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55+60+61+15

 乗馬服を着て、上から長いコートを羽織る。


 ブーツに足を押し込んで、おさまりの悪い赤毛は後ろでしばりつける。


 そんな格好で鏡を見たウィニーは──ちょっとがっかりした。


 そこにいたのは、きりっとした貴族の少年というより、馬の世話をする坊や程度の子だったからだ。


 やはり、姉のようにはいかないのだと、鏡の中の自分を見ているとよく分かる。


 姉妹揃ってこんな恰好をしているのを見られたら、あの母が興奮の余り卒倒しそうだ。


 いまの母なら、本当にそうなりそうで冗談にならないが。


 そんな母への心配も、彼女はやめることにした。


 何かしようとすると、母がどう思うか。


 それをセットで考えてしまう癖が、すっかりついてしまっていることが、いいこととは思えなかったのだ。


 これからは、自分で判断しなきゃ。


 そうしてウィニーは、ロアアールの危機を越えるために、頑張ることを始めたのだった。


『想像していなかったこと』が、ついぞそこまで来ていることも気づかずに。



 ※



 ウィニーが姉から与えられた仕事は、軍とのやりとりの手伝いだった。


 公爵家とは別に軍舎があり、レイシェス自身が頻繁に行き来するのが難しいため、その代行をウィニーが行い、話を聞いたり書類を預かったりするのだ。


 まさか、いきなり軍に関わることになると思っていなかったが、姉の説明で納得もしたところがある。


 姉は、これまで軍と関わりがほとんどなかった。


 知識としても偏っているという。


 内政の引き継ぎと軍の掌握の両方を、姉はやらねばならないのだが、寝る間を惜しんでも両方同時に全てを行うのは難しいため、ウィニーに補佐をお願いしたいというのだ。


 特に苦手とする、軍方面を。


 そう姉に頼まれたら、やったことのないことだからと言って嫌とは言えない。


 大体、どんな仕事を頼まれたところで、どうせやったことはないのだ。


 それなら、姉が苦手な分野を頑張るのもいいのかもしれないと、それを請け負ったのである。


 ウィニーは、その手始めとして、馬術を思い出すことにした。


 軍舎との行き来に、いちいち馬車で乗り付けるわけにもいかないし、徒歩だと無駄な時間がかかる。


 最低限の護衛だけで行き来するには、馬が一番都合がよかった。


 ズボンをはいた甲斐も、あるというものだ。


「お嬢様……乗り頃に育ってますよ」


 厩舎から連れ出されてきたのは、鹿毛の毛並みのいい牝馬だった。


 額に流れ星を持ち、前足だけ靴下をはいたように白い。


 3年前に生まれた馬を、ウィニー用として父親から授かっていたが、自由に出かけられない環境だったため、ほとんど乗る機会がなかった。


「久しぶり、『靴下』」


 小さく震えた声を出す自分の馬の鼻を、彼女は優しく撫でた。


 彼女のことなど覚えてもいないようで、ぷいと顔をそむけられる。


 本当は、馬の名前は『流星』とつけたかった。


 けれど、余りに儚く消えてしまいそうで、ウィニーは彼女に『靴下』と名付けたのだ。


 冷たい雪の日でも、自分を助けてくれるように、と。


「よい……しょっ」


 助けも借りて、ウィニーは『靴下』の背に乗る。


 久しぶりの馬上は、何もかもを高い位置から見せてくれる。


 より冷たい風が顔を撫でる洗礼を、首を竦めて受けると、ウィニーは馬術のおさらいをし、カンを取り戻した。


 もともと、家の中で行儀作法の勉強をしているよりは、こちらの方が性格的には合っている。


 いままでは、好きなことをする自由がなかっただけ。


 いや。


 なかったと思いこんでいただけ。


 ウィニーは、自分を縛っていた鎖を振りきるように、二人の護衛と共に、馬を駆って軍舎へと向かったのだった。



 ※



「これは、ウィニーお嬢様」


 三人の将軍は、みな年齢が高くがっしりした男たちだ。


 一番若いアーネル将軍が、55歳。


 見事に毛のない頭に、毛先が跳ね上がった鼻髭が特徴で、分厚い筋肉の上に一番背が高いため、迫力にかけては将軍随一だろう。鉱山夫の息子で、一兵卒からの叩き上げで将軍になった男で、非常に熱い男だと言われている。


 一番長い将軍位についているのが、60歳のハフグレン将軍。


 白い髭はもみあげから顎、鼻までつながる豊かなもの。その身には、随分と遠くはなったが公爵家の血も入っている、由緒正しい家柄だ。智謀にすぐれ、他の二人の将軍に自然に筆頭として扱われている。


 一番しぶとい将軍と言われているのが、61歳のレーフ将軍。大怪我を負い、三度瀕死をさまよいながらも生還した経歴を持つ。左腕はないが、両足のみで馬を操りながら大斧を振るう猛者だ。


 これが、強固な防衛を旨とするロアアールらしい、どっしりと腰の据わった将軍たちである。


 その三人と参謀職の人間が集まる部屋に、ウィニーは初めて入った。


 皆が、一斉に立ち上がって敬礼する。


 視界も部屋も、むさくるしく大きな男たちのせいで、いっぱいになってしまった気がする。


「ロアアールの危機に、帰りが遅くなって申し訳ありません。軍議の内容を持ち帰るよう姉に申しつかっていますので、終わりまでここで待たせていただきます。みなさんは、どうぞ気になさらずに軍議をお続け下さい」


 彼らの目からすれば、自分はどれほど小さく頼りない人間に見えるだろう。


 覚えて来た言葉さえ、たどたどしく弱いものに思えてしまい、ウィニーは言葉の後半から頑張って声を張った。


 再び軍議は再会されたが、基礎のない彼女に分かるのは単語の断片だけだ。


 静かに、しかし重々しく言葉を交わし合う老将たちの中で、自分ひとり浮いている気がした。


 軍議の内容は、書記によって記録が取られている。


 最後に、内容に相違がないか、その場の最高位の者(大抵は将軍)がサインをし、公爵家に届けられることになる。


 届けるだけなのだから、軍の人間でも本当は構わない。


 実際、これまではそうだったのだ。


 しかし、今は平時ではない。


 ウィニーに託されたのは、ただの配達員としての仕事ではなく、詳細を正確に素早く知ろうとしている心のあらわれであり、なおかつ、常に公爵家が軍人たちと心をひとつにしているという意思を示すものでもあった。


 母が政治に口出しをして、内部分裂を引き起こしていたためにできた亀裂を、修復する意味もあったのだ。


 軍議の1時間。


 これほど静かに、ただ座っていたのは、ウィニーにとっては初めてだった。


 あくび一つ出来ない緊張感だけが、彼女をずっと取り巻いていたのだ。


「では、お願い申し上げます」


 三将軍のサインの入った軍議の記録は、ハフグレン将軍自らの手で、皮袋に入れられウィニーに渡される。


「はい、確かに受け取りました。必ず届けます」


 その袋を抱えて軍舎を出た時。


 ウィニーは、自分の喉がカラカラになっているのを、ようやく気づけたのだった。



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