第3話 つながり
優の目の前にはギャップがあった。周りは桜の木に覆われ、たくさんのくすんだピンク色の花が咲いていた。周りから出遅れたわずかな蕾は追い出されるように後ろの方に隠れていた。時折強い風が吹いては花と花がぶつかり合い、互いを傷つけた。優の瞳に映るその花は何度も揺れては霞んでいった。一度強い風が吹き、優は目を細めた。咲きかけの花びらが少しだけ舞い、その向こうにパーカーのフードを被った少女が見えた。風はフードから出た彼女の長い髪をなびかせ、目元をちらつかせては再びフードの奥へと隠れた。優は自然と顔を上げ、目を見開いた。少女はゆっくりと彼に近づき、口を開いた。
「あなた、またここに来たの? もう二度とここに近づかないように言ったはずだけど」
困ったように話す少女とは反対に優は笑って語りかけた。
「またここに来ればユキに会えると思ったから。それに『またね』って言ったでしょ」
そう言うと、彼は肩に掛けていた袋を少女に差し出した。
「これ、この前の怪我の手当てのお礼。うちの近くで採れたフキで、今ちょうど旬だからおいしいよ」
優は目を丸くした少女の手を掴み、袋を渡した。少女は袋をじっと見つめてから顔を上げた。そこには笑った優がいた。彼女は彼の顔を見ると顔をしかめた。
「何かあった?」
その言葉で優の顔から笑みは消えた。少女に向いていた視線は地に落ち、瞳は翳り始めた。彼らに風が吹かずとも、空に浮かぶ雲は急くように流れていく。鳥の声が響き渡る中、弱々しい声が零れ落ちた。
「僕は足手まといにしかならないのかな」
時間は静かに流れ、草木が流れに逆らうことなく時を運んでいく。足元で感じるその流れは彼の足元をぐらつかせた。しかし気がつくと彼の隣には少女が立っていた。少女は彼の袖を引っ張り、共に地に腰を下ろした。彼女は後ろに手をつき、空を仰ぎ見た。
「なんでそんなこと思ったの?」
彼女の瞳はフードの影に隠れながらも光に満ちていた。透き通る茶色い瞳はすべてを受け止めてくれるように感じた。彼はゆっくりと口を開き始めた。
「僕の友達は何か重要なことをコロニーに隠しているみたいなんだ。彼はそれを守るために傷つけられているのに僕は何もできなかった。それに加え、友人の僕を殺すなんて脅迫されていて…。僕は彼を支えるどころか傷つけてばかりいる」
下ばかり向く彼には光は見えていなかった。空の流れを見ず、地の流ればかり追うその視線は〝今〟しか見ていなかった。
「僕はいない方がよかったんじゃないかな」
気弱な声に少女は身動き一つ取らず、静かに風に吹かれていた。そして風の流れ着く先を見つめると、息をするように彼女は語り出した。
「『足手まとい』は相手に対して必ずしも負の未来を与えるとも限らないものだと思うよ」
静かな答えに優は彼女に振り向いた。彼女は空を仰ぎ見たまま静かに続けた。
「相手を一旦引き留めるということは一瞬でも考えるべき時間を与えるということ。引き留められた人は一度は後ろを振り返るものでしょ? その時、前ばかり見ていて後ろに何があったのか忘れていた人も思い出すことができる。そこで何が大切だったのか思い出す場合もある」
優しい風が二人の間を通り抜けていき、微かに彼らの服が揺らいだ。優は微かに見える澄んだ茶色い瞳に引き込まれていった。
「場合によってなくてはならない存在ってものがある。この世にいらない生命なんて一つとしてないんだよ。すべてはつながりの中に存在しているの。何の意味も成してないように見えても回り回って何かの力になる。その力は負になるのか正になるのかわからない。だけどそれはこの世に必要なものなの」
空に伸ばした彼女の腕は細くも力強く見えた。空を掴んでできたその拳は彼女の目の前に戻ってきた。
「今見えているものがすべてじゃない。今だけが〝あなた〟じゃないの」
優の目の前で開かれた掌の上にはピンク色の花びらがあった。その小さな欠片は周りに見える色とは異なって見えた。彼はその掌にそっと手を近づけた。
「この世にいらない生命はない…」
彼の指が花びらに触れようとした瞬間ひらりと舞い上がり、風と共に遠くへ消えていった。その先を見つめる彼に少女は続けた。
「そう、この世にいらない生命はない。だけどね、それらの生命の価値はすべて同じなんてことはありえないの」
静かにどこかを見つめる少女を優は横から覗いた。フードで隠れて見えないその瞳の奥には何があるのか彼にはわからなかった。
「価値は同じじゃないって…。すべてこの世に必要なものなら同じようなものじゃないか」
再び自分を否定されたように感じた優は少し声を張り上げた。しかし少女は動じることなくギャップを見据え、静かに彼に問うた。
「あなたは本当に同じだと思う?」
今まで温かく感じていたその声がその時だけ冷たく感じた。思わぬ言葉に優は口をつぐみ、少したじろいだ。少女は彼を気にすることなく真上の木を見上げた。
「体力があり力がある人は外で働く場合『使える人間』になる。逆にそこに体力もなくて力もない人がいたらその人は『使えない人間』になる。でも働く場所が変わったらどうなると思う? 器用な人が裁縫をしたら『使える人間』になるけど、不器用な人がやったら『使えない人間』になる。場所によって人は『使える人間』にも『使えない人間』にもなり得る。それなのにすべて同じ価値だなんて言い切れる?」
流れていく風の向こうを見る彼女に日の光が降り注いだ。彼女はその光を遮るように空に手をかざした。
「『価値』というベクトルは一方向じゃないの。力があったり、器用だったり、知性的だったり、直感的だったり…。向きは同じでも大きさだって違う。それにその人の『価値』は一つのベクトルで表せるものじゃない。複数のベクトルが合わさってその人の『価値』になる。だから『価値』は他と比べることができない唯一無二のものなんだよ」
彼女の掌からするりと抜けてきた日の光は笑うように彼女の頬の上を転がった。彼女は諦めたように手を下ろし、静かに目を瞑った。風が吹くと周りが答えるように揺れ出し、微かに何かがこすれる音がした。しかしその音は風に攫われ、草木が揺れる音が残る。沈黙という名の自然の合唱が流れる中、彼も彼女と共に上を見上げた。視界に広がる青はほとんどがピンクで塗りつぶされ、その所々に小さくも忙しなく動き回る生命を見つけた。彼はふと呟いた。
「『生きる』って単純なようでいて複雑なんだね」
彼女はそれに答えるでもなく、すっくと立ち上がった。そして彼に振り返った彼女は手を差し出した。
「複雑でなきゃこんなに多様性に富んだ世界はできないよ」
笑うでもなく呆れるわけでもないその声は深く神秘的な森に誘われているように感じた。彼はその声に導かれるように彼女の手を取り、立ち上がった。再び何かがこすれる音がする。しかしそれは彼の耳には届いてなかった。風は彼の背中を押し、何かを急かした。彼は下を向いたままの彼女の頭上を見て、促されるがままに声をかけた。
「またユキに会いに来てもいい?」
単なる好奇心なのか恋心なのかわからない彼は真っ直ぐ彼女を見つめた。驚いた彼女はそのまま立ち去ろうとしたが、彼に腕を掴まれた。騒ぐ鼓動を落ち着かせ、彼女は必死に平静を装って答えた。
「もう二度とここに近づかないようにって言ったでしょ。ここは危険な場所なの」
必死な彼女とは反対に彼は笑った。
「ユキがいれば危険じゃないでしょ」
初めて出会った時と同じように笑った彼に彼女は少し顔を上げた。腕から感じる体格差に彼らは相手を感じ、時が一瞬止まった。少女は我に返って腕を振り解いた。
「フキ、ありがとう。じゃあね」
逃げるようにして立ち去る彼女に優は声をかけた。しかしその瞬間強い風が吹き、彼は顔を腕で覆った。そして目を開くともうそこには彼女の姿はなかった。咲いていた桜はもう散り始めていた。その奥では隠れていた蕾が緑の芽と共に顔を出し始めていた。
次話「成人」は2017/5/11(木)に更新します。




