<3> a Vanishing Vision ―誰も望まなかった世界
『衝撃! 地球は滅亡する!!』
いつもどおりに登校した為末義人の目に飛び込んだのは廊下に貼り出された壁新聞の、そんな荒唐無稽な見出しだった。
だが義人は、自身の特殊能力<真実を掴む者>に地球滅亡が<真実>であると告げられる。
こんな未来を予言することが出来るということは、筆者も能力を持っている――<未来を視る者>であるということに他ならない。そう考えた義人は放課後、新聞部に足を向けた。
部室の中では一人の男子生徒が座っていた。彼は無礼な来訪者に対して好奇の目を向けている。
「し、失礼します。えっと……浜名純って人は?」
「僕だが」
「今朝見た壁新聞の、『地球滅亡』ってのについて、話したいことがあって」
義人はそう切り出して、自分の能力については伏せつつ、筆者に記事の真意を問うた。その最後に、
「お前は……<未来を視る者>なのか?」
その途端、純の唇が弓形に曲がる。と同時に発動した<真実を掴む者>が、疑問が<真実>であると言う。
「そうさ。僕は確かに、<未来を視る者>だ。僕には<視え>た……地球が滅んでいく光景が、ね」
妙に芝居がかった言い回しで、きっぱりと断言した。そして相手が九信一疑の表情であることを横目に窺いながら純は、自分が<視た>滅亡の光景を語る。
それが終わり、義人が口を開く。
「お前も、本当に能力者なんだな」
「そうだよ<真実を掴む者>。君が今日ここに来ることも、未来を<視て>知っていた」
即答だった。義人はある種の同族意識を感じ、昂奮する。それから純に未来を変える方法がないか訊ねるが、能力に間違いはないと首を横に振られた。
「断言しよう。地球は滅亡する」
ここまで言われても尚、義人は諦めない。諦観に満ちた純の瞳とは対照的に、義人のそれには強い意志が宿っていた。
「――けど俺は諦めない。明日またここに来る。そして俺は、滅亡を回避してみせる」
「そこまで言うのなら……僕も、君に賭けよう」
遂には義人の説得により、二人は手を取り合うことになった。
「頼んだぞ、為末君」
この後家に帰った義人は、一晩中解決策を探してようやく希望の光を見つけた。隣のクラスの女子生徒、彼女が協力してくれさえすれば<運命>は変えられるはずだ、と。
朝一番、義人は隣のクラスに乗り込む。件の人物は予想通りそこにいた。
「よう桜庭、今日も早いな」
「……為末。何の用?」
「単刀直入に言う。<運命を選ぶ者>桜庭千代、俺の願いを叶えてくれ」
読書をしていた彼女、千代の表情が瞬時に曇る。
「前に言ったはず。私はもう能力を使うつもりはないの」
「頼れるのは桜庭だけだ。せめて、話だけでも聞いてくれ」
半ば強引に顛末を聞かせると、千代は深いため息をつきながらも確かに小さく頷いた。
「やってくれるのか?」
「……しなきゃ皆死ぬのでしょう?」
千代はそれだけそっけなく言った。その背中にありがとうと述べて教室を退出する義人。入れ替わりに眼鏡をかけた男子生徒が入ってくるが、義人は気付かなかった。
授業を上の空で過ごして放課後を迎えた直後だ。義人は急いで隣のクラスへ向かおうとするのだが、クラスメートの声がそれを呼び止める。
「為末くん、待って!」
「――倉敷?」
普段から真面目で大人しい倉敷真由美は、滅多なことでは人を呼び止めたりはしない。不思議に思い「何か用か?」と問うと、真由美は真顔でこう言った。
「地球が滅亡するって、どういうこと?」
度肝を抜かれた。何故そのことを、彼女が知っている。まさか昨日か今朝の話を聞かれていたのだろうか。
「なんで、そんなことを……?」
「為末くん、一日中そのことばかり考えてたよね。あの嘘壁新聞の話題を」
「嘘じゃない。あれは<真実>だ」
義人は反射的に答えてしまった。しまったと思っても後の祭りである。しかし真由美はようやく得心がいったという風に、頷いてみせる。
「……やっぱりそうだったんだね。全部<聴こえ>たよ」
普通の単語だ。しかし違和感がする。
「聴こえたって、何がだ?」
「この際だから喋っちゃうね」そう前置いた真由美は、少しだけ恥ずかしそうに言った。「私も能力者。名は<心中を聴く者>。他人の心の声を、<聴く>ことが出来る」
――間違いない。<真実>だ。
義人は驚愕した。まさか同じクラスの中にもう一人能力者がいるなんて、考えもしなかったからだ。と同時に、ずっと自分の心の中を覗かれていたという事実に軽い憤りと羞恥心を覚えた。
開いた口が塞がらない義人だが、更に続けられた真由美の言葉にまたしても驚かされる。
「新聞部に行くんでしょ? 私も一緒に行かせて」
「……どういう意味か分かって言ってるんだよな?」
本当に義人の心を読んでいるならば、既に地球滅亡についても千代の能力についても知られているはずだ。そもそも今日の義人の頭にはそれにまつわる考えしかない。
真由美は当然、と頷き答えた。
「少し前から、世界が誰かの絶望に満ちているような気がしてた。それが今日、明確な形になって<聴こえ>るようになったの。それに加えて為末くんの声。……絶対、何かが起きるって思ったから」
「だから俺について来る、と?」
再び首肯。そうまでされたら、断る言葉が見つからない。彼女も能力者ならばあの場に居る資格はあるだろうし、力にもなってくれるはずだ。そう思った。
「出来る限り協力するよ。世界が終わるなんて嫌だからね」
「勝手に心の声を<聴く>な……」
呆れる義人の叱責に対しても、真由美はあっけらかんとしていた。
「仕方ないよ。近くにいる人とか強い思いを持っている人の声は、意図しなくても<聴こえ>ちゃう。結構うるさいんだよ?」
絶対音感を持つ人間が全ての音に音階を感じ取ってしまうのと似ていると説明するのだが、音痴の義人には依然よく分からないままだ。真由美はごめんごめんと謝るが、色々どうにも腑に落ちない。
「……まあいいや。行こうか」
隣のクラスで読書をして待機していた千代を連れて、三人で新聞部室へと向かう。純は既に部室の中で、義人たちの到着を待ち構えていた。義人と千代が部屋に入っても眉一つ動かさなかった純だが、最後に真由美の姿を捉えると僅かに驚いてみせた。
そして純は、三人に席に着くよう促す。
「浜名は何か、対策は見つかったか?」
義人が問うも、純の首は横に振られた。
「残念ながら。……君は見つけたのだろう? だから二人も連れてきた」
「そうだ」
千代が来ることは、純には既に<視え>ていた。しかしもう一人の存在は、予想だにしていなかった。
「倉敷さんか。一年と少しぶりかな」
「浜名くん、そんなに驚かないでよ」
「驚いたつもりはないのだが……」
「意地張らなくても分かるよ。<聴こえ>たから」
数分前の義人と、全く同じ顔だ。義人が彼女の能力についての説明をすると、純は今度は素直に驚いてみせた。なんでもこの二人は、一年生の時には同じクラスだったらしい。しかも当時から、真由美は純の能力を知っていたという。
「一方的に知られていたなんて、何だか悔しいな」
率直な感想である。
「倉敷のことはさておき」義人は場を次に進ませる。「<運命を選ぶ者>という能力を持つ桜庭なら、滅亡の未来を変えられるかもしれない」
『思い通りに運命を操作する』という能力と千代本人について、義人は知る限り全てを純に説明する。
「そうすれば、僕が<視た>未来が書き換わるということか。俄かには信じがたいが、それしか方法はないのだろう」
その時「……何?」と呟いたのは真由美であった。鋭い視線の先には、千代がいる。
「どうした?」
「今、桜庭さん、何を考えてたの?」
「え……?」
千代の態度が、目に見えて不審になる。まるで、万引きを見咎められた子どものように。
真由美の指摘が、続く。
「――私たちの能力を消すって、どういうこと?」
義人と純の視線が、一斉に千代に集まる。
「そんなこと考えてない。言い掛かりはやめてよ倉敷さん」
刹那。義人の<真実を掴む者>が騒ぎ出した。経験にないほど強く頭の中で響く、<嘘>の一文字。
「……桜庭、何故<嘘>を吐く」
そう詰め寄られて、千代は俯いて動かなくなった。
「あのさ」真由美は落ち着き払って冷静に告げた。「地球を滅亡させようとしてるのって――桜庭さん、だよね」
千代の肩が、びくんと跳ねる。最早誰が見ても明らかだ。
「桜庭さん、どうして……」
純の質問に、破壊者はゆっくりと重い口を開く。
「私はこの世界に、そして私自身に飽き飽きしていた。だから壊してやろうと思った、それだけ」
「そんなことで……」
義人のそれを聞くや否や、千代の表情は急変した。憤怒に、悲愴に、様々に取れる顔に歪む。
「そんなことじゃない!」そう叫んだ後には、少しだけ落ち着いたような声色に戻る。「私にとって世界は、ただの玩具でしかない。ちょっと祈れば思い通りになる、私のもの。私は未来も過去も変えられないけれど、今ならばどうにでも出来る。――いえ、ちょっと違う。一瞬先に来る数多の<運命>の中から一つを自由に選べるの」
それが<運命を選ぶ者>の由来。と千代は淡々と説明する。
曰く、<運命>は無限に存在するのだと言う。今この瞬間にも世界は無限大に枝分かれしていて、その内のたった一つだけを人間は知覚できる。全ては可能性の世界。有り体に言えば平行世界だ。
別の世界では今、この部屋のパソコンが火を吹いている。また別の世界では、突然雨が降りだす。あるいは義人たちの能力が失われる世界も、地面が崩れ落ちて誰もが死んでしまう世界も存在する。
千代の能力は、他人からは未来を自在に操れるようにしか見えないが、実際はその膨大な世界線から一つを<選ん>でいるにすぎない。
他者や世界に対して運命を<選ぶ>場合には詠唱が必要なのだが、能力の対象が自分自身のみであれば一瞬の内に<選ぶ>ことが出来る。だから、文字通り世界は千代の思うままに動く玩具でしかないのである。
「こんな世界はつまらない。こんな能力はつまらない。こんな私はつまらない。そう思った」
事実、これまで数えきれないほど、千代は思い通りに世界を弄ってきた。その結果行き着いたのが、この思想だった。
「だから、壊そうと思った」
「――桜庭っ!」
考える前に、義人の体は動いていた。拳を握り、あまりに身勝手な千代に殴りかかろうとする。
しかし、拳は外れた。確実に顔面を捉えた軌道だったのに、相手は微動だにしていないのに、空を切ったのだ。
「<私が殴られない運命>の世界では、私は義人に殴られてはいない。別の世界の私は、今頃床に倒れて泣いている。……こういうことなの。世界なんて、この程度なのよ」
何の感情も込めずに、彼女は言ってのけた。義人の腕は力なく垂れる。
「……どうしても二つだけ、能力を以てしても選べない<運命>がある。自分の能力が消える運命と、自分が直接死ぬことになる運命」
純も真由美も呆然として動けない。千代だけが、この沈黙の中で唯一動いている存在だった。
「だったらさ、私自身が<運命>を決めればいいんだよね」
窓を開けた千代は風に髪をなびかせて、三人に背中を向けたまま口を開く。
「ごめんね、皆を巻き込もうとして。何だろうな、寂しかったのかな。誰も私を分かってくれなくて、世界も私を包んでくれなくて」
「違う」義人は即座に否定する。「俺は、俺たちは、桜庭を分かってやれる」
純と真由美も、すかさずそれに同調した。
「そうさ。同じ、能力者同士じゃないか」
「桜庭さんは一人じゃないよ。私たちがいる」
しばらくの間、全てが硬直していた。それを破ったのは、千代。
「……ありがとう。でも、もういいの」
その時だ。純と真由美が同時に声を張り上げた。
「――馬鹿な真似はやめるんだ!」
「ダメ! もう一度考え直して!」
一人取り残されて首を傾げる義人に、真由美が耳打ちする。「……飛び降りようとしてる」
義人の中に湧き上がった感情は、多分怒りだ。けれど、足がまともに動かない。これでは彼女を強引に引き止めることすらも出来ない。
「こんな能力、無かったらよかったのにな」
手のひらを見つめながら、自分を諭すように小声で言う千代。
義人の耳に嗚咽が聞こえてふと見やれば、真由美が涙を流していた。強い心の声は、否応なしに<聴こえ>てしまう――先程の話が脳裏に蘇る。恐らく彼女には、千代の絶望に少なからず共感する点があるのだろう。
すると、純が悶え出した。いや、悶えているように見えるだけで、実際は必死に身体を動かそうとしているのだ。しかし、三人ともそうであるが、足が床にへばりついたかのように離れてくれない。それは千代が<私を止められない運命>を選んでいるから。
<止められない>。何を。当然、飛び降りをだ。
「やめ、ろ……」
純には、一分もしない未来のこと全てが生々しく<視えて>しまっている。どうしても彼女を止めたいと、彼は初めて自らの意思で能力に抗おうとする。だが<運命>は頑なに、それを拒む。
そして。
「こんな能力、全部――嘘だったらよかったのにな」
千代の身体が後ろに傾き、消えた。その瞬間に部屋に吹き込んだ一陣の風は、何にも邪魔されることなく三人の呆然とした顔に直接ぶつかる。
どさりと音がするまでの間、およそ三秒。その時になってようやく、体が自由を取り戻した。
義人と真由美は、瞬時に窓の下を覗き込みに走った。ほんの僅かな希望だけでも、胸に残して。純はと言えば、その場に力なくへたり込んでいた。
……見ずとも既に、<視て>いるから。
明日も明後日も、世界は平和なままだ。この日、欠けてしまったものが一つだけ、あるにはあるが。
義人も、純も、真由美も、この日から世界を、そして己を呪った。けれど、何も変わることはなかった。
――そんな<運命>も一つ、存在した。