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四季折々  作者: 七種 草
第二章 春
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第7話 忠告

 草木の揺れる音がした。その音と共に彼女は瞼を開けた。肌には冷たく優しい風が当たり、重たい頭を軽くさせた。小さな雨粒はゆっくりと葉の端に集まり、大きくなった雫がまた下の葉へと落ちていった。時折大きく揺れる葉の音の合間にコゲラの弾むような声が響いた。その高らかな声へと顔を向けると、山や木々の合間から鋭く白い光が瞳に差し込んできた。彼女はその光に一瞬目を細め、再び瞼を閉じた。何かに追われるように流れを速める川の音が遠くから聞こえ、湿った土の匂いが鼻をかすめた。鳥の声は少なく、いつもより静かな朝は彼女を一人きりの世界に置き去りにしたように感じさせた。数少ない音の中の一つが優しい鈴の音と共に彼女に近づいてきた。彼女はゆっくりと瞼を開け、大きな風を感じた。その風の先を見据える瞳には朝日に輝く白い獣が映しこまれた。獣の瞳は真っ直ぐと彼女を見据え、彼女の視線と交わった。彼女は再び瞳を細めながら口を開いた。


「一晩一度も戻ってこないなんて珍しいじゃない、ヴィントゥス」


 体を震わせ雫を払う彼はため息と共に答えた。


「まあな」


 その一言だけを残しその場を去ろうとする彼に、彼女は一つ間を置いてから声をかけた。


「何か、あったの?」


 伏し目がちに聞く彼女を彼は一瞥し、視線をよそに向けてから口を開いた。


「昨日『禁忌の地』に人の侵入があった。そこで人間側が我々に宣戦布告してきた」


 淡々と話す彼に再び視線が注がれた。彼は彼女の視線に気づきながらもそちらに視線もくれず、そのまま続けた。


「開戦は最も日の長き日の日の出だ。お前も腹をくくっておけ」


 彼の低い声の向こうで弾むような高らかな鳴き声が聞こえた。まだ何も知らないこの森にはいつもと変わらない時が流れていた。何も変わらないということはないとわかっていながらも、何かを望んでいた彼女の心に少しの痛みが走った。


「そう…。わかった」


 彼女は胸元で揺れる雛菊の葉の首飾り(シャルム)をそっと握りしめ、その場を離れようとした。その背中を見た彼は鋭い目で彼女に言葉を投げかけた。


「もうあの(ガキ)に会うのは止めておけ。これ以上関わって――」

「わかってる」


 彼の言葉を遮り、彼女は一度も振り返らずに去っていった。青い空に白い光が注がれる。その光はすべてを打ち消すように彼らに差し込んだ。森に消えていく彼女の姿を見ながら、彼は滴る雫を足元で感じていた。



 彼の言葉を背にあの場から立ち去った彼女はぬかるむ土を踏みしめながらある場所へと向かっていた。足元の水は徐々に増し、彼女の足取りを重くさせていった。それでも彼女は前へと進み、白と緑が広がる世界まで来た。雨をせがむように白く大きな花弁を上へ向けるミズバショウは冷たい世界の下でひしめき合っていた。その間を彼女はゆっくりと進んでいった。歩を進める度に雫の音がそこに響き渡り、徐々に音のない世界へと引きずり込まれていくようであった。その世界へと進む彼女の視線の先には、白と緑の世界の中で輝く金色のリュウキンカがあった。彼女はそれを手に取り、いつものようにあの木まで駆けていった。


 空が淡い青に染まり始めた頃、彼女は森の中で最も大きい木の目の前にいた。彼女は手元にある黄色い花に一度視線を落とし、幹の裏へと行こうとしたが、その時遠くで彼の足音が聞こえた。彼女は目を閉じ、唇を噛んだ。


(これから戦争が始まる。そしたら彼は私の敵になる。そんなのわかっていたこと。わかっていたけど――)


 彼女の手から黄色の花が零れ落ち、そこから離れていった。木から小さな雫が滴り、その花を濡らしたことなど彼女は知る由もなかった。


 息の上がる彼女の目の前にいつものギャップが広がっていた。そこには草笛の音色が流れ、優しい風が吹いていた。


(これで最後にするから…)


 優しすぎるその音色は彼女の心に痛みを与えた。それでも彼女はそのいばらの道へと進んでいった。彼女が姿を現すと音色は止み、彼は微笑んだ。


「ユキ、おはよう」


 彼女は胸元で隠れて揺れるシャルムを感じながらも、すべてを忘れて笑った。


「おはよう」


 日は高く昇り、そして徐々に下へと落ちていった。湿った土は固い地に戻り、鳥はいつものように辺りを飛び交っていた。何もかも忘れ、いつものようにそこに二人でいた時であった。彼女は急に口をつぐみ、顔を強張らせた。それに気づいた優は彼女に視線を向けた。


「どうしたの?」


 一瞬言い淀んだ彼女はすっくと立ち上がり、彼に背を向けた。


「私もう帰るね」


 訳のわからない彼は、戸惑いながらも頷くことしかできなかった。それを聞いた彼女は小さな声で「さよなら」と呟いた。呆然とする彼は「何か大事な用事でも思い出したのかな」と呟きながら帰路についた。彼は彼女との時間を思い出すように、彼女から教わった歌を口ずさみながら歩いていた。するとその横から手が伸び、彼の肩を捕まえた。彼は肩をびくつかせ、小さな悲鳴が上がった。しかしその手はそれを気にすることなく、彼を振り向かせた。


「おい、その歌どこで聞いた?」


 その手は剛太であった。手ぶらながらもその身なりから、遠征から帰ってきたばかりであることがわかった。優は速まる鼓動を落ち着かせようとしながらも、剛太から声をかけられたことに驚き、思考回路がショートしかけていた。


「え、剛太? 遠征に行ってたんじゃ…。というよりも、もう話しかけないって――」


 頭の中で様々な言葉が駆け巡る優の胸倉を剛太は掴んで叫んだ。


「その歌はどこで聞いたと訊いてるんだ!」


 あまりにも必死な彼を初めて見た優は目を見開いた。そしてゆっくりと口を開いていった。


「ある女の子に聞いた」

「女…?」


 その言葉に剛太は顔をしかめた。優は彼の顔をまじまじと見ながら、言葉を続けた。


「髪が長くてフードを被った子。プラエっていうコロニーにいるって言って――」


 優の言葉を聞き終える前に剛太は彼を引き寄せ、息を荒立たせた。


「そいつは今どこにいる⁉」


 怒りだか悲しみだかわからないその表情は優の胸を締めつけた。そして見るに堪えなくなった優は彼から目を逸らし、口を開いた。


「わからない…。でもまだこの辺りにいるはずだよ」


 それを聞いた剛太は彼を置き、その場から駆け出していった。彼が通り過ぎていくのを肌で感じながら、優は胸の中が冷えていくのを感じていた。


(結局、二人を変えることは僕にはできなかったんだ)


 優の中で点と点が繋がり出した。それと同時に、彼の中の何かが暗闇に消えていくようであった。日は傾き、黒い影を伸ばしていく。春の香りはもうそこにはなかった。

次話「再会」は2017/7/6(木)に更新します。

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