第2話 友
小さく顔を出し始めた芽や蕾がついた木々が小さく揺れる。風に乗ったその香りに誘われるように鳥が木に集まってくる。シジュウカラは何度も首を傾げながらツツピーツツピーと鳴き、忙しなく辺りを飛び交っていた。その姿を優は幹に寄りかかり座りながら呆然と眺めていた。辺りを包む空気は日に日に暖かくなり、徐々に世界は色づき、春の声で満たしていった。それをより深く感じようと優が目を閉じると、みぞおちに硬い何かが投げ込まれた。腹を押さえ悶え苦しんでいると、優の視界に少女の足が映った。優が見上げると鋭い目つきをした妹の千夏が仁王立ちで構えていた。
「何仕事さぼってんのさ。もう足はとっくに治ってるんでしょ。今まで役立たずだったんだから、さっさと働きなよ」
相変わらずの憎まれ口で彼女は優を見下ろした。彼女を見上げた彼は一度小さくため息を吐き、重たそうな腰を持ち上げた。
「働く働く。でもだからって籠を投げつけちゃダメだろ」
横に転がった籠を拾い上げ、優は千夏の頭を軽く叩いた。いつもの彼の対応に彼女は目つきを鋭くさせた。彼女を通り過ぎ後ろを行く優に振り向き、彼を追った。年々遠くなっていくその視線に彼女は何とも言えない感情を抱いていた。その感情を消すがために、彼女は彼に言葉で噛みついた。
「『働かざる者食うべからず』でしょ。危うく食にありつけなくなるところだった怠け者に鞭を打ってあげたんだから感謝しなさい」
上から目線の彼女に「ありがとね」と目線もくれず、彼は彼女の頭を軽く撫でた。そんな彼を彼女は悲しそうな目で見つめた。そんな彼女の見つめる彼の視線の先に人々の群れが映った。デウス殲滅部隊だ。それに気づいた優は千夏から手を離して走り出した。離れていく彼に千夏は声をかけた。しかし「すぐ戻るから」と彼らの距離が縮まることはなかった。
優が殲滅部隊のところまで駆けつけると、そこにはすでにコロニーの人々が集まっていた。家族を待ちわびた人々は彼を見つけ抱き合っていた。優も彼らと同じく剛太を探した。そしていつものように仏頂面をした剛太と目が合った。優は彼も気づいたのだと思い手を上げた。しかし剛太は顔を逸らし、その場から離れていってしまった。そんな彼の後を優はいつものように追った。優が彼に追いつくと彼の肩に自身の腕を掛けた。
「ちょっと剛太、友達の僕を無視しないでよ」
少し茶化すように優は声を弾ませた。しかしその声に視線を向けた彼に優は身体を強張らせた。剛太のその冷たい視線はいつもと異なり、人を軽蔑するような眼差しであった。そして小さく動いたその口からは思いもよらない言葉が飛び出てきた。
「お前を友人だと思ったことねぇよ」
剛太は優の手を払い、立ち去っていった。周りは歓喜で満ちているというのに、それらの声は優の耳から遠ざかっていった。彼はそれ以上剛太に声をかけることができなかった。
呆然とする優は当てもなくコロニーの周りを彷徨っていた。千夏に投げられた籠は彼の歩みに合わせて彼の脚を何度も殴った。その痛みと共にあの言葉が反芻された。
『お前を友人だと思ったことねぇよ』
徐々に痛みが増す脚は歩みを止めようとしなかった。
(だったらなんで…)
優は過去を思い返し、歩みを速めた。
(だったらなんであの時四年前のことを僕に話してくれたんだよ!)
急にペースを速めた優に追いつかず、籠は大きく揺れ彼のすねを強く打った。強い痛みに彼は声もなくうずくまった。その時近くで誰かの話し声がすることに彼は気づいた。彼は今の羞恥からか少し顔を赤らめながら身をかがめてその場所に近づいた。するとそこには木にもたれかかって座りこむ剛太と彼を取り囲むようにして立っている成矢と直人がいた。剛太の顔や手など複数ヶ所には傷や打撲痕があった。その異様な光景に優は身動きをとれなくなった。直人は剛太の顔の真横に足をついた。
「おい、成矢が訊いてるんだ。お前はあそこで何を見た?」
睨み合う二つの視線には譲ろうという意思は一つもなかった。
「何度も言ってるだろ。俺はあそこで何も見ちゃいないし聞いてもいない」
剛太の横に置かれていた足は彼の頬を殴り、彼の肘は地についた。彼の唇の端に血が滲み、頬は赤と黒に染まっていた。それでも自身の意志が消えないその瞳は立ちはだかる二人を睨んだ。それが気に食わない直人は次に剛太の腹を蹴飛ばした。もがき苦しむ彼の胸倉を掴み、直人は彼に迫った。
「お前、今自分の立場わかってんのか? 俺らが今お前を握り潰すことなんて容易いんだぞ」
剛太を掴んだ手が上に持ち上がっていく。呼吸の荒くなった剛太は今もなお二人を睨んでいた。その様子を手出しせずに見ていた成矢がため息を吐いた。
「直人、もうそこまでにしとけ。これ以上やっても意味がない」
その言葉に直人は「だが!」と反射的に言葉が出た。しかし成矢はその言葉を気にすることなく剛太に近寄った。そして剛太を見下ろしながら彼は笑った。
「こいつがどうしても言わないというのなら、優を殺そう」
清々しいその笑みは剛太の身体を強張らせた。意味がわからない直人は成矢に視線を向けた。
「あ? 誰だ、そいつ」
視線が下を向く剛太を笑い見ながら成矢は答えた。
「こいつの友人だ。コロニー合併後からずっと一緒にいて、仲がいいみたいでね。そいつが死ねば口を割るんじゃないか?」
楽しそうに笑う成矢に直人は同意を示すように笑い返した。それを聞いていた剛太は静かに口を開いた。
「おい、ちょっと待てよ。誰があいつの友人だって?」
剛太は自身を掴んでいた直人の手を握り返した。剛太の手は彼の腕に食い込み、剛太を掴む力が弱まった。
「あんな野郎を勝手に俺の友人にするんじゃねぇよ。俺の友人は生涯咲希と由里だけだ」
直人は一瞬怯むも再び剛太を掴む手に力を込め、彼の顔を自身に近づけた。
「女友達しかいねぇなんて女々しい奴だな。そんなんだから友人一人すら助けられなかったのか?」
剛太に近づけられた笑みには影が落ちており、その影は剛太にも迫ってきた。影は剛太をも覆い彼の瞳の光を奪った。
「それにな、この世には『咲希』なんて奴はいねぇ。あいつは――」
「直人」
冷たく静かな声が直人の背から聞こえた。
「それ以上はアフロディの奴らには言わない契約だ。忘れるな」
それを聞いた直人は舌打ちをし、手荒に剛太から手を離した。剛太から光を奪った影は遠のき、頭上から光と影が落ちてきた。体中の痛みに顔をしかめる剛太に成矢は冷たい視線を向けた。
「部隊の規則を破り、なお情報を受け渡さないのにお前を処分しないのは、ドゥーチスからお前だけは殺さないように命令を受けているからだ。今日はここまでにしといてやるが、次は周りの誰かが犠牲になると肝に銘じておけ」
遠のく足音を耳にしながら、時折微かな風がしみる傷に剛太は手を当てた。足音が聞こえなくなると、彼は茂みの一点を睨んだ。そこは雲の流れと共に光と影が何度も交差していた。幾度となく表情を変える茂みに剛太は不意に口を開いた。
「いつまでそこで隠れているつもりだ。出てこい」
その声に驚き、優は恐る恐る立ち上がった。彼の瞳には傷だらけで木の陰が落ちる剛太の姿が映った。彼は震える唇を必死に動かそうとした。
「僕、剛太の――」
「もう俺に関わるな」
優が必死に絞り出した言葉は剛太の冷たい言葉でかき消された。剛太の瞳は揺るぎなく、その奥には寂しさを感じた。またその視線は優の胸に強く刺さり、苦しみが広がっていった。それに耐えられなく、優は剛太に近づこうとした。
「なんでだよ? 僕たち友達だろ?」
優が一歩踏み出すと同時に荒々しい声が響き渡った。
「言っただろ!」
その声は辺りを震わせ、周りの木々も怯えるように揺れ出した。青い空に浮かぶたった一つの小さな雲が日の光を遮り、この森の地に微かに差し込んでいた光が影に飲まれていった。影の落ちる瞳は寂しげに優を見つめた。
「お前は俺の友人じゃねぇ」
顔を出したばかりの草木が小さく揺れる。辺りには小さい蕾しかない中、開きかけた淡いピンク色の花が一輪だけあった。その花は暖かな優しい風が吹くも、静かに地を見つめていた。
次話「つながり」は2017/4/27(木)に更新します。




