馬鹿の力
「そんな馬鹿げたことに、従う必要はない」
「許可出来ません」
そうなるだろうなあとウィニーが想像した通りの反応が、スタファと姉から返ってくる。
昨夜の王太子との出来事を、姉の執務室で二人に伝えた。
さっそく起きた問題の種に、二人とも怒りを覚えているようだが、その矛先は王太子であり、ウィニー自身でないのはよく分かる。
彼がロアアールに来た時点で、理不尽で深刻な状況が起きることは想定されていた。
だが、どんなことが起きるかは、想像にも限りがあるもので。
ウィニーまで巻き込んで前線に行くなどということは、この中の誰も考えられなかったはずだ。
彼女だって、昨夜の事件の後、しばらくは部屋で茫然としていた。
何でこんなことになってしまったのか、と。
だが、王太子が言った『悪しき気まぐれ』という言葉が、ウィニーの頭にこびりついて離れない。
彼は、その通りのことをロアアールにもたらそうとしている。
姉を後ろから蹴るではなく、後ろから崖に突き落とす。
そのくらい、危険な存在に思えてならなかった。
それを避けるには、王太子を追い出すか、どこかに閉じ込めておくしかないだろう。
だが、そんなことは実際出来るはずもない。
だから、ウィニーは昨晩、ほとんど寝ずに考えたのだ。
「物語が、いると思ったの」
その物語を──
※
物語、などという言葉でしか伝えることの出来ない彼女は、他の二人よりもまだ思考が幼いのかもしれない。
しかし、いまのウィニーに掴めるのはその程度なのだ。
「あのお方は、ロアアールの防衛線を滅茶苦茶にするかもしれない……よね」
これは、確信に近い想像。
彼が、己の命を大事に思っていないならなおのこと、それは簡単だ。
王太子が、自分の軍だけで突出して敵側へ突っ込んでいけば、ロアアールは彼らを見捨てることは出来ずに、救出のために突っ込まざるを得ない。
それが、どれほどの被害を生むか。
ウィニーの乏しい知識であったとしても、嫌な想像は容易に出来る。
「ええ、そうね。だから、私は王太子殿下を決して前線に出すつもりはないわ」
姉の強硬な姿勢は、もっともだ。
「でも、姉さんの言う事を聞かずに、勝手に兵を動かせるでしょう?」
だが、ウィニーは権力の差というものを、都で骨身に染みるほど味わった。
都から連れてきた近衛兵は、王太子の命で動かすことが出来る。
このロアアールでさえ、だ。
そんな勝手は許されない。
それは、誰もが分かっていることだが、常識に興味のない人間には、意味を持たない。
「そうなった時、万が一でも殿下に何かあると、ロアアールの一大事だと思うの」
ウィニーは、姉を見た。
スタファが自分を見ているのは分かってはいたが、いま彼女が訴えかけるべきは、この地の責任を背負うレイシェスである。
「だから、もし殿下が前線に行く時は……私も行った方がいいんじゃないかって」
命が、天秤に載っている。
王太子の命と、自分の命が釣り合っているとは思えない。
だが、ウィニーはこれでも公爵令嬢だ。
しかも、王太子が奇妙な執着をみせる相手で、なおかつ側室の要望まで送られた。
彼がロアアールに来た理由の二番目くらいには、イスト(中央)の人間たちには思われているに違いない。
だから、王太子の身に最悪の事態が起きた時、それにウィニーが巻き込まれていれば、ロアアールは多少の罪の軽減を得ることが出来るのではないか。
巻き込まれる。
それは、決して無事ではいられないこと。
そんなこと、ウィニーだって呑みたいわけはない。
もしも、都へ行っていなければ、こんな決断は絶対に出来なかっただろう。
けれど、ウィニーは姉とこのロアアールの地への愛を、強く自覚してしまった。
生まれてしまった言葉を消せないように、溢れ出た愛も消すことは出来ないのだ。
「無謀な真似をした王太子殿下を、身体を張って公爵家の娘が止めようとした……そんな物語が欲しいのか?」
視線をぶつけ合ったままの姉妹の横から、赤い槍がぬぅと入りこむ。
明らかに、歓迎していない口調のスタファだ。
だが、ウィニーが言った『物語』という意味を、彼は理解してくれた。
おそらく、姉も分かっているだろう。
「そんな馬鹿げた真似は……」
「だって、あのお方はもっと馬鹿げているもの。賢い方法なんて、みんな蹴り飛ばしてしまうもの!」
強い声で、スタファの言葉にかぶせる。
馬鹿げたものには、馬鹿げたものを。
王太子の想像さえ超える馬鹿でなければ、悪しき気まぐれを乗り切る方法など、見出せそうにないのだ。
そして。
この中で、一番馬鹿が出来るのは──ウィニーしかいなかった。