旦那様も読書家です。二件目の貸本屋です。中編
痒い箇所に薬を塗っても痒みが収まらない……。
痛いのは辛いですが、痒いのもきついですよね。
市販薬で我慢せず、大人しく医者に行くべきだろうか……。
オットマーは遠慮をし、言葉を選びながらも内情を話し始めた。
「アレとは、一卵性双生児でございます」
「え! あ、申し訳ありません!」
反射的に声を上げてしまったネイが小さな手を口元にあてて、謝罪をしている。
オットマーは謝罪は不要でございますよと、やわらかく微笑んだ。
「ふふふ。驚かれるのも無理はございません。これでも幼き頃は両親でも見分けはつかぬほどに、似ておったのですよ」
ネイの驚きは無理もない。
私を含め皆、程度の差はあれど驚いていたのだから。
それほど、二人は似ていなかった。
オットマーは長身細身で、見るからにできる男性の印象。
対して愚弟は贅沢をしているのがわかる太ましい体形に、甘やかされた者特有の無邪気さが強い。
「両親も分け隔てない愛情と教育を与えてくれました。しかし愚弟は何時しか、もしかしたら最初から……楽な方へと流されてしまったようです」
「店を継ぐのは兄だから、自分は好きに生きる……といった思考でしょうか」
「はい。その癖、金も労力も提供せずに口だけ出すという……最悪の行動をとっております。両親が相次いで病に倒れてからは、店の売り上げを如何にして着服し、己の贅沢に使うかにのみ心を砕いた挙げ句……此度の一件です」
「此度の一件」
「はい。かの方の意見に賛同し、己が欲望を満たし、店の売り上げどころか維持費までを使い込むために、店の経営方針の方向を変えさせようとしておる件でございます」
ここで店長になりたいとか、店の実権を握りたいというわけではないのが、珍しい。
地位や名声には興味がないタイプのようだ。
ただひたすら金に妄執を持っているだけなので、屑には変わりないだろうけれど。
「それでお店が潰れてしまうとか、良店としての評価が落ちて収益が下がるとか……考えないのかしら?」
「そうなったらまた、優秀な兄貴が新規開店するなり、店を建て直すなりすればいいだろうと」
頭のいい屑ほど手に負えないものはないという信条だが、ここまで馬鹿だとそれに並んでしまうかもしれない。
ひたすら真っ当なオットマーや彼に従う店員たちが不憫だ。
「親戚関係はおられないのかしら?」
「残念ながら、愚弟を諫められる親戚はおりません」
「足を引っ張る方は?」
「そちらもおりません。有り難いことに」
「そう」
ならばその点は不幸中の幸いか。
「ただ、かの方の意見に賛同するという暴挙以降、かの方の御意向を盲信し、愚弟に賛同する店員が若干名でておりまして……」
あの頭の中お花畑な女性あたりだろうか。
若干名といえど侮れまい。
何せこちらの言葉が全く通じないのだから。
「ではまとめて私に対する不敬罪で、一掃するのが手っ取り早いかしら?」
「主……」
「そんな嫌そうな顔をしないでちょうだい。私が不愉快な思いをする前に排除してくれるでしょう?」
「それは、そうじゃがのぅ……」
「だってこれからも安心して、良作を読みたいもの。彩絲だって、そうでしょう?」
「まぁのぅ。本好きとしては、良店の保護には力を入れるべきじゃと思ってはおるよ」
夫のストップがかからない以上、最終的には彩絲も賛同するのだ。
オットマーの手前、即断は避けているだけで。
「では、先にそちらを片付けてしまいましょう。排除対象を全員この部屋に呼び寄せてもらえるかしら?」
「本当によろしゅうございますでしょうか? 処分対象は全員揃って、間違いなく御方様に御不快な思いをさせてしまいますが……」
「ええ、きちんと理解した上で、承知しているわ」
これだけトラブルに遭遇すれば慣れてもくる。
不快、程度であれば、私の心はざわつかない。
元々、私のスルースキルは滅法高いのだ。
私の心が動くのは、基本。
大切な者に対してだという自覚は、しっかりあった。
「では、失礼して……」
オットマーがベルを持ち上げると、チリリン、チリリリンと、何らかの意味があるんだろうなぁ、という鳴らし方をする。
私は対象者が来るまで新しい緑茶をいただいた。
ちょうど良いぬるさに仄かな香りは、とても飲みやすい。
彩絲も同じように緑茶を楽しんだが、ネイはソードブレイカーを装備して彩絲の肩に乗り、フェリシアはハルバードを握り締めて、私の背後に立った。
待ったという感覚はない時間が過ぎて、ノックがされる。
「失礼いたします。店長、用件にお間違いはないでしょうか?」
「ありません」
中性的な女性の、緊張した表情がこちらに向く。
店長の答えだけでは不安だったのだろう。
私は鷹揚に見えるように注意を払いながら、唇の端を緩やかに持ち上げた。
「それでは……」
女性が一歩下がる。
「全くもったいぶりやがって!」
「本当よね」
入れ違いに入ってきたのは愚弟と花畑女性。
優雅に広げた漆黒の羽が、威嚇をかねてばさりと一度だけ羽ばたく。
愚弟はひっと声を上げて、花畑はぴょんと跳び上がった。
「挨拶を、許そう」
座ったままで彩絲が嗤う。
愚弟は笑いに見惚れ、花畑は憎々しげに眉根を寄せた。
「『冒険は語るな。漢なら篤と挑め!』真の店長、ボニファティウス……」
「ほう? 我が主の前で偽名を語るとは、不敬罪で処罰されたいのか、うぬは」
格好良い名前だなぁと思ったら、偽名だったようだ。
彩絲の指摘に、愚弟は謝罪ではなく言い訳をしようとする。
「で、ですが、皆この名前で、俺を呼んでおります、しぃ!」
音もなくフェリシアのハルバードが突き出される。
おしゃれだとでも思っているのかテカテカに光る、長い髪の毛の右半分がごそりと床に落ちた。
「もう一度だけ、問うてやろうかのぅ。処罰、されたいと申すのかぇ?」
「ハイモと申しますぅ! 御従者さまぁっ!」
「貴殿は?」
「き、きでん?」
「名、は?」
「えみゃ!」
そう。
貴殿の意味がわからなかったんだね?
しかも彩絲の声が怖くて緊張したから、正しい発音にならなかったんだね?
まだ二人とも気がつけてないけれど。
二人がしてるのは挨拶じゃなくて、自己紹介だから。
順番、違ってるからね?
それも不敬だなんて、わかっているのかな。
いなさそうだなぁ……。
既に疲れそうになった。
しかし彩絲たちは威圧を解かないし、オットマーは悟りの表情で沈黙を守っている。
「はぁ……挨拶も満足にできぬ者を、これ以上我が主の目に入れるのも……」
「我が輩は、マルクと申します。最愛の御方様にお目通り叶いましたこと、まっこと! こうえいにございますっ!」
「私はヘルマと申しますわ。最愛の御方様は女性の接客をお望みとのこと……どうぞ、私、ヘルマを御指名くださいませ」
「いやー! フュルヒテゴット様に続き、高貴な御方の来店、大変光栄にございます。我が名はヴィム。御方様にも是非、ヴィム特選性描写のぎりぎりを責める作品を、読んでいただきとうございますね!」
はい、アウトー!
どこかで聞いた言い回しが頭の中に浮かぶ。
微笑を保つのも難しいレベルの挨拶だった。
全員突っ込みどころが満載だ。
どうにか調教できそうなのは、脳筋の香りが強いマルクぐらいだろうか。
「貴様ら、何を売り込んでんだ! 順番は守れよ! えーっと? フェリシアちゃんには、その物騒なものを引っ込めていただきたいんですが、あと、御方には相談に乗ってほしい……」
「一度ならず、二度も! 何が、御方だ! 相談に乗ってほしいだ! 御方様と呼ばぬか!
また、挨拶以外を許した覚えはないのだぞ!」
我が輩は……挨拶しかしておらぬぞ?
指名を望むくらいは……大丈夫よね?
本をオススメするのは……店員の鏡だよなぁ?
フェリシアの言葉に、三人がひそひそと囁いている。
えみゃ……エマ? は、挨拶を許すって?
挨拶って、許されて、するものなの?
とこれまた非常識な独り言を呟いている。
「フェリシアちゃん! 酷いよぉ、俺の髪! 自慢の髪! こんなに切っちゃうなんてさぁ! もう、責任取ってデートしてもらうしかないよねぇ? あ、え、んーと? フェリシアちゃんの責任を御方様が取っても……」
ぞん! と今度は音を立ててハルバードが突き出される。
頭の天辺の髪が消えた。
トンスラを思い出して、吹き出しそうになるのを必死に堪える。
オットマーは唇をひくりとさせ、他の店員は笑い転げた。
彩絲たちの目は限界まで据わっていた。
「ハイモによる、度重なる主への不敬を許すほど、妾は寛容な守護獣ではないのじゃ……騎士団で預かりのち、断罪じゃな。よいのぅ、オットマーよ」
「はい。皆様方には大変申し訳なく……」
「はぁ? 兄貴、貴様、何を言って!」
ハイモの体が崩れ落ちる。
みるみるうちに全身が、真っ白い蜘蛛糸でぐるぐる巻きにされた。
これでは意識が戻っても、逃げることは叶わないだろう。
「貴殿らも、こうなりたくなくば、正しい店員の在り方で、主に接するのじゃぞ?」
「お、恐れながら守護獣殿!」
「なんじゃ?」
「我が輩は、高貴な御方への接客を許された身ではございません。此度は特別に挨拶をお許しいただいた次第でございます。我が輩では認識できぬ無礼を働いてしまう可能性が高いがゆえ、この場を辞します許可をいただきたく、お願い申し上げます!」
あら?
意外に真っ当なのかしら。
駄目な脳筋認定してごめんなさい。
これは俗にいう、愛でるべき脳筋な気がしてきました。
「ふむ。本能で強者を理解する、か。悪くないのぅ。オットマーよ。こやつは再教育の余地あり、じゃ」
「仰せのままに」
「下がるがよい、マルクよ」
「はっ! 身に余る栄誉を賜りましたこと、終生忘れませぬ。また、最愛の御方様、その従者の皆様に意図せぬとはいえ、御無礼を働きましたこと、深くお詫び申し上げます!」
頭が床につきそうな程深く下げられる。
ここにきて、珍しい展開だった。
彩絲が再教育を許したのなら、彼は今後もこの店の戦力になり得るだろう。
オットマーも同じような感想を抱いたのか、驚きつつも嬉しそうな表情で小さく頷いている。
「……オットマー殿の指導の下に、励んでください」
「おぉ……お言葉、胸に!」
感極まったマルクは涙を浮かべながら下がっていった。
残された店員は気まずそうにしながらも、次の言葉を紡げないでいる。
「さぁ、他の者はどうするのじゃ。挨拶は、終わったのぅ」
「あ、あのぅ……ハイモを許してあげて!」
「は、発言の許可をいただけますでしょうか!」
「御方様を御案内したいのですが……」
エマ、ヘルマ、ヴィムがほぼ同時に口を開いた。
「発言を許可しよう」
彩絲はヘルマの言葉にのみ反応する。
「……私は御方様方の接客員に選ばれたのだと思っていたのですが、間違っていたのでしょうか?」
「違うのぅ」
「そ、それでは、どういった理由で呼ばれましたのでしょうか?」
「健全な店の運営に妨げとなる人物を見極めるために、呼んだのじゃが」
「はぁ?」
反応したのはヘルマではなく、ヴィム。
何言ってんだこいつ! と副音声が聞こえてきそうな、彩絲の言葉へのよろしくない態度。
ヴィムの腕に嵌まっていた、接客するのに不要だろう豪奢すぎる腕輪が、かしゃーんと音を立てて床に落ちる。
ネイが腕輪の留め具を破壊したようだ。
「おまっ! この腕輪がいくらすると思って!」
「不敬を咎めた我が身内に暴力を振るおうとするなど……貴様も、転がるがいい!」
フェリシアのハルバードで足元を乱されたヴィムも床に転がる。
蜘蛛糸で口元まで巻き上げられた。
呼吸はできるようで、鼻息がうるさい。
結局、ネイが意識を狩ったので静かになった。
「な、なんで、こんな酷いこと、するんですか? 不敬って! そんなに、あなたたちは、えらいんですか!」
「偉いのぅ。最愛の称号を持つ御方様は、王族以上の存在じゃが」
「……へ?」
「この世界におって、そんな常識も知らぬとは、今までどんな生活をしてきたのじゃ、貴殿」
「だから、きでん、って!」
「質問で返すでない! どんな生活をしていたのじゃと、聞いておる!」
「あ、あ、てんちょうぅ。たすけて、くださぁい」
オットマーはエマを完全に無視した。
「へ、ヘルマさぁん!」
「私を巻き込まないで! 質問に、さっさと答えればいいのよっ!」
「でもっ! でもっ!」
「もしっ! 私がイージドール様の御無体に屈したこと、お許しいただけるのであれば、以降はハイモに従わず、オットマーさんに従いますので、どうぞ、解雇は御勘弁いただきたくお願いいたします!」
ヘルマはエマを振り切って、オットマーに頭を下げる。
突っ込みどころ満載の謝罪だが、頭を下げられるだけマシだと思ってしまうのは、転がっている者たちがあんまりにも残念だったせいだ。
「……私より先に、謝罪すべき方がおられるでしょう?」
「はいっ! 最愛の御方様には、図々しくも自ら接客を名乗り出ましたこと、深くお詫び申し上げます。また従者の皆様には、御方様に不敬を働きました旨、お許しいただきたくお願い申し上げます」
再教育も難しそうな謝罪もどきに、私は目を伏せる。
「不敬は許せぬなぁ。が、罰はオットマーにまかせるとしようかのぅ」
私に甘い彩絲は、私に対して的確な謝罪があった点を評価したようだ。
「……従者の皆様への謝罪がなかった点を考慮した上で、罰を与えましょう。下がりなさい、ヘルマ」
唇を噛み締めて、納得がいかないという表情を浮かべつつも、私たちへのみ頭を下げたヘルマが部屋を退出していく。
「さて、貴殿……はぁ、失神したふりとはのぅ……」
ヘルマが部屋を退出するのと同時に、エマの体が崩れ落ちる。
一人残される恐怖に耐えられず失神したのかと思ったら、そうではないらしい。
呆れた彩絲が糸で巻き上げれば、一瞬だけ悲鳴が上がった。
目を見開いてぶるぶると震えているが、うるさくはなかったので、フェリシアもネイもエマの意識を奪おうとはしなかった。
だからエマは聞いてしまっただろう。
「謝罪ができぬ者には、釈明の場など与える余地もありませんね」
そして、見てしまっただろう。
己を冷ややかな眼差しで睥睨する、オットマーの姿を。
明日は映画のはしごをしてきます。
楽しみ!
一つの作品のテレビ版を見て世界観の把握に努めました。
次回は、旦那様も読書家です。二件目の貸本屋へ行きました。後編。(仮)の予定です。
お読み頂いてありがとうございました。
次回も引き続き宜しくお願いいたします。




