一緒に行ってくる
多忙な日々に奔走している間に、ウィニーの周囲ではめまぐるしく時間が駆け抜けていく。
季節はあっという間に巡り、気づけはまた夏が訪れようとしている。
彼女は、フラで充実した日々を送っていたが、その滞在が長くなればなるほど、これまでになかった空気がフラの領内で湧き上がり始めた。
それは──ウィニーが、次のフラの公爵の正妻になるのではないかという、驚くべきものだったのだ。
「火消しには、回ってはいるのだがね……」
苦笑と共に、噂の当事者である公爵本人に、そう告げられた時、ウィニーは口をあんぐりと開けて、間抜けな顔を見せてしまったのである。
確かに、彼女がそれを願った時期もあった。
まだ、いまよりももっと愚かで弱かった頃の話だ。
それは、フラの公爵を愛しているからという理由ではなく、つらいロアアールの母から逃げたかっただけ。
「領民のロアアール好きにも、参ったものだよ。『そうあって欲しい』が、あっという間に『そうに違いない』に変わるのだから」
かくいう、私もロアアールを好きなのだから、しょうがないのだろう。
そう公爵に言われ、ウィニーは恥ずかしさに頬を染めた。
ここでは、どこに行っても彼女は歓迎される。
ロアアール公爵妹であり、ロアアールの身内の中で、唯一現れた赤毛であることが、よりフラの領民を熱狂させたのである。
間違いなく、ウィニーの中にはフラの血があるのだと。
そして、彼女が身体を張って反逆者から王太子を守った事件もまた、この地に広がっていて、「情に厚い勇敢なロアアールの姫」なる肩書きが、いつの間にかウィニーの名前と共に書き記されていたのである。
そんな彼女を、フラの人間たちは手放したくないように見えた。
このまま、ずっとこの地にいてくれればいいのに──それは、ウィニー自身にも痛いほど伝わってくる。
公爵の正妻話が出たのも、それならば彼女が帰る必要はないと思ったからだろう。
「えと……スタファ兄さんから、何か連絡は?」
そろそろ、ロアアールに帰らなければならないかもしれない。
ウィニーは、そう感じていた。フラの領民たちの心を、いたずらに期待でふくらませては、とても残酷なことになると思ったのだ。
しかし、彼──ギディオンのことが気になった。
彼が、隣国に行ってから一年近く経つ。
その間、もしかしたら情報はフラの公爵に入っていたかもしれないが、それはウィニーまで届くことはなかった。
ギディオンのことが、心配でないというわけではない。
ただ、毎日ハラハラして彼の安全を祈り続けるほど、二人の距離は近くはないし、第一、ウィニーにはどうしても、彼が異国の地で果てる姿を想像出来なかった。
悪い意味での信用が、彼にはあったのだ。
「スタファからは、一度だけしか連絡はなかったね。それももう、半年も前の話だよ……ああ、思い出すだに、面白い書状だった」
半年前。
半年という少し過去という時間を、ウィニーがもどかしく感じるより前に、公爵は思い出し笑いを始めてしまう。
何が一体面白いのかと、ぽかんとして彼を見ていると。
「誰に見られても。問題ない文面にするために、必要最小限しか書かれていなくてね、それが……」
『殴った。一緒に行ってくる』
言葉にしたことで、更に愉快になったのか、フラの公爵が声を出して笑う。
ウィニーは、理解するのにほんの少し、時間が必要だった。
一年前の出来事を、きちんと思い出して初めて、彼女も「あはは」と笑みをこぼすことが出来たのである。
そうだった、と。
スタファは、ギディオンを殴るために、かの国へ行ったのである。
その目的は、無事達成出来たと、わざわざ報告してきたのだ。
さぞや、すっきりしたのだろう。
二人で笑い合いながら、しかしウィニーはその後に続いた言葉の方が、重要だと噛み締めていた。
『一緒に行ってくる』
そう、書状には書かれていたのだ。
スタファは、ギディオンと同行する必要はない。
自分が好きなところへ行き、好きなタイミングで帰ることが出来る。
そんな彼が、あの男と同行するというのだ。
一緒に──どこへ行ったというのか。
そんなこと。
考えるまでもなかった。
気温は、すっかり高いというのに、ウィニーの腕には鳥肌が立つ。
ざわざわと、『その気配』に心がざわめくのだ。
ギディオンの目的は、隣国への侵攻。
侵攻するのは、ロアアールから一番近い回廊の向こう側。
回廊ひとつ隔てた、ロアアールのすぐ側まで、彼らは行ったに違いない。
ああ、ああ。
壁一枚向こうの、背中合わせの地。
そこに彼がいるかと思うと、ロアアールの寒さが、ウィニーの側に寄り添うかのように感じたのである。
「公爵のおじさま……」
鳥肌を抑えられないまま、ウィニーは彼を呼んだ。
いつしか笑いは消えうせ、真顔になっていた。
「おじさま……私、近い内にロアアールに帰ってもよろしいでしょうか?」
フラの公爵は、彼女の言葉に寂しげな笑みへと色を変えた。
「私の可愛いはとこ殿……実は、私は君に求婚したいほど、魅力的に感じているのだよ。初めて会った時とは、比べ物にならないほど強くなったウィニーは、とても魅力的だ……だが」
だがと、公爵の言葉はかすれる。
「君を強くしたのが、私ではないのが、返す返すも残念だよ、ウィニー」
そして、公爵はウィニーの手を取り、その甲へと口付けた。
それは──子供にするのではない、一人前の淑女に対する敬意溢れる挨拶だった。