第6話 白い影
部隊は深い森の奥まで進んでいた。霧は濃くなり、日の光は小さな水の粒子で弾かれていた。数メートル先は白い世界に覆われ、目の前にいる人について行くのがやっとだった。霜の降りている地を踏みしめ歩いていた時、剛太は脆くなった地面を踏み外した。横が斜面になっていることに気づかず、ただ流されるがまま剛太は下まで落ちていった。幸いなことに落差はそれほどなく、少し足首を痛めただけで済んだ。
「おーい、大丈夫か?」
上から剛太を気にかける声がするが、剛太は軽く返事をし、立ち上がった。斜面を登ろうと辺りを見回すと、視界の端に何かの影が見えた。
「そこにいるのは誰だ?」
するとその影は霧をかき乱すように剛太の声から逃げた。剛太は瞬発的にその影を追っていた。
「おい、待て!」
その声に上でとどまっていた人々は戸惑っていた。
「何あいつ独り言言ってんだ?」
「頭打っておかしくなったか」
騒然とするその場で成矢は急に指揮を執った。
「これから下に下りて剛太を追う。一部はここで待機せよ」
部員たちは驚くも敬礼し、それぞれの持ち場についた。
その時、剛太はそこから森の奥まで来ていた。視界の悪い中、その影がどこに行ったのかわからず、足の痛みを気にすることなくただむやみに走り回っていた。幹と幹の間をうねるようにすり抜け、冷たい霧が冷え切った頬をかすめていった。すると頭上から地を揺らすような低い声がした。
「お前はここで何をしているんだ?」
剛太はその声に覚えがあった。上を見上げると、白い霧の流れの向こうに、木の幹に隠れて白い影が見えた。
「お前……四年前の――」
大きくゆっくりと息を吐く影は、剛太を待ち伏せていたかのようだった。久々の対面に驚く剛太をよそに、影は感嘆の声を上げた。
「ほう、あの日のことを覚えていたか。お前はあの時頭に血が上っていたから覚えていないとばかり思っていた」
霧でよく顔が見えなかったが、白い影が笑っているように見えた。霧はゆっくりと流れていった。辺りには他の生物がいる気配はほとんどなく、静寂だけが広がっていた。あまりの驚きように剛太が何も答えられないでいると、影はさらに声を低くして彼に問いかけてきた。
「ならば、あの日お前に頼んだことを覚えているか?」
その時、霧の向こうに煌々と光る瞳が見えた。その瞳は鋭く、望月のように眩しかった。剛太は目を細めながら答えた。
「あぁ、覚えているよ。覚えているが…、どうしたらいいかさっぱりわからなくて、四年も経っちまった」
力ない答えが返ってきて、影はため息を吐いた。
「どうしたらいいかわからない、か。あの頃と大して変わっていないな」
その言葉に剛太は唇を噛んだ。その時彼はふとあることを思い出した。
「そうだ、咲希! お前、咲希の傍にいるって言ってたよな? 咲希の居場所を知っているなら、そこまで案内してくれ!」
意気込む剛太とは裏腹に、影は静かに息をした。周りの空気が踊るように動いた。影は小さな雫が空気を漂うのを感じ、ひとつ間を置いてから口を開いた。
「それはできぬ」
思いもよらない静かなその答えに剛太は怒りを露わにした。
「な……んでだよ! お前、居場所知ってんだろ? 救ってくれとか言っておきながら、居場所を教えないとかどういうことだよ!」
大声を上げる中に、静かな低い声が響き渡った。
「ワシがお前に教えたことで、他の者に知れ渡ったらどうする?」
その声は身体中に響き渡り、剛太の動きが止まった。剛太の頭に上りかけた血は徐々に引いていった。
「お前が他の者に知らせずとも、お前の後を追ってくるかもしれないだろう。ワシはお前のことを信じると言ったが、お前に繋がる他の者まで信じることはできん」
剛太は己の浅はかさを思い知らされた。そして過去の記憶が脳裏をよぎった。
(俺が馬鹿なばっかりにいつも周りを不幸にしていたんだ。母さんも由里も咲希も……)
悲しく苦しい顔をした彼女たちの顔が脳裏に浮かんでいった。俯く剛太を影はじっと見ていた。一向に顔を上げようとしない剛太を見限り、影は大きなため息を吐いて口を開いた。
「ワシはただお前に釘を刺すためだけにお前に会いに来たわけじゃない。お前に伝えねばならないことがあったから来たのだ」
その言葉を聞いて剛太は顔を上げた。
「『会いに来た』って……やっぱり偶然ここにいたってわけじゃないんだな?」
偶然の二人の出会いが必然であったことに剛太はどこかで納得した。剛太の言葉に影は鼻を鳴らした。
「お前ら殲滅部隊がいるのがわかっていてわざわざここに居続けるものか。お前が一人になるのを待っていたんだ」
冷たい風が微かに頬をかすめた。空気に漂う小さな雫が目の前を流れていった。影の周りだけやけに雫の流れが荒いのを感じた。数多の雫の向こうで煌々と光る瞳が細くなった。
「あいつはコロニーを滅ぼそうとしている」
その低い声は剛太の耳に真っ直ぐ飛んできた。剛太の真っ白になった脳裏に霧の夜の鋭い目つきをした咲希の顔が一瞬浮かんだ。信じたくない気持ちとは裏腹に、その事実に繋がる過去を思い出した。それを否定したいがために、剛太は必死に声をふり絞った。
「咲希がそんなことできるわけ――」
「あいつは本気だぞ」
やっとの思いでふり絞った声は低い声にかき消された。その声と共に過去の咲希の記憶もかき消されそうになった。
「あいつはもうお前の知っている『咲希』ではない。デウスとなった『シーバ』だ。今のあいつに過去を重ねるのはもうやめろ」
過去ばかりを追ってきた剛太にその言葉は深く突き刺さった。剛太は壊されそうになった過去を守るように胸を握りしめた。言葉にできないでいる剛太に影は穏やかに再び口を開いた。
「そうはいっても、あいつも過去に囚われている。過去を悔い、どうにもならない運命に抗おうともがき苦しんでいる」
木々の間からわずかな光が差し込んできた。その光が二人の間に割り込み、白い影が霞んでいった。
「時は迫っている。もう時間はないんだ。あいつをあそこから救ってくれ」
悲痛なその低い声が、影が霞んでいくと共に消え去りそうだった。それを必死に掴もうとするように剛太は叫んだ。
「時間ってなんだ? 救うって何なんだよ?」
光は徐々に辺りを照らしていった。霞んでいく中、影は笑うように言葉を口にした。
「もうここまでだ。ワシはもう行く。あとは頼んだぞ」
踵を返す影を剛太は追おうとした。
「おい! せめてお前の名前くらい教えろ!」
眩しく光る瞳が再び剛太の方に向いた。瞳は日の光を映し出していた。日の光は剛太を真っ直ぐと見た。
「ワシの名はヴィントゥス。別に覚えなくてもよいがな」
そう言うと影は風と共に森の奥へと消えていった。剛太は風に吹かれ、呆然と立ち尽くしていた。風の中に木々が揺れる音がする。その中に微かに優しい鈴の音が聞こえたような気がした。その音は風と共に流れ消え去っていった。霧も消えゆく中で、『ヴィントゥス』という言葉だけが頭の中に残っていた。
剛太が立ち尽くしていると、そこに成矢たちが現れた。剛太は彼らの姿を見ると我に返った。剛太の目に映ったのは満面の笑みをした成矢だった。複数の人々を連れる彼が徐々に剛太に近づいていった。霜が降りた地を踏みしめる音が徐々に剛太に近づいていき、目の前まで来た。剛太の目に吊りあがった口が動くのが映った。
「何かわかったのか?」
光は辺りを照らしていった。光が辺りに落ちていくと共に木々の影が落ち、濃くなっていった。春は近いというのに、影の下ではとても冷たい空気が漂っていた。
次話「夢路」は2017/3/16(木)に更新します。




