モリマサルという男
森勝は、実直さと向上心をもった「大の大人」模範になるような人物で、その性分に見合うような人生を歩んできた。
高卒で大手電機メーカーに就職し、働きながら夜間の大学に通い大卒の学歴を手に入れ、キャリアパスのための社内試験も順調にクリアし、同期の高卒採用には手が届かない地位にも昇進。リーダーシップもあり職場での人望も厚い。
家庭では良き妻と娘にも恵まれ、喫茶店でアルバイトを始める久三がその人生を見たとしたら「自分もそういう人生送るのかな」と想起させられた事であろう。
しかし1年前の夏、森の勤める会社が、外資に買収され、彼自身もリストラで退職。人生は一変した。もちろん身ぐるみ剥がされ渡る世間に投げだされたという訳ではなく、早期退職手当や失業保険もあり、再就職先を見つけための時間的余裕がない訳では無い。
だが、彼の模範的「大の大人」たる生きざまが、そういった余裕に頼ることを否定し「何か仕事を、すぐにでも」という焦りを招いたことは何とも皮肉なことである。
退職するや否や会社を設立、在職中から付き合いのあった。中国のインターネット通販会社に、日本からの製品を卸すビジネスをスタートさせたが、結果的に取り込み詐欺にあい、販売代金を回収できず、またたくまに会社は倒産、早期退職で得た退職金を失うどころか、借金まで背負うこととなった。
それでも彼は持ち前の実直さで、時給1000円のアルバイトをしながら、妻子をなんとか養っている。しかし向上心は向ける行き場を失い、悶々とする日々。
そんな森が、新橋のとある喫茶店で、怪しげな目つきの2人の男に向き合い、新しい「仕事」の話をしていた。
「仕事というのはですね。香港から金の延べ棒を、申告せずに持ち込む仕事ですね。」
小太りでメガネの男は担当直入にそう切り出した。
「麻薬とか銃器などのように、禁製品じゃあないから、万が一税関に見つかっても、怒られて罰金払って終わり。二泊三日ギャラは10万。モリカツさんにとって悪い話じゃないと思いますけどね。」
森は男のちょっと小馬鹿にした物言いに、少しムッとはしつつも、男が自分に対してそういう態度に出る理由を再び噛み締めで、無表情のままじっと目の前の男を見つめていた。
「もちろん、この仕事やってもらっている間については借金の返済については猶予しますよ。それから、僕がモリカツさんに期待してるのは、運び屋としてではなく、組織を作ってくれることなんですよ。ビジネスのノウハウや人脈は僕が提供しますから。まあ、細かい話は弟に任せます。僕は別件の打ち合わせがあるので、これで。」
男は森に、拒否も、いや発言すら許さない状況で、隣りの男を残し席を後にした。
「すいませんモリさん。兄貴あんなんで。」
男が立ち去った後の微妙な沈黙の後、とても兄弟には見えない、茶髪で長身のちょっとキザな男が切り出す。
「いえいえとんでもない、借りがあるのは私の方ですから。返済猶予してもらえてギャラまでもらえるんですから、お手伝いできない理由はありませんよ。さて詳しい話をお願いできますか。」
森は相手に合わせ苦笑いしながら考える。
(詳しくは聞いてみないとわからないが、ギャラや返済猶予の条件考えても、これは犯罪になることだろうな。全く自分もどこまで落ちぶれたのやら)
森の苦笑いは席を立った男に対してむけられたものではなく、自分にむけられたものだが、キザ男がそれに気付く由もなかった。