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四季折々  作者: 七種 草
序章 幼き頃
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第2話 剛太

 早朝――まだ日が出ていない頃、森には深い霧が広がっていた。二、三メートル先は真っ白で、何も見えないほどである。そんな中、静かに漂う白い空気が切り裂かれ、銃声の音が響き渡る。と同時に、怒鳴り声も響き渡った。


「おい、どいつだ! また獲物を逃した奴は!」


 小さな声で「すいません」と謝る声が聞こえる。


「オレ……、剛太がやりました……」


 舌打ちと一緒に「おめぇはもう撃つな!」という怒鳴り声とそれをなだめる声が聞こえた。そんな中、うなだれる剛太の肩に手が置かれた。


「少し休むか?」


 剛太の父だった。その後ろには片耳を手で塞いでいる純もいた。


 三人で少し移動し、川辺に腰を下ろした。剛太はライフルを置き、赤くなっている目元を隠すように川の水で顔を洗った。水は冷たく、顔に少しの痛みを感じたが、彼は構わず水を顔に押し当てた。その背から父の声が聞こえてくる。


「お前、今日が初陣だってのに散々だったな」


 剛太はハハッと軽く笑われた。その声に剛太の手が止まる。父は剛太が少しムッとしていると感じたのか、こうも付け加えた。


「でもまあ、たった一週間しか経ってないのに、練習じゃよくあそこまで当たるようになったもんだよ。普通はそんなに早く上達しないもんだからな」


 父は剛太の頭を乱暴になでた。その時はもう剛太の暗い顔は消えていた。そんな空気に水を差す如く、純は毒を吐く。


「通常の狙撃の腕が上がっても、霧の中での狙撃の腕も伴わなきゃ意味がないんだけどねぇ」


 その言葉に対して剛太は「黙れ、クソ兄貴!」と噛みついた。それを聞くと、純は瞬時に剛太のもとに行き、剛太の両頬を片手で掴んだ。


「誰に向かってどの口聞いてんだ?」


 剛太はその威圧に負けて、「ふいはへん……」と謝った。その時、高音の口笛が二度聞こえた。


「狩りが終わったみたいだな。よし、じゃあ帰るか」


 父はよっこらせと腰を上げた。それに伴い純と剛太も立ち上がり、ライフルを肩に掛けて歩き出した。


 歩き始めて程なくして剛太は、籠を足元に置き木の上を見つめている由里を見つけた。


「おーい、由里! こんなところで何やってんだ?」


 剛太は由里に呼びかけながら駆け寄った。それに気づいた由里は剛太の後方に純がいることにも気づいた。


「あ、純にぃ! 狩りから帰ってきたところ?」


 剛太は由里に完全に無視されて肩を落とした。


「おい……、まず声をかけてきた人の話を聞けよ……」


 剛太が呟くように言った言葉は「剛太とはいつでもしゃべれるじゃない」との言葉で片付けられた。それから由里と純は会話をしており、途中で剛太の父は「先に帰ってるな」とその場を立ち去った。剛太はどんなに待ってもこの会話に終わりはないと感じ、会話に割って入った。


「ところで! 由里はここで何してるんだよ?」


 会話を遮られたことに由里はムッとしながら、傍に立っていた木の上方を指さした。その木は樹齢十年ほどの小さな木であった。


「実は、この木に――」


 そう言いかけた瞬間、その木の上から枝と枝がこすれ合う音と叫び声が聞こえた。剛太がそれに気づいた時には時すでに遅し、その叫び声の主の下敷きになっていた。


「あぁ怖かった! 剛太、ナイスクッション!」


 その声の主は咲希であった。下敷きになった剛太の顔には怒りがにじみ出ていた。


「何がナイスクッションだ! オレは人間だ! さっさと降りろ!」


 そう言って剛太は咲希をどかした。咲希は両手に何か持っており、バランスをうまくとれずしりもちをついた。


「いてて……。そんな急にどかさないでよ。せっかくいいものが採れたのに……」


 そう言って皆に両手に握られたものを見せた。それはほどよく赤みを帯びたリンゴであった。


「リンゴがあるなんて珍しいな」


 剛太は咲希の掌にあるリンゴをまじまじと見た。


「まだ上の方に生ってるから採りに登るんだけど、剛太も手伝ってよ」


 剛太は、野生の血が騒いだのか、腕まくりをして「よっしゃ! やってやる!」と意気込んだ。その時、剛太は純の存在を不意に思い出した。


「そうだ。オレたちだけじゃ危ないから兄ちゃんも手伝ってよ」


 その言葉を聞いた純は一瞬顔を曇らせた。しかしすぐにいつもの笑顔に戻り、「早く帰ってやらなきゃいけないことがあるから」と断り立ち去った。その背中に「じゃあねー」と由里は手を振った。由里にとっては普段通りに見えた純のその振る舞いに剛太は違和感を覚えた。剛太がこの違和感を覚え始めたのは今が初めてではない。純が十五になった日からであった。



 今まで純は、弟である剛太を除いて、老若男女問わず誰に対しても優しく、同じように接してきた。しかし十五の生誕祭の後、純は咲希と距離を取るようになった。それに疑問を感じた剛太は何度も純にその理由を尋ねたが口を堅く閉ざしたままであった。ただ、ある時「お前も十五になればわかることだよ」と純は小さく呟いたことがあった。その時の純のとても思いつめた顔が剛太の脳裏から離れることはなかった。



 リンゴを採り終わった咲希たちは三人そろってアフロディへ向かっていた。その最中、話が途切れて鳥の声が聞こえると、ジョウビタキだのムクドリだの咲希は鳥の名前を連ねた。


「お前はホント親に似て、動物の名前とか色々知ってるんだな」


 剛太のその声に咲希は振り返った。


「うん、だってお母さんと一緒に森を歩いた時にたくさん教えてもらったんだもん」


 そう言って「ほら、エガナが鳴いてる」と色々な鳥の声を探すように耳を澄ませた。


「そうはいっても、どの鳥がどんな鳴き声かわかんねぇし、そもそも聞こえないんだよなぁ」


 剛太がそう愚痴をこぼすと、由里は「当たり前じゃない」と言った。


「咲希はアフロディで一番耳がいいんだから、落ち着きがない剛太が聞こえなくて当然。私だって聞こえない時あるもん」



 この地の人々は一人一人ある特技を持っている。咲希の家系は耳の良さ、由里の家系は誰にも足音が聞こえない忍び足、剛太の家系は狙撃である。由里の忍び足は咲希にだけ聞こえるので、よく二人の間の「合図」としても使っていた。



 二人の会話を耳にして咲希は再び振り返った。


「何言ってんの、二人とも。みんなちゃんと聞こうとしないから聞こえないだけだよ」


 どういうことなのか由里が聞き返した。


「『耳を澄ます』ってことはただ単に静かにしているってことじゃないんだよ。自分が周りに溶け込んで身体で感じるの。ほら、今だったら、森に溶け込んで、空気と触れ合うのを感じて、葉と葉がこすれ合うのを感じる。川の水が流れているのを感じる。鳥が羽ばたくのを感じる。鹿が幹で角を削っているのを感じる」


 由里と剛太は咲希の言う通りにやってみようとするがうまくいかない。剛太は痺れを切らして「わっかんねぇよ!」と叫んだ。


「周りに溶け込むとか言われても、オレ、透明人間になれねぇし」


 剛太は足元にあった小石を蹴飛ばした。しかし、ついさっき聴覚のことで純にいじられたことを剛太は思い出し、頭をぐしゃぐしゃとかいた。


「なんか他にもっとわかりやすい説明とかないの?」


 むくれながらも訊ねてくる剛太を二人は驚いた顔で見た。


「な、なんだよ?」

「え、だっていつもだと『そんなの咲希にしかわからねぇことだろ』とか言うくせに、今日はやけに勉強熱心だなぁと思って」


 由里の言葉に咲希が何度も頷く。


「何かあったの?」


 咲希のその言葉に剛太は赤面して、「何でもねぇよ!」と言葉を残して駆け出した。その背中に「持つ物いっぱいあるんだから持ってってよ!」という由里の言葉が投げられたが、彼が振り返ることはなかった。


 剛太がアフロディに着くと、見知らぬ男三人が畔と何か話しているのが目に入った。一人は畔と同い年くらいの男、もう二人は二十歳前後の男であった。その光景を不審に思い、剛太は自分の家のテントに駆け込んだ。テントの中には剛太の母と祖母がおり、神妙な顔をしながら駆け込んできた剛太を驚いた顔で見た。


「どうしたの、そんなに急いで」


 母は、朝食の支度途中であろうか、お皿を運びながら尋ねた。


「今、外に知らない男の人が三人もいるんだけど。誰なの、あの人たち」


 母と祖母は顔を見合わせて、再び視線を剛太に向けた。


「おそらく〝カリオフィ〟というコロニーの者じゃよ。次のヌラムの良き方角を教えにきてくれているのじゃろう」


 その言葉を聞いて剛太の荒立った息がやっと落ち着いた。


「なんだ、畔じぃが誰かに脅されてるのかと思った」


 祖母はその言葉を鼻で笑った。


「あの血の気の多いじじぃがそんなことされるわけがなかろう」


 剛太は「確かにそうだな」と笑いながら再び外に出て行った。そのことをちゃんと確認してから母は口を開いた。


「まだあの子には()()()()を伝えなくてもいいのですか?」


 心配そうな眼差しから祖母は少し目を逸らした。


「ことが終わってからの方が良かろう。伝えてしまったら、他の者から疑われる可能性が高くなってしまうじゃろうからなぁ」


 遠くから風が吹く音が聞こえた。祖母は遠くを見る目でいつもの方向を見つめていた。霧が晴れるも、彼女たちはそれを知らずにいた。

次話「川辺」は2016/10/13(木)に更新します。

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