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四季折々  作者: 七種 草
第三章 夏
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第5話 生誕祭

 蝉の声が辺りを包んだ。その声と共に血と汗が地に流れ落ちる。あれから戦争は二ヶ月以上続き、今もなお地と空が紅く塗りたくられていった。いつもより少ない蝉の声が梅雨の終わりを告げる。激しい日差しが何かに遮られることなく彼らに降り注いだ。


 光の色なのか血の色なのかわからない空の下で紅い炎が燃え出した。戦争が長引くにつれ、死体の腐敗臭が激しくなっていった。それを緩和させるために、数日に一度夕暮れになると皆総出でそれらを焼き払っていった。死してもなお痛めつけられるその肉体を子どもは呆然と眺めていた。その灯りが森中を照らし、傍から見ればお祭りをしているようであった。そんな中、剛太は地に横たわり空を見上げていた。いつもならすぐに見つけられる北極星のポラリスがこの日ばかりはすぐには見つけられなかった。体中の傷に蝉の声が響いた。日が沈み、まだ少しばかり紅い空に止むことの知らない蝉の声が広がっていた。虚ろな目で空を見上げていると、剛太の頭上から彼を呼ぶ声が聞こえた。


「剛太、畔じぃさんのところに行け」


 その声は純だった。剛太は横たわった体を起こし、彼の視線を背で感じた。タンパク質の焼ける苦い臭いが鼻をかすめ、剛太は顔をしかめた。


「畔じぃのところだと? 何のためにだ?」


 黒い風が純の背後を駆け抜けた。彼の黒く染まる瞳が悲しげに剛太を見つめ、彼の口が静かに動いた。


「今日はお前の生誕祭だろ」


 その言葉に剛太は振り返った。しかし純はそれだけを言い残し、黒い風の中に消えていっていた。ただ剛太の耳元で蝉の声が響いていた。


 剛太は純の言葉に従い、渋々畔の家へ向かった。彼は誰かの言葉に従うつもりはなかったが、『生誕祭』という言葉に突き動かされていた。彼はコロニーの皆に疎ましく思われているとわかっていたため、彼の生誕祭など開かれることはないと思っていた。しかもこの戦時中ならなおさらである。それでもこの日に誰かの口から生誕祭という言葉が出たということに違和感を覚えた。生誕祭――成人の儀式と共に伝えられる『言い伝え』。それは何よりも大切なことなのだろう。しかしその内容は四年前の霧の夜に純の口から聞いていた。それなのに今畔の口から聞く必要はあるのか? 疑問が剛太の脳内を駆け巡る中、彼は畔の家の扉に手をかけた。そして鈍い音と共にその扉は開いた。中では小さな灯りを灯しながら畔は待っていた。


「来てくれたか」


 その声は安堵と悲しみを含んでいた。剛太はそんなことを気にすることなく畔を睨んだ。


「今更何を話そうというんだ? 先に言っておくが、『言い伝え』を聞く気はない」


 畔は剛太の刺々しい言葉に少し目を伏せ、椅子に腰かけた。彼は一息ついてから少し目を細め、剛太を見た。


「まあ、まず座りなさい」


 剛太は少し苛立ちながらも、彼の異様な雰囲気に押され腰を下ろした。灯りは小さな部屋をぼんやりと照らした。畔のしわくちゃな手が机に置かれる。


「『言い伝え』のことじゃが、実際それはコロニーの長が新成人に伝えることになっておる。じゃが、儂が亘に頼んでアフロディの新成人は儂から伝えてもいいことになった」


 聞きたくもない話が剛太の耳に届き、彼は机を叩き立ち上がった。


「だから俺は『言い伝え』の話は――」

「わかっておる。お前が純から聞いたという話は奴自身の口から聞いておる」


 畔の言葉が静寂の中響き渡った。小さく燃える灯りを目の端で感じながら、剛太は顔をしかめた。


「どういうことだよ?」


 その小さな言葉と共に小さな灯りは何度も揺らいだ。畔の顔に映る紅い炎と影が何度も揺らぎ、剛太は目を細めた。


「まあ、座りなさい」


 再びその言葉を聞き、剛太は静かに腰を下ろした。それを見た畔は静かに語り出した。


「我々の元コロニーである『アフロディ』という名はコチョウランの種小名aphrodite(アフロディテ)からきておることは知っておるな?」


 畔の問いに剛太は小さく頷いた。


「コチョウランの花言葉は『純粋な愛』だろ」

「ああ、そうじゃ。じゃが、この名には他の意味も含まれておる」

「他の意味だと?」


 剛太は訝しげに眉をひそめた。炎の揺らめきと共にそれを見た畔はゆっくりと口を開いた。


「アフロディテ――豊穣の女神じゃ」


 それを聞いた剛太は一度顔をしかめたが、あることに気づいた彼は目を見開いた。


「豊穣の女神って、それは――」

「『言い伝え』にもあるデウスのことじゃ」


 畔はゆっくりと重い腰を持ち上げ、椅子の床に擦れる音が部屋に響き渡った。その歩幅は小さくもしっかりとどこかへ向かっていた。


「『言い伝え』では、デウスが現れた時代は豊穣の時代となると言われておる。そのような存在であるデウスを守りゆくために、この森にいくつも存在するコロニーの一つ『アフロディ』がデウスに最も近しく、デウスを崇め奉っていたとされている。そのため、デウスに関する資料は他のコロニーよりも多く所持しているのじゃ」


 立ち止まった畔は棚から分厚い書物を取り出した。そしてそれを剛太の目の前に差し出した。


「これは先代より受け継がれてきた大切な資料じゃ。ここにお前の知りたいことが書かれてあるじゃろう」


 差し出された書物を剛太は一瞬躊躇いながらも受け取った。それを適当に開いた剛太は再び閉じ、炎の揺れる鋭い目で畔を睨んだ。


「あんた、こんなことをして何をするつもりだ?」


 微かな光の中、剛太の冷たい視線が畔に突き刺さる。しょぼくれた瞼の奥でしかとその視線を受け止めていた。そして畔は瞼を閉じ、ぽつりと呟いた。


「そうじゃな。今更こんなことしても、じゃよな」


 その言葉に顔をしかめた剛太を気にすることなく、畔は再び椅子に腰かけた。そして小さな声ながらもゆっくりと、何かを噛みしめるように話し出した。


「昔、儂は大きな過ちを犯した。それは今になっても続いておる。これをお前に謝ることは筋違いだということもわかっておる。じゃが謝らせてくれ。本当にすまなかった」


 机に両手をつき、深々と頭を下げる畔の姿に剛太は目を丸くした。何の話かわからない剛太は何とも言えない不安な感情に駆られた。


「待てよ。『過ち』って何のことだ? 昔に何があったっていうんだよ?」


 口ごもる畔が何かを言い出そうとした時、扉を叩く音が聞こえた。


「畔じぃさん、いらっしゃいますか? 今後の打ち合わせをしたいのですが」


 扉を見つめる二つの視線はその成矢の声で凍りついた。一度ため息を吐いた畔は重い腰を持ち上げ、扉の方へ向かった。そして鈍い音と共に成矢の顔が現れた。畔の肩から剛太の顔を覗いた成矢は少し目を見開いて言った。


「もしかしてお取込み中でしたか?」


 その言葉に表情一つ変えずに畔は答えた。


「いや、ちょうど切りがよかったところじゃ。今すぐ儂も向かう」


 二人の姿を呆然と見つめる剛太に畔が顔を向けた。そして暗闇を背後に剛太に告げた。


「儂は亘のところへ行く。今日はもう家に戻りなさい」

 暗闇に消えていく畔の姿を見送った剛太は、一人小さな灯りの中取り残されていった。



 頭に(もや)がかかったままである剛太は左手にある書物に視線を落とした。何が書かれているのかわからない謎の書物を手にしている反対の手で家の扉を開けると、そこには祖母、父、母、兄の家族全員の姿があった。彼らの異様な雰囲気に剛太は少したじろいだ。立ち尽くす剛太に父が静かに口を開いた。


「大切な話がある。入りなさい」


 その静かな口ぶりに剛太は静かに従った。そして促されるがままに席につくと、剛太は顔をしかめて訊ねた。


「大切な話って?」


 その言葉で皆の視線が祖母に向けられた。それを感じた祖母は小さな瞳を瞼の奥から覗かせた。


「昔のアフロディの人々の話じゃよ」


 遠い向こうから火花の散る音が聞こえたような気がした。いつもより虫の音が少ない中、こうして剛太が知りもしない遠い昔の、醜い話が始まった。

次話「五十二年前」は2017/8/31(木)に更新します。

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