シェイド・オブ・ウォーター・3
「大変だったわねぇ」
フランセスさんのお屋敷に向かう道すがら、私は思い出せる範囲で、彼女にこの海岸に漂着するまでの経緯を話した。
「ほんと……生きてるのが不思議です……」
ジークに助けらたとはいえあそこからよく生還したわよ私。さっき起きたときは妙に身体が重かったのに、今は落ち着いてきたし。杖もないのに。
もしや私、自分で思ってるよりも頑丈。……というよりは、多分、フランセスさんが何か応急処置のようなものを施してくれたんだろう。寝ている間、妙に穏やかな気分だったし。
「フランセスさん、重くないですか」
「平気よこのくらい。それにもう着くわ」
海岸からゆっくり歩いて十分くらいは経っただろうか。すっかり軽くなった足取りで林を抜けると、浜辺から見えていた屋敷の前へ辿り着いた。
「でか…………」
でか。
最近、こういうお屋敷に行く機会が増えたな。シンディに軟禁された古城だのネロ先輩のお家だのジークのご実家だの。でも今まで見てきたどの家よりも確実にでかい。
そして外装は、魔界でよく目にしたあの不気味なセンスである。今にもバックで雷が轟いて、蝙蝠が飛び去り、遠くで謎の動物がギャーと鳴くような。
なんかもう、荘厳な要塞だ。あの半魚人の津波を体験したあとでも、十分インパクトがある。夜とか遭難した日にこの家見たら間違いなく殺人鬼が居ると思っちゃうよ。
もはや人の住む家じゃなく、神殿か博物館のように重たく大きい扉を開けて中に入ると、外観どおりのどどんと広いホールの階段に鎮座した一人の男性が、私達をふてぶてしく出迎えてくれた。
「あなた、連れて来たわよ」
「見つかったのか」
「うふふ、凄いでしょう」
「ああ、お手柄だ。よくやった」
フランセスさんがあなた、と呼ぶということはこの男性が旦那さんなのだろうか。もっとオーク族とかオーガ族のような筋骨隆々の大男を想像していたのだけれど、実物は思っていたより細身だ。筋肉質なのは同じだけど。
死体のような青白い肌に、赤茶の短髪と――尖った耳。
私はフランセスさんの言葉を思い出す。更に、ついこの間会ったアテネさんのことも。
――吸血鬼。
自分の偶然に、少しばかり背筋が冷えた。
もしこの旦那さんが本物の吸血鬼なのだとしたら、フランセスさんと同年代くらいに見えるが、実際はそのウン十倍……下手したらウン百倍の年齢である可能性もある。まだ慣れないなあ、この感覚。
「ザラ!!」
ご夫婦の会話に少し気まずさを覚えていると、どこからかジークの声がした。声量からしてものすごい近くにいるのは確実なので、私はだだっ広い玄関をぐるりと見渡した。
「うわジーク何してんの!?」
居た。
確かにものすごい近くに。ジークはフランセスさんの旦那さんの下敷きにされていた。階段じゃなくて跪いたジークに腰掛けていたのか、この人。
「こうでもしないと暴れンだよ、この坊主。躾がなってねえな」
そう言えばそのせいで助けに来られないみたいな話だったな。
「あ、あの、悪気は無いと思うのでそろそろ解放してあげてくれませんか……」
「おう。全く、この俺を手こずらせるとは、威勢のいい魔族も居たもんだ」
即バレしとるし。
旦那さんはどっこいしょとゆっくり立ち上がると、ジークのお尻を蹴って転がすようにしてその身体に自由を与えた。
椅子としての職務をまっとうしたジークは一も二もなく勢いよく立ち上がると、そのまま私に向かって突進、例のトンデモ腕力で締め上げてくるのであった。
「いだいだいだいだいだいだい!!!!」
水着で地肌が露出しているぶん余計に痛い。捩じ切れる。中身出る。
「良かった……!」
でも、私の肩に顔を埋めるジークの必死さを見ると、それも仕方ないように思えた。
そうだ、私、安否不明だったんだもんね。心配しただろうな。
私がジークの立場だったら同じような行動に出る。
「……もう平気だってば。ね?」
今回ばかりは我慢しよう。
ただこのままだとマジで死ぬ危険性があるので、それを伝えるためにも、私はジークの背中を何度か叩くと、彼の身体も冷え切っているのが分かった。
しばらくジークを宥めると、彼はようやく満足して、名残惜しそうに私から離れた。全く、人前なのに恥ずかしいったらない。
「さ、ザラちゃんはこっち来て着替えましょ。温かい飲み物も出すわ」
「は、はい、ありがとうございます」
私はフランセスさんに案内されて、やっと人心地つくことができた。
フランセスさんが用意してくれたドレスはどれもとても素敵だった。
素敵なのはいいんだけど。ちょ……っと私が着るには派手というか。サイズが……合わないというか。おすすめしてもらった中で一番無難なのを選ばせてもらった。
ひと段落して客間に迎えてもらうと、同じように着替えたネロ先輩、キョウ先輩、そしてジークと再会することが出来た。男性陣は旦那さんの趣味なのか、普通に流行りのカジュアルな衣服だ。
私たちは互いの無事を確認して喜び合ったあと、ご夫婦に向き直って、深く感謝の意を示した。この人たちに助けてもらわなかったら、私たち今頃海の藻屑だもの。
「改めて、ありがとうございます」
「気にするな」
「そうよ。久しぶりに人に会えて嬉しいくらい。若い子と喋るのなんて何年ぶりかしら」
フランセスさんの無邪気な笑顔に救われる。若い人て。あなたも若いのでは。
「あのー……ちなみにここは、どこなんでしょうか」
「お前たちが居た島から更に南にある孤島だ。つか、俺の島」
「おっ……!?」
「そうなの。島まるまるこの人の所有地なのよ。面白いでしょ」
やっぱり元いた場所からはかなり流されてしまったんだな、という不安が過ぎるよりも先に衝撃のワードが飛び出した。
だ、だからご夫婦以外の人が居ないのか……。お金持ちとかそういう次元じゃないじゃん。
「今日はもう遅いしうちに泊まっていけ。一休みしたら元の場所まで送ってやる」
確かに旦那さんの言う通り、窓の外はもう陽が落ちはじめていた。
旦那さんの提案に、私たちは感謝のあまり平伏する。
しかし、帰路にあの恐怖の光景を想像して身を震わせた。
「海にはあの魔物がまだ……居るんじゃないかと……」
「ダゴンだろ。ついでにブチのめすから安心しろ」
漂着した私たちを救助して温かい衣服と寝場所を提供してくれるどころかあの巨大半魚人――ダゴンというのね。まで駆除してくれるというのか。
あなたが神か。あるいは餌を太らせて食べるタイプの悪魔か。縋るものの無い今の私たちにとっては、どっちでも良かった。
「自己紹介が遅れたな。俺はカーン・ヴァレンティノ。吸血鬼だ。こっちは女房のフランセスだ――いいな?イヌッコロ」
「はい……」
男前な旦那さんが、“女房”を強調しながらキョウ先輩を睨んでいたので、ああ、この人はこんな状況でもナンパしてたんだなと心底ドン引きした。
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更にカーンさんフランセスさんご夫妻のご厚意で、晩御飯までご馳走してもらえることになった。やはり神か。
まだ体力が回復しない私たちの代わりに、ジークが厨房まで手伝いに行っているあいだ、カーンさんとの世間話に興じた。
「……あの、カーンさんって、アテナさんとはお知り合いですか?」
私は、カーンさんが吸血鬼と聞いて一番気になったことを口にした。しかしその名前を聞いた途端、カーンさんはそれまでの余裕な笑みを引き攣らせた。
「げ。あのババアと会ったのか?」
かくかくしかじか。私は、アテナさんと出会ったときのことを掻い摘んで話した。
こうも立て続けに吸血鬼と知り合いになる機会があるなんて、たぶん天文学的な確率だ。もしかしたら横の繋がりがあるのかも、と思ったんだけどそうでもないのかな。
「チッ……相変わらず抜け目のねえバーさんだな……」
「もしかして仲悪いとか……?」
「いや。ちっと複雑なの。恩人ではあるけど立場は逆っていうか。うーん……そっかぁ……あのババアが動いたか……」
アテナさんが聞いたら『誰がババアだい、この青二才!』と怒鳴りそうな言葉を並べながら、カーンさんは眉根を寄せてうんうん呻っていた。
「成る程ね……こりゃ本当に偶然じゃなさそうだ」
「……カーンさん?」
そ問いただそうとしたその時、フランセスさんがお鍋を抱えたままやってきた。
「みんなーご飯出来たわよー!!」
こんな時でもご飯と聞けば食欲が湧いてくるのだから、人間って……。
私たちは苦笑しながら、ジークとフランセスさんが忙しなくお皿を運ぶ食卓についた。それくらいは手伝わせてほしかったんだけど、厨房の支配人である二人に強く拒否された。
「さあ、食べて食べて♡今日は張り切っちゃった。ジークウェザーくんもお手伝いしてくれてありがとう」
「こちらこそ。勉強になりました」
微笑み合う二人にややジェラったのはナイショである。
テーブルに並んだ料理を見て、フランセスさんが張りきったと言うのはまさに嘘偽りのない事実だとわかった。
大盛りのアクアパッツァに大盛りのグラタン、大盛りの海鮮サラダ、大盛りのフィッシュ&チップス、大盛りのゼリーケーキ。対面の席に座るネロ先輩とキョウ先輩が隠れるくらいに、これでもかと盛りつけられた品々は、既に鼻腔を通って私の胃袋をがっちり掴んで離さない。
生魚、とりわけタコ?なんて殆ど口にしたこともないけど――今なら食える。胃腸がそう誇っている。
しかし涎を我慢しながらカーンさんがワインを注ぎ終わるのを待っている私とは裏腹に、ネロ先輩は組んだ腕を崩さずに料理を訝しんでいた。
「……吸血鬼の館で出てくるもんなんて口にしていいのか」
「ネロ。失礼だよ」
ぶっちゃけ私もネロ先輩の考えにはっとした。でもでも、こんなに美味しそうなんだよ。例え毒だったとしても後悔はないよ。
そんな気持ちでネロ先輩に諫めるような視線を送るも、
「確かにその発想あるわな……」
「ほんと……人間が食べて大丈夫かしら、これ。いきなり不老不死になっちゃったりするかも……」
「ええっ」
当のご夫妻は料理を前に真剣に考え込みはじめてしまった。
「影響は無い……と思う」
「そ、そうよね、真横で一緒に作ってくれたジークウェザーくんが言うなら大丈夫よ!問題ないない!」
「ヒューマーは平気でも獣人は……とかは?」
「お前も不安になってんじゃねーか」
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男の子って凄い。改めてそう思った。
食べ盛りが三人も集まってかかった結果、あれだけあった大盛りフルコースが跡形もなく彼等の胃に納まってしまった。
あの食べっぷりだと、作ったほうも嬉しいだろうな。実際ジークもフランセスさんも満足そうだった。
私はというと早々に脱落して、すごすご引き下がって静か~に後片付けに徹した。
我が家ではなかなか体験できない量の食器を洗い終えて居間へ戻ると、酔っ払いたちは忽然と姿を消して、フランセスさんがぽつんとソファに取り残されていた。
「あれ。男性陣は……」
「カーンのお部屋で二次会みたいね。久しぶりのお客様だから、あの人もはしゃいでるみたい」
これだから男は。――とか安易に言いたくないけど、あの三人はいっつもそう。
もホント、こっちの気も知らないで。
「そうですか……楽しそうで何より……」
「あら。嫉妬しないの?」
「……ちょっとはしますけど。ダゴン?のせいでめちゃくちゃになっちゃったから……息抜き出来るならいいかなって」
「そう。いい子ね。よしよし」
精一杯の強がりをしたつもりが、フランセスさんにはお見通しだったみたいで。子供のように抱きしめられて、頭を撫でられる。
失礼かもしれないけど、このおっとりした感じが、なんとなくうちのお母さんに似ていて、安心する。
「じゃあ、私達はもっと仲良しになって、ジークウェザーくんに嫉妬させちゃいましょう」
「な、何で……」
「あら。あれだけ見せつけておいてとぼけるのは無しよ。あ、私は見てないんだけどね!あはは!」
――ものすごく優しくて良い人なんだけど、唯一、ちょいちょい笑っていいのかわからんギャグぶっこんでくるのだけはやめてほしいな。
私はフランセスさんのお言葉に甘えて、食後のティータイムを嗜むことにした。
革張りの質のいいソファに並んで腰掛けると、今日一日分の疲れがどっと沈み込んでくるようだった。お茶おいしい。
……またとない機会だ。
私が歩むであろう道程の先駆者であるフランセスさんに、色々と質問するチャンスかもしれない。
僅かに近寄って来る眠気の気配を振り払って、私はフランセスさんに向き直った。
「あの……フランセスさんは、人間に見えるけど元人魚……なんですよね?」
「そうよ」
「……多種族の人と付き合ったり……結婚するって、どんな感じですか」
一応。念のため。後学のために。
異種族どうしのカップルなんてごく当たり前だけど、それはあくまでこの人間界に限った話だ。
吸血鬼も人間界の住人とはいえ、人間とは似て非なる、一線を画す力ある存在、という点では魔族と似たようなものかなと。何かの参考になるかなと。
フランセスさんはおちょぼ口でお茶目に悩むと、まるで昨日のご飯でも思い出すかのように難なく笑った。
「うーん……不便は……あまり感じたことないわね。生活じたいは円満そのものよ。私が人魚だから、とか、カーンが吸血鬼だから、なんて考えたこと、あまりないかも……うちには子供が居ないから、そう感じるのかもしれないけど。そりゃあ、結婚するときは揉めたわ。特にカーンのご家族がもう、カンカンだったの」
カーンだけに、とはにかむフランセスさんに、何か超然としたものを感じる私だった。
カーンさんのご家族といったら当然そちらも吸血鬼なんだろう。それってすごいな……。当時の苦労もこうして冗談交じりに茶化せるくらいには幸せってことなのかな。
「――って言っても、私も殆ど吸血鬼みたいなものなんだけどね」
「そうなんですか?」
「色々あってね。今は、あの人の眷属ってことになってるの。不老不死もその権能のひとつ」
「つまり、元人魚で吸血鬼のお嫁さん……」
「ついでに元人間」
「え!?」
混乱してきたぞ。整理するためにも、私は大人しくフランセスさんの言葉を待った。
「私、若い頃に地上の人間に恋したの。それで、彼と結ばれるために――深海の魔女と取引して、陸で生きられる人間の身体にしてもらったの」
あ……――。
何だか聞き覚えのある話だ。
人間と生きるために。人間と――同じ生き方ができるように。
でも、フランセスさんは今こうして幸せだ。きっと悪いことじゃない。
「私のこの目はね、その時の代償。おとぎ話みたいに、声を奪われた上に泡にならなくて良かったわ」
「――」
本当は黙るべきじゃなかったのかもしれない。だけど、とてもじゃないけど、故郷は、家族は、なんて二の句を継げられなかった。
――『考えてもみなさい。このままジークとお嬢ちゃん、君達が二人で共に居続けるなら、どちらかは故郷を捨てる必要がある。身体機能の差はどうする?精神性の差はどうする?寿命の差は?家族は?子供も出来るかわからない。』
ジークのおじい様であるカホルさんの忠告が、頭のなかでぐわんぐわんと反響した。
そんなの大したことない。頭では分かっているつもりだ。
「じゃあ、恋した人がカーンさん……ですか?」
早くハッピーエンドが聞きたくて、私はフランセスさんに話の続きを催促した。
「ううん。それが、その人には手酷く裏切られちゃって」
「せっかく人間になったのに……!?」
「そうなのよ。もう、頭来ちゃう。でもその時に助けてくれたのがカーンなの」
「へえぇ……!」
おおう、盛り上がる展開になってきたわ。彼氏にフラれたあとの男友達みたいな感じかな。(たぶん違う。)
「それがね。私に一目惚れしてて、相手が悪い男だって気付いて奪いに来たんですって」
「きゃーっ、なにそれきゅんきゅんするーっ!」
「でしょでしょ。今でも覚えてるわーっ」
夜も遅いので声は抑え目にしつつも、にわかに興奮する私たちだった。
ぶっきらぼうに見えて情熱的なのね、カーンさん。想像するとギャップに胸がときめくわ。私もそんな事言われてみたい。アルスとかに。
「詳しく知りたい?」
「知りたいです!」
「うふふ。じゃあ、ちょっと長くなるけど話すわね」
心配事よりも好奇心が勝ってしまった私はそのまま、お二人の馴れ初めについて聞かせてもらうことになった。
カーンさんとの思い出話をするフランセスさんがあまりにも純真な乙女そのもので可愛かったので、ついつい夜更かしをしてしまったわ。
きっと二人が出会った頃も、こんな風に頬を染めていたんだろうと思うと、胸のうちが温かくなって、何故だかちょっと泣きそうにもなった。
色褪せないものってあるんだな。
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・カーンとフランセスも、大昔に作ったキャラなので登場させることが出来て嬉しいです。彼等、というか主にカーンも、数々の冒険を経て現在の半隠居生活に身を置いています。
・人間たちだけの治世を目指すアトリウム王国にとって吸血鬼はやや邪魔というか、明確にではないものの思想を違えているのですが、800年前に起きた世界大戦を機にカーンは真祖一族に離反、王国魔法庁の特務機関に所属し、その一生を捧げて人間たちのために働いています。フランセスとの出会いも、任務で人魚族の人身売買について調査していたときのことでした。なので吸血鬼にしては珍しくフルタイム人生。(ほかの吸血鬼は生きるの飽きると眠る。)
真祖であるアテナとは敵対関係ですが、フランセスと結婚するときに一族との関係を取り持って貰った恩があります。
・この三人組、何かっちゃ酒飲んでるけどいいのかな。いいか。ファンタジーだし。一応アトリウム王国ではだいたい15~6歳までで高等教育が修了します。なので18は十分成人。魔導アカデミーは専門学校みたいなもんですね。ほかの国は全然違いますが。




