第5話 契約
2017/12/16 18時頃に追記しました。更新が遅くなってしまい申し訳ありません。
いつの間にか辺りは赤や黄色に染まっていた。桶に溜まった雨水に潤いを失った葉が滑った。水面にその黄色が映りこみ、しかしわずかにも緑色が残って空の色に溶け込もうとしていた。
シーバがコロニーに現れてから数週間が経過した。夏がこの地を去ると同時にまたいつもの寒さが戻ってきた。滑りゆく冷たい空気が頬を伝い、手から何かが零れ落ちていくような気がしてならなかった。微かに風が吹くと、木の葉は何かを呟きながら宙を舞い、またどこかで身を寄せていた。一枚の葉が舞い、地に杭を打ち張られた緑色の布の上を滑り落ちていった。その内からは何かが蹴られる音が響いていた。
「シーバを見つけてから何ヶ月もの月日が経つというのに、まだ奪えぬと言うのか! いつまでこの私を待たせるつもりだ!」
椅子は横倒れになり、積まれていた書物が崩れ落ちた。亘は眉間にしわを寄せ、息を荒げていた。それを背に手を組みながら見ていた直人がおもむろに口を開いた。
「思った以上に戦況が悪く、現在ろくに動ける者が二十数名といった状況です。その中全力を尽くしているのですが――」
「私は言い訳を聞きたいわけではない!」
どうにか亘を落ち着かせようとするも、怒号がテントの中に響き渡った。上手い言葉を探すことが苦手である直人が頭を抱えていると、突如として外から光が差し込んだ。二人してそちらを向くとテントの入口の布がはだけ、光の先にすごい形相をした由里の母が立っていた。直人は内心ホッとしつつも、嫌な予感がしていた。彼女はずかずかと中へ入り、その後ろから手負いの彼女の旦那が彼女を制そうと共に入ってきた。彼女はそれを振り払い、両手を机に叩きつけた。
「これはどういうことだい? 話が違うじゃないか!」
突然雷が落ちたような声が響き渡り、空気が一瞬にして凍りついた。しかし亘は片腕を机に乗せ、彼女を白い目で見た。
「話? 何のことだ?」
「とぼけんじゃないよ! うちの娘を囮に出したらうちらだけでも身の安全を保障するって言っていたじゃないか!」
彼女は怒りで耳まで真っ赤になり、机に置かれた手の爪で机は金切り声を上げた。旦那は彼女の肩に手を置き彼女を落ち着かせようとするも払い除けられ、彼女の怒りが静まることはなかった。
「それがなんだい、うちらたった一人の子どもを断腸の思いで差し出したっていうのに、由里の命は奪われるわ、うちの旦那はこんなボロボロになるまで戦場に立たされるわ、あんたが偉いからって約束を破ってもいいと思っているのかい?」
一瞬その場が静まり返るも、亘の口から笑いが零れた。彼は口角を上げ、わざとらしく憐みの目を彼女に向けた。
「お前さんは見ず知らずの人間の言うことを信用するのかね?」
彼女はその言葉に愕然とし、目を見開いた。亘はその顔を見て再び小さく笑った。
「本当にアフロディの人間は笑いがこみ上げてくる程扱いやすいな。こんなにも他人を信じやすいコロニーは今までに見たことがない」
目を細めて笑う亘を直人は息を漏らしながら見ていた。それは先程までの空気から変わったことへの安堵とこの夫婦に対する憐み、また彼らの愚かさに対する呆れなど様々なものが混ざっていた。
「逆にどうしてお前さんたちは他人の戯言を本気にできるのだ? 本当の目的も定かにならぬままなぜ手を貸せるのだ? それがお前さんたちのためにならないとも知らずに」
外から小さな何かがぶつかる音が聞こえ、テントがはためいた。入口の布がなびき、彼らの足元に差し込んでは消えていった。時々差し込む光は彼らの足元をじりじりと焼きつけ、それを避けるように彼女の足が微かに動いた。
「本当の、目的……?」
亘はしょぼくれた目を細くし、何かを軽蔑するように彼女を見た。
「私がシーバを殺すなんてことだけに執着するわけなかろう。命などいつでも奪えるものだからな。それよりも私は奴から奪いたいものがある」
眉間にしわを寄せた彼女の顔の横をすり抜けるように光が通り過ぎた。光は亘の背の布に刺さり、彼の影を濃くさせた。
「私が奪いたいのは奴のシャルムだ」
光は金物に差し込み、乱反射した。それは彼女の目に差し込み、瞳が小さくなって目を細くさせた。
「シャルム? あんなのただの首飾りじゃないか」
怪訝な顔をする彼女に亘は目を閉じ、小さく笑った。
「それがただの首飾りじゃないんだよ」
亘は体を起こし、崩れた書物を払い除けた。鈍い音が崩れる中、彼の声が真っ直ぐと彼女の耳に届いた。
「昔エレクトというコロニーに接触したことがあってな、その時棚の奥深くに隠された書物を見つけた」
聞き慣れない名前に彼女は亘を横目に首を傾げた。
「エレクト? 一体そのコロニーは何だって言うんだい?」
「聞いたことがないかい? 秘密を隠し、業を背負いながら生きるコロニーだ」
亘は書物の山から手を抜き取り、端が擦れている書物を机に置いた。その表紙には空を見上げる少女のシルエットが描かれていた。
「皆シーバが危険だとばかり思い、前髪の分け目やシャルムを持っているかだけを気にしている。しかし彼らは違った。彼らが恐れていたのはシャルムの大きな力だった」
しわくちゃな手がボロボロな紙をめくっていく。そしてあるページでその手が止まった。
「その大きな力とは森を統べる力だ」
紙には輝くシャルムが描かれ、それは大きな森を円く囲っていた。森の中にいる動物はシャルムを見上げ、人はひざまずき首を垂れていた。そこには微かに赤黒いしみがあり、一人の顔が塗り潰されていた。
「あんたはそれを奪って何をしたいんだい?」
書物から顔を上げた彼女は鋭い視線を亘に向けた。亘はそれを嘲笑い、細めた目を彼女に向けた。
「愚問だな。私はこの世のすべてを手にしたいだけだ」
彼女からは歯ぎしりが聞こえ、彼女の掌には爪が食い込んだ。止めに入ろうとしていた彼女の旦那も呆然とし、ただ立ち尽くすだけであった。彼女の口から微かに震える声が漏れた。
「エレクトとかいうコロニーは秘密を隠して生きているとか言っていたな。そのコロニーは今どこにいるんだ?」
亘は蔑んだ目を彼女に向けた。その目は彼女をじっと見つめ、彼の口が開いた。
「エレクトなら潰した。この書物が外の人間に見つかったからと言って私に切りかかってきたから、権力で握り潰したよ」
彼は彼女に背を向け、影で笑いを漏らした。
「この私に逆らおうなど思うからこんなことになるんだ。皆私に従うしか生きる術はないんだよ」
乾いた笑い声が響き渡る。それは彼女の胸の奥まで刺さり、傷をえぐっていった。彼女の身体は無意識に動き、亘に飛びかかろうとしていた。しかし既のところで旦那が彼女を取り押さえた。
「なんであんたなんかが未だに生き残っているのよ! あんたが森を統べられるわけないじゃない!」
悲鳴のように響く声は亘を微動だにもさせなかった。鋭くなった瞳には涙があふれ、頬を伝って旦那の手に落ちた。冷たくも熱い雫は彼女を押さえる力を強くさせた。彼女はその腕を握り、震える声を絞り出した。
「あんたなんか呪われて、今に殺されるわ」
旦那は彼女を連れてテントから出た。それを見た直人は大きくため息を吐き、背を向ける亘に声をかけようとした。
「ドゥーチス――」
「直人、成矢の策にかかる準備をしろ」
直人の言葉は遮られ、亘の冷たい声が響いた。直人は少し目を閉じ、口を開いた。
「はい、我らに日が差さんことを」
赤く染まった葉が乾いた音を立てて宙を舞う。何かを失い、何かに染まってしまったものは元の場所に戻りたくも戻れないでいた。
次話「家族」は2017/12/21(木)に更新します。




