そしてそれは1
「姉さん!」
「ウィニー!」
一年ぶりの姉妹の再会は、短い抱擁で終わった。
「ただいま、姉さん。公爵叙任、おめでとう。急いで着替えて、軍の方に顔を出したいんだけど、大丈夫かな?」
「おかえりウィニー、少し日焼けしているから、まるで本当のフラの人みたいね。すぐに軍から補佐官を呼ぶわ。詳細は、そちらからお願い」
それだけの会話が、足早にレイシェスの執務室でかわされ、ウィニーはそこを飛び出した。
こんなドレス姿では、馬に乗りにくいからだ。
「おかえりなさいませ、ウィニーお嬢様」
廊下に控えていた侍女のネイラが、部屋に戻る彼女のすぐ後ろについてくる。
「ただいま、ネイラ。すぐに乗馬服を出して……まだ着られるかな。フラで少し太ったかも」
一年ぶりだというのに、何も変わっていないように見えるこの屋敷で、自分だけがその規格におさまっていない気がして、わずかな不安がウィニーの中をよぎった。
「お嬢様は、太っているようには見えません……というより、去年より少し女らしい身体になられた気がします」
懐かしさと嬉しさを込めた声が、静かに後ろから伝えられる。
女らしく?
ウィニーは、思わず両手を広げて自分の身体をちらりと見下ろした。
フラの肉感的な女性の中で暮らしていたせいか、貧相な自分の身体との差がありすぎて、ネイラの言う通りなのかどうかも分からない。
しかし、乗馬服は正直だった。
去年の記憶より、少しだけお尻が窮屈な気がしたのだ。
どうせなら、胸が窮屈でありたかった──そう思ったことは、すぐさま窓から外に投げ捨てたが。
支度を済ませ、用意された軽食を口の中に押し込み終わる頃、軍の補佐官が現れた。
フラに誘拐されるまで、ずっと彼女を支えてくれた男だ。
彼は、神妙な面持ちで、そして青ざめていた。
「どうぞ、いかようにもご処分を」
「そんなことはどうでもいいから、詳しく事情と状況を教えて」
去年の誘拐事件に、補佐官も関与していたことを表す言葉だろう。しかし、いまのウィニーは、もはやその件について恨みつらみはない。
彼女の時間は、いままでずっと動いてきたのだ。
時間の止まった男の尻を蹴飛ばしてでも、動いてもらわねばならない。
「寛大な処遇、感謝の言葉もございません」
一度頭を垂れた後、ようやく補佐官の時計が回り出す。
「ロアアール軍の先遣隊が、先日国境を越えました」
言葉に、深い感慨を込めないようにしながら、彼はそう切り出した。
国境越え。
防御一辺倒だったロアアールにとって、それは天地を揺るがすほどの大きな出来事である。
「その先遣隊の報告を待つまでもなく、本隊を国境沿いに集結させております。フラの援軍を待たず、おそらく突入することになるでしょう」
てきぱきと、補佐官はそう語った。
しかし、それはあくまでも今の『状況』に過ぎない。
ウィニーには、断片的な情報しか与えられていないため、『事情』の部分がよく分からないのだ。
だから、「この行軍の目的は?」と、聞かねばならなかった。
『うむ、お嬢様。戦いを起こす場合、そこには、目的がなければなりません』
前に、ロアアールの筆頭ハフグレン将軍が、教えてくれたことを思い出す。
部分的な戦に勝利することは、何の勝利でもない。目的を達成出来れば、たとえ局地戦で負けようとも、それが勝利なのだと。
ロアアールの戦争目的は、これまで長い間『領土防衛』だった。
今回は、違う。
何しろ、軍が国境を越えるのだから。
「目的は……フラの公爵弟閣下の救出です」
補佐官の言葉に、ウィニーは首を傾げた。
「スタファ兄さんは、助けて欲しいなんて言ってこないと思うんだけど」
記憶の中にある彼のことを掘り起こすと、補佐官の言葉の矛盾はあっさりと浮かび上がる。
「ウィニーお嬢様……我々は、全てを慎重に、しかし迅速に運ばねばなりません。現在、我らが公爵閣下が、イストに打診の書状を送られております。そして、フラの軍隊がいつ到着するかも、現時点では推測でしか分かりません」
補佐官は、静かに丁寧に言葉を紡ぎ上げた。
ロアアール人らしい、巌のような頑強さが、そこには垣間見える。
「全ての条件が揃わない限り、我々ロアアール軍だけで達成出来る目的は、それ以上でもそれ以下でもありません」
楽観でもなく、悲観でもなく、目の前にある材料だけを吟味して、最良の戦略を練る。
頭が固いように聞こえるかもしれないが、それがロアアールの生き抜き方なのだ。
だから、ウィニーは言葉を変えた。
「では、全てが揃ったら、何が目的になるの?」
あらゆる可能性を、将軍たちが考えていないはずがない。
「それは……」
補佐官は、言葉をためらわせた。
皆が心で思いながら、言葉に出来ないものが、そこにはある。
長い間、誰も口にしなかったそれは、まるで禁断の言葉のように、ロアアール人の中に根付いているのだ。
その言葉を、代弁する人間が必要だった。
そして。
それは。
ウィニーではない。