違う馬鹿
久しぶりに再会した女は──ギディオンではなく、芋を抱きしめたという。
ウィニーの中での自分の順位の低さに、彼はおかしくなって喉の奥で笑う。
何ひとつ変わっていないということと、この程度の小さな笑いであっても、斬られた傷が、十分身体を痛めつけることが分かった。
そして。
ギディオンは、自分が本当に久しぶりに笑ったことを知る。
この東牙の王国に来てから、退屈の虫が近寄る暇もなく、王宮で過ごした時間の何千倍もの速さで時間が駆け抜けていった。
かよわい民衆の命が、手を伸ばすまでもなく、ごろごろとその辺に転がっており、腐敗はこの国にも確かにあった。
しかし、腐食と匂いがどこまで広がっているかは、国によって違う。
ここの町の民衆は、毎日嫌でも嗅げる腐臭に、本当にうんざりしていた。
そこへ、ギディオンは火をつけたのだ。
火は、腐食を焼き尽くし、そして風を生む。
そして今、焼け野原になった大地に、彼は自分という小さな苗木を芽吹かせた。
いや、正確には、そんな綺麗な表現ではおさまらない。
ギディオンは、何もなくなって不安に思った民衆の心が、自分を求めるように仕向けたのだ。
彼の胸から腹にかけての大きな傷は、その代償である。
このやり方を、ギディオンは──ウィニーから学んだ。
愚直に身を挺して彼を守ったウィニーは、その行動により周囲の人間を『心配』という心でひとつにまとめた。同時に、彼女の傷の原因であるギディオンを、憎むということでも一致した。
それと同じ事を、彼はここでしたのだ。
何も、自分から斬られる必要はない。
最前線で戦っていれば、勝手にその確率は上がって行くのだから。
暴動開始直後ではなく、後半に差し掛かったところだったのが、彼にとっても幸運だった。
開始直後であれば、民衆は暴動の先導者の一人を失って、心が弱くなったかもしれない。
しかし、「勝てる」と皆が理解し、これまでよりも更に勢いをつけた濁流が、町全体を飲み込もうとした時。
ギディオンは、自分の身体から吹き出す血で、敵の兵士を真っ赤に染めたのだ。
その、余りの衝撃の大きさに、身体がぐらりと揺れた。
しかし、己の足で音がするほどに地面を踏みしめて、彼はそれに耐えた。
何も聞き取れないうるさい声が、周囲で響き渡る中、ただ手に持った剣を振り続けた。
そこからは、何も覚えていない。
何もかもが、真っ暗になってしまった。
次に目が覚めた時は、とにかく最悪で。
激痛に揺り起こされ、スタファに怒鳴り散らされ、何日も食事もロクに取れず、痛みで眠ることも出来なかった。
あの時のウィニーも、きっとこうだったのだ。
痛みの中、やけに思い出されたのが、赤毛のロアアールの娘のこと。
あの小さく細い身体で、これほどの痛みを乗り切ったのである。
だから──自分が乗り切れないはずはない。
ギディオンは、こうしてウィニーの通った道を歩いた。
つらく険しい細道。
高熱と激痛でうなされながら、彼はその道をひた走る。
何度も思い出すのが、ウィニーの背中。
あの小さな背中いっぱいに走る、大きな剣の傷。
人の傷を、愛しいと思った、生まれて初めての瞬間。
完全だった身体を傷つける不恰好なはずのそれは、決して不完全に落ちたわけではないと知った瞬間であった。
だからこそギディオンは、自分を恨んでいる元近衛隊長を補佐官として連れ出した。
その頬の傷は、彼に逆らった証。
ウィニーの背中の傷と同じ、新しい完璧さを手に入れた人間だったからだ。
苦しみ抜いた人間は、べらぼうに強い。
もはや、ウィニーは温室の花ではない。
寒風に吹きさらされ、傷つき苦しんでも、花を咲かせきった。
ギディオンは、そんなウィニーの道を走る。
昔の自分より、べらぼうに強くなるために。
己と言う黒い花を、激痛と共に咲かせきるために。
「来たか」
「来たか、じゃありません」
赤い花が、来た。
やたら茎が太く、ギディオンでも手折れない、頑丈な花。
「ああ……確かに存分に痛い思いを味わえる」
「ばっ、馬鹿ですか!」
彼女と同じことをしてみた。
同じ道を同じところまで来てみた。
しかし、ギディオンは──ウィニーとは違う馬鹿となったのだ。




