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ぐにゃぐにゃ

 世界が、回る。


 突然の衝撃に、ウィニーは声も出せずに目を白黒させた。


 慌てて駆けつけた補佐官に支えられながら、彼女は胸や胃袋を焼く熱に耐えなければならなかった。


 何故、こんな無様なことになったのか。


 目の前で、王太子が笑っている。


 いまのウィニーを見て、笑っているのだ。


 そして、思い出す。


 この男に、たった今、口移しで酒を流し込まれたことを。


 行軍の真っただ中であるというにも関わらず、王太子は多くの人の前で、こんな真似をしたのである。


 ウィニーの中の羞恥が──燃えた。


 身体の中に入った高い度数のアルコールが、彼女の頭を燃やし、そして心までをも燃やしたのである。


 そして。


 世界の時間は。


 もう一度。


 止まった。


 キッと顔を上げたウィニーは、支える補佐官を引きはがし、大きく王太子の方に踏み出すや。


 バチコーン!


 その顔を、力の限り張り倒したのである。


「命がけの戦争に向かっているのに、ふざけたことをする人は、この軍にはいりません! 今すぐ帰って下さい!」


 彼女の中で、大火事が起きていた。


 アルコールを燃料に、激しく火は燃え上がり、そして燃え続ける。


 全身に無駄な力が溢れ、無駄な言葉も溢れたが、彼女自身、その事実をよく理解してはいなかった。


 ただ炎に押されるがまま──要するに、酒の勢いに任せたまま、彼女は理性の鎖を引きちぎったのだ。


「私たちは、ここを守ることに必死だし、命だって賭けてます。けれど、賭けなくて済むなら、本当はみなに賭けさせたくはないんです。なのに、どうしてあなたはそんなに自分の命を粗末にするんですか! 『男の命は大義の為に使え』って言葉も知らないんですか!」


 だばだばと、酒臭い息をまき散らしながら、ウィニーは口の蛇口を開けっぱなしにした。


 これまで、王太子に対して抱いていた不満の限りが、次から次へと溢れ出す。


 興奮の余り、半べそになっていることにさえ、自分では気づいていなかった。


「そんないい加減な気持ちで、ロアアールをかき回すのは、もうやめて。ロアアールと姉さんを守りたいだけなのに、もう私の邪魔しないでよぉ……」


 ひっく。


 酒とも嗚咽とも判別できないしゃっくりをひとつして、ウィニーはよろけた。


 燃え上がったアルコールは、別の成分へと形を変えて、彼女を侵食していく。


 まっすぐ立っていられなくなったし、頭に赤黒い霞がかかったようにぼーっとする。


 補佐官が、今度こそがっちりと彼女を支えてくれた。


「立派な不敬罪だな」


 涙で濡れる視界の向こうで、王太子が自分の頬を抑えて笑う。


 彼女を支える手が、言葉に大きく震えるのを感じたが、その後もっと強く握られたのが分かる。


 王太子の手が、腰に下げた剣へと伸びた。


 ウィニーは、上手く何も考えられないまま、ゆっくりと動くそれを見る。


「……我らがラットオージェン家のお嬢様を、手にかけられるつもりですかな」


 そんな彼女の視界が、大きな背中で塞がれる。


 山のような身体が、王太子との間に割って入ったのだ。


 アーネル将軍だった。


「いかにも、その通りだが。邪魔をするのか?」


「酒が入っての男女の痴話事にされる方が、ロアアールと国のためであると思いますがね」


 二人の言葉が交わされる間、ウィニーは強い意思のある手で、支えられ続けている。


 泥酔に近い状態になっているため、それがどんな意味があるのか分かってはいなかったが、深い安心感は覚えていた。


「もし、痴話事で済まなかったとしたら、どうなる?」


「そうならば……殿下は、この部隊の全員を殺さなければなりませんでしょう。我らは、誰ひとりとしてお嬢様が、殺されるべきとは思っておりませんので」


 アーネル将軍の背中に、ゆらりと陽炎が見えた気がした。


「ならば、お前がまず死ぬがいい」


 王太子の声は、ウィニーの意識を針でつついた。


 とはいうものの、何もかも思い通りになるわけではない。


「らめ……しょーぐんをころしたららめ」


 ぐにゃぐにゃの言葉で、目の前の背に手を伸ばす。


 肩越しに、精悍な老将は振り返って目を細めた。


「お嬢様、『男の命は大義の為に使え』、です」


 ラットオージェン家のご先祖様の言葉を、彼は誇らしげに口にした。


 らめ。


 ウィニーの意識は──そこで弾けて飛んだ。



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