一音下がる
女の園が崩れてゆく姿を、彼──ギディオンは笑みをたたえながら見送っていた。
涙する者、怒り狂う者、恨みがましい目で見てくる者。
彼に、最後の挨拶に来る女たちは、それぞれに『これから不幸になります』と、顔に書いてあった。
幸せにする気など、最初からギディオンにはなかった。
彼女らは、みな『王太子』という光に近づく羽虫に過ぎず、彼にとってすれば、混沌とした意識と欲望のはけ口にすぎなかったのだ。
それを、人が『最低』と罵ろうが、興味はない。
今更、彼は己の評価を上げる気もないし、評判に合わせて動く気もないのだ。
ギディオンは、面白いものと出会ってしまった。
それは、赤毛の娘でもあり、ロアアールでもあった。
正確に言えば、彼女の目を通したロアアールは、彼に違う世界を見せたのである。
唯一、陸の国境を接する地。
この国の、防衛のほとんどを引き受ける地。
紙や知識の上だけの世界と、実際の場所は大きく違っていた。
最初は、このロアアールの地を手に入れようかと考えた。
それで、彼を取り巻く歪んだ退屈は、いささか紛らわされるのではないか、と。
しかし、それでは到底足りないだろうということもまた、ギディオンは気づいたのだ。
攻められた時だけの防衛。
彼の性分にも、それは合うとは思えない。
では、と。
彼は、知る限りの己の欲望に忠実に、一番望むものを手繰り寄せた。
それが、侵攻、である。
ロアアールだけでは出来ない、もっと大掛かりな力を必要とする行為。
そう。
ギディオンには、ロアアールなど必要ない。
現在あるものなど、何ひとつ必要ない。
何もないものを、新たにむしり取り、自分のものにすればいいのである。
それこそが──彼が、ずっと渇望していたものだった。
与えられた、王太子の地位。
与えられた、側室たち。
与えられた、家臣。
父であり先祖に与えられた権力と言う力など、彼は欲しかったわけではないのだ。
そんなものは、彼に力を与えたもっと強いものに、ある日突然、ないがしろにされることを、彼は知っていた。
だからこそ、ギディオンは『彼女』が組み伏されているのを、見ているしか出来なかったのである。
『ギディオン様』
そう、名で呼んでくれた明るい髪の彼女を、守ることも出来ず、己のものにも出来ず、激しい矛盾の中で彼はもがいた。
その手で、掴みたかったものは、『力』だ。
純粋な力。
その力を、手に入れる方法に、彼はようやくにしてたどりついた。
新しい地に、分け入るのだ。
相手にとって、ギディオンは侵略者となる。
多くの人間に憎まれて、呪いの言葉をぶつけられるだろう。
彼の力と手腕で、新たに支配しなければならない、最悪の場所と言えよう。
同時に、彼は自分の力で手に入れた世界を得る。
その力は、力量次第で広げることが出来る。
そして。
力さえあれば、そこに新しい『国』を作ることも可能なのだ。
彼を抑えつけ歪ませたこの国を、超えることも出来るのである。
全ては、ギディオンの力次第。
それを考えると、彼の魂が震えた。
彼は──男だ。
与えられたもので満足しない、決して飼い慣らせない強欲さの源は、そこにあった。
だから、ギディオンは父である王と向かい合ったのだ。
「貴方を殺す力を手に入れるため、王太子をやめて隣国に侵攻する」
何も、隠す気などなかったし、希望でもない意志を表した。
もしここで王が、ギディオンの全ての権力を奪って放り出したとしても、大して困りはしなかった。
一人で、隣国に行くだけだ。
だが、父であり王である男は、心底愉快でたまらないように笑ったのだ。
「今まで、他の殺し方を考えた人間は大勢いたが、そんな殺し方を考えたのは、お前が初めてだ」
よかろう、と。
「よかろう……王である私の寿命が尽きるのが早いか、お前が異国の王となるのが早いか、やってみるがいい。もし、私が死ぬ方が早ければ、お前は永遠に私を越えることは出来なくなるがな」
気迫だけで、ひとまわりもふたまわりも己の身を大きくさせながら、王は息子である彼に向かって、炎の息を吐くのだ。
全力の気は、そこにあるだけでギディオンの頬をびりびりと震わせる。
それに微動だにせず、彼は立ち続けた。
この時、ようやくにして初めて、ギディオンは──父の好敵手として認められたのだった。
そして。
彼は、少女の背の傷跡に、斜めに触れたのだ。
ギディオンに愉快な世界を見せた、彼の知る限り、一番しぶとい娘。
「ウィニー、か」
この瞬間。
彼の心の中から、二人の赤毛の女は綺麗に分離した。
同じ赤毛でありながらも、違う人間としてギディオンの心の中の椅子に座ったのだ。
一人は、過去の椅子に。
もう一人は現在と──未来の椅子に。