第7話 真実
青い空には蝉の声と黒い煙が天高く昇っていった。高く細く昇っていく煙を輝雅は小さな瞳を大きく見開いて見上げた。煙は微かな風に吹かれ、大きく揺れる。それでも上へ上へと昇っていき、いつの間にかかすれて消えていた。その先を見ようとすると、白い光が瞳の奥まで差し込み瞼を閉じさせる。そして風は目をかすめ、涙を置いていった。輝雅は横にいた佐那江の脚にしがみつき、顔を押し当てた。彼女は険しい顔をした大人たちを見渡し、その頭を優しく、しっかりと抱きしめた。
長の葬儀の後、『デウス保守派』と『デウス殲滅派』のトップである晴康と畔、その他数名が長のテントに集まった。緊迫な空気が流れる中、晴康が第一声を上げた。
「長が亡くなった。ということは、次期アフロディ長を早急に決めなくてはならない。それにあたって、今後のアフロディのデウスに対する思考の方向性を決めなくてはならない。そうだな?」
畔の冷たい視線が晴康に向けられる。それでもなお晴康の視線がぶれることはなく、周りの皆を見渡した。それを見た畔は机を叩いた。
「儂は何度も言っているはずだ。『言い伝え』でも言われているように、デウスはいるべき存在ではない。その意見を曲げることはない」
二つの鋭い視線はぶつかり合い、辺りの空気を凍らせた。皆が息を呑む中、晴康は静かに口を開いた。
「たとえアフロディからデウスの子が産まれたとしてもか?」
強く真っ直ぐな視線が畔に向けられる。
「一つのコロニーは一つの家族のようなものだ。生まれた時から共に過ごし、共に生きていく。そんな運命共同体の家族の一員をお前は殺すことができるのか?」
静かな空間に歯ぎしりが響いた。その直後、獲物を狩るような鋭い視線が晴康に向けられた。
「ああ、殺せるさ。未来の平和のためならな」
温度を感じないその瞳は晴康の背筋に寒気を走らせた。
「あんたは人一人のために未来を犠牲にするのか? 皆を犠牲にするのか? 人一人の死で平和が得られるのであれば、儂は何事も厭わない」
低く冷たい真っ直ぐな言葉が晴康の喉奥の言葉を詰まらせた。
「人生ってのはどの道を進もうが苦痛と幸福がついて回る。その道の差はそれらの比の違いだ。どのみち苦痛があるのなら、幸福が多い道を選ぶのが筋だろう? 風習だか何だか知らないが、何も考えずにこのまま過ごすなんて馬鹿のすることだ」
畔の手元にある机が一度きしみ、再び静寂が訪れた。彼の言葉に口を閉ざす晴康に彼は静かに問いかけた。
「晴康、あんたはもうわかっているはずだ。このまま話し合っていても話がまとまることはない。つまり…どういうことかわかるな?」
その言葉に晴康は顔を上げた。そこには黒く染まるも、真っ直ぐな光が差し込む瞳があった。そしてその瞳が細められ、憐れむように晴康を見た。
「儂らは干戈を交えなくてはならないようだ」
それを聞いた晴康は目を開き、身を乗り出した。
「いや、待て! そんなことせずとも話し合いで――」
「儂が折れることはないぞ」
必死に止めようとする彼に鋭い視線と言葉が向けられる。
「つまりあんたが折れるしかこの話が終わることはない。あんたは折れるつもりがあるのか?」
晴康は眉間にしわを寄せ、口を固く閉ざした。それを合意だと察した畔は晴康に背を向け出口に向かった。
「図らずもこうなっていた結果だ。油と水が混ざり合うことなんてないんだよ」
出口の布ははためき、その中で机の上に鈍い音が響いた。
その二日後、アフロディでは銃声が鳴り響いていた。地は紅く染められ、そこにいくつもの雫が滴り落ちた。数日間、拮抗状態が続き、それを見兼ねた畔は『デウス殲滅過激派』であったカリオフィに援護を求めた。それにより形勢が一気に傾き、『デウス殲滅派』の勝利となって内乱は幕を閉じた。
アフロディが『デウス殲滅派』になったことにより、アフロディ内の『デウス保守派』が一掃されることになった。しかし晴康の最後の嘆願により、女子供のみ命を助けることになった。それを知った佐那江はただ一度だけ人目につかない森の奥へと足を運んだ。そこに連れてこられた輝雅はか細い声で彼女に訊ねた。
「なんでこんなとこに来たの?」
彼女は少年に振り向かず、ただ空を見上げた。そこにはすでに緑色の世界はなく、悲しい葉の音が聞こえた。そして左手にいる彼を空に羽ばたかせた。
「てる、よく聞いて」
頭上から降る光が佐那江の顔に影を落とした。それを見た輝雅は、幼いながらももうそこにはかつての佐那江がいないことを知った。そして彼らの体温を奪う風が吹く中、彼女はかがんで少年に顔を近づけた。
「衛次さんはね、死んじゃったの。遠い地の先で事故に遭って。お父さんもてるとさよならしなくちゃいけないんだ。だから――」
言葉に詰まった彼女は小さな体を抱きしめた。やけに火照った体が輝雅の心を締めつけた。熱い雫が少年の肩に触れ、震える想いが少年の顔を歪ませた。唇を噛み、身体を強張らせる少年の瞳にスズメバチが映った。
「長、言ってたよ」
震える幼い声が彼女の耳元で響いた。
「話し合えばどんな人とも解り合えるって。どんな人とも友達になれるって。だからてる――」
「てる」
気づいたら彼の目の前には悲しそうな瞳をした彼女がいた。彼女はしっかりと彼の肩を掴み、彼の瞳を覗き込んだ。
「てる、お願い。お母さんより先に死ぬようなことはしないで。約束よ」
彼女の瞳を見た少年は頷くことしかできなかった。彼女は少年の手を引き、来た道を戻ろうとした。その時少年の瞳にスズメバチが何かを持ち去る姿が見えた。目を凝らして見ると、そこに破れた後のクモの巣が風に吹かれて揺れていた。
彼らがアフロディに着くと、そこには待ち構えた畔がいた。そして彼らにゆっくりと近づいてくる。輝雅は繋がれた手に力が込められているのを感じ、上を見上げた。するとそこには険しい顔をした彼女がいた。
「こんな時にあんたはどこに行ってたんだ?」
彼女を蔑む視線が遠くから飛んでくる。しかし彼女は眉ひとつ動かさず、淡々と言葉を口にした。
「衛次さんが亡くなったという連絡を受けた」
それを聞いた畔は歩みを止めた。そしてより鋭い視線が彼女に向けられた。
「衛次さんにもしもの事があった時、赤い布を持って帰ってくるようハヤブサに教えていたんだ。森の奥で妙な鳴き声がするから行ってみれば、それを持った彼がいたんだよ」
それを聞き終えた畔は「そうか」と呟き、なぜか含み笑いをした。彼女が怪訝そうな面持ちでいると、彼は静かに口を開いた。
「いや、そのハヤブサのことだが、あんたには鷹匠の職を降りてもらう」
それを耳にした輝雅は驚き、彼女を見上げた。しかしそれでも彼女が動じている様子はなかった。
「私が辞めたら他のコロニーとの連絡手段がなくなってしまうけど、あなたはそれを承知済みなの?」
鋭い視線を畔に向けるが、彼が揺るぐことはなかった。
「ああ、承知した上での決定だ」
彼女は一瞬押し黙り、腰にあったものを外しだした。そして餌掛けと口餌籠を畔に手渡した。それを見た輝雅は寂しげに彼女を見た。
「お母さん…」
その瞳に気づいた彼女は寂しげな瞳で微笑んだ。
「もういいのよ。お母さんにはもう必要のないものだから」
その場を去る寂しげな背中を少年はただ見ていることしかできなかった。
その日の夕刻、晴康を先頭に『デウス保守派』の男たちがアフロディの端に並べられていた。彼らの手は縄で縛られ、ライフルを抱えた人々と向かい合っていた。コオロギの声が鳴り響く中、晴康は目の前の畔にささやいた。
「お前に言っておきたいことがある」
その言葉を耳にした畔は眉をピクリと動かした。
「言っておきたいことだと?」
畔の怪訝そうな顔に彼は少し笑い、真っ直ぐな瞳を彼に向けた。
「絶対にアフロディの皆を幸せにしろよ」
アフロディに十何もの銃声が鳴り響き、鳥が一斉に羽ばたいていった。空を舞う細かい縞のかかった鳥は片足を銀色に光らせ、遥か遠い地に向かっていった。
暗闇の中に寂しく揺れる炎は剛太の祖母のしわをはっきりと照らしていた。一度訪れた静寂の中に再び彼女の声が響き渡った。
「あんたの母親がアフロディに来たのはその数年後じゃ。鷹匠の基礎は七つの時から教わり、八つになると他のコロニーへ行ってそこの鷹匠を師事することになっておる。その経緯で彼女は私のもとへ来たのじゃ」
呆然とする剛太を横目に、少し俯いていた純が静かに口を開いた。
「畔じぃさん、その過去を後悔していると言っていた。実際に自分のコロニーにデウスが産まれても、自分の手で殺せなかったって」
祖母は「何をいまさら…」とかぶりを振った。そんな彼女を目の前に、一気に様々な情報が流れてきた剛太の頭の中はパンク寸前だった。祖母と母が鷹匠という職に就いていたこと、アフロディにて内乱があったこと、祖父がそれによって殺されたこと――。それらを思い返していたら、畔のあの言葉が蘇った。
『昔、儂は大きな過ちを犯した』
過ち――きっとそれはデウスを殺せると口走り、『デウス保守派』であった剛太の祖父を殺したことだろう。
そんなことを悶々と悩んでいると、剛太の頭の中にある疑問が浮かんだ。
「過去にそんなことがあったのに、どうしてあの〝霧の夜〟、誰も咲希を助けようとしなかったんだ?」
その言葉によって場は凍りついた。剛太は辺りを見渡し皆の顔を窺うが、誰も顔を上げようとしない。それに苛立ちを覚え、剛太は机を叩き立ち上がった。
「結局そうなのかよ! 自分に害が及びそうになったら手を引くのか」
その言葉に純は「違う!」と叫んだ。
「あの日、咲希を助けようとしたんだ。したけど――」
言葉を一瞬詰まらせる純に母が少し寄り添った。しかし彼はそれを払い除け、視線を剛太に向けた。気に食わない剛太は純に言い寄った。
「したけど何なんだよ? 結局怖気づいたのか?」
剛太から鋭い視線が向けられる中、純は剛太から目を逸らし小さく呟いた。
「俺は由里を殺したんだ」
その言葉によって一瞬にして剛太の音の世界が消え去った。音のない世界で奇怪な音が鳴り響き、剛太の頭を打ち砕く。視界がぶれていく中で、苦い臭いを鼻の奥で微かに感じた。
次話「三つ目の銃声」は2017/9/28(木)に更新します。




