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無限の少女と魔界の錬金術師  作者: 安藤源龍
3.双子とホムンクルスと、時々オトン。
134/265

クリムゾン・ビーク・1.5

(別に読まなくてもいい部分なので1.5)




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 昼間、兄の友人たちと遊んでもらったことによる心地よい疲労に満足したのか、イオンはいつものように絵本の朗読をせがむこともなく、ネロの腕の中で早々と眠りについてしまった。

 友人(あいつ)らもずいぶん律儀な性質をしているものだ、とネロはひとり感心した。

 自分と同じ色の髪を梳いてやると、まるで幼い頃の自分がそうされたかのような温もりが返ってきた。

 勿論、ネロの記憶に、家族から頭を撫でられた後悔などない。だがそのことを()()()、イオンに八つ当たりするのでは、ネロは自分の心の檻のなかから解放されることはないだろうと悟っていた。

 初めて弟を抱き上げたとき、不思議な気持ちだったのを覚えていた。

 たった四年で、どうしてあんな、うごうご蠢いていただけの肉の塊が、歩いて、喋って、自分を兄と呼んで駆け寄ってくるようになるまでなるのだろう。

 どうしてあんな、ベビーベッドに掛けた指に精一杯に縋られて、それだけで涙が零れたのだろう。

 ネロが“炎魔人の心臓”の呪いを受けたのも、いまのイオンほどの年齢のころだった。あのときの母親は、ネロを産んだ女性とそうでないほう、どちらだったか。

 それさえ曖昧なころから、ネロは、父と対立する地方民族の人権団体――その一族や、更に団体を支援する政治家に目の敵にされていた。

 父・レヴァンの活動を牽制する人質として、あるいは宿敵の忌み子として、一族はネロを攫うと、里に伝わる禁術で、召喚した魔人とネロ、双方生きたまま無理矢理に心臓を抉りだし、移植した。

 一族が再現したかったのは、八百年前から今もなお燃え続けているという、原初の吸血鬼を封じる永遠の火刑だった。

 しかしそんな代物を用意できるだけの力があるのならば、一族は迫害の憂き目にに遭うことのどなかったのである。

 ならば、と目をつけたのが、“生きているあいだじゅう燃え続けているモノ”――すなわち、炎魔人イフリートの身体だった。一時的な召喚だったため、イフリートは人間界に留まらず、ネロの心臓を得た彼がどうなったのかは誰も知る由もない。

 だが、当事者であるネロだけは――自分の身体が脈打つたび、血液が沸騰するたび、神経が焼けるたび、皮膚が焦げるたび、実感していた。

 もはや運命共同体となった相棒(イフリート)は、どこかで自分と同じく苦しみながら生きていると。

 この顔の火傷痕こそは、十四年間、ネロがイフリートと共に刻んできた、生の証明である。

 ネロは、イフリートと意思を疎通したことなどない。どこかの儀式用の舞台で目が覚めたら身体が燃えていて、彼に会ったことさえ無い。

 それでも、確かな温度とともに在り続けた奇妙な絆があった。この世でネロにとって真に家族と呼べるのは、言葉を交わしたこともない魔人と、幼い弟だけだった。

 指先で振れた弟の頬が自分の掌よりも冷たいことに安堵して――ネロは自分の鼓動に集中した。

 まだ、大丈夫だ。まだ“彼”は在って、自分には――まだ弟を守れる力がある、と。

 深呼吸を繰り返すと、瞼が重くなってくる。まだほんの子供が眠るような、夜の浅い時間だが、たまには健康的な睡眠も悪くない。

 自分の部屋に戻るのも億劫で、寄り添っていた弟のベッドでそのまま瞳を閉じる。朝になってイオンがどんな顔をするか、想像しながらゆっくりと夢のはじまりに溶け込んでいく――

「――テメエ、どこから入りやがった」

 イオンを起こさないように、猫のような静けさで、ネロは身長に窓辺へ近づいた。

 窓の外にあった人影はカーテンを揺らす風とともに、いつのまにか部屋の中に侵入していた。

 ベッド横の小さなランプでその全貌は測りがたいが――差し込んだ月明かりが、確かに角と翼と長い尾の輪郭を床に黒く描いていた。

 不審な有翼人はこともあろうに、穏やかなイオンの寝顔を指先で撫ぜていた。ネロの視神経に、一気に火花が走る。

「こんばんは、ネロ。君も相変わらずそうで何よりだ」

「……見るからに胡散臭くて助かるぜ。俺に何か用か」

「用も用だとも。今日はとっておきの贈り物を持ってきたんだ。受け取ってくれるよね」

「灰色の肌に角と翼――ハーゲンティが言ってた、幻魔の親玉か」

 父親や友人たちの話で、ある程度のことは把握していた。

 レヴァンのほうは一時期、ザラの追っかけらしい青年を新種の魔物・幻魔を操る張本人だと勘違いしていたが、後にジークやキョウや証言で、目の前の合成獣(キメラ)のような人物こそが真犯人であると認識を改めている。

 ネロも同じく情報だけを記憶していたが、まさか自宅で遭遇、いや襲撃してくるとは。なるほどネロの人質としての特性は未だ健在のようだった。

「イフリート!」

 心臓に掌を翳し、脈に召び掛ける。いつからか、ネロは魔人の魔力を意のままに出来るようになっていた。それも魔人と長らく魂と身体を共有していた賜物だ。

「テメエはここで殺す」

「怖いなぁ。だけど、君に出来るかな」

 グリムヴェルトがイオンの襟首を摑み掲げて見せた。

 ――挑発のつもりか。焼く相手くらい選べる。

 ネロはグリムヴェルトという的を睨みつけて、照準を合わせるために精神を集中させた。

 焔と化した右腕を振りかぶった瞬間、部屋の扉が開いた。

「ネロ坊ちゃま、いらっしゃいますか――」

 扉の隙間から現れた住み込みの女中であるモルガンが、小さく悲鳴をあげて、手に持っていた蝋燭を落とした。ネロの意識はそちらに奪われる。

 がしゃん、と燭台が床に叩きつけられた音でイオンが目を覚ました。カーペットの端から、炭の臭いが立ち上る。グリムヴェルトはその“思わしい結果”に、満足の微笑みを零した。

「おにいちゃま……?」

「イオン坊ちゃま!!」

「動くな、二人とも――!」

 隙だ。

 三者の世界から自分という異物がかき消えたその瞬くような空白の時間に、グリムヴェルトは隙を見出した。

 グリムヴェルトが指を鳴らせば、賽は投げられる。あとは降りかかる災厄のルーレットが、赤か黒か、どの目を刻むのかを見届けるだけで良い。幻界に打ち捨てられた数々の事象の中から、最も有り得なかった可能性が選択される。

 それは――“炎魔人の心臓の暴走”という形の確率を引き寄せた。

 ネロは血の代わりに、鉄のように熱い炎を吐き出した。

 そこでようやく、思考の行き場を、弟とそれを抱き上げるメイドから、グリムヴェルトへ切り替えた。

「ッ――テ、メエ……!」

「私自身は君に対して何も出来ないから、安心してくれよ」

 瞳孔が、鼻腔が、毛穴が、細胞が、痛いほどに熱い、熱いほどに痛い。イフリートの超常の力に、初めて恐怖を覚えた。

 止めろ、という訴えさえも、熔けて、焦げて、黒煙へ変わる。灰燼さえも火花を散らして、温度が上昇する。その永久の火力の源は何だ?自分だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 もはや部屋じゅうを包む灼熱の煌めきと自分の区別がつかない。

 それでも不思議とネロは、そこに存在していた。心だけは氷のように、ネロと(イフリート)の同調を受け入れていた。

 それとも、精神(こころ)まで魔人に蝕まれたから、俺はこんなにも冷静でいるのだろうか。

「貴、様……俺の身体に、何しやが……った……!!」

「魔人の心臓を持つ少年、君は自らの炎の中で―魂の形を保っていられるかな?」

 もう一度指を鳴らして、奇妙な怪人は奇術のようにその姿を眩ませた。

 あとにはただ、ヒトの形をした災害と、逃げ惑うメイドと子供が取り残された。

 蜃気楼のなか、モルガンが気丈にもイオンを抱え、燃え盛る部屋から脱出を計るのを見届けて、ネロは膝をついた。






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・今回も長くなるぜ!

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