くで蒼く閃くと、私たちの頭上で傘のように大きく展開し、そのまま景色に消えた。

「ダゴンの鱗を使った、ある程度の炎に耐性が得られる筈だ」

「ダゴンって……この間の!?」

「いい機会だったんでな。頂戴しておいた」

 さ、さすが。ちゃっかり系男子。抜かりなさすぎるというか、無駄が無いというか。ああ、あの後ラプカ諸島のハンターギルドの偉い人にこってり説教されてる間にも、こいつはダゴンの身体の一部を魔法倉庫に仕舞い込んで素知らぬ顔をしていたってわけね。

『ハッ、そんなモンで俺たちの炎が防げるかよ!』

「わっ!」

 魔人先輩の尻尾の薙ぎ払いに、私は思わず身を屈める……が、いっぽうでジークはそれを真正面から受け止めていた。

「――ッ」

「ジーク、手……!」

「ふむ。そう上手くは行かないか」

 炎で出来た尾を放したジークの手から、焦げた手袋の灰がぼろぼろと零れ堕ちた。露わになったジークの皮膚も破れ、痛ましく血と脂が滲んでいた。

「あんたまさか、直に摑んで錬金術やろうとしたの……」

「まあ、まずはな」

 もう嫌こいつ。

「……あれ?」

 魔族特有の無茶な背中呆れていると――ふと、視界の端に、炎を跳ね返す歪な輝きが目についた。

 紅い蜃気楼を反射しているのは――さっきの虫型幻魔だ。

 フュルベールくんとベルナールくんが対峙したんじゃなかったのか。それとも、新しく湧いた?

 てか。てかさ。こういう状況に幻魔が居るって割と最悪なんじゃないの。確か、端的に言うと魔力を吸収するのよね???

 自称専門家たちの意見を伺おうと振り返ると、兄弟の姿は忽然と消えていた。

「は……!?」

 ちょっと。どうなってんの。

 どこ行ったのよあの子たち!!

 ジークは魔人ネロ先輩の相手で忙しそうだし、ど、どうしよう。と、とりあえず……喉が枯れてぶっ倒れる前に、ジークに報せなきゃ。




/




『ハーゲンティッ!!』

 ジークの魔法や魔道具すら待たず、魔人ネロは容赦なく、炎を全力のエネルギーにしてジークの懐へ滑り込み、打撃を叩きこむ。

「――“翡翠鏡”ッ!」

『その洒落臭ぇ道具も使い果たさせてやるよ!!』

 如何なる魔法も跳ね返すというハイエルフの盾を一時的に再現する魔鏡でさえ、魔人ネロの炎の前では容易く蕩けるアイスクリームに等しい。

 ――強化(バフ)の隙さえ無いか。

 先ほどのダゴンの鱗が成功したのは、たまたまか、ネロの慈悲によるものか。

『この身体も、ようやく言う事聞くようになってきたぜ』

 なるほど。調整中だったか。観察を怠ったことに自己嫌悪を抱く間にも、魔人ネロの猛攻は続く。

『オラオラどうしたァ!』

 普段ボクシングでジークに負けていたことへの意趣返しかのように、ネロは幾度となく、ジークの腹部や、ガードする腕に燃え盛る拳を叩きつける。

 殴られるたびにジークを襲うのは、痛みと、ともすれば避けてしまいたくなるような強烈な熱さだった。しかしここでネロの炎を避ければ後ろのザラやあの兄弟を巻き込むことにもなる、何より、コイツはそれすら読んで攻撃してくる筈だ。

 こんなことならマーニから生体錬成の技術をもっと詳しく聞き出して置けばよかった、と、ジークは胸中で一人ごちた。

(まずはこっちのターンを作る!)

 熱いとか痛いとか。そんなのは()()()

 腕が焼け千切れようが、骨が熔けようが構いやしない。

 ジークは重心を更に腰に落とし、細かくステップを踏んで、ネロを挑発する。防戦に徹しながらも最小限のジャブを繰り返し、ネロが苛ついて大振りになる瞬間を狙う。

(ここだ!)

 ジークの思惑通り、魔人ネロが拳を振りかぶった。突き出すように振り抜かれたそれを蹴っていなし、拳が引き戻る前に距離を取る。

『テメエ……』

「所詮は半人間だな。同化したのは間違いだったんじゃないか」

 そう吐き捨てて、煽り立てる。

 懐からフラスコを取り出し、まずは傷を癒す回復薬、速度の強化薬を割って自らの身体に染み込ませる。

(くそ、こんな時に人間態の不便を味わうとはな……)

 雄牛の姿なら恐らく耐えられるものも、人間に似せてデザインされたこの姿では、自分の身体を過信するのは悪手に繋がりかねない。

 さて――ジークの頭にあるのは、悪く言えばおよそ人道的ではなく――善く言えば魔族らしい計画だ。

 魔人ネロと接近で撃ち合い分かったのは、一つ、魔力はイフリートのものであり、到底敵わないこと。一つ、主人格(せいしん)はネロであり、それが無限の闘志を湧き上がらせ続けていること。

 恐らく追い込めば追い込むほど力を増すだろう。

 だが、それがネックであり、ジークにとってのチャンスと成り得る。だからジークは、所詮は人間だと言い放ったのだ。

 じり、と。

 狭い室内とはいえ再び距離が出来たことで、両者は睨み合う。実力はあちらが遥かに上だ。後手に回る真似だけは避けたい。行動を読まれないように、細心の注意を払え。

 ――まずは持っている“手”を明らかにする!

 ジークはわざと更に地面を蹴った。こちらの動きに反応して、魔人ネロが遠距離用の火弾の魔法を放つ。

 避けてたまるか。目には目を、火には火だ。

「お返しだ!」

 鍵倉庫から取り出したいつぞやの脳魔物の喉をぶつけて、火球を相殺。

 こいつも二回は持たないらしく、黒煙を上げながら灰となって床に降り積もり――その塵さえも再び焔を纏って散っていく。

「ネロ!そんな真似したら神経焼き切れるぞ!」

『いいンだよ!俺を――俺たちを、灰にして見せろ!!』

 再び魔人の跳躍、接近――と見せかけて、尾で身体を殴打される。

「が……ッ!!」

 鉄板のように蒸し上がった石壁に叩きつけられ、脳震盪を起こしかけたところを熱で無理矢理意識を繋ぎ留められる感覚がジークを襲う。

「倒れさせてもくれないか……」

『当たり前だろ。これは殺し合いじゃねえ。何ならテメエが死んでも、生き返らせて戦わせてやるよ』

 魔人(ネロ)はすっかり、この闘技場の主気取りらしい。

 鼻や口から出た血さえ、ここでは瞬く間に蒸発する。まるで自分の中にもう一人の炎の魔人が住んでいるかのように、あらゆる物質、感覚、時間の温度が上昇し続けていく。

 しかしそれでもジークやザラ、兄弟たちが生身で立っていられるのは、恐らくネロの言葉が真実だからだろう。

 本気で、殺し合いではなく闘争を望んでいる。もはやそれが盟約の為なのか、快楽の為なのか区別もつかなくなる程に。

 ――煽れば動きは読める。こっちには奥の手もある。

 それはいいとして。このまま攻撃を食らい続けるのも現実的じゃないな。まさか手袋が初手で焼かれるとは思ってなかったな……。結構苦労して作ったんだが。

 俺が今欲しいのは、魔法陣(シジル)だ。体表に触れた瞬間腕ごと燃やされるだろうし、有効なのは前みたいな地面か――いや、インク燃やされたら元も子もないな。シジルを書いたアイテムでも投げてみるか。それこそぶつかった瞬間燃えるわ。

「とりあえず試す!」

『うぜえ!!』

 案の定、ジークが放った紋章つきの指輪は、ネロの身体に触れることなく、目標に到達する前に普通に尾で叩き落とされ、燃やし尽くされた。錬金術を封じられた自分がここまで無力だったとは。ジークは自分の手持無沙汰に、感心さえした。

「やっぱり、(こっち)か」

 今一度、ネロを真正面から見据える。目を離すな。初心を自分に言い聞かせる。

 どちらともなく、軸足に体重を乗せて、一歩踏み出でんとしたその時、

「ジーク、あ・れ!!」

 ジークはザラの呼びかけで、思わずネロのストレートを避けた。どうやら今までザラは自分のことを呼んでいたらしく、相当……怒り心頭のようだった。今しがた灰になったものも含めて、ジークは後で、ザラにこっっってり絞られるだろうことを覚悟した。

 しかしネロの攻撃を躱して初めて、ジークもザラが言わんとしているモノに気が付いた。

 集中しすぎて今まで視界にすら入っていなかった。

 否、“こいつらはそうなのだ”。

 階段に現れた金のスカラベの幻魔が、部屋の天井やら隅に這い廻っている。

「ていうか兄弟どこ行った!?」

「わかんないよ~!!」

 ジークが必死に守っていた筈の、魔族のハーフだとかいう兄弟が見当たらない。

 ――あ、い、つ、ら~~~~~!!!!

 怒りのあまり瞬間的に血管が隆起する。神出鬼没だとは思っていたが、なんて最悪なタイミングで姿を消してくれるのか。

 感情に任せて頬を掠めたネロの腕を取り、力を利用して身体ごと引き倒す。ジークの再生したばかりの皮膚と肉が、あっという間に焦げ堕ちていく。こんなにも自分の骨を見たのは、後にも先にも今日くらいのものだろう。

(何故、幻魔が――そうか!)

 ジークの脳裏にアルスの言葉が甦る。

 “幻魔は魔力では倒せない”・“一時的に分解は出来るが、情報を吸収する”。

 兄弟が仕留めそこなったのか、あるいはグリムヴェルトが新たに放ったのか、出所は不明だが、要するに幻魔(こいつら)は現在進行形で、魔人ネロの魔力を諸に浴びているのだ。

 こういう時、魔族は不敵に笑うものだと、ジークは父・ヴィリハルトからも、その双子の兄である伯父・ヴィルベルクからも、祖父カホルからも再三教え込まれた。

「ふ――ははははは!!」

『……!?』

「うわでた」

 腹の底から、歓喜が湧き上がってくる。

 それは勝利のビジョンを前にした痛快な気分であり、運命の皮肉を理解した自嘲であり、熱さと痛みを忘れるための自棄でもあった。

 ――幻魔の錬成か。

 ジークは自己に問うた。出来るのか、と。失敗は有り得ない。

 ()()()()()()()()()|

 《・》()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 この俺が、人間風情の為に命を張るようにまでなるなんてな。

 体勢を整えようとする魔人ネロの股下を擦り抜け、スカラベ幻魔を一体、手に取る。

 瞬時に解析魔法を通し、幻魔の内部構造を把握。何もわからないという事が分かった。

 しかし――しかし、こと錬金術の天才であるジークにかかれば、その情報さえあれば十分だった。

 腕が再生した今、皮肉にもグリムヴェルトに与えられた術式のお陰で、この程度の錬成なら造作も無い。

「――飛べ!!」

 金の槍に錬成した幻魔を、魔人ネロ目掛けて放つ。

 元の姿でも羽根の代わりに短剣を仕込んでいたが、意志を持って飛ぶ以上軌道を操れないので投擲武器としては正確性に欠ける。

 ならば、自分が制御できる形に変えるまで。幸い、失敗反応はない。

『俺を舐めるのもいい加減に――』

 吼える魔人、しかし、その殺気は虚空を斬ったに過ぎなかった。否、確かに、槍と化した幻魔は灰になった。()()()()()()

『ぐッぁ……!!!??』

 灰燼は槍の輪郭を保ったまま分裂し、魔人の腹部を貫いた。

『な……に……しやがった、ハーゲンティッ!!』

 ネロが自分の身体から引き抜いて尚、槍は姿を保ち続けていた。

 ジークは間髪を入れず、もう一筋、二筋と幻魔をひっ捕まえては槍を錬成し、ネロの溶岩のような鱗の隙間に叩きこんだ。

『何で、燃やせねえ……!?ッ、そうか、親父が言ってた……!』

「理解できても対処できんのが、こいつらの腹立たしいところだ」

『こ、の、野郎ォォォォッ!!』

 渾身の八つ当たりが地面を砕く。火柱の旋風に巻き上げられながらも、ジークは壁を蹴って更に増殖する幻魔を回収し、次々武器へ変じさせていく。

 初めて味わったであろう幻魔の不可解な仕組みに突然万能感を取り上げられた魔人ネロは、次第にその炎を憤怒に染める。

 ――これじゃ勝てない。それが何に対する憤りなのかさえ判別出来ない程摩耗し、それでも尚、我武者羅に闘争心という燃料を魔力の炉にくべて、文字通りに魂を捧げて己の限界を越える。

『――“万象司る創世の紅蓮よ。”』

 その詠唱の一端と魔力の膨張を察知したジークは思わず、

(――しまった!)

 試合運びのミスを自覚した。

 そうだ、確かにこの二人の同化を防ぐためにジークは今こうして戦っている。

 だが、本人たちがそれを放棄してまで戦いに執着するのなら。

 人間の恐ろしさとは――土壇場にある、とジークはザラを通して認識していた。

 例えば、“死んでもいいから勝ちたい”。“どうなったっていいから力が欲しい”。

 九十九パーセントが愚かでも、残りの一パーセントで何もかもを覆すこの底無しの心の渇望こそ、魔族や神霊が人間に一目置き、深入りしない所以だ。

 ジークたちも感情がまるで無い訳ではないが、そもそもの優先度が違う。合理性・精密性を重視し、目的の為ならば自己を押し殺す。彼らのような存在にとって、予測数値の安定しない人間は虫けら以下のエラーであり、天敵でもあった。

「止せ!それ以上は戻れなくなる!」

 もはやジークの声はネロに届かない。

『“太陽の子らよ、砂城の同志よ、我が魂の真なる叫びを聞け。”』

 部屋を満たしていた熱が魔人ネロのもとに収束し、掻き消える。ネロが呪文を一節重ねるごとに、温度は下降し、霊安室はもとの冷ややかな暗澹を取り戻していく。

 ジークは咄嗟にザラを振り返る。

「ザラ、虫!捕まえろ!できるだけ多く!」

「え、え、何!?嫌なんだけど!」

「言ってる場合じゃない!!」

 自身も幻魔を手当たり次第錬成しながら、ザラを守るため疾走する。ネロが発動しようとしているのは大がかりな攻撃魔法だ、時間はある。

『“我が盟約に従い、立ち塞がる全てを、無の彼方まで燃やし尽くせ”』

 ネロの言葉とイフリートの古代語が重なり、砂の墓所に響き渡る。明らかにヒト型のものが発する音ではないそれがジークたちの耳に馴染む言語として知覚されるのは、一重に魔法の原始的な強さゆえだった。

「ちょちょちょジークさん、アレやばいやつ!?よね!?」

「任せろ、お前は死んでも守る」

「そーゆーこっちゃない!!」

「策はある」

 今回ばかりはこの幻魔に助けられた。

『灰になれえええェェェェッ!!!!』

 怒号とともに、爆炎の渦がジークたちを呑み込む。風を焼き、影を焼き、音を焼く。そこに存在する全てが細胞まで灰になる程度で済めば、まだましに思えた。

 地下の空間はまるごとに吹き飛び、無機質な焼け野原に成り果てた。城と砂漠さえ爆風の中に消え、まるで生命の息吹を許さなかった。

 ――それでも煙のなかで立ち上がる男が居た。

「ジーク!!」

「防ぎきったぞ……」

 煤だらけの手で金の盾を掲げ、自らの五体を誇示した。

 既に完成した錬金術の前に、魔人ネロの動きが停止する。

『どうした、ネロ!立ち止まるでないわ戯け者!』

 ジークが用意した奥の手。

 信じた友にしか通用しない。相手が人間たるネロだからこそ、ジークはこの手段に踏み切った。

『……イ……オン……』

 盾の面に錬成したのは、イスラの権能(ちから)をもとに創りあげた――たった一度だけ、人間界の風景を映し出す水晶。

 その屈折の中に浮かび上がった、眠る自分とそれを見守る弟の姿で、ネロは正気を取り戻した。

『あ……』

 蝋燭の灯のように。魔人は呆気なく鎮火すると、力なく頽れた。

「……だから言ったんだ」

 どこまで行っても所詮人間だと。絆によって己を失い、愛によって目覚める。

 それのなんと愚かで――美しいことか。

「……助かったぜ、ハーゲンティ……。弟のこと、忘れるとこだった」

「ひとつ貸しだ」

 変身(のろい)の解けた人間の青年が、ひとり、真っ白な眠りについた。






/






 憑き物が落ちたように安らかな笑顔で気を失ったネロ先輩の身体は、再び炎に包まれて煤になり、煤は透明な人形を模るように元のイフリートさんの姿を成した。

「……し……」

「死なん」

「良かった…………」

 まさかとは思ったけど、安心した……。

「助かった。これで通用しなかったらマジで殺すところだったがな。じゃないと俺とザラが死ぬ」

 魔人ネロ先輩と激闘を繰り広げたジークも、物騒なことを言いつつ満身創痍だ。ゴホゴホ咳き込みながら、魔法薬を火傷にぶっかけまくっている。うう、痛そう。流石のジークも顔を顰めている。

 イフリートさんはというと、目を見開いてむくりと起き上がると、何てことの無かったように首を鳴らしてストレッチをし始めた。

「……魔人イフリート、人間ネロ・グリュケリウス。お前たちの力、悪魔大公ジークウェザー・ハーゲンティがしかと見届けた。よってここに両者の盟約の契り、その成就を認める」

 ジークは大公らしい宣言をすると、イフリートさんの右腕に魔法の印を施した。更に魔法鍵で書類のようなものを取り出し、サインと判を記すと、イフリートさんにも同じ行為を促した。

「ち……最後の最後に人間の情で負けるとは。つくづく合理に欠ける生き物よ」

 イフリートさんもごちりながら、宙に浮く一枚の紙に文字を炙り出していく。ま、まるでお役所の書類提出。

 ため息交じりに調印を確かめたジークは書類を丸めて封蝋で閉じると、それをまた鍵の倉庫に仕舞い込んだ。

「盟約を破棄するのか?」

「いいや。この煩わしさも、千年味おうておらなんだ。今の俺には何もかもが新たな刺激に他ならん。暫く、ネロの身体が滅ぶまでは、酔狂に興じてやるわ。かっかっか!」

 さっきまで全力で魔法と魔法をぶつけ合っていた相手とは思えない快活さで、イフリートさんがジークの一瞥を笑い飛ばした。

「疲れた……」

「お疲れ様……」

「俺もちと息抜きが欲しい所よ」

 三人で、唯一残った霊安室の床に座り込んだ。イフリートさんの力が戻った証左なのか、日差しが熱い。

 イフリートさんはピンピンしてるけど、ジークに至ってはもう服も髪もボロッボロだ。あえて殺されなかっただけ、むしろ大変だっただろう。

 私はあんまり何もしてないな。ただただあの恐ろしい魔法合戦をワタワタしながら見守っていただけだ。

 虫獲りはしたけど。十年ぶりくらいに飛んでる虫追いかけたわよ。何で子供のころって平気で何でも触れたのかしらね。

「これで、ネロ先輩ももう心配いらいのかな?」

「うむ。少なくとも俺の心臓に蝕まれることはなかろう。あ奴も俺の魔力を必要としている、じきに扱いにも慣れるだろうよ」

「切っても切れない縁、なんですね……」

「くっく、奇運よなあ」

 そう言いながら、イフリートさんは私とジークを見比べていた。奇運、ね……。イフリートさんとネロ先輩も、出会うべくして出会った、運命共同体みたいなものなのかな。あと、“この俺”ってこういう人たちの間だと一人称みたいなものなの?

 戦闘の影響で上下にも左右にも暴力拡張された景色を虚脱感でぼんやりと眺める。

「さて――次はこっちか」

 魔人ネロ先輩の魔法を防ぐためにジークが錬成した金の虫幻魔盾から、手足が生えて、今にも逃げ出そうと蠢きだしていた。

 そうだ。あの兄弟も探さなきゃ。

「時に錬金術師とアンリミテッドの娘、アレは何なのだ」

「えーっと、普通の力では倒せなくて……」

「“情報”を核にしているらしい。俺たちは幻魔と呼んでいる」

「ふむ。俺の魔力が吸われた感覚がしたのはそのせいか」

 さすが魔人の王、ご理解が早い。

 ……てか、ナチュラルにアンリミテッドも看破されている!

「俺の城に価値無きモノは要らん。お前たちも長居する理由はなかろう」

 いやなよかんパート2。イフリートさんは徐に立ち上がり、指先に燃える魔力を灯した。

「感謝しろ。この俺が幻魔とやらともども、来た場所まで送り出してやろう。勿論、無傷でな」

 魔族が不敵に笑うとき。大抵ロクなことにならないというのを私は身を持って深海よりも深~く理解している。

 待ってください助けて、とジークに縋る前には、既に私の身体は浮いていた。

 イフリートさんの、自分を痛めつけたジークへの当てつけを疑う威力の爆炎とその爆風によって、私たちは幻魔と一緒に彼方までぶっ飛ばされた。






.

.

.

.

・勝ったッ!イフリート編、完ッ!


・Q.結局ザラは何してたの?→A.後ろでワタワタしてた


・Q.魔人“たち”の王って言ってたけど他の魔人は?→A.絶賛避難中です


・ジーク及びそのフレンズのガチバトルは常々書きたいなと思ってるんですがやるたびに毎回筆が遅くなるんだわ。キレそう。


・次回、“約束のアレ”。

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