不敬にもほどがある
不満の多い地域での暴動を起こすのは、そう難しいものではない。
スタファは、石の壁に囲まれ、要塞化した町を見張り塔から見下ろしながら、久しぶりに再会した補佐官であるアハトと、細かい話を詰めて行く。
現在、ギディオンが大怪我を負って役立たずなせいで、彼は本当はウィニーを案内するのが困難なほど多忙を極めていたのだ。
東牙の王国にとっての最北東端の町は、この国ではもっとも過酷な地域のひとつだろう。
領主はおらず、王の直轄地であるここには、常に中央から送られた兵が駐留している。
しかし、これはロアアールに攻めるための部隊とは別だ。
あくまでも、ロアアールが攻めて来るかもしれないという「もしも」に備えたもの。
長らく「ない」からと言って、今後絶対に「ない」と決め付けるのは、愚の骨頂である。だから、この防衛兵の駐屯は、正しいものである。
だが、正しく運用されていたわけではなかった。
長らく攻められなかった歴史もあってか、ここの指揮官と兵の質は最低だった。
中央で失脚した司令官が、左遷される最悪の場所──そういう扱いだったのである。
兵士も同様で、よそで使いあぐねた問題児たちが、流刑のように流し込まれていた。
そんな兵士らは、町の人々を田舎者と蔑み、好き勝手し続けて来たのである。
だが、町の人間たちも、ただ黙ってはいなかった。若い男たちが、率先して防衛兵になるべく志願したのだ。
寒い地域柄、土地はあれども食料の生産がおぼつかないのは、ロアアールと同じ。
それならば、国から給料を得て暮らし、この地を隣国および、自国のならず者から少しでも守るために使おうと考えたのだろう。
それは正しいことだったし、町を守るひとつの重要な要因になったことは間違いない。
しかし、他の地域から来た兵士は、地元出身の兵士より多く、彼らが町の人間をかばう度に、軍内規律と称していじめ抜いてきた。
中央と町の人間の間の溝は、同じ兵士という立場であったとしても、こうして広がっていくばかりだったのだ。
そんな町に、現れたのがスタファたちだった。
アハトの発案と手回しで、彼らは寒冷地に強い作物の試験に来たことにし、この地に長期間滞在することが出来た。
更にその肩書きは、地元の農民──いわゆる平民と一番近いところで生活し、彼らと交流を深めることも出来たのだ。
そこで、町の人間と軍の間の軋轢を知り、ギディオンが容赦なく、それを利用して暴動を起こす計画を口にした。
結果的に町のためになることとは言え、彼の言葉はロクなものではなく、打算と利用価値のありなしだけに基づいたもので、手放しで賛成出来るものではなかった。
町民の被害を最小限に抑えようと、別の考えを模索していたスタファを、ギディオンは嘲笑ってこう言ったのだ。
「自らの血も流さず勝ち取ったものに、何の価値があるというのか?」、と。
人の血を流すことばかりしてきた男が、何を言うのか。
そうスタファは反発したが、結果的にギディオンは己の血を流すことでその言葉を証明した。
町出身の兵士たちを抱きこみ、町民の心をひとつにして暴動に発展させた手腕は、アハトとギディオンの補佐官こと元近衛隊長が発揮した。
しかし、最前線に立って戦い、そして斬られたギディオンの姿は、町の人間たちの心に痛烈に焼きついたようだ。
そのせいで、彼にまつわる話が、次第に良いものへと変化していった。
俺たちのために、身体を張って戦ってくれた──そうなったのである。
『三軒隣のハンスの息子の嫁さんの甥をかばったらしい』とか『斬られても倒れなかったその御姿は、武神のようだった』とか、美しい尾ひれがつきまくっていくのを耳にする度に、スタファに顔を顰めさせた。
そして、決して数多いわけではない食料などを、ギディオンへの見舞いに届けさせようとする町民で溢れかえった。
暴動の後処理は、まだ完全に終わっておらず、彼ら自身の生活の安寧も約束されていないというのに、だ。
まるで、そんな不安な心のよりどころのように、町民の中でギディオンは祀り上げられていったのである。
「ああ、そうでした……」
暴動と、面白くないギディオンの記憶を、脳裏に甦らせていたスタファは、話の切れ間にアハトが自分の軍服の内ポケットを探るのに、すぐには気づかなかった。
「ゴタゴタして忘れておりました、申し訳ありません」
そこから出てきたのは、封筒だった。
宛名にはスタファの名が、美しい文字で綴られている。
「不敬にもほどがある! もっと早く出せ!」
驚きの余り声を荒げながら、スタファはそれを奪い取った。
差出人は、確認する必要もない。
この世界で、彼の心を唯一熱くさせてくれる女性の字を、見間違うはずなどないのだから。