パンチドランクラブ・1
「……何でソイツもいる」
私もそう思うんですけどぉ。
何せ本人が一緒に行くと言って聞かないので。やだぁ、他の男のところに行くから嫉妬かしら、と思った私がアホでした。まさかジークからあんな冷ややかかつ純粋な「は?」が返ってくるとはね。
ごほん。
要塞の町ホワイトサロン、その魔法庁直轄病院であります。
ここには、技術大会の日、ネロ先輩たちと戦って大けがを負った、シンディのボーイフレンド・エルヴィスが長らく入院していた。
……と、いうのも今日がめでたく退院日であったりする。痛々しかった火傷も完治して、少なくとも目に見える外傷は無くなったように思う。
私も色々話しておこうと思って、ご家族がお迎えに来る前に顔を見にやって来た。
しかしここで、今まで一度も無かったにも関わらず、何故かジークがエルヴィスの面会に同席することになった。何でもエルヴィスとどうしても話したいことがあるらしい。
不信感と後ろめたさで目さえ合わせないエルヴィスに、ジークは全くの容赦なく、人狼症について質問攻めをする。
エルヴィスは、そんなジークに最初こそ戸惑っていたものの、感情より理論と好奇心を優先するジークに対して気負いする虚しさを覚えたのか、呆れながらも、落ち着いて接するようになった。ジークは不思議とシンディやエルヴィスに対して、全く、何の怒りや憎しみを覚えてないのよね……。
「正直。オレもよくわかんねぇ。制御する魔法はここで初めて教わった」
「……なら、人狼症について、知っていることと、感じていること。何でもいいから全て教えてくれ」
どんな細かいことも聞き逃すまいと、ジークは前のめりの姿勢でメモを取り続けている。
「あんた。錬金術師だろ。対価はどうする」
「……そちらに条件があるなら飲もう。曖昧とはいえお前の秘法を聞き出そうと言うんだ。それ相応の対価を払う」
エルヴィスと同様、私も耳を疑った。あの傲慢大王のジークが、要は“何でもする”と返したのだ。どうやらそれだけ本気で、人狼症について知りたいらしい。何でまた急に。
……ああでも、ジークの本来の目的のことを考えたら、“変身する病気”と“それを補助する魔法”は、欲するところではあるのかぁ。ここんところ色々トラブル続きなのに、ちゃんとしてるなあ……。てのは、置いておいて。
エルヴィスはそんなジークの返答に面喰いながらも、やや考えて、ごくシンプルな要求を出した。
「……レディに会わせてくれ。どこに居るか知らないから」
――彼のいうレディとは、シンディ・ダイアモンドのことだ
そうか。私も細かい経緯は聞いてないけど、シンディとエルヴィスの二人は捕縛されてすぐに別々の場所に収容されて、もちろんお互いの面会にも行けていないのは、シンディから伺っている。理解ある大人がたくさん協力してくれたお陰で酷い処分は避けられたけど、まあ、進んで会わせてくれないのも当然で。
ていうか療養中とはいえ、エルヴィスにシンディの居場所教えたら、治療そっちのけですっ飛んでいきそうだし。
そうなれば勿論。
「いいよ」
ジークがダメだと言っても、私は二人を応援したい。
「おい、またお前は……というか、これは俺が依頼していることだ。お前が横から――」
「うるさい」
「うるさいとは何だ。俺に向かって。ダメだぞ!」
何故か父親か兄のように叱ってくるジークであった。
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居場所こそ教えられていなかったものの、接触禁止等の令などは無かったようで、エルヴィスを連れて、シンディが謹慎している拘留所に連れてくることは容易だった。
こんな近いところだったのか。やっぱ抜け出して捜せば良かった。と予想通りの反応が返ってきたため、彼に対してかん口令を敷いていた偉い人たちの努力は報われていたんだなと思いました。まる。
面会用の応接間に入ると、痛々しい封魔の手錠を嵌められたシンディが、ぼんやりと椅子に座り込んでいた。
そしてほどなくして、扉を開けて現れたエルヴィスを目にするなり、息を飲んで大粒の涙を流した。
「レディ!」
「エルヴィス……!」
数か月ぶりの再会を喜んで、二人は、見ているこっちまで思わず涙しそうになるほどの熱い抱擁を交わした。
でっかいエルヴィスと小さなシンディ、倍近く体格の違う二人がお互いの為に体を折り曲げて、お互いの為に背伸びしている姿には、疑いようのない思い遣りがあった。
「あんた達がつれてきくれたの……」
「ううん。エルヴィスが会いに来てくれたんだよ」
私がそう言うと、シンディはますますエルヴィスに縋って、とうとう彼の背中越しにすっぽり隠れるほどになった。
ジークも微笑みこそしなかったけど、腕組みをして、何だか満足そうだ。ね。ね。悪い気はしないでしょ?なんて気持ちで脇をつつくと、デコピンでお返しされた。
私たちはただ手伝っただけで――これからの二人がどうなるかは、彼ら次第だ。
……まあ、人目も憚らずあれだけ熱烈にキスできるんだから大丈夫でしょ。当分は。見せつけられてる側のこと全く考えてないな。気まずいったらないよ。
――よかった。これでまた一つ、私の憂いは晴れた。
……たった今、思い出したことが、新たな憂いを孕んでいるけれど。
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シンディをエルヴィスに任せて、私とジークは拘留所を後にする。ジークは後日改めて、エルヴィスから人狼症について教えてもらうことにしたらしい。
玄関口に向かう景色を見て、私の疑念は確信に変わっていく。
そうだ。そうだった。
緊張で少し手が汗ばんでくる。そんな私の様子に、ジークが敏感に反応する。
「どうした。トイレか?」
死ね。
じゃなくて。
私は深く息を吸って、ジークに打ち明けることにした。
「思い出したの」
私の真剣な面持ちに、さすがにジークも何かを察したのか、同じように真面目な態度になって、私の言葉を待っていた。
「あの角と翼の子。前にホワイトサロンですれ違ったんだ。シンディに面会に来てた」
シンディの先客。
私の前に面会室から出て行った、灰色の肌の男の子。
あの時は、私に対しても何のアクションも無かったから、気にも留めなった。本当にただの――いや、少なくとも、シンディの珍しい友人か何かかと。
技術大会のあと暫くして、そうだ、確か――あのオリバーくん……じゃなくて、カーネリアン陛下と鉾を見た日。なんてこと。
じゃあ、じゃあ本当に――彼は私たちを視ていたんだ。
深い井戸の底を覗き込んだと思ったら、そこから手を伸ばされたような。
不気味な衝撃に、歯の根が鳴る。彼の思惑はわからない、けれどそれは今急に降って湧いたものじゃなかった。
それが理屈じゃなく、現実に根ざした、現在進行形の、たしかな意志だと分かった瞬間、私は何か、とてつもなく恐ろしいものに背後を取られたような錯覚を覚えた。
「あはは、ちょっと……震えてきた」
ジークがそっと、まるで力の入らなくなった私の指を包み込んでくれた。
「安心しろ。ここには俺が居る」
「う、うん……そ、そうだよね……」
そう……だ。しっかりしなきゃ。怖がってたって仕方ないんだから。ジークがいれば百人力なんだから。
「むしろ光明だ」
「はい?」
怯える私とは対照的に、ジークは自信に満ち溢れた不敵な笑みを浮かべていた。
あー。この顔をしているときは。大体無茶を言い出すときの。
「あいつを誘き出す」
ほらね。
「……どうやって」
「思うに。あいつは俺たちの関係性を危惧している」
「う、うん。それはわかってる」
いちいち言葉に出すのも何だか恥ずかしいけどね……!?
でも実際に、私が明確にジークと距離が縮まったと思うタイミングと、幻魔が出没し始めた時期は一致する。
それにアルスが言うには、幻魔が幻界以外に現れるようになったのも半年前、つまり私とジークが出会ったころだ。
フェイスくんの占いでも――そう言いかけて、ひとつ矛盾していることに気づく。
「あれ……でもさ。この間のフェイスくんの占いだと、私たちに悪い運命が待ってるんだよね」
それもあのフェイスくんが口を噤んで泣き出すほどの。
あの角の子は、その運命に私たちが到達しないように阻止せんと行動している……のなら、……普通に考えたら、完全に敵ってわけでもないのでは……?
「だが殺すと明確に口にしたぞ」
「うーん、そっか……」
「とにかくもう一度会わなければ話にならん」
「概ね同意だけど……何かいい方法あるの?」
こういう時ゴチャゴチャ考えるより即行動に移したがるところは、似たもの同士って感じでやりやすくていい。
いいんだけど。
ジークは何故か、人気のない廊下の端に私を追いつめてくる。
「ザラ」
「はい」
「一度目を瞑ってくれ」
「え?こう?」
言われるがまま瞼を閉じる。ジークが魔法なり使うときは大体事前に説明ないしなぁ。
――という経験則がマイナスに働いた。
数秒待っても何も起こらないことに焦って、薄っすら目を開けた瞬間、目の前に飛び込んできたのは、間近に迫るジークの顔面だった。
「ってうおぉーーーーーーい!!!!!!!」
「ごはぁッ」
思わず全力で横っ面をブン殴ってしまった。
いや。いやいやいやいや。
「な、な、な、なにしようとしてんの!!キッ、キキキキッスなんてま、まだっていうか今じゃないっていうか空気読めーーーっ!!!!」
完全にキスしようとしてたじゃん!!あっぶねぇー!!まんまと唇を奪われるところだった。寸でのところで勘づいて良かった。グッジョブ私。
「……最悪。俺たちがずっとこのままなら、奴はもう襲ってこないかもしれん」
私の右手の形に頬を腫らしたまま、ジークが真顔で私の肩を掴む。いや諦めてよ。怖いよ。
「え……とそれって、このままっていうのは……し、進展……しないってこと?」
「そうだ。今までが無事なように、このまま適当な恋人もどきの関係でいればいい。共に居れば不幸になる、しかし離れがたいというなら――“現状維持”というのも一つの手だ」
――。
今度は私が真顔で硬直してしまう。
あまりに――あまりに、ジークらしくない言葉だったからだ。
いや、だからこそ理解出来る、それが不可能だということを。
これ以上くっつきも離れもしない。
一生?やってくるかどうかもわからない“何か”に怯えて?
ぱちぱちと、どこにも当てはめられず、額の脇に避けた柄のないパズルピースが、積み重なっていく。そいつらはきっとくすくす私を嘲笑うわ。馬鹿みたいねって。
「…………やだ」
そんなのは嫌だ。
全身をから絞り出した。
油断するとせり上がってくる羞恥を必死に、鳩尾の辺りで押し潰して、伝えなければならない言葉を丁寧に発音する。
「ジッ…………ジークとキスしたいもん。いっぱいデートして、一緒に笑って、……そばにいたいもん」
「……」
顔じゅう熱い。適温な箇所がひとつもない。
目も鼻も口も耳も、今にも沸騰してどっかへ飛んで行きそうだ。だけどジークは、それを笑うこともなく、それどころか、私の蛮勇に驚愕さえしていた。そしてややあって、
「俺だってそうじゃい!!!!」
「じゃい!?」
迫真の剣幕で叫んだ。腹から声出てんな。廊下に響いたよ。誰も居なくて良かったよ。
「だから無理なんだよもう!前に進むしかないんだよ!」
「だっ、だとしてもそんなアクセルベタ踏みじゃなくてもよくない!?」
「お前の亀みたいなペースに合わせてたらジジイになる」
「かっ……!」
ジークに鼻で笑われた。まさに図星です。はい。亀……亀か……。お互い白髪になってもこれじゃあ確かに痛々しくて見てられないわね……。
「わ、わかった、わかったわよぉ、か、覚悟決めるからぁ……」
「逃げるなよ」
「逃ーげーまーせーんーっ」
もうすでに腰が抜けそうなんですけどね!腕組みしてこちらを見下ろすジークのプレッシャーから逃れるように、深呼吸を繰り返す。
「うぅーっ……心臓痛い……」
「俺も似たようなものだ」
「絶対嘘だーっ!」
もう既に半泣きですよ!!
だいたいこういうのってさ……もっと……お互いの好きって気持ちが……高まったときじゃないの?私の理想のシチュエーションは、こう、夜のバラ園とかで星空をバックに……みたいな感じだったんだけど。
あ、でもそれジークで想像したら似合わな過ぎてめっちゃ笑えるな。ていうか私もジークに「なんだその少女趣味は」とか言って笑われそう。
ふとそう思って僅かにリラックスした瞬間に、目の前にジークの顔が迫った。
壁側に覆い隠されるようにして、そっと口づけられる。
うわ。
眩しい黄金色の目線に、脳の芯まで侵入されないようにぎゅっと瞼を閉じる。あの目で射貫かれたり、あの目が細められたりしたら、私は抗えない呪いをかけられているから。
不意に耳元近くの髪を梳かれて、否が応でも真っ暗な視界に確かな距離を感じてしまう。
「ちょ、と、待っ……」
その正体を掴む間もなく体温が離れたと思ったら、もう一度、二度と追われるように唇を啄まれる。あくまで彼が私にいつもそうするように、慎重で上品だけど、必ず私の心を奪うやり方で。
微かに漏れ聞こえるジークの吐息が、これが夢じゃなくて、目の前のジークが生きて、意志を持って私のそばにいることを無理矢理教えてくる。
いつも心地よく感じる彼の胸の中が、永遠に脈打つ灼熱の牢獄のように感じた。互いの間に挟まれた空気は、香水の混ざった香りがした。
なんか。
――思ってたのの三倍くらい情熱的にされている!!
やばいやばいやばいやばい。早く終われ早く終われ早く終われ。
いや多分ジークにしては滅茶苦茶手加減しているほうなんだと思うけどそれが余計っていうか、え、これ最初がこれなら私やっぱり最終的に死ぬ?こういうのって幸せな恍惚がやってきて頭がぽわ~んと花畑にいるような甘い感覚に満たされるものなのではないの?何か死期、明確な死すら感じる。ヤバい私哲学者?ヤバくない?ヤバい。好きが。好きが爆発して死んじゃうよ。
たった数回、数秒にも満たないキスに、寿命の三分の一くらいの情報量が一気に血流を駆け巡った気がする。あ。なんか……無意味に息を止めていたせいで、眩暈が。
「ていうかジーク、こ、こんな、したら……魔力……」
妙に冴えてしまった頭で、私はふと、ジークの過去の言動を思い出した。
この魔族、魔力欲しさに私と接触するときに、キスかハグか選べ!みたいなこと言ってなかったか。
それってつまり、キスかハグをすれば魔力が充填されるってことよね。
「あっ……」
固く結ぶように瞑っていた瞼を開けると、そこには、天井に突き刺さっている牛姿のジークがいた…………。
…………うん……早く何とかしようね……。
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・ずいぶん甘いな…まるでラブコメだな。
真顔で書いたさ…大蛇丸を倒す為にな。