ドレイン・キャッチャー
人の気も知らずに。
私は向かいの廊下の角で、たった今頭の中を支配していた男が見知らぬ小柄な獣人男子に絡まれているのを発見。
一緒に歩いていたビビアンとフェイスくんを後ろ手に、ただちに柱の陰に隠れてその様子を窺い、会話を盗み聞くことに専念する。
「ジーク先輩!写真集買いました!」
「勘弁してくれ……」
「すごいカッコ良かったです!ボク、ずっと先輩に憧れてて……こういう形で先輩のグッズが手に入るなんて思ってもみなかったから、すごく嬉しくて!どうやって撮ったんですか!?」
「いや、俺は撮影なんかしてない。アレは馬鹿どもが勝手に無断でー」
「だ、だとしてもっ、あのネロ先輩たちに慕われてるなんて凄いです!」
「……もう行っていいか」
「ま、待ってください!あの、もし良かったら……このあととか……あ、空いてる時間があったら、お茶とかしてほしいです……っ!」
柱を掴む手に力がこもる。
そんな。私でも誘いにくいことを易々と口にしたわねあの子。何かファッションがパンクロックっぽいし、何?バンド感覚で応援してる的な?
ていうかジークはこのあと私と予定があるんです。
何なのよ、どいつもこいつも。ジークの何がいいワケ。
態度も声もデカいし横柄だし、変態的な凝り性で神経質なくせにヘンな時に大雑把だし。諦めの悪い粘着質で暑苦しいし。笑いのツボは失礼だし。アイツの最近の趣味、アイシングクッキーよ。しかもスパイスとかチーズの入ったやつ。
「何してんのザラ」
「監視だけど」
「躊躇なく言い切ったな」
ごめんねビビアン。私には諜報員としての任務があるの。賄賂として懐に入っていた飴をあげると、ビビアンは快く受け取ってくれた。
「最近……色々あって。出来るだけ目を離したくないのよね……」
そう。これは事実。別にバザーで意外と人気があることを知って以来、嫉妬に駆られてるとかそういうんじゃなく純粋に心配しているの。私の深い慈悲の成せる技なの。
「おー。なんか似たものカップルになってきたな。ストーカーをストーキングする地獄絵図じゃん」
「黙って。……あ!また知らない娘に話しかけられてる!何なのよ!誰よあんた!シッシッ!」
「……よく付き合うようね。こんなのと」
「ほっといて行くべ」
「じゃあね、ザラ。また明日」
ビビアンとフェイスくんの冷たい視線を背中に浴びながら、私はジークの観察を続けるのであった。これじゃまるで私がジーク大好きみたいじゃないの。違うからね。とか誰ともつかぬ相手に言い訳していたらジークがどっかに行ってしまった。しまった。
あれっ。ていうかビビアンとフェイスくんも帰った?マジ?
「ザラ。さっきから何してるんだ」
「ジジジジッ」
「死にかけのセミのマネ?」
「違うわ!」
突然一人で取り残された私のもとに、姿を消した筈の私をストーキングするジークをストーキングする私をストーキングするジークが後ろから現れた。いきなり声を掛けられて飛び上がった私を昆虫呼ばわりするとは、いい度胸じゃない。
「べっ、べべ別に。柱と一体化してただけですけど。無機物の気持ちになってただけですけど」
「いや思いっきり見てただろ。何だその信じられん程の嘘のレベルの低さは」
確かに。無機物と同化しようとする女のほうがどうかしてるわ。なんつって。オイ。気の毒なものを見る目をやめろよ。
気まずいところを見られてしまった手前、ジークになんと切り出したらいいのかわからない。そういえばいつも思うのよね、ジークとの適切な挨拶に困るって。よーっす!って感じのテンションでもないし。
わ……私がもう少し素直だったら。よかったのかなぁなんて。
「……吸収魔法の進捗はどうだ」
先に口を開いたのはジークの方だった。
「あ、うん。ぼちぼち!もう使えるようにはなったと思う!」
この間のシンディの試験で手に入れた吸収の魔導書は、後日無事に私のもとへ届けられた。
魔導士ギルドさんの検査を以てしても、あれは所謂“ザコ”“ハズレ”の部類だったらしく。特に注意もないまま、ほっぽり出されるように渡された。
あれから暫く経ったけど、友達やジークの助力のお陰で、何とか魔法を発動するところまでは漕ぎつけられた。術式の構造じたい、とてもシンプルだったしね。モチベーションが高いから死ぬ気で覚えたわよ。
何なら今日どうしてもジークを捕まえたかったのも、それに関することだ。魔力を吸収するなんてことを考えたのも、元を辿ればジークことがあったりなかったりするもの。
「えーっと……それでその……なんていうか。二人になれるといいなって。思うんだけど……」
「あ、ああ……。――フッ。少しは素直になったな」
「うるさいよ」
うるさいしドヤ顔がキモいよ。ヘンな意味じゃないってのに。
.
ジークの部屋にやってきた。学校者から近いこと・そこそこ広くて必要なものが揃ってること・大人がいないこと、等々の理由で完全に放課後のたまり場にされている今日この頃。私もそんなたまり場にたむろする若者の一人。
初めの頃は来るだけで緊張したけど、この頃はこの部屋のソファでよく寛ぐようになった。黙って座っててもお茶とか出てくるんだもん。研究棟や学生寮に自分の工房を持ってない私たちにとってはすごーくいい環境なのよ。
今日もほら、私がソファに座るなり、ジークが条件反射のようにキッチンへ消えていった……のを見届けると。間もなく、シンクにガラスをぶちまける音が響いた。
キッチンを覗くと、ジークが眉間に皺を刻みながら、砕けたグラスの破片を集めていた。その様子は、アルスの魔硝剣を思い出させる。
「……またやった」
「慣れないねぇ」
手に刺さった欠片を引っこ抜いているところ見ると、例によって力加減を間違えて握りつぶしたってところかしら。相変わらず苦労しているみたいだ。
……そろそろ何があったのか話してもらおう。
ジークを呼びつけたのは、何も新しい魔法を試す為だけじゃない。何で私がそんな事をするのか、よ。
バザーの日以来、ジークはずっとこの調子だ。あの異常事態がずっと続いているまま。
となれば、あの日、私が知らない間に何かあったのは明白だ。私はそれが、ジークの口から語られるのを待っている。
「お茶はいいから。こっち来て座って」
「む。……わかった」
当のコイツはこれから私がどういう話をしようとしてるのか、わかってるんだかわかってないんだか。
申し訳なさそうションボリしているジークを無理矢理向かいの椅子に座らせて、私は件の魔導書を鞄から取り出した。
そして。
「待て!何でいきなり杖を向ける!?」
「決まってるでしょ。あんたを元に戻すの」
今日この瞬間のために、私は努力を重ねた。水着を披露したときと同じ。
私の考えはこうだ。
ジークの今の状態は、ジークが人間界やってきた理由そのもの――遠い理想であった筈の、人間態と真の姿である牛のときの魔力を持っている。
しかしそれが再現されるべきだったのは魔界での話。
こうして人間たちに混ざって暮らしている状況では、有り余る力はネックでしかない。
だったら話は簡単だ、力を削げばいい。
私の強大な魔力の器があれば、魔族一人ぶんくらいの魔力を吸収して無力化するのだって訳ない。
別に普段から馬鹿力でいてもいい。でもどこかで、制御できずにジークが苦しむ場面があるはずだ。だったら私が何とかする。私はそうすべきだからだ。
「戻すも何も、お前の魔力で吸収なんかやられたら干乾びて死ぬわ!」
「やってみなきゃわからないでしょ」
「落ち着け、話せば分かる」
私がジークに杖を突きつけたままにじり寄ると、ジークは慌てて逃げ出した。
しばらく部屋の中で追いかけっこを演じて、ジークがカーペットに躓いたところを捕捉した。
脅すように杖を喉元に滑らせて、ジークが私にいつもそうするように、真っ直ぐ相手を見据えた。
「じゃあ話して。――なんでいきなり、ジークの願いが叶っちゃったの?」
ジークは観念したように、はあ、と息を吐いた。
「確証が得られるまで言わないつもりだった」
「でしょうね」
あんたはそういうとこあるわ。でももう、どう足掻いたっておかしいのよ。
だって、これが本当にジークが望んだことなら、彼は真っ先に私にこう言う筈だ。
『ザラ、見てくれ。とうとう完成したぞ』って。そうして、たくさん言い訳をして口実を作って、私の傍にいる理由を聞いてもいないのに述べる筈だもの。
ジークは今にも吐きそうな青白い顔で、重く切り出した。
「恐らく――グリムヴェルトに、身体を作り変えられた」
「な――」
ん、で、す、と。
言葉が続かなかった。
作り変えるって――。
色々言いたいことはある。何いいようにされてんのよ、とか、気づいてあげられなくてごめんね、とか。そんな簡単にいくもんなんかい、とか。
ひとまずぶつけるべきは、一瞬の閃光のような文句だった。
「それを早く言いなさいよ!」
「す、すまん」
後退りするジークに吼える。黙られてるほうが心配なんじゃい。こいつ何でいっつも大事なこと黙ってるのよ。確証って、その身体が何よりの証拠でしょうよ。不安とかないワケ。無いか。
「魔術で無理矢理、体内を弄られた感覚があった。自分が――別の生物になったような」
詳しく聞くと、バザーの日、幻魔に分断されていた間にジークはグリムヴェルトの分身?のようなものに素手で心臓ごと摑み上げられて謎の術式を組み込まれたあと、気が付いたら全身の激痛にのた打ち回り、本能的に目の前の魔力欲しさで私に襲い掛かっていたとのこと。
えっ何その本能怖い。(ていうか私の雷魔法で吹っ飛んだ記憶戻ってて良かった。)
「どういった仕組みなのかは分からん。だがあの瞬間から明確に、俺は以前の俺じゃなくなった」
全く望んでいなかった状況とタイミングで、自分が別の何かに変異させられた。怖すぎる。
シンディの薬を飲んで幼児化した程度の私ですら、パニックで思考停止してジークに肩車されていたんだ。それが自分の命を狙っているような相手から、最高で最悪なプレゼントとして与えられたにも関わらず、ジークはあの冷静さだったわけか。
ううん、もしかしたら――変わってしまったから……?
「ヤツの能力は思うに――お前と似て非なるものだ」
「なん……なんて?」
思考に耽っていたところを不意打ちされたので、思わず聞き返してしまった。
ヤツ、とはグリムヴェルトのことだろう。私と同じ?そんな感じしなかったけどなあ……。
「お前の――アンリミテッドの最大の脅威が何であるか、自覚はあるか?」
ジークに両肩を掴まれる。これはふざけている場合じゃなさそうなので、私は心当たりを探っていく。
やっぱり、あれしかないんじゃないの。
「……魔力がいっぱいあること?」
「そうじゃない。有り余る魔力が、あらゆる事象に干渉する。いわば因果の力だ」
「い、因果……とな……」
また難しい言葉を。でもそういえば、ちょくちょく言われるような。
私はすっかり杖を降ろして、ジークの話に耳を傾けた。
「俺たち魔導士は、生きてるだけで魔力を生み出し、消費する。これはわかるな」
「う、うん。呼吸みたいなものよね」
「魔力とは即ち、奇跡を呼ぶ力だ。小さな器では小さな奇跡しか起こせないが――無限ともなれば話は違う」
だんだん、私の中でパズルが完成していく。
“どうして私ばっかり”・“何故だか私が関わると”、そんな過去の嘆きが、波紋のように頭の中に広がっていく。それらの答えはとっても身近で簡単に手が届く場所にあった。
「お前は、そこに居るだけで、異変を引き寄せるんだ。それも“有り得ない”レベルの事件をな」
「……!」
全ての辻褄がぴたりと符号した。これで今までの事柄に説明がつく。
私は運が良いとか悪いとかじゃない。
手当たり次第にとにかく何でも起こしてるんだ。
なるほど。魔物に襲われるのも、魔法が暴発するのも、魔族に会ったのも、そのせい。
「じゃあ、グリムヴェルトは?」
「……奴は逆だ。“有り得た筈の可能性”を実現する。恐らく、幻界を通じて」
「うーんと……幻界は、可能性の墓場……だっけ?」
それも具体的にはよく理解してないんだけど。
「そうだ。幻界には、一分一秒前、選択されたかもしれない結末が眠っている……とされている。幻魔を操っているグリムヴェルトがそれを利用していたとしても、おかしくはない」
私が引き起こす事象のことを考えた時、当然、そこで“発生しなかった奇跡”も存在するのか。
時間は一方通行だから、同時に何個も選択されるわけじゃない。ひとつしか無いグラスには、ひとつ分の崩壊しか訪れないように。
例えば私が魔法を使ったとして――その瞬間に、もしかしたら有り得たかもしれない、“魔力の暴走”や“魔法が発動しなかった場合”といった情報は幻界に切り捨てられる……的な?合ってる?
「……もしかしたら、幻魔もそういう存在なのかな。本当は居たかもしれない、みたいな」
「……そうだな。奴らの姿はお前たち人間からは奇怪に映るだろうがー魔族である俺からすれば、見覚えのあるものだ」
「そうなんだ……!?」
私の単なる思いつきの呟きに、ジークの意外な返答が返ってきた。失礼かもだけど、確かに言われてみれば、あの魔界にだったら居てもおかしくないデザインだったというか。私からしてみればどっちも奇妙のレベルが同じというか。それでジークはいつもあまり驚いてないのか。
「魔界にあって人間界にない……言うなれば文明の差だな。いくらか進んだ未来の技術が及んでいる」
じゃあ……あれが、人間たちの未来には存在しない――選択しなかった“何か”の姿なのか。そう思うと背筋がうすら寒くなるわね。
今まで会ってきた幻魔、どれもやけに戦闘力高かったし。
「ジークのことも……その、有り得たかもしれない過去だか未来だかから引っ張ってきたってこと?」
「だろうな。だから、この力自体は懸念には値しない」
「……そうは言っても」
「ああ。問題は、それが“今ここに在る”ということだ。奴のことだ、これからの影響を考えて嫌がらせ目的でやってきたとしか思えん」
「そうか。グリムヴェルトは、私たちに何が起きるか知ってるんだもんね」
マウント取ってジークに詰問するつもりが、とんでもない話になってきてしまった。
うーん。やっぱりあの子、予知能力者とかなのでは。それか未来から来てるとか。幻魔との関係も含めて、得体が知れないのは確かだ。
彼には思惑がある。それを測れないうちは、私たちはこうやって分析して、対処していくしかないのが、なんとも歯がゆい。
てゆか今の話を頭の中で纏めるだけでも結構大変だ。ジークじゃないけどむむむと思索する私の手が、不意にジークの手袋に包まれた。
「だから――ザラ。俺から離れないでくれ。俺にはお前が必要だ」
黄金の瞳が、訴えるような煌めきを見せた。
そうね。一番大事なことはわかっている。
「俺を繋ぎ留めておいてくれ」
表に出さないだけで、ジークもきっと、どこかで恐れている。ジークなら分かっている。
――自分が変わっていくこと。何かを置き去りにしてしまうこと。何かに追い抜かれてしまうこと。
私は常日頃から感じている。
コイツは私が大好きすぎる。ともすれば私以外の人間なんか簡単に切り捨てるような変人の変態で、人知の及ぶ存在じゃないと。
それでも私は彼が好きだ。
カホルさんが言っていた。ジークは強すぎると。魔族らしすぎると。それでも私はカホルさんはジークを愛している。
ジークにとって進み続けることは容易だろう。だからこそ、振り返ったときの光景の孤独さや、それに気づかなかった自分の冷酷さに絶望する。
それがジークやグリムヴェルトが思い描く通りの道筋なら、私が覆してやる。
私はジークの額に自分の額をくっつけて、子供にするように言い聞かせた。
「うん。わかった。誰にも、どうにもさせやしないから。ジークは私が守る」
今度は、私が。
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・ジークが料理やお菓子づくりを得意としている理由に、家庭の事情や錬金術の勉強の一環としてやっていたというのもありますが、実は子供のころからストレス発散の手段にしていた、という部分もあります。特にお姉ちゃんと喧嘩したときなどは、大量のメレンゲクッキーやガトーショコラを手作りして鬱憤を晴らしていました。一心不乱に何かを掻き混ぜたり生地に怒りをぶつけたりしている内に自然とリラックスし、最後に完成した瞬間には謎のゾーンに入って悦に浸る、というのが一連のルーティーンです。まさに怒りの錬成。しかも出来たものは家族や友達が嬉しそうに食べてくれるので、ジークとしては「ふっ…俺がどんな思いで作ったかも知らないで…」という背徳的な達成感があったそうな。そういうとこだぞ。
・なのでジーク自身はそこまで甘党ではなくとも、彼にとってお菓子は結構身近な存在です。これは戦闘時にも影響していて、魔物などを灰や砂に直接錬成すると地形によっては危険だったりするので、同じようにひとつひとつが軽く、分散し、かつ人体に影響がないモノ…と考えたときに個包装のお菓子に行き当たり、割と合理的な理由で一話の魔物の炎をキャンディに錬成してました。
・ちなみにザラが作るお菓子は正しく計量しないため粉っぽかったり全然ボリュームがなかったりします。そんな通称“ザラのもっさりクッキー”は特別おいしくもなければまずくもないので、味を知覚することによる集中の妨げにならない、という理由でフェイスくんに大変好評です。ザラ曰く「あっそうですか(怒)」。アルスは口に入っても入らなくても大体何でもおいしいと言います。
・アンリミテッドの能力、要は奇運アレキサンドライトです。例えば、元旦のおみくじって大凶入れないらしいんですが、たまに引く人いるじゃないですか。ああいう感じです。単純に運が良い、ではなく良くも悪くも0.00何パーの確率を当ててしまう。アンリマユを宝具5に出来るタイプ。




