第9話 デウス
2017/10/12 12時頃に追記しました。更新が遅くなってしまい申し訳ありません。
祖母と純の話を聞いた後、剛太は寝床に向かうが寝つけずに、静かに一人で外へ出た。ドアを開けると少し熱気の混ざった空気が彼を包み、なぜか鼻の奥がツンとした。森を流れる煙はもうそこにはなかったが、臭いだけは微かに漂っていた。風がなびき、静かにドアが閉まっていく。きしむ音が耳に響くと共に剛太はゆっくりと瞼を閉じた。木々は静かにささやき、小さな虫はそれに答えて鳴いていた。様々な声は静かな森に染み込むように広がっていた。その声を日々気にする人はいないに等しく、それはただ空気を震わせるだけであった。ドアが完全に閉まる音が響き、剛太は瞼を開けた。そこには日に日に強さを増していく月の光があった。彼の足元に微かに影が落ち、それを見つめた。そしてその視線をそのまま真っ直ぐと伸ばしていくと、そこには木々や建物とは違う影が落ちていた。剛太はその影へとゆっくり歩を進め、大きく折れ曲がったその背に声をかけた。
「さなばぁ、こんな時間になんで外になんかいるんだよ」
丸まったその背から小さな頭が現れ、剛太を見上げた。
「ああ、剛太か。年を取るとね、どうしてもすぐに目が覚めてしまうものなんじゃよ」
静かに問いに答える剛太の祖母の横に彼はそっと腰かけた。遠くからはカエルの合唱が聞こえ、それをかき消すように夏の終わりを告げる声が聞こえた。剛太の耳には草木がこすれ合う音もいつになく寂しげに届いていた。虚ろな目をしている彼に彼女はしゃがれた声で訊ねた。
「そういう剛太だって、どうしてこんな時間に起きているんだい?」
森の方に向けているも焦点の定まらないその視線を何度が泳がし、深いため息と共に彼は空を仰いだ。群青色のペンキが零れ落ちたキャンバスの上に暗闇に染められた小さな雲と白や赤など小さな飛沫が散りばめられている。そしてそれらをかき消すように膨らみかけた大きな光が彼らのやや後方にあった。
「今日一日、いろいろありすぎて頭の整理が追いつかないんだよ。そんな他人の過去のことまで気にしたことなかったから」
彼らを包む生ぬるい空気に冷たい風が通り過ぎた。小さく揺れる影は茶化すように彼の顔を何度も行き来した。それに目を瞑った彼に彼女は呟くように語りかけた。
「昔、神様と悪魔の話をしたことを覚えているかい?」
その言葉に彼は目を見開き、横目で彼女を見た。彼女はそれを気にするでもなく、ただ懐かしい思い出を見つめるように目を瞑った。
「天から舞い降りてきた人が地上に住む人に『言葉』を与えた。ある人は自分の想いを相手に告げられることに喜びを感じ、その天人を神様と称した。一方、ある人は言葉のせいで相手の想いが浅はかなものだと感じてしまうことに悲しみを感じ、その天人を悪魔と称した。そのことから、神様と悪魔は紙一重の存在じゃと言われておる」
その声は数年前に聞いた時よりもか細かったが、静かに真っ直ぐと剛太の耳へ届いた。彼女は小さな瞳を開き、遠くを見つめて言った。
「これはデウスであるシーバを皮肉って言っているものではないのじゃよ。人一つの行為は善にも悪にもなり得る、デウスに限らず人においても神様にも悪魔にもなり得るというものじゃ」
小さな雲は月に幾度かかかっては離れ、地に落ちる影を曖昧にしていった。少し欠けた月が彼女の瞳に映し出され、それがふっと剛太に向けられる。
「誰かが喜ぶものに悲しむ者もおる。そのことを剛太にはしかと胸に留めておいてもらいたいと私は思っておるよ」
その瞳は数年前に感じた違和感などなく、清流のように澄んでいた。その瞳は剛太の胸を締めつけた。彼は彼女のその優しい瞳を見つめながら口を開いた。
「さなばぁ、今まで見守ってくれていてありがとう。伝えたいことが多くてもどかしかったと思う。それでも気長に……待っていてくれてありがとう」
蝉の声が聞こえる中、微かにコオロギの声も耳に届いた。冷たい風がそよぎ、彼らの内も洗い流されているようであった。彼女はいたずらっぽく笑い、腕を組んだ。
「私ぁ待つことには慣れているからね。それにさっき話した五十二年前の話じゃが、輝雅にもちゃんと話していないことがあるんじゃよ」
彼女は手招きをし、剛太の耳を近づけた。耳打ちをされた彼は目を丸くし、彼女を見つめた。
「は…?なんで、そんな……」
予想通りの反応をする彼に彼女は笑い、ふっと細い目をして言った。
「彼を守り、希望をつなぐためじゃよ」
彼女はその言葉と不敵な笑みを残し、その場から立ち去ってしまった。
「いや、それって俺に言っていいことだったのか…?」
一抹の不安が彼の心に降り積もり、またいつもとは異なる心の鼓動を感じていた。
その後も剛太は寝つけずにその場で空を見上げていた。何も考えずにただ呆然と天の光を見つめ、時が流れていくことを感じていた。群青色の空に黄色が混ざり始めてきた。雲は灰色から赤色へと変わっていき、小さな光は徐々に打ち消されていった。そして強い光が彼の瞳の奥まで突き刺さり、一瞬目の前が真っ白になった。それと同時に畔が書物を差し出してくる映像が彼の脳裏に映し出された。
「そうだ、資料――」
書物のことを思い出した彼は駆け出し、自身の部屋へと戻っていった。枕元に無造作に置かれた書物を手に取り、小さな窓から零れ落ちる光を頼りに茶色い紙の上の文字をたどっていった。シーバに関することが事細かに書かれていた。
この地にシーバと名乗るデウス現れたり。これM字なる奇妙な前髪
の分け目と首飾りを有す。この飾りシャルムと称す。シーバこの森に
溶け込むが如く、人より色素薄し。
シーバと名乗りし者、人の子なり。他の子と違わず無邪気なり。特
技聴力良しとし、ある時より獣と言葉を交わしたり。
その子十なるヌラムの前夜、姿を消つ。コロニーの者探すも見つか
らず。次の夜、その者等ヌラムす。引きし馬立ち止まりて空見上げた
り。人々同じように上を見上げ、姿消し子見つけたり。子シャルムを
首より下げ、白き獣と共にありけり。獣ニューファンドランドシロオ
オカミなり。獣、子と運命を共にする相棒オーミエなり。子微笑みて、
獣と共に森に消つ。
後、森豊穣の時を迎えけん。皆喜びけり。十の年が過ぎし時、獣の
声と共にその時代終わりけり。
それより五百の年が過ぎし時、再びシーバなる子現れたり。人々そ
の子を奪わんと争いたり。子十ならず時シーバと名乗りけり。子争い
を鎮め、森を守りたり。子十五になる前、獣の声と共に姿消つ。
それを見た剛太は血の気が引いていくのを感じ、手からその書物が滑り落ちた。鈍く大きな音が部屋に響き渡り、家族皆目を覚ました。最も近くにいた純は小さく剛太に呼びかけるも、全く反応がなかった。彼らを仕切る布を覗くと、呆然とたたずむ剛太の姿があった。
「おい、剛太。一体どうしたんだ?」
返事を待たずして、外から大きな音が聞こえてくる。反射的に飛び出していく剛太を純は追いかけた。外は砂煙に覆われ、皆腕で目を覆っていた。それが落ち着いてくると、周りの木々も鮮明に見えてきた。そしてその木の上から少女の姿が現れた。
「やっと現れたか――シーバ!」
少女は頭からフードを取り、髪とシャルムをなびかせた。その明るい茶が光できらめき、透き通る瞳はこの地を静かに見つめた。荒みゆくこの地に冷たい風が流れ始める。七日目を迎えた蝉は弱々しくもこの地に居続けようとしていた。
第三章はこれにて終わりとなります。
最終章「秋」は2017/10/26(木)からの更新となります。




