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無限の少女と魔界の錬金術師  作者: 安藤源龍
3.双子とホムンクルスと、時々オトン。
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クリムゾン・ビーク・4




「それじゃあ、私はこれで失礼するよ。本当はそのイフリートってのにも会ってみたいけど……こっちはこっちで準備があるんだ。じゃッ、皆の旅路に幸多からんことを☆」

 そう言って華麗にウインクをして、イスラくんは私たちを砂漠の城の前に解き放って行った。

 イスラくんの術による転移は、確かに一瞬だった。

 瞬きひとつしたら、窓の外の景色は喫茶店から一面白い砂の世界に変わっていた。

 ――……んだけど。

「へっくっしゅん!!」

 いつぞやのヴィズのパレードとは逆の立場で、寒さに縮こまる私に、ジークが上着を貸してくれた。ありがてえです。

「陽は眩しいくらい出てるのに……砂漠って、暑いんじゃないの?」

 向こうを出た時はもう夜になろうとしていた筈なのに――見上げた空は真昼のように明るく輝いている。日差しを照り返す砂埃のせいか、青と緑をミキサーにかけてふっくら焼いたみたいな色だ。

 しかしそこにはあるべき温度がない。何なら前に魔界に来たときと同じくらいのうすら寒さがある。冷たい光線に晒され、悪い錯覚にでも陥っているかのような感覚になる。

「……ここの領主が、力を失っているからだろう」

 ジーク曰く、本来ならこの『暴夜の砂漠』は――領主であるイフリートさんの魔力によって千日間の灼熱のような昼と一日の極寒の夜を繰り返す砂漠地帯だそうだ。

「魔力の核たる心臓を失って、いよいよ砂漠の熱を保つことすら出来なくなっているんだ」

「急がなきゃいけないってことね……」

 私は、この広大な砂の海にたったひとつ、どんと構える神殿を見据えた。恐らく、あそこに。

 ……まあ、たぶん今すぐには出発できないんだけど。

 何故なら。

「ウ゛ォ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛ッッ!!!!!!」

「兄ちゃん!!しっかり!!」

 イスラくんの転移術の影響と急激な魔素(エーテル)差ですっかり酔ってしまったフュルベールくんが、さっきから豪快に胃の中のものを戻している。こちらも先ほどとは逆の立場で、今度はベルナールくんがお兄ちゃんの背中を優しく撫で続けていた。可哀想に……。

「……食べたもの全部出ちゃうんじゃないの……?」

「イスラの転移は相変わらず強引だな……」

「ねえホントさ、知ってるなら言ってよマジで。毎回なんだけど」

 何でジークはいらんことはなんでもかんでも口から出るのに大事なことは胸にしまっちゃうの?

 かれこれ二十分ほど。私たちは砂漠に到着してから早速休憩を余儀なくされていた。

 イスラくんの宣言通り到着までは一瞬だったけど、身体にかかる負荷が尋常じゃなかった。

 魔界に来たときのフリーフォールどころの騒ぎじゃない、内臓を直に鷲掴みされて投げつけられるような、拷問か処刑に近いものだった。それにも拘わらず真横で涼しい顔している男に無性に腹が立つ。

「言ったところで変わらんだろう」

「それを決めるのは私なんだよ!!覚悟とかあんのよこっちにだって!!ウォォーッ自分だけ酔い止め飲みやがって~~~!!」

「人間には問題無いものかと……」

「魔族でアレなら死ぬでしょ普通に考えて!!」

 ジークの襟首を摑んでゆっさゆっさと揺さぶりまくる。

 状況としてはさっきまでの私も似たようなモノだったのでフュルベールくんの気持ちは痛いほどに分かる。確かに説明している時間も無かったけども。せめて悪びれろや。

 イスラくんの術のことを知った時はまあなんて便利なのかしらと思うと同時に、何でジークは魔界と人間界を行き来するときに部屋から直接イスラくんの力を借りないんだろうとも考えたんだけど、当然だわね、毎度これじゃ身体が持たないもん。ラクしてオイシイ思いが出来る話なんてのは存在しないのね。

「ジークさん、ザラさん!!大変だ!!」

 珍しくベルナールくんが突然声を張り上げた。

「どうした」

 まさかと思い、私たちは兄弟のもとへ駆け寄った。

「兄ちゃんが……兄ちゃんが……!!」

 そこには、弟に背負われたフュルベールくんが、安らかに寝息を立てている姿があった。

「もう寝る時間だ……!!」

 いや何を血の気失せた表情してんのよキミも。

 どうやら全力で食べて全力で吐いたフュルベールくんは、遅い時刻も相俟って完全におねむらしい。子供か。

「兄ちゃん、体力使い果たすと突然寝ちゃうんだ。ご飯食べさせたら起きるけど……そうすると、今度はいつまで経っても寝ない」

 そう言うベルナールくんは、暗に私たちの指示を待っているようだった。

 このままあの神殿らしき建物に突撃すればイフリートさんには会えるだろうけど、もし幻魔に襲われたらベルナールくん一人じゃ大変だろうし、何よりこのポンコツお兄ちゃんを誰が運ぶねんということにもなる。

 しかも起こしたら今度はこっちが疲れてもあのテンションのままだと。何だその選択肢……。

「どうする。兄弟のこともあるし、今晩は野宿でもするか?」

「の……」

「何だ、怖いのか」

「こ、怖くはない、けど。一応、こう見えても魔導士ですし?旅の知識くらいはありますけど?」

 ヘルメス魔導学校では、プロの魔導士を目指すに当たって、最低限のサバイバル術を身に着けるための講習を受ける。

 特に魔物学科や封印科といった遠征が多い学科では、たとえ十代の女子供でもキャンプ苦手~なんて言っていられない。それこそギルドに所属する魔物討伐のハンターになれば、野営なんて当たり前だ。魔物学科では海上での訓練を受けることもあるそうだ。

 うん、なので私も当然、ある程度は教わってますけども。

 ……いざ急にやりなさいって言われると……あの……。

「……化粧品とか着替え持ってきてないし…………」

「…………」

「ごめんなさい嘘ですそんなこと言ってる場合じゃないですよねごめんなさい」

 ごめんなさい。魔族二人の信じられない馬鹿を見るような、街中でいきなりアツアツのコーヒーぶっかけられた上に罵詈雑言浴びせられたみたいな全力で“お泊り会じゃねえんだぞ”と訴えてくる超怪訝な視線に耐えられるほどの豪胆さは私にはありませんでした。そのくらい我慢できます。ハイ。

 重ね重ね申し訳ありませんでした。せいぜいタオルで顔拭いときます。

「とはいえ、こんなところで無防備に寝る訳にもいかん。俺が先にあの建物を見てくるから、大丈夫そうなら、中で休もう。イフリートの力が弱まっているなら、こちらに危害も加えられない筈だ」

「わ」

「おい。弟。こいつを見ててくれ」

「はーい」

 ベルナールくんに押し付けられる形で物理的に遮られて、私も行く、の“わ”しか言わせてもらえないまま、ジークはさっさと翻して神殿らしき低いお城へ向かってしまった。

「むう……」

 不服。そりゃあ人間界……てか、前のジークならいざ知らず、魔界でのジークなら何も心配することはないだろうけど。何ならこの場で一番危なっかしいのは私だろうけど。

「あ……」

 腕組みでジークの背中を眺めていると、そんな私の横顔を窺っていたらしいベルナールくんの気配を感じた。しまった。

「別に、ベルナールくんと居るのがイヤとかじゃないからねっ?」

「え、あ、うん……」

「……お兄ちゃん、重くないの?」

「む、昔からだから。慣れちゃった……」

 ベルナールくんは照れくさそうに頬を染めて、視線を逸らした。

 うーむ、こうして見ると見た目と言動がつくづく一致しないというか。この兄弟を見てると、ちょっと感じることがひとつある。

「なんか、ジークと雰囲気似てるよね~」

「そう……?」

「同じ魔族の血を引いてるからかな?」

「魔力が強いと……その、血が強いから……目鼻立ちが濃くなるって……」

「あ、そうなんだ。どうりで」

 アテナさんにジークが気に入られていたのもそういう理由かな。

 どうもこのベルナールくんのほうは特に、意志の強そうな目元の鋭さにジークの面影を感じずにはいられない。……と思ったけど。私の想像力が逞しすぎるだけか。

 金眼なら何でもジークに見えるのか私は。自分の盲目っぷりが恥ずかしくなってきたので今の会話まるごと無かったことにならないっすかね。

 ここまで一緒に過ごしてきたなかで分かったベルナールくんの性格、ジークには似ても似つかねーし。シャイの権化だよ彼。話しかける度に真っ赤になってフュルベールくんの後ろに隠れてしまうから、こうして面と向かって喋れるのは結構貴重な時間かもしれない。

「ベルナールくんは、もしかして私のこと、苦手だったりする?」

「そ、そんなことないっ。俺は……ジークさんとザラさんのことは……その、嫌いになんかなれない……から」

「そっか。よかった~。じゃあ、照れてるだけなのね。私と一緒かも!」

「……ザラさんも?」

「うん。私も結構~自意識過剰っていうか……自分でも分かってるけど、恥ずかしいのに敏感だから。シャイといえば聞こえはいいけどね……」

「お……俺も。わかってるけど、すぐ緊張する……顔赤くなるの、恥ずかしいって思うと余計赤くなるし……」

「あはは、ちょっとわかるな~その気持ち」

 焦りながらも一生懸命言葉を紡ごうとするベルナールくんに、ちょっと親近感を覚える私だった。親近感どころか何なら癒されてしまった。

 やっぱ人間(じゃないけど)、親しみやすいギャップがあって然るべきなのよ。

 フュルベールくんのイビキをBGMに、ベルナールくんと二人でのんびり話し込んでいると、ギャップの無い男が帰ってきた。一応オバケ嫌いだったっけ。発揮されねえ~。

「魔物も幻魔も居なかった。静かなものだ」

「じゃあ、平気かな?」

「ああ。行こう。正直俺はもう日差しで目が潰れそうだ。このままじゃ皮膚も焦げるに違いない」

 そーゆー魂胆だったのか。何よりもジーク自身が一刻も早く屋内に入りたかったわけね。朝と昼に弱いもんね。

 と、いうか、魔界の暗くて涼しい気候を考えると人間界は随分暑くて過ごしづらかったろうに。よく頑張ってたな。

「ベルナールくん、歩ける?」

 ベルナールくんは相変わらず赤い顔でこくこくと頷いた。私たちはジークの先導に従いながら、不慣れな砂の街道をゆっくり進んだ。




.

.

.




 見渡す限りの砂漠のど真ん中に、ひょっこり現れたように頭を覗かせる神殿……のようなお城……のような……ともかくこの平べったくも高い建造物。

 ケーキのように何層にも積まれた階層と屋根を、金や朱色の異国然としたぐるぐる巻いた奇妙な装飾が彩ていて、もとの素材はわからないほどだ。

 周囲には草木も生えず、地面には砂に埋もれた石のタイル画のようなものが、風に撫でられるたび浮かび上がってはまた隠れていく。

 ジークに案内されなかったら、どこが入口か出口かも判別できない平面的な作りは、ともすれば墓石のような冷静さがあった。

 ジークに誘われた扉もない狭い侵入口からは、地下に向かって長い階段が伸びていた。また下か。そんな愚痴すら惜しんで黙々と降ち続けると、やがて、美しい光景が目に飛び込んできた。

「うっ、わ…………」

 四隅の柱だけで支えられただだっ広い空間には、更に奥へ続いていそうな扉の前に王座にも見える石の腰掛がぽつんと置いてあるだけで、およそ民家のような生活感とはかけ離れた内装だった。

 だけど――ここにはそんなものは必要ない。この部屋(くうかん)に訪れて、それだけがハッキリとわかった。

 壁一面に描かれた、夜空を飛ぶ星々と鳥の画。それらはひとつひとつが、小さな宝石が集まってできているものだった。常に淡く発光する(キャスリング)の先でそれらを照らし出すと、ひとつひとつが応えて笑うように、けらけらと、きらきらと煌めてみせた。ここでは、時折天井から零れてくる砂の欠片さえ、白金の雨に映った。

 権力を誇示するかのような下卑た趣味かもしれない、それでも、人間と自然がともに歩み寄って生み出した美しさの前では、人間は言葉を忘れるものだ。

「鬼焔城……だったか」

「うん。古代の水門を改造した、魔人イフリートが眠る大きな寝所」

「その割りには誰も居ないみたいだけど……本当にここでいいんだよね?」

「恐らく。イスラ……セエレは、望んだ者を真実の場所へと運ぶ魔族だ。アイツがそうだと判断したなら、ここが本拠地で間違いない。何なら、奥に居るんじゃないか」

「ジークわかんないの?」

「反応が弱すぎるか……あるいは、ここまで目立つ居城を構えるほどだ、余程の自信を以て魔族の探知から逃れる隠匿の結界を張っているんだろう」

「え……じゃあ……私たち、これからイフリートさんのお膝元で寝ようってことになる……んだよね……?」

「何を今更」

 やば。全然考えてなかった。扉一枚挟んで、魔界の砂漠くんだりまでやってくることになったまさに元凶(っていうのはちょっと可哀想か……)と寝床を共にするとな。何じゃその状況!

「大丈夫。死にはしない」

「大らかが過ぎるな~」

 砂まみれ――とはいえ外に比べれば何倍も快適な冷たく固い石の上に、ベルナールくんがよっこいしょとお兄ちゃんの身体を横たえた。お疲れ様です。

「ひとまず、そいつが起きるまではここに留まるとしよう」

「わかった。……兄ちゃんのせいで、ごめんなさい」

「気にしないで。私も疲れてるもの。ね、ジーク」

 私が目配せをすると、ジークが珍しく、ばつが悪そうに頭を掻いていた。男相手には素直になれないのね。

「じゃ、そういう訳で。お前ら兄弟はその辺で寝ていろ」

「うん。おやすみなさい」

 兄弟をようやく落ち着かせることが出来たと思ったら、ジークは今度は私の手を引いて広間の隅っこへ向かった。

「え。私たちは違うの?」

「お前をこんな床の上で眠らせる訳ないだろうッ!!……だろうッ!!……ろう……!!」

「フュルベールくん起きちゃうから」

 声がデカいんだよいちいち。しかも場所柄すっごい響くじゃん。

「俺が無策で敵の懐に潜り込むとでも?」

「まだ敵と決まった訳じゃないと思うんだけど……」

「敵だ敵、どうせ魔族なんてのは最終的に殴り合いで解決するものだ」

「脳筋~」

 とか言いながらジークがいつものドヤ顔で鍵を取り出すと、お馴染みの演出効果と共に、次から次へと、クッションや毛布、果てはランタンや帳といった調度品まで現れた。

「何コレは……」

「ザラの寝床だ。なかなか良い心地だと思うぞ」

 あの。そのめっちゃいい生地を張ったでかいクッションの形を整えて並べるな。天幕を吊るすな、どうなってんだソレ。おい。今すぐそのイイ感じの間接照明と観葉植物とアロマを止めろ。

 完璧にここ一角が王の寝所になってんだろうが。

「……俺ので良ければ、着替えもいるか?」

「いらない……。ジークはどこで寝るの?」

「えっ?」

「えっ?」

 ジークが自分、私、王の寝所を順番に指し示す。え?やめてその質問を想定してませんでしたみたいな空気。

 私もジークの指差し確認を順番に真似する。互いに無言で。アナタ、ワタシ、ココ?

「冗談だ。見張りをするに決まっている」

「……」

 なんかキモいなコイツ……。言い知れぬ突然のキモで背筋がやられた。私の汗腺返して。

「フュルベールくんとベルナールくんには何か無いの」

「無いが」

「……じゃあいい。私だけ特別扱いなのヤだし」

「おいそこのインチキ兄弟!!お前らもこっちで寝ろ!!俺が世界一快適な寝床を用意してやる!!」

 そこまでしてか。そんなにか。なんなんこいつの原動力。底知れないわ。

 ――で。

 結局四人で列車のシートのようにクッションの上に並んで座り、数枚の毛布を共有することにした。

 一緒に横になるのは恥ずかしすぎて多分鼻血が詰まって翌朝には窒息して死んでるだろうけど、これならまあ、まあ。私たちの眠りも浅くなるから、ジークも休めそうだし。

「ジークは枕の刑」

「膝でも構わんぞ!」

「静かにしてて」

 私は頭をジークの肩に預け、少しのあいだ眠ることにした。フュルベールくんとベルナールくんも、とっくに寄り添って寝息を立てていた。座っているのに寝相と寝顔がシンクロしてて面白かった。

「あ~……やっぱり……お風呂入りたい……」

「用意できないこともないが……」

前向きに検討すな。




.

.

.




 ついさっきか、それとも随分前か。

 夢も忘れるほどの深い眠りについてから暫く――私たちは、地下から直接揺さぶられているような地鳴りで目が覚めた。

「わ、わ、わ……!!」

 ジークたち魔族は、三角の耳を抑えながら、その轟きに耐えていた。

 自然が放つ咆哮に似たそれは、よく聞くと男の苦悶の声の形をしていた。

 それは悲しみを訴えているような、憤りに身を任せているような。痛みというにはあまりにも苛烈な遠吠えだ。壁画がまるで怯えているかのように、びりびりと震えあがっている。

 鼓膜が張ったような細い耳鳴りを余韻に残して、魔人の叫びが止んだ。

「大丈夫か」

「う、うん……ジーク達こそ、平気だった?」

「だめかも〜」

「キーンってする……」

 私たち人間の三倍の身体能力を持つという魔族たちが、頭を抱えてふらついている。私でさえ鐘の中でぶん殴られたような感覚だ、彼等にとっては耳のなかに直接、五メートルくらいの羽虫を放り込まれたようなものじゃないかな。

「今のが……ロロくんが言ってた魔人の呻き声?」

「そうみたいだな。……更に下か」

 ジークが扉の向こうを睨んだ。ネロ先輩同様、心臓に呪いを受けた魔人イフリートが、その苦痛を放つ慟哭。

 ……きっと今頃、人間界でも同じようにネロ先輩が苦しんでいるのだろう。

 私たちはすぐに支度を整えて、イフリートさんがいるであろう扉の奥へ進むことにした。

 流石に夜明けほどまでは眠っていなかったみたいだけど、フュルベールくんもすっかり元気を取り戻したようで、行くよと声を掛けるまでベルナールくんを引き摺って部屋をランニングしていた。休んで正解だったな……コレを……夜中の眠気MAXの時にやられていたらと思うと……。

 柱に守られた玉座の背を守るようにして閉じていた黄金の扉の向こうには、来た時に予想していた魔人の姿はなく――またしても地下へと階段が伸びていた。

「あれーココが王様のお部屋かと思ったのにね~」

「……お前たち、知ってたんじゃないのか」

「えーっとね……」

 またしても睨むジークと睨まれる兄弟の図であった。私はもうこの際気にしないわよ。もともとはこの兄弟の案内で魔界行きも決定したんだったわね。全然機能してないどころか真っ先に体調崩してたけど。

 彼等も恐らくグリムヴェルトと同じで――これから何が起きるかだけは知っている、そんなところじゃないかと、私は目星をつけている。

 段を一つ降りると、暗い地下からまるで死霊が這い上がって来たかのような冷たい風が足下を通り過ぎて行った。

 更に数段降りれば、寒風の抱擁は容赦なく私たちの身体を襲った。

「こっちはもっとひんやりしてるね……」

「寒いだろう」

「ちょっとだ……えっくしゅん!!ふぇ……っぷしょん!!」

 我ながら単純すぎる反応で申し訳ない。鼻水出なくて良かった。

「無理しなくていい。風邪引くなよ」

「ありがとねぇジークちゃん……」

「ババアしっかりしろ」

 結局またジークくんの上着を借りることになっちゃったわねぇ。いつも私のこと心配してくれて本当に優しい子ねぇ。居た堪れなさ過ぎて病弱な祖母を演じてしまう私であった。

 ていうかジーク、寒さ苦手なはずなのにピンピンしてるな。あれか、()()()()()()がダメみたいなこと?

「フュルベールくんとベルナールくんは?」

「ぜんぜん問題ないよー!!」

「兄ちゃんが元気なら俺も平気」

 既に環境の変化に弱い、というイメージがついてしまった兄弟だけど、今回は無事なようだ。元気にサムズアップしてから、私たちを追い抜いて、子供の飛行機ごっこのように両手を広げて階段を掛け降りて行ってしまった。バカだなあ。ベルナールくんはお兄ちゃんの奇行に着いていくのに精一杯そうだ。

 ……そういえばあの二人、何歳くらい離れてるんだろう。

 どっちも私と同世代みたいだけど、ベルナールくんがこれだけフュルベールくんにべったりってことは……年子か、逆にもっと離れてるとか?

「ひいっ!変な虫!」

 下で騒いでいる兄弟の背中をぼんやり見ていたせいか、自分の手元を疎かにしていた。

 いつの間にか、手の甲に手の甲と同じくらいの見たこともないやたら金ぴかのでっかい虫が乗っかっているじゃないの。

「おま……ヌメヌメの繭素手で触ってたろ」

「アレは虫そのものじゃないじゃん!今のは虫じゃん!」

 そして嫌なことを思い出させないでちょうだい。

 虫を振り払うと、ブーンという低い羽音と――それに重なるようにして、再びイフリートの咆哮が耳を劈いた。先ほどより閉じた廊下では音の衝撃が直に伝わるのか、天井から何度も金の虫と砂の欠片が落っこちてきた。

「またか……!」

「苦しそうだね……」

「痛いよーって感じだね。心臓にギュワァー!ウワァー!ってくるからビィヤァー!!ってなる」

「ネロ先輩もだけど……イフリートさん、だよね?辛いなら、何とかしてあげたいな」

 大げさにリアクションしているフュルベールくんは置いといて。

 ここまで来ても妨害のひとつもないなんて、まるでイフリートさん本人は――誰かに助けてもらいたがっているみたいじゃない。ここにいるから、誰かと、そう求めているようにさえ聞こえる。

「……痛っ!」

 耳を抑えていた筈の手に、血が滴っていた。

 不思議なことに、その新鮮な赤を見ると、人間は突然痛みを感じて自分のものだと認識する。

 何かに噛まれたような二つの穴から、湧き水のように血が流れている。思ったよりも深いみたいで、じくじくと脈打つたびに痛みが走る。え。いつ。どのタイミングで。

 そうか、さっきの、と、思い当たる原因が落ちているであろう場所に視線を落とすと、今まさに、私の靴の爪先が()()()()()()()()()()()

ぎゃ、と叫ぶ前に、見慣れた硝子の切っ先が虫を真っ二つに切り裂いた。

「二人とも、下がって。そいつら……幻魔だ!」

 ベルナールくんの警告を皮切りに、つい今さっき、闇に閉ざされた天井や壁からぼろぼろと落っこちてその腹を見せていた宝石色の甲虫たちが、一斉に私たちへ向かって飛び掛かってきた。

 よく見ると固い外皮の下からは、同じく黄金や瑠璃で出来た短剣の羽が伸びている。

 鋭く発達した顎には太い針のような牙が生えていて、私の手の傷の正体は、どうやらあれによるもののようだった。

「幻魔が居るってことは……!」

「いよいよ奴の気配がしてくるな」

 いつもならアルスに先陣を切ってもらうところだけど、今日はミストラルとよく似た武器を持ち、幻魔たちに精通しているらしいフュルベールくんとベルナールくんという心強い味方が居る。

「おれたちが全部ぶっ殺すから、防御魔法(シールド)でも張っててー!」

 フュルベールくんにしては物騒な物言いに、彼なりの本気を感じた私とジークは頷き、互いの周囲に気を配りながら、前方の兄弟の動きに集中することにした。余計なことは、しない。

「ベルちゃんいっくよー!」

「オッケー、兄ちゃん!」

 二人は改めて、美しい得物を構えた。

「魔硝弩アル・オーロラ――」

「魔硝鉈ジル・ブリザード――」

「「その輝きを、解き放つ!!」」

 少年たちがその刀身を撫ぜると、透明な湖の底をそのまま掬い上げて時間を止めたような流麗な刃に、光の粒が収束していった。

 ――ああ、やっぱり。

 甲虫幻魔を次から次へと穿ち、斬り伏せていく鋭利な芸術品を操る二人の姿に、アルスの面影が重なった。

 やっぱり、あれはミストラルと同じなんだと、確信を得た。

 兄弟は二人で一つの生き物のように、互いの目となり手足となり、瞬く間の隙さえ無く的確に動いていく。

 息が合っているなんて生易しいものじゃない。訓練されたサーカスでも見ているかのように、フュルベールくんの死角からやってくる虫の突撃をベルナールくんが払い落とし、ベルナールくんの打ち漏らした虫をフュルベールくんがすかさず追撃する。互いの体重すら利用して、位置を交換する。まさに離れ業だ、私たちの出る幕がない。

「ふむ。毒はないか」

 兄弟が斬り伏せた幻魔の死骸のアーチを潜り抜けながら、ジークがそんなことを言った。(私たちはフュルベールくんの提案通り、ジーク持参のマジックアイテムで物理と魔法の障壁を張って、匿われながら移動している。)

「ど、毒っ?」

「いや……ゲバラが使っていた蟲には、内臓に毒を持つ種類も居てな。キョウも苦戦していたのを思い出した」

「あんたタイミングが最悪ってよく言われない?」

「確かに……」

 まあ幸いにも、ジークの言う通りこの幻魔にはそれらしき機構はないみたいですけども。胸の奥にしまっときなさいっつの。またひとつ自分の短所が明らかになって良かったわね。

「あーも~!数多すぎっ!やる気ないんじゃないのーっ!?」

「嫌がらせとしか思えない……!」

「が、頑張って、ふたりともっ!」

 私は、せめて応援だけでも、と思い、兄弟二人に俊敏の魔法を付与する。

 狭い場所で余計な攻撃を挟む隙はないけど、これなら幻魔にも影響はないだろう。雷を纏った二人は私に牙を見せて不敵に微笑むと、

「よぉーっし!超やる気出てきた!畳みかけるぜ、弟者ーッ!」

「前出過ぎるなよ、兄ちゃん!」

 敵をばっさばっさと薙ぎ払い、それぞれの武器に吸収させながら、階段の更に下へと突貫していった。




.

.

.




「いえーい、ゴール!」

「やったね兄ちゃん!」

 甲虫幻魔の猛攻を凌いだ先には、上のものよりも更に大きく、豪奢で頑強そうな二枚扉が待ち受けていた。とにもかくにも、まずは無事にここまで来られたことを感謝しよう。

「二人とも、ここまで守ってくれてありがとう」

「なんのなんの。騎士として当然のコトをしたまでですぞ」

「いや騎士じゃないけど……俺たち、その為に来てるから」

「ジークも、お礼!」

「……助かった」

 よしよし。脇腹を突いた甲斐はあった。

「カッコよかったよ!兄弟息ぴったりだね!」

「ウェヘヘヘ」

「ウェヘヘヘ」

 色々対照的な兄弟だとは思ってたけど、照れ笑いは同じなのね。

 追手がいないことを確認して、私たちは扉を開けて、その先の部屋へと侵入した。今度こそ苦しむイフリートさんの姿がありますように。

 しかし。

「……居なくない?」

 灯かりが無いのでよくわからないけど――ここももぬけの殻だ。人や生き物の気配を感じない。

 部屋の中心にある魔法陣を囲むように石を積んで作られた無機質な空間に在るのは、たったひとつの――棺と、それを警備しているかのような東西南北の燭台。

 私の(キャスリング)でぐるりと壁を一周照らし出してみても、奥へ続きそうな道も扉も見当たらない。

 まるで……この棺を守るためだけの霊安室じゃない。そう思うと背筋が冷えた。ジークは大丈夫かな。

「ん~。この中かな?」

 苦い顔をする私とジークを知ってか知らずか、フュルベールくんが容易く棺の表面を叩いてみせた。

 いやそれ誰もがそうかなとは思ってもあえて口にしなかったんですけど。魔族の空気読まなさぢからはすごい。

「………………」

「開けちゃう?ベルちゃん、そっち持って」

「待て。不用心だ。お父さんそういうのよくないと思います」

 ダメだ、ジークが恐怖でキャラ崩壊起こしてる。さっきから孫になったり騎士になったり忙しいわね君ら。

「だってさ~他にないよ。てゆか、ここから魔族の気配するじゃん。ジークさんも分かるでしょ、流石に」

「万が一ミイラが出てきたらどうする。ザラが可哀想だろう。保障できるのかお前らは。ザラの心臓の無事を。」

 私を巻き込むな私を建前にするなクソザコと言いたいけど男の子には知られたくない弱点(プライド)もあるだろうからここはぐっと我慢してあげよう。いやもう滅茶苦茶な力で手掴まれてるんすけどね。

「別にミイラでもいいじゃん。死んでる相手に何でそんなビビってんの」

「ビビってないしお前はもっと死者に敬意を払え!罰当たりめ!」

 やいやい騒ぐ変態とおバカは無視して、ベルナールくんが私に近寄って、顔色を窺うように覗き込んできた。あら綺麗な瞳。

「ザラさん、怖い……?」

「え。う~ん……棺開けるの自体は……お墓暴いてるみたいで気が引けるけど。そこに誰か居るのは確かなんでしょ?」

「「うん」」

「じゃあ……もう……仕方なくない……?」

 開けるの私じゃないし……。

 多数決の結果三対一、ジークの敗北が決定した瞬間であった。

 兄弟二人は、砂の塊のような棺の蓋に手をかける。

 ジークはというと、何かを悟った表情で、目を閉じたまま私の前に立ちふさがっているのだった。気持ちは嬉しいよ……。

 が、魔族二人がかりでも棺はびくともしない。

「ちょ……コレどっから開けるの?」

「あ。違うベルちゃんこれ縦だわ」

「ええ……」

「ごめんなさいね~っと」

 結局あちこち触って試した結果、一番辺の短いところから、車のトランクの容量でがばっと押し上げるかたちで砂の棺はその中身を露わにした。

 砂埃が流れ落ち、舞い上がった煙の中から浮かび上がったのは――

「居ないんかい!」

 覚悟していたものは特に出てこなかった。

 御大層に安置してあったにも拘わらず、棺の中身は空っぽだったのだ。安心したような、拍子抜けしたような。

 念のため底のほうを覗いてみると、……どうも、隅っこのほうに一瞬煌めくものがあった。

「あ、待って!何かあるよ!」

 また虫じゃないといいけど。そんなことを祈りながら、棺の角に眠る“何か”に手を伸ばした。

 戻した掌に乗っていたのは、どっしりとした真鍮製の……物体……両手に収まる食器のようなオブジェだった。形はジョウロっぽい、けど。

「……カレーとか入ってるやつ」

「ランプだ、ランプ」

 私たちを人身御供に捧げ、背後から無事を確認したらしいジークがいつの間にか横にいてツッコミを入れてきた。ああ。ランプ。中に油を入れて、この細い口から、ロウソクの芯みたいのを出して火を灯すらしい。はえー、またひとつ賢くなったね。

「……なるほど」

「何がなるほど?」

「随分ベタなものだと思ってな」

 勝手に納得したらしいジークは私の手からランプを軽く取り上げて――その表面を、きゅっきゅと音が鳴るくらい袖で強く擦った。

 なに?拭いてんの?そんな疑問をぶつけるよりも早く、反応が現れた。

 音に反応したのか、はたまた汚れが落ちて機能が回復したのか。

 原理はわからないけど――ジークが持つランプから、蓋を押し上げるほどの煙が溢れだした。

「わ、わ、なになに!?」

「けむけむ~!!」

「兄ちゃん、吸っちゃダメだよ」

 煙はもやもやと空気に乗って床へ零れていく。次第に煙はひとつの大きな川になり、気流の柱へと姿を変えていった。やがては、金銀の星々をまき散らしながら、大男の輪郭を描き出した。

「ゴホッゴホッ、何用だもう〜……俺は今死地の間際だ。願いを叶えている暇などないわクソ戯けが〜……」

 煙の扉から這い出るようにして、炎を纏った魔人が、とうとう私たちの前に現れた。

 私たちの軽く倍はありそうな筋骨隆々の体躯。真っ赤な肌に、全身に刻まれた煌めく黄金の入れ墨。鱗に覆われた爬虫類を思わせる太い尾と角。肌とは対照的な、青い炎と一体化した髪の毛が、この不気味な部屋の全貌を眩しいほどに照らしていて。

 本当に、まるで、炎を擬人化したものがそのまま存在しているようだった。自然に人の形を与えたとしたら、これくらいの威風を持って顕在するのだろうと、ただ一目見ただけで納得できる。

「暴夜の魔人王、イフリートと見受ける」

「左様。この俺こそが暴夜の砂漠を支配し、炎の魔人たちを統べる王・イフリートである。して、俺の眠りを妨げるお前は何者だ」

 イフリート。この人が――ネロ先輩と心臓を交換させられた、魔界の炎人。

 ジークにも引けを取らない威圧感と、そうあることが全く自然とでも言うような不遜な態度、そして何より圧倒的な魔力に――私と兄弟なんかは、イフリートさんがひとつ呼吸をし瞬きをするたび、ひりついた緊張に固唾を呑んでしまう。

 この中で唯一魔族としての威厳を持つジークですら、かなり慎重に、イフリートさんと対峙しているのがわかる。

 イフリートさんには、ふんぞり返っても傅いても、ぶっ殺されそうな迫力があるのだ。

「グリモワの都から来た、錬金術師のハーゲンティという」

「あ〜……それはまた遠くから来たものよな……だが生憎、俺は体調が優れぬ。出直して……む、ハーゲンティ。ハーゲンティ……!!」

 ジークの名前を聞くなり、それまでご機嫌斜めで気怠そうにしていたイフリートさんの目が輝きだした。

「待っておったぞ、ジークウェザー・ハーゲンティ!!」

 そう言ってジークを灼熱の抱擁で歓迎すると、焼け焦げたジークの背中をばしばし叩いた。煤だらけの真顔にちょっとウケてしまった。最近雷打たれたり服だけ溶かされたりしてるからつい。

「となれば、そこに居るのはザラ・コペルニクスか。はっはっは、斯様な人間がよもや本当に魔界へ渡って来るとは。なかなかに愉快ではないか。これではネロも退屈を知らぬ訳よ」

 イフリートさんの数奇の目は、私にも注がれた。何か、魔族のひとに会うたびに笑われてないかしら、私。一応会釈はしておきますけどね。

「ネロ先輩のこと、わかるんですか?」

「奇妙な事になぁ。俺も自ら欲して得た力ではないが……ネロの魔力(しんぞう)を通して、夢のように人間界のことは視ていた。実に小さく愚かではあったが――ハーゲンティ、お前に会う度、この心臓は熱く脈打っていたぞ」

 イフリートさんは不敵に笑って、自分の胸を鷲掴むような仕草を見せた。いやソレ聞きようによっては第三者からの意図しないカミングアウトみたいになってませんか。

 心臓を交換したことで、むしろ二人は感覚を共有しているような状態にあるらしい、というのはジークや兄弟たちからも聞いている。

 だからこそ、今が危険なんだとも。

「では、大方の事情は把握しているな」

「然り。俺はネロとの儀式以来、十数年の短き眠りについていた。だがそれもつい昨夜までの事よ。そこいらに居る幻のような魔物どもに叩き起こされて、せっかく忘れていた苦痛に苛まれておったところだ」

「ふむ……」

「やーっぱりね」

「当たりだったね」

 えーと。つまりこうかしら。

 魔界の砂漠にグリムヴェルトないし幻魔出る→例の力を使って『ネロ先輩とイフリートさんの呪いが暴走する』という事象(イベント)を引き起こす→イフリートさんが苦しむ→ネロ先輩も引き摺られて苦しむ。

 みたいな??まさかフュルベールくんとベルナールくんが言ってた通りだったとは……恐れ入るわ。

「このままではネロが俺の力に溺れて力尽きるか、ネロの弱き心臓が俺の呼吸を止めるか、あるいは両者共倒れよ」

「だが俺達が来た。必ず助ける」

「頼もしい限りだが――お前とて魔界の領を配するもの。それもグリモワの錬金術師ともなれば、無償の奉仕とはいくまい」

「俺たちにとっての対価は、貴殿らの問題の解決そのものだ」

「ほう。これは異な事を。しかし――ふむ、そうか。そうであったな。――友の為か、錬金術師」

「……」

「良い。俺の前では、人間を友と呼んでも許そう。誓って、嗤うことはしない。事実、ネロの心はお前を掛け替え無き友だと認めている。所詮は俺もその人間に呪われた身だ。お前に恥じ入られては、俺の立場も危うくなるというものだ」

「……感謝する、イフリート」

「くっく。若き魔族よ、斯くも面白き生も常にはあるまい。俺もあの魔物たちも、お前の因果に巻き込まれただけと見える。であればこの身体の不自由も、物語の彩りとしては事足りよう」

 ジークの躊躇いすら目ざとく拾って、イフリートさんは満足げに問答を終えた。

 私はなんかよくわからんかったけど、ジークが怒りもせず静かに言葉を待っているところを見るに、イフリートさんという人は尊大に構えながらも、それに相応しい人物であるということが窺い知れる。偉い僧侶さんの説法を聞いているような、そういう含蓄がある。

 問題は。これからどうするか、なんだけど。

「それであの……どうしたらお二人を助けられますか?」

「実はな、娘。これが難しいことではないのだ」

「えっ?そうなの?ジーク知ってた?」

「……今、二人の関係は呪いで結ばれている。しかし闇雲に解呪だけを行っても、心臓が元に戻る訳じゃない。むしろ、繋がりを絶ってしまえば二度と互いの身体に干渉できなくなるだろう」

「そして。この呪いは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()(()()()()()())()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、という条件で成立している。ならばそれを覆せば良い。分かるか、娘」

「うーんと……じゃあ、イフリートさんとネロ先輩の関係の在り方が変わればいい……みたいなことですか?」

「うむ。まあ及第点をやろう。つまり、だ。俺とネロが同格の存在になれば万事解決と相成る。であれば方法は一つ、“盟約”だ」

「盟約……?契約とは違うんですか?」

 聞きなれない言葉だ。……とは言っても、私だって魔族との契約についてもそこまで詳しいわけじゃない。そこらへんは召喚士や降霊術士の専売特許だ。そんな私の困惑を察してか。

「契約は取引だ。我々魔族や天界の神霊、あるいは人間界に居る下級魔導存在どもが、対価に見合った力を人間に提供する。あるいは力に見合った生贄を要求する。利害の一致のもと、互いが欲求を満たす道具となる。だが、盟約は違う。……では何が違うか、小娘に分かるかな~?」

 イフリートさんが講義を披露してくれたのはいいんだけど……なんでちょいちょいクイズ出してくんの……。意外と愉快な人だな。

 むむむと悩む暇もなく、私の思考はフュルベールくんの激突とそれを追ってきたベルナールくんによって遮られた。

「盟約はー、損得ナシの約束だよ!結婚みたいなもの!」

「あ、おい。俺の前で堂々とカンニングとは太い餓鬼よ」

「け、結婚みたいは言いすぎだけど……条約も対価も必要ない、俺とアナタは友達として無性に助け合いますよっていう対等な協定だよ」

 なるほど、それで盟約とは言い得て妙……。

 え。私そういうのも全くナシにジークに力貸してもらってんじゃん。怖。これから何を要求され……そうか……その代わり魔界への嫁入りがほぼ確定しているのか……どうしよう……何とか踏み倒さないと……私の人生があのハイテンションに飲み込まれてしまう……。

「そーすると魔族と人間両方の力使えるんだよーおれたちとおんなじなんだー!!」

「に、兄ちゃん……しーっ!」

 そしてサラッと自分たちの正体がバレかねない発言をする兄弟であった。あー。そういう感じなんだ。だいたい理解したわ。

「……良いのか?」

「ネロのことならば心配は要らん。既に了承は得ている」

「ネロと話せるのか?」

「愚問だな。共に身体と魂、魔力を分けた者同士。もはや一心同体だ。故に俺が是と言えば是、俺の言葉がネロの言葉よ。何より、これ以外に方法は無い。俺たちに呪いを掛けた術師そのものを殺してやりたいところだが、そのような暇もない」

 私はジークと顔を見合わせる。この強引さは確かに似ていると。

 俺のモノは俺のモノ、お前のモノも俺のモノスタイル。

 それくらい同化が進んでいるのか、もともと似てるから今まで平気だったのか。

「えと……じゃあ、その盟約っていうのは。具体的にはどうやって結ぶものなんですか?」

 ジークも懸念したように、ここにはネロ先輩本人が居るわけじゃない。いくらイフリートさんとほぼ同化していると言っても、二人のあいだで交わすものなら、実際の儀式や魔術が必要になるのでは。

 イフリートさんは私のその質問を待っていたと言わんばかりに、意気揚々と胸を張って――髪の炎を一層燃え上がらせた。

「娘。締約とは――常に第三者に対して効力を発揮するものだ。わかるな」

「まさか……」

 嫌な予感がした。

 昨夜……というか、さっきの眠りにつく前のジークの言葉を思い出す。

 その不安感は今まさに、ジークとフュルベール・ベルナールくん兄弟の瞳孔が開くことで、現実になろうとしていた。

 部屋じゅうがやけに暑く感じる。冷や汗がこめかみを流れた。

「――グリモワの大公よ。我らが焔の魂、その結合をお前に見届けてもらうぞ!」

 砂漠に降り立った時に予想していたような噎せ返る熱気が、私たちを包んだ。






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・イフリートさんは炎というより砂漠の自然そのものを司っています。なので正確には“熱”あるいは“太陽”属性。ジークたちみたいなのは(悪)魔族(とはいっても最近は悪さをしなくなったので魔族を自称するようになった・人間界では相変わらず悪魔扱い)で、イフリートさんのようなひとは魔人。

他にも悪霊、死神、悪神、妖怪、悪鬼、羅刹、夜叉、夢魔、魔羅など、同じ魔界でも国によって生息している人種にも差異があります。ちなみにこっちにも吸血鬼がいて、同じように世界を管理しています。人間界でキョウたちが戦っているグウェイ系と呼ばれる妖異魔物は、上記の妖怪や羅刹たちの眷属です。ちなみに悪鬼は人間から魔界に堕ちた存在で聖人の対になってます。しかしその条件は魔族判定なので結構ガバガバです。


・更に更に余談。魔界には800年前の人間界で英雄として讃えられた伝説の騎士王が悪鬼となって暮らしています。奥さんと子供たちと一緒に。平和に。ヨカッタネ。


・まだ続くんですホントすみません。

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