第6話 家族
2017/12/22 2時頃に追記しました。更新が遅くなってしまい申し訳ありません。
遠くから獣の声が響き、跡を追うように人の悲鳴が聞こえた。すでに戦力不足であるコロニーは満身創痍の人々も戦場に駆り出し、白旗を振るのももはや時間の問題だと思われていた。
そんな中、獣の声を無音の刃が消し去っていく。それを操る少女はその情景をぼんやりとした瞳で見ているだけであった。いくつもの声が消えていこうとも彼女の心が満たされることはなく、ただ渇いて更地になった場所で一人たたずみ、何かに急き立てられているように感じていた。
そこに優が現れ、彼女の前に立ちはだかった。虚ろな彼女の瞳に固い表情をした彼が映し出される。彼女はその瞳を細めて、面倒くさそうに訊いた。
「何?」
彼は一度息を呑み、彼女を真っ直ぐ見つめながら口を開いた。
「もうこんなことはやめろ。千夏が手を汚す必要なんてないんだから」
その言葉が彼女に届いているかどうか彼にはわからず、ただ虚ろな彼女の瞳が彼に向けられていた。懸命に言葉を届けようとするも、彼の背後から鋭い痛みが頬を伝った。優の目に映る少女の左手には茶色い翼が大きく広げられていた。傷口から紅い血がじわりと滲み出していた。
「お兄ちゃんなんかに何がわかるのよ」
大きな翼の向こうには黒い瞳を歪ませて、優を睨む少女がいた。今までに見たことがないその彼女の顔に、彼もまた顔を歪ませた。
「『わかる』って何が? 言葉にしなきゃ何も伝わらないだろ」
傾き始めた日差しは彼らの間を通り過ぎ、木々の影と共にそこに潜む彼らの影を伸ばしていった。周りによって色を変えた草木は一枚、また一枚と密かに音を立てながら地に落ちていった。
「どうせ伝わらない。お兄ちゃんは『あたし』じゃないんだから」
固く閉じた口は小さく動き、彼を拒絶した。影の落ちるその瞳はどこまでも深く、光の差す場所などなかった。しかし優はそこまで気づかず、いつもの調子で彼女に訊ねた。
「そんなこと言わずに言ってみろよ。僕にだって――」
「同じこと何度も言わせないで! お兄ちゃんには私の気持ちなんてわかりっこない!」
少女は左手を大きく前に出し、オオコノハズクの大きな翼を広げさせた。その鋭い足は彼女の手から離れ、優へと向かっていった。彼は瞬時に腕で顔を覆おうとするもその鋭い爪はすでに目の前まで迫っていた。すると、突然上から落ちてきた何かにその爪の軌道が遮られた。オオコノハズクは大きく羽をはばたかせ、近くの木に止まった。その木の反対に位置する木にその何かも止まった。
「あれは、ハヤブサ……?」
白い胸に縞のかかったその鳥は鋭い瞳を向かいにいるオオコノハズクに向けていた。ふいに呟いた優の言葉にどこからか返答が聞こえた。
「正解。この子は私のパートナーのハヤブサだよ」
その声に彼らが振り返ると、そこには純と剛太の母が立っていた。彼女の左手にはまた別のハヤブサが止まっており、前かがみになって今にも飛びかかってきそうな状態であった。
「奈留実さん? なんでここに?」
優はただ目を丸くして彼女を見るも、千夏はその姿を見て鋭い視線を彼女に向けた。
「まさかあんただったとは思わなかったよ」
何のことだかわからない優は千夏に振り返って訊ねた。
「一体何のこと?」
少女は視線を彼女から離すことなく口を開いた。
「鷹匠の中でも腕利きの者は二つ名が付けられることがあるんだよ。昔噂になった少女がいたと聞いたことがある。その名は『双鷹の少女』」
木に止まっていたハヤブサは翼を広げ、彼女のもとへ向かった。そのハヤブサは彼女の右手に止まり大きな翼を仕舞った。両手に止まるハヤブサを見ながら千夏は続けた。
「お母さんからその名を聞いたことがある。だけど、ある時から突然その噂を聞かなくなったって言っていた」
それを聞いた彼女は少し困ったように笑った。
「懐かしいわね、その呼び名。そう呼ばれていた時もあったかしら。だけど私はもうその名を捨てた」
それを聞いた千夏は眉間にしわを寄せ、拳に力が入っていくのを感じた。
「捨てた? 何よそれ。どいつもこいつも自分の地位に甘んじて勝手なことばかり……」
千夏は指笛を吹き、オオコノハズクを手元に戻してから再び彼女のもとへ飛ばそうとした。しかしその時彼女は真っ直ぐとした目で少女を見て言った。
「私はもう『双鷹の女』とは呼ばれない。今の私は――」
茶色い大きな翼の前に縞のかかった翼が広げられた。その翼の向こうには両手にハヤブサを携えた彼女の姿があった。
「『三鷹の女』よ」
オオコノハズクは足を千夏の左手に留めたまま頭を低くし、翼を大きく広げて威嚇の体勢をとった。彼らの目の前のハヤブサは身を翻して、彼女の頭上の木で翼を休ませた。彼らの姿を見た千夏は悲しみのような表情を浮かべた。
「なんでいつもいつもそうなのよ。あたしばっかし……」
千夏はうつむき、肩を震わせた。オオコノハズクはその少女に振り向き、首を傾けた。それを見た奈留実は咄嗟に少女に言葉をかけようとした。
「千夏ちゃん――」
「あたしは!」
少女は顔を上げてその言葉を遮った。その瞳には大粒の涙が浮かぶも、少女はそれを溢すまいと一度口を固く結んだ。そして喉の奥で突っかかったままだった言葉を押し出した。
「あたしは生まれた時からみんなの背中を見ていることしかできなかった。どんなに頑張っても少し先に進むみんなを追い越すことはできなくて、ただ背中ばかりを見ていた。それでも頑張ってやっと横に並ぶことができたと思ったら、今度は違う方向を向いてまたあたしだけ置いて離れていく。なんで……少し遅く生まれただけでこんな思いしなくちゃいけないのよ!」
言葉と共に堪えていた涙が溢れ出した。熱くなった雫は彼女の頬を伝い、乾いた地面を濡らした。奈留実は少し目を細めるも、羨ましそうに少女を見た。
「そう思えるのは兄弟がいるからじゃないの?」
涙が溢れる瞳は彼女に向けられた。視界がぼやけるも、その先にはハヤブサに囲まれながらも寂しそうにする彼女がいた。
「私には一人も兄弟なんていない。だからいつもケンカしながらテントに入っていく兄弟を見ると、ただ一人この世界に取り残されているように感じた。それを埋めるために私はハヤブサと友達になろうとしたの」
彼女は物寂しげな瞳をハヤブサに向けた。ハヤブサは鋭くもつぶらな瞳を彼女に返し、小さく首を傾けた。それを見た千夏は詰まった言葉をなんとか絞り出そうとした。
「そんなの――」
「そんなの無い物ねだりだって思う? 確かにそうかもしれない。でもそれが私の憧れた世界なのよ」
彼女は寂しい瞳をしていながらも、奥には強い信念が垣間見えた。彼女は両手を少し上に上げ、二羽のハヤブサを空へと飛ばした。彼らの縞は日の光と森の影に紛れて、彼らの姿をくらませた。そして彼女は両手の餌掛けを外しながらゆっくりと少女に歩み寄っていった。
「誰もが自分が持っていない世界を追い求めようとするものなのよ。それは人によって違う。それを知った上であなたは何をどう追い求めるのか――それが〝あなた〟なのよ」
彼女の腕は真っ直ぐと千夏へと伸び、少女を包み込んだ。強張った体は震え、少女の左手に止まっていたオオコノハズクは天高く舞い上がった。少女の声は風と共に森を伝っていった。その声を彼女は胸で受け止めながら、少女の耳元で呟いた。
「どうしようもなく不安になることがあると思う。だけど、どんなに不安になっても、どんなに自分がわからなくなっても、これだけは忘れないで――どうかかけがえのない兄弟を傷つけようだなんてしないで」
風は彼らの体温を奪っていく。冷たい空気が優の頬に触れ、痛みが滲み出した。風は彼らの間をすり抜け、すべてを連れてどこかへ消え去っていった。
その頃、剛太は戦場を駆け巡りながら咲希を探していた。獣たちの攻撃が激化する中、攻撃をすることも受けることもなく前へ進むことなど不可能であった。彼が少し後退すると肩が誰かの背にぶつかった。
「……父さん?」
剛太に気づいた彼は少し決まりの悪そうな顔で笑いながら答えた。
「あぁ、剛太か」
そう答えるとすぐに前へ向き、ライフルを構え直した。そしてスコープを覗きながら再び口を開いた。
「お前、また咲希のこと探しているんだろ。ここはいいからさっさと行け」
銃声と叫び声が聞こえる中、剛太は小さく頷きその場を去ろうとした。すると、背後から小さく呟く声が聞こえた。
「今度こそみんなで帰ってこい」
その言葉は剛太の耳にまで届き、彼を振り返らせた。それを察した剛太の父はそのまま続けた。
「五年前の時も悪かったな。大人である俺たちが何もできないまま――いや、動こうとしないまま、結局お前たちを傷つけてしまった。そして今もお前たちを大人のいざこざに巻き込んでしまっている。無責任かもしれないが、どうかお前たちの力で未来を作ってくれ」
剛太の父の言葉は彼の背中を押し、駆け出させた。彼の父は五年前から彼らを案じていた。いや、彼の父だけでなく、母、祖母、兄、畔――敵だと思っていた皆が彼らを支えようとして、過去と、自分自身と闘っていた。それを知らなかった、知ろうとしなかった自分自身を剛太は走りながら責めた。
(咲希、ごめん。俺、全然周りが見えてなかった。やっと見えた……やっと見えたんだ。この世界をお前は知っているのか?)
彼の目の前が開け、小さなギャップが現れた。秋色の風が舞う。その向こうには寂しくなった木の上にフードを被った少女が立っていた。いたずらな風はフードを奪い去り、少女の顔を露にした。すべてを見透かしたように透き通る茶色い瞳が剛太に向けられる。遠くから響く鈍い音は彼らの間をゆっくりと流れ、じわりと胸の奥に滲んでいった。これが最後になるとはこの時誰も知らなかった。
次話 最終話「サキへ」は2017/12/28(木)に更新します。




