更なる変化
「あいつが、フラに向かってる?」
その報告を、スタファは兄から受けた。
フラは、これから真夏のシーズンが到来する。
この拳の地で、一番暑い場所と言っても過言ではないだろう。
そんな場所へ、元王太子こと諸悪の根源が向かっているというのだ。
「部下を一人だけ連れて、だそうだ」
意図を読みかねているような兄の、事実をなぞる言葉。
王太子時代では、とても想像できない薄っぺらな護衛で、一体何をしに来るのか。
いや、いまフラで丁重に預かっている、ウィニーのことしかありえない。
ありえないのだが、彼はいい予感はしなかった。
「俺たちを、納得させられるのか?」
苦々しく、スタファはそれを呟いた。
無理だ、という気持ちを、存分に詰め込んで。
ウィニーは、あの男との結婚を、あきらめていない。
何をどう騙されたらそうなるのかは、いまだに彼には理解出来なかった。
しかし、彼女はスタファと兄のカルダが、この結婚に反対しなくなるまで、フラにいると言ったのだ。
それは、とても不思議な言葉だった。
彼らが、この結婚に賛成することなど、ありえるものではない。
ということは、結婚をあきらめたのか──いいや、違う。
スタファは、それをウィニーの目の中に見た。
強い決意というのとは、少し違う。
あの男が、昔とは違うのだと『思いたい』という目だった。
信じたい、というほど強すぎないのは、あの男とウィニーの関係が、まだ強固ではない証拠に見えた。
だが、この賭けに負けるようならば、結婚してもとてもうまくはいかない、そうウィニーは考えたのだろうか。
その程度の絆の強さであるというのならば。
時間をかければ、消えてなくなるだろうと、スタファは考えた。
だが、あの男はフラに向かっているという。
その報告は、軍から上がっているものに過ぎず、正式にイストから書状が送られているわけではない。
「さて、何をしてくるのやら……」
兄は、至極真面目に考え込んでいる。
フラの領内という彼らのお膝元で、あの男に乱暴狼藉を働かれては困るし、逆にその身に何かがあっても困る。
ウィニーを取り返すために、何か突拍子もないことをしでかす可能性もある。
スタファは兄と話し合い、軍による警備の強化を通達させた。
その警備は、勿論ウィニーの周辺に適用される。
彼は、心に決めていた。
何があっても、ウィニーを渡すものかと。
あの男に、どんな変化があろうとも、決して自分が納得することなどありえないと思っていたのだ。
一日、一日、あの男の接近の報を聞きながら、如何にして撃退するか──彼は、そればかりを考えていた。
勿論、ウィニーには、このことは教えていない。
彼女が、公爵邸を飛び出して行かないように、だ。
そんな、静かなる厳戒態勢は。
全て。
無駄だった。
あの男は。
フラの公爵邸を。
素通りして行ったのだ。
※
唖然とするスタファを前に、兄が笑っている。
「これは、一本取られたな」
「笑い事じゃない!」
イストから来た二騎の男たちは、最初からここが目的地ではなかったのである。
報告によれば、彼らは港町で馬を売り── 船に乗ったという。
すぐに商船組合に問い合わせたところ、西のスラエスタンという国に行く船だった。
地理的に言えば、この国の、隣の隣。
「昔から、イストの密偵が使っているルートだな」
兄の笑みの混じる言葉は、今は忌々しいだけ。
それくらい、スタファも分かっている。
分かっているが、あくまでそのルートを使うのは『密偵』なのである。
元王太子が、いわゆるこの国の王族が、非公式に使う道ではありえない。
ありえないというのに。
「なあ、スタファ……確かに、ウィニーの言う通りに、かの御仁は、随分お変わりになられたようだな」
変わったという言葉の便利さを、スタファはつくづく思い知らされた。
いい意味に変わったのではなく、悪い意味に変わったのでもなく。
あの男は、ありえない意味に、更に変わったのだ。
取り返すべきウィニーを素通りして、さっさと異国へ行ってしまったあの男の得体の知れなさに、スタファは憮然とするしか出来なかった。