表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
63/109

×

 ウィニーは、アーネル将軍の天幕へと駆けつけた。


 彼女にとって、手放しで喜べない状況が、そこにはあったのだ。


「これは、お嬢様。お見苦しくて申し訳ございません」


 脇によける参謀たちの奥に、彼はいた。


 しかし、ウィニーが前後不覚となる前のアーネル将軍と、同じ様子ではない。


 目から下が、包帯でぐるぐる巻きにされていたのだ。


 唇のところだけは包帯はよけられているものの、余り大きく口を開けることが出来ないようで、言葉も通常よりくぐもった音だった。


 その光景を前に、彼女は立ちつくす。


 自分が、王太子の頬を張り飛ばしたと聞いた。


 その代償が、何もないなんておかしい話だ。


 彼女の知る限りの王太子が、そんなに優しいはずがない。


 言葉を濁す補佐官に詰め寄り、ようやく白状させたものは──アーネル将軍が、代わりに代償を支払ったということ。


 王太子は、将軍の頬を抉ったのだ。


 罪人にする焼き印と同じ×の形に、頬に大きな傷をつけた。


 ロアアールを守る三将軍の一人を、王太子は罪人扱いしたのである。


 それもこれも、ウィニーの不始末のために。


「み、見苦しくなんかありません」


 ここに駆けつけるまで、彼女は何と言って詫びたらいいのか、そればかりを考えていた。


 しかし、堂々たる将軍の目が、ウィニーを踏みとどまらせる。


 恥も後悔もなく、それどころか、満足さえ浮かべているかのように見える瞳。


 そんなアーネル将軍に、彼女がどうして詫びることが出来ようか。


 自分の心と将軍の心の温度差に、ウィニーはぎゅっと拳を握った。


 男、なのだ。


 彼は、誇り高きロアアールの男。


 そんな男の誇りを、自分が台無しにしてはならないことだけは、拳に食い込む爪の痛みを感じながら理解した。


「いや、見苦しいでしょうな。これでは、髭の手入れも出来ません」


 ニヤッと、わずかに口元を歪めるように将軍は笑う。


 大きい男だ。


 そして、まだ自分は小さな女だということを、ウィニーは全身で思い知る。


 男の道を、彼女は歩けない。


 歩いているフリは出来るかもしれないが、それは決して同じものではない。


 女であるから守られたというのならば、彼女は女の道を歩きながら、彼に尊敬される者にならねばならないのだ。


「将軍の傷を……絶対に誰にも笑わせはしません」


 出来ることなら、今すぐ自分の頬を同じ形に傷つけたい。


 それは、ウィニーが受けるべきものだった。


 だが、それはアーネル将軍の思いを、台無しにしてしまうことである。


「この傷は、私の自慢ですぞ。包帯が取れたら、ロアアール中に見せて回りたいくらいですな」


 そう言って笑う将軍に、ウィニーは込み上げるものを、ぐっと飲み込まなければならなかった。


「これは、お嬢様とワシがイスト(中央)に楯突いた証明……これほどの栄誉はありゃしません」


 彼は、年を感じさせない精悍な瞳を細める。


「我らの頬にも、同じ傷が欲しいほどです」


 控えめに、しかし確固たる意思の声が、周囲の参謀からあがり、天幕の中に微かな笑いが生まれた。


「それに……」


 アーネル将軍のまっすぐな声は、笑いをぴたりと止めるだけの強さがある。


 彼が、何か大事なことを言おうとしているのだと、みなが一瞬で察知したのだ。


「それに……今回の件で、お嬢様は近衛軍の一部も味方につけたようですな」


 意外な話だった。


 二人の光景は、多くの人間の視線にさらされていた。


 それが、よかったのだと言う。


「あの時、殿下はワシを斬り捨てようとされました」


 将軍の言葉は、ウィニーにとって衝撃的であったが、だが同時に深く納得もした。


 それくらい、やりかねない、と。


 王太子にとって、他人の命とは──どうでもいいものだ。


 そう、彼女は思っている。


 だから、殺すことをためらわないが、殺すことに執着はしない。


 でなければ、とっくにウィニーは死んでいる。


「その時、殿下を止めに入ったのが……近衛軍の隊長でした」


 こっちの言葉の方が、ひどく彼女を驚かせた。


 公爵家の二階で見た騎士たちは、みな王太子に逆らえないでいたのだ。


 そんな彼らが、ロアアールとのいざこざに首を突っ込んできたというのである。


「もし、あの時殿下が私を斬り捨てていたら……我が軍は王太子と近衛軍に対して、憎悪を抱いていたでしょうな」


 王太子が死ぬことを除けば、それは最悪の結果だ。


 軍内で暴動でも起きたならば、近衛軍は生きて帰ることは出来なかっただろう。


 ロアアールとイストの戦争に、発展しかねない火種だった。


 ウィニーの背筋に、冷たいものが走る。


「だから、実はお嬢様……この傷を負ったのは」


 将軍に、皆まで言われなくとも分かった。


 罪人の印を頬に負ったのは、アーネル将軍だけではないのだ。


 近衛軍の隊長もまた、同じ傷をつけられたに違いない。


 ロアアール軍は、将軍の傷を誇りに思っている。


 だが、近衛軍の隊長の傷は、同じ意味ではない。


 自分の守るべき相手につけられた、屈辱の傷。


 その屈辱は、ロアアール軍と同じように、近衛軍全体で共有されるのだ。


「ひどいですね」


 ウィニーは、心の中に渦巻く多くの事をまとめて、その一言で表した。


 特に、王太子が自分の部下にしでかした事は、致命的に思える。


 みなの心に、保身という根が張っている限り、王太子である彼は安泰だろう。


 だが、もしその根がちぎれてしまった時。


 誰も、彼を守る者はいない。


「ひどいですが……好都合でもありますなぁ」


 アーネル将軍は──皮肉に笑った。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ