ザラと雪の皇帝・2
「カ、カミロ……これ、どうしたらいいの?」
相変わらず神出鬼没なカミロだが、どうやら助けてくれるらしい。
ジークとアルスどころか、目の前のカミロ以外の何もかもが見えない銀のヴェールの中で、私は不安を呑み下すように唇を噛んだ。
「なーに。吹雪はスグ止むぜ。問題なのァその後」
「あと……?」
そしてカミロの宣言どおり――目的を果たした手品のように、吹雪の幕が上がり、その脇で控えていた演者たちを舞台に送り出した。
氷の世界と入れ替わりで、人型の魔物が出現した。
それも一体や二体じゃない、橋の上で私とカミロを取り囲むように、十数体の群れが、既に犠牲になってしまったらしい人々の亡骸の一部を貪りながら、観察するようにこちらの様子を窺っていた。
「ま、魔物……いつの間に!?」
「元人間だ」
カミロの冷ややかな言葉にはっとする。
そうだ。人型の魔物なんかじゃない。獣人の姿に、制服に、仮装に、正装に、鎧姿に。
今日じゅう、新帝通りでずっと見かけていた人たちそのものだ。
「え……じゃあ……あれって、まさか」
「人間が人間を食ってる」
「嘘……」
青く、生気の無い顔をして。目から鼻から口から血をだらだらと垂らし、言語を取り上げられたかのように呻いているあの人たちが――もしかしたら家族かもしれない、もしかしたらさっき隣にいたのかもしれない、同じ人間を、喰っているなんて。
ヴィズの空気の寒さのせいではなく、ただただ血の気が失せていく。
その中でも、数体の元人間魔物に覆いかぶされて無残にも内臓を食い荒らされていた人が――覚束ない足下で、徐に立ち上がった。同じように、死体のような表情で、
『肉―肉肉肉肉肉肉ニクニクニクニクにくにくにくにく2929292929ゥ゛ーーーーーー!!!』
そう喚きながら、襲いかかろうとする姿勢のまま、のっそのっそとこちらに歩み寄ってくる!
「ウギャアーーー!!こっち来るーーー!!」
「聖人キック!!」
『オゴァァーーー……』
しかし歩く死体は、カミロのリーチ短めの一蹴によってやってきたほうへ押し戻される。
が、特にダメージは無かったのか、またゆらゆらと立ち上がって、私めがけて歩き出す。
それが目の前の一体?一人?だけならともかく、周囲の人?魔物?たちまでもが、何かに気づいたかのように私だけに標的を絞って行進し始めた。やばい、あの速度とはいえ追い込まれたら――私はカミロの腕を取ってどこへともなく駆け出した。
「おーおー、モテる女は辛ェなァ」
「な、な、なにがどうなってんのよ!これって……ゾ、ゾンビ……てやつ……!?」
「正確には――“ウェンディゴ憑き”だ」
「な、なにそれっ??」
「この辺りにはウェンディゴって精霊が居てな。そいつは吹雪と共に現れ――人間を自分と同じ人食いにしちまう。そんで、食われた人間も同じく人食いの化け物になるって寸法よ」
「……も、元には……戻せないの?」
「戻せる。その為にオレ様が来てんだからよ。少しは考えろよなァ」
吹雪が晴れた通りに出ると、そこはとっくに華やかなお祭りの面影を失くして、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
鮮やかな飾り付けは無残に引き裂かれ、地面には雪と紙吹雪がドロドロに踏み潰されている。靴の後が何層にも重なっていて――大勢の人が逃げ惑ったのであろうことが窺えた。
そこらじゅうから悲鳴と血飛沫が上がり、リビング・デッドたちが騎士団に剣や槍で薙ぎ払われるたび、遅々とした動作で起き上がる。
二人に囲まれれば三人に増え、三人に囲まれれば四人に増える。早く逃げろ、こっちだと号令していた人が、次の瞬間には部下に喉元を噛み千切られる。
凄惨な光景に足が震えた。だめだ、ここで呆けちゃだめだ、思考を止めるな。
「……っそうだ、ジークとアルスを捜さなくちゃ……!」
「あいつらは先に逃がした。今頃王宮のほうに居るぜ」
「えっ!!もしかして私、最後?」
「あー。その~……アレだ。ちと利用させてもらった」
「ああそうですか……」
今の変な間でだいたい把握しました。囮か。私を囮に使う気満々だったのか、最初から。私に何かあったら私の男が黙ってないわよ!(今日イチダサい。)
というか、あの吹雪の中で突っ立ってただけなのに結構時間経ってたんだな……。
「てか、何でカミロは平気なの?」
「オレはこの通り天界側なんでな、ウェンディゴの攻撃にはちょいと耐性がある。どうせこんなこったろうと思って出張ってきて正解だったな」
王宮を目指すべく、カミロと共に新帝通りの彼方を確かめる。
――私は即座に踵を切り返して、ゾンビたちの行軍目掛けて駆け出した。
「小娘!どこ行きゃがる気だ!?」
「子供が居たの!助けなきゃ!」
エルフ族の男の子が。両親を呼びながら、ウェンディゴ憑きと化したパレード観覧者の人混みで逃げ惑っている。理由はない。ただ目についただけ。
だけど目を覆いたくなるこの惨状の中で、それが唯一正気を保つための行為にさえ思えた。
「チッ……―っとにオメーら親子はよォ!」
カミロが何やら悪態をつきながらついて来る気配を感じた。
私はがむしゃらに、全運動神経を総動員して、襲いかかるウェンディゴ憑きの魔の手を既のところで躱していく。
私にこんな集中力があったのかと驚くほどに、どのタイミングでどう避ければ良いのかが分かる。
そうやって、屈んだりジャンプしたりを繰り返して、ようやくエルフ族の男の子のもとに辿り着いた。
「お、おねえさんは、普通の人……!?」
「そうだよ。君は、怪我はない?」
小さな手が、私が伸ばした手を握り返してくれた。
「怖かったね。もう大丈夫よ」
「ありがとう、おねえちゃん……」
「ここは危ないよから、お姉ちゃん達と一緒に行こう」
男の子を引き摺り出すようにして、ウェンディゴ憑きの群から連れ立つ。
「でも、パパとママが居ないんだ……!妹も……」
「……」
私を引き留めようと裾を引く男の子に、咄嗟に言葉を返せなかった。ここに居ないということは。それは――いいや、希望を捨てちゃいけない。
「きっと王宮に避難してる。オマエも来い」
「ほんと……?パパとママに、会える?」
「オウ。あそこは王様が守ってんだろ。だったら大丈夫だ」
ちょうど私が男の子を励まそうとしたのと同じタイミングで、カミロが横から割って入った。カミロは男の子を肩車して、見たこともない笑顔を見せた。子供には優しいらしい。
「うん!カーネリアン様、とっても強いんだよ!」
「よし。寄り道しねえからな。行くぞ!」
私たちは頷きあい、ウェンディゴ憑きたちが演じる地獄を突っ切った。
「おじさん、くさい!!」
「ウルセー!叩き落とすぞクソガキ!」
この状況で泣きださないなんて、このエルフの男の子もずいぶん頼もしいみたいだ。
カミロの頭上でも気丈に振舞うこの子に勇気づけられたお陰で、走りにくい雪原も、そう長くは感じなかった。
.
パレードが下ってきた道を延々駆けあがった先の王宮には、既に城下のウェンディゴ憑きから逃れた人々が集まっていた。
急場で設えたらしいテントの下に、次々と怪我人が運ばれていくのが見える。
逃げ伸びてきた人たちは寒空の下で肩を寄せ合い、鎧姿の騎士から毛布やスープを受け取っていた。これが、さっきまでお祭りに浮かれていた町の姿とはとても思えなかった。
エルフの男の子の家族も無事に見つかり、私は自分の連れを捜すことにした。カミロの話では、それとなく誘導してここまで逃がした人たちの中に姿を見たということだ。
そして案の定、早速見つかった。
目立つ赤髪と長身が全速力で城門までやってきて、私にハグという体当たりをお見舞いしてきた。ぐふぅ。
「何でお前はいつも一人になるんだ!!普段はいくら無視しても構わんが、せめてああいう時はちゃんと耳を傾けてくれ!」
「ごめんなー俺たちがついていながらこんなことになるなんて~!怖かったよな、寒かったよな~!!ごめんよザラ~!!」
「う、う、こっちこそごめんて……。ジークの声はほんとに聞こえなかったんだよう。アルスも、お互い無事だったんだからさ~……」
年上の男子二人に詰め寄られ、叱られ泣かれ。相変わらずお兄ちゃんが二人いるみたいで居た堪れない……。せめて一人ずつ面会形式にしてほしい。
「あんまし嬢ちゃんに文句言ってやるなよ。借りたのァオレだ」
ここでようやくカミロ登場。そうだよ、全部このおじさんが悪いんだ。アルスとは久しぶりーと挨拶を交わすも、ジークには思いっきり睨まれているこのおじさんが。本当に殺せそうな視線だな。
「……あんたは」
「オイオイ。命の恩人に向かってその態度ァねえだろうよ。魔族の坊ちゃん」
「……まさか」
ジークが何かを思い出したのか、青ざめた表情で私を振り返った。そのまさかです。
魔界と人間界を行き来した際の魔力酔いによるマヌシャ熱の件で――意識を失っていたジークは、知らない間にカミロに助けられている。
私からも大まかに、カミロという人があなたを看病してくれたんだよ、ということを伝えてはある。
「オレは聖人カミロっつーもんだ。ま、今更礼をしろだなんてケチくせえこたァ言わねえけどよ。誇り高い魔界の大公がそれでいいのかねぇ」
どこからともなく取り出した酒瓶片手のカミロのせせら笑いに、ジークがどんどん冷や汗をかいていく。
「せ…………聖人……だと…………?」
またしてもジークが私を窺う。そういえばそこの所は特に紹介してないか。別にどうでもいい情報かと思ってたので。
しかしジークには違ったらしい。カミロの正体を知るや否や、雪で濡れるのも厭わずに、がっくりと膝をついて俯いた。
「天界人に借りを作るとは……ジークウェザー・ハーゲンティ、一生の不覚……ッ!!!!」
そんなに。かくなる上はこの身を持って、とまで言い出しそうな気迫で悔しがるじゃない。
「何だよ。相手がどんなヤツでも助けてもらったのは事実だろー?」
「オレらは知ったこっちゃねーけど、魔族からしたら天界人ってのはメンドクセー商売敵みたいなモンらしくてなァ」
「ヌ゛ゥオオオオォ…………」
ジークがさっきまで目にしていたウェンディゴ憑きのようなうめき声を上げている。そんな事情があったとは……あの時は必死で何も考えずにカミロ連れてっちゃったなあ……。
でもジークは少しくらい他人に借りを作るくらいが丁度いいと思うよ。じゃなきゃホントに死んでたかもしれないし。
「ま、オレも元はただの人間だ。それに、病人をどーにかすんのはオレのライフワークでな、感謝されこそすれ恩義に感じられるようなこっちゃねえよ。それこそテメーらの打算と一緒にすんじゃねえってハナシ」
カミロにそっと肩を叩かれ、ジークはそのギザギザの歯を食いしばりながら、どうにか自分の中で整理をつけたように、ゆっくりと立ち上がった。
「――では、改めて。俺はジークウェザー・ハーゲンティ。マヌシャ熱の件と――先ほどは、ザラが世話になった。これでチャラだな」
「だァからいいっつーのに……魔族はそういうのマジ気にするよな~……」
特に握手などは無く、二人はそこそこ長い間を経て再会を果たしたのであった。
魔族にとって約束事とか義理人情とかは、意外と大事らしい。
「さて……ガキ共を送り届けたことだし。仕事の続きと行くか……。この国の王ってのァどこに居やがる?」
と、カミロが気怠そうに王宮の敷地を跨ごうとしたときだった。
「ここだ」
「カッ……オリバーくん!?」
またしても真後ろから気配も無くオリバーくんが現れた。心臓に悪いのでやめていただきたいです……。
カミロはド失礼にも、オリバーくんの真正面で仁王立ちになり、若い王を品定めするようにその姿をしげしげと観察した。オリバーくんの後ろでは、従者のエルフのお兄さんが険しい顔つきで携えた槍に手を伸ばそうとしている。
「オウ、オメーがカーネリアン陛下ってヤツか」
「いかにも」
オリバーくんもそんなカミロを諫めることもなく、むしろ負けじと胸を張っているようにさえ見えた。わざわざ名指しして、しかも一切遜ることさえしないおっさんにも寛大な王様だ……。
「ほ~ん……ヴィズの王って言やぁ、陰気なジジイ三人だった気がするけどな」
「それは恐らく五十年は昔の話だな、御仁。成程、見た目とは違う年の取り方をしているらしい」
「まーそんなトコだーな」
「――して。私を直接呼びつけるとは。余程の解決策を有しているとお見受けする」
オリバーくんの鋭い眼光が、カミロを捉える。こういう時の表情は大人顔負けというか、ジークと同じで関係のない私まで今から処刑でもされるような気分になる。
解決策――今のこの異常事態について、オリバーくんも苦戦しているということなのか。人間を、同じ人間を食らう生きる屍、化け物に変えてしまったウェンディゴという精霊の所業に。
「ウェンディゴ憑きに噛まれたヤツにはコイツを飲ませろ」
カミロはそう告げて、懐から取り出した青い小瓶をオリバーくんに向けて放った。オリバーくんは自分の眼前でそれを掴むと、ただ一言、
「――わかった」
最後までカミロに向かって言い切ることさえ惜しんで、マントを翻してテントのほうへ足早に歩き出そうとした。
そのあまりにもあっさりした承諾の声に、思わず私と従者のお兄さんがずっこけながら身体を乗り出してしまう。
「そ、そんな簡単に信じちゃっていいの!?」
「そーですよ陛下ァ!何なんすかコイツ!」
「何を言う。この神聖なる神気、察するにさぞ霊威あるお方だ。生憎私の魔力では神か精霊か、推し量ることは難しいが――明らかな高次元の存在がそうせよと言うのならば、従うべきだろう」
「だったら、コイツがこの騒動の張本人かもしれねえだろ」
「確かに……!」
「オイ」
この胡散臭さと態度だったら、普通そっちを疑うわね。確かにカミロはよーく目を凝らしてずっと見てれば何となく清浄な感じがしないでもないのは事実なんだけど。
本格的にカミロを捕縛しようと槍の切っ先をじりじり揺らして迫る従者さんを、オリバーくんが視線で抑えようとする。
「槍を下げろ、ケネス」
「あんたは国ひとつ、オレはあんたの命ひとつ預かってんだ。コイツが本当に神霊やら魔族だったとして、普段人間の社会に加わりもしねえ連中のことなんざそう簡単に信用できるかよ」
「私の判断だ」
――あの綺麗なエルフのお兄さんはケネスさんていうのか。
やばい。黙って話を聞いていたジークとアルスでさえ、険しい空気を察して警戒し始めている。ここで揉めてほしくない。
カミロの薬は本物だろうから、ソレを早く届けてあげてほしいのもある。弁明するのも面倒くさそうなカミロ、それを狙うケネスさん、更にそれを睨みつけて今にも怒鳴りそうなオリバーくん、更に更に剣呑な雰囲気に釣られてやってきそうな私の連れ二人。男ばっかじゃねえか。
――深呼吸だ。胸にたくさん酸素を送って、何とか心臓さんをバックアップしてもらう。私は他の男どもの制止や困惑を振り切って、カミロくんとオリバーくんの間に割って入った。
オリバーくんが握っていた薬を取り上げて、ケネスさんたちにもわかるように高く掲げた。
「それなら、私が証明しますっ!」
四の五の言っている暇はない。目の前に苦しんでいる人がいるなら、文字通り毒だって飲んで見せる。
案の定、野郎どもは素っ頓狂なマヌケヅラを晒して
「は?」
なんて呆けている。
「わ、私はたぶんウェンディゴ化してないけど――これを飲んで無事だったら、カミロのこと信じてくれますか?」
主にケネスさんに対して。目だけで牽制し合うこと数秒、ケネスさんはやっと槍を降ろしてくれた。
「――いいぜ」
よかった。
私は小瓶の蓋を抜き、持つ手をそっと傾けた。何だか柑橘っぽいいい香りがする。これなら飲んでも大丈夫そうだ。大丈夫じゃなくてもいいんだけどね。
中の液体を舌で受け止めようと、あ、と口を開けた瞬間、ケネスさんが、「もういい」と声を張り上げた。
私は黙って小瓶をオリバーくんに渡し直した。ケネスさんはばつが悪そうに頭を掻いていて、それをオリバーくんが微笑みながら見守っていた。
「悪かった、悪かったよ。あんたの仲間を疑って」
「お前も甘いな、ケネス」
「うるせえ。こんな女の子に身体張らせてんじゃねえよっ」
「言われてるよ、カミロ」
「ハッ。テメ~が“オンナノコ”なんてタマかよ」
何後ろ二人も頷いてんのよ。
私はカミロが毒になるようなモノを持ち出すなんてこれっぽっちも思ってなかったけど、ケネスさんの目にはそれがどうも仲間の潔白を証明する勇気ある行動に映ったようだった。それで納得してくれたのなら何より。
「ま、ちなみにソイツはただの人間が飲んだら一瞬で神経やられるから、フツーに止めようとは思ってたけどな」
ふふ。死ね。
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・カーネリアン陛下が狼に乗ってたのは、その辺の馬だと陛下にビビって暴れてしまうためです。
・ちなみにジークも動物に嫌われがちです。ザラとアルス逆に何もしなくても好かれる。三人とも動物は好きです。
・ウェンディゴ憑きではありませんが、その昔アトリウム王国でもアンデッド大量発生事件があり、治療術士・聖魔道士ギルドが大活躍した記録が残っています。その時の英雄が現在の魔法庁長官です。
・ほんと男ばっかで申し訳ない。




