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祈りと終焉

 ウィニーは、うつぶせに横たえられた。


 傷が背中にあるために、そう寝かすしかなかったのだ。


 真っ赤に染まるシャツの背が引き裂かれ、酒で消毒され、華奢な背中が軍医に縫われて行く姿を、スタファは天幕の中で見ていた。


 小さな悲鳴しか上がらないのは、もはや痛がる力さえ、さして残っていないということだ。


 血まみれの王太子が、血まみれのウィニーを担いで現れた時、スタファは驚きと怒りで脳の血管が切れそうだった。

 

 しかし、彼女を斬ったのは王太子ではないことは、行方不明だった二人を捜索していた近衛軍によってすぐに明らかになる。


 遠くから、その現場を見ていた者が、いたのだ。


 ウィニーが、王太子を反逆者からかばって斬られた、と。


 何故だ。


 スタファは、軍医たちの隙間から見える、血の気をすっかり失った彼女の白い指先を見ながらそう問わずにはいられなかった。


 何故、あんな男をかばった、と。


 ロアアールにとっても、フラにとっても、ウィニー個人にとってさえ、それは最良の瞬間だったはずなのに。


「処置は終わりましたが……」


 痛々しい姿を覆うように、ウィニーに毛布をかけた軍医たちが、沈痛な面持ちでそう告げる。


 とにかく出血が多く、いつ事切れてもおかしくないと言うのだ。


 あとはもう、ただ祈る以外に出来ることはないと知り、スタファは口惜しさに己の頭をかきむしりたい衝動に駆られた。


 この身には、溢れるほどに血が余っているというのに、ウィニーに分け与えることさえ出来ない。


 彼女の苦痛ひとつ、引き受けることさえ出来ない。


 己の無力さに耐えられなくなったスタファは、彼女へと近づくと氷のように冷たい手を取って強く握った。


 この戦いでは、皆、喪章をつけて戦った。


 それは、ロアアールの公爵に対する哀悼の意であって、決してウィニーのためのものであってはならない。


 神に、彼女の父に、彼女の祖母に、スタファは必死に祈った。


 どうか、彼女を連れていかないでくれ、と。


 そして。


 掃討戦に出ていないロアアールの兵士たちも、この赤毛の公爵令嬢のために祈っていた。


 寒いのに、誰も天幕に入ろうとせず、皆膝をついてウィニーの天幕に向かって祈りを捧げたのだ。


 5日間。


 天幕は動かされず、ロアアール軍もフラ軍も近衛軍も、この平原から動くことなかった。


 ※


「姉さん、おなか……すいた」


 5日間、生死の境をさまよい続けたウィニーは、そんな言葉と共にこの世に帰って来た。


 目も開けず、身体も動かせないままだというのに、寝言のようにそう呟いたのだ。


 ずっと手を握り続けていたスタファは、気が抜けて腰が砕けそうだった。


 無精して伸びっぱなしだった赤いひげをなで、彼は「ははは」と力なく笑ってしまう。


 さすがは、ウィニーだ、と。


 この世の女性の中で、一番しぶといのではないかと呆れるほど感心した瞬間だった。


 ウィニー生還の知らせに、軍全体がわき上がるような歓声をあげる。


 五日前の圧勝の時とは比べ物にならない、それは喜びの声だった。


 フラ軍もロアアール軍も近衛軍もなく、みな抱き合って喜んだのだ。


 ただ、何も変わらなかったのは、王太子の天幕だった。


 この五日間の間、一度の見舞いもなく、何の反応もない。


 普段通り、王太子は食べて眠っているという。


 罪の意識もなく、同情の念もなく、ウィニーの生死など興味もないかのようだ。


 だが。


「お嬢様をわざわざ連れて来たということは、やはり憎からず思っているのでしょうな」


 アーネル将軍が、複雑な面持ちでそう言ったため、スタファは顔を顰めてしまった。


 ウィニーにとっては、とんでもない迷惑だ、と。


 しかし、彼が連れて帰ってこなければ、今頃彼女は死んでいただろう。


 斬られる元凶でもありながら、最後のぎりぎりの線でウィニーの命を守ったという事実が、将軍とスタファを苦い顔にさせるのだ。


 これ以上、決して王太子に彼女を会わせてはならないだろう。


 彼に関わると、ウィニーの命はいくらあっても足りないのだから。


 だが、すぐに彼女を動かすことは出来ない。


 ウィニーの衰弱が治るまで、軍は更にそこへ駐留し続けた。


 それが、威嚇の意味もなしたのだろう。


 その間、隣国からの攻撃はすっかりなりを潜め、代替わりの防衛戦は、圧勝のまま終焉したのだった。




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