表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/109

かわいいはとこ殿

「来るのが遅くなって、本当にすまなかったね」


 カルダは、ようやくロアアールの部屋を訪れることが出来た。


 これまで、何度も機会を作ろうとしていたのだが、気づいたら真夜中という生活が続いていたのだ。


 レイシェスを抜いた御前会合は、今後のロアアールの協議で紛糾した。


 2対2で、公爵たちの意見が、真っ二つになったのだ。


 ロア(北)とアール(西)は、16歳の彼女には荷が重い。すぐさま、都から補佐官を派遣すべきだと主張し、ニール(東)とフラ(南)のカルダは、これまで通り不干渉の立場を取ったのだ。


『そちら側は、異国の脅威から遠いからそんな悠長なことを言うのだ!』


 アールの公爵は、唾を飛ばしてそう主張した。


 だが、カルダにとって、不穏なのはアールではなくロアだと思っている。


 姉妹の母は、ロアの公爵家の娘だ。


 つながりが深い分、過干渉される可能性があった。


 それらは、レイシェスの動きを縛る鎖になりかねない。


 結局、会合ではそれぞれの意思をぶつけ合うだけの不毛なこととなった。


 王が、一言結論を出せば、ここまで紛糾することはなかったというのに。


 逆に言えば、まだ王も干渉する段階ではないと思っているのだろう。


 まずは、レイシェスの手腕を拝見──そう言ったところか。


 カルダは、フラの意思を伝え、それに対する了承は得た。


 それらの手配を済ませ、ようやく彼はウィニーの元に向かうことが出来たのだった。


 気落ちしているのはよく分かった。


 ソファに座るウィニーは、前のような明るい笑顔は向けてくれなかったのだ。


「手を……どうしたんだい?」


 不思議なことに、膝に置かれた彼女の右手には包帯が巻かれていた。


 カルダの右手と、同じように。


「あ……ちょっと……」


 ウィニーは、もう片方の手で包帯を隠すような仕草で言い淀む。


 とても、言いにくいことのようだ。


 右手。


 そのキーワードに、カルダは嫌な予測が思い浮かんでしまった。


 王太子だ。


 カルダも王太子自身も、同じ場所に怪我をしている。


 それに、更にウィニ―が加わったとなると──犯人は、容易に想像がついてしまったのだ。


「王太子殿下に会ったのかい?」


「あの、廊下で鉢合わせになって……わ、私が差し出したんです。でも……こんなの何でもないですから」


 包帯ごと握り締めるように、彼女は拳を作る。


 その目は、脅えているようには見えなかった。


 それよりも、悔しさがにじんでいるような気がする。


 何に悔しさを覚えているのか。


 正直、この時のカルダは、見誤っていた。


 いや。


 見くびっていた、と言った方がいいか。


 王太子に傷つけられた理不尽さを、彼女が悔しがっているのだと思ってしまったのだ。


 だから、次の言葉はカルダにとっては意外なものだった。


「私……姉さんの……ロアアールの助けになりたいんです」


 必死な顔が、ぱっとこちらに向けられる。


 その目には──王太子の『お』の字もなかった。


 手の怪我なんて、本当に彼女にとっては何でもないことだったのだと、この瞬間に思い知らされることとなる。


 ウィニーが王宮に戻ったのも、こうして右手を王太子に差し出したのも。


 全て、姉や故郷のためなのだと信じている目。


 赤い髪の少女は、明るくてフラの娘のように見える。


 だが、彼女はロアアールの娘。


 寒く厳しい雪の中で、この国を守護する血を引く者だ。


 それを、ようやくここで自覚したのである。


 彼女は、自分をロアアールの厄介者だと思っている節があった。


 おそらく、ウィニーの母の態度がそう思わせていたのだろう。


 救いを外に向けた手を、カルダは取ろうとした。


 それが、彼女のためだと思ったのだ。


「私じゃ、大した助けにはならないかもしれないけど……は、早くロアアールに戻りたいです」


 こらえきれないように、ウィニーはソファの上で小刻みに揺れる。


 その仕草は、走りだしたくてたまらない子犬に見えた。


 そう、子犬。


 これから、どんな犬に成長するのか、まるで分からないその姿。


 その気配に気づいて、カルダは彼女をじっと見つめた。


 正妃にしようと、心に決めたのは冗談ではない。


 彼女が望み、フラにその骨を埋める気であるのならば、男として、公爵としてそうするつもりだった。


 だから、カルダは慎重に聞くことにしたのだ。


「おそらく……ウィニーの母上は、いい顔をしないだろう」


 次の瞬間の彼女の表情は、痛々しいものだった。


 決意の表情が強張り、少しの間だけ時間を止めてしまったのである。


 どれほど、彼女の母が娘に傷を与えていたか。


 それが、伺うまでもなく知れる。


 だが、ウィニーはキッと目に力を戻した。


 前よりも、もっともっと強い力の瞳で、彼を見つめ返したのだ。


「でも……怖くないです。王太子殿下より! 怖くないです!」


 この時のカルダは、あの歪んだ王太子に対して複雑な気持ちを抱いていた。


 感謝すべきか、恨み言を言うべきか。


 それが、問題だったのだ。


 彼女にとって、一番怖いものの最上位は、王宮に来て変わってしまった。


 最悪を見てしまったウィニーには、もはや母はそれ未満の存在になったのである。


「ウィニー……私の正妃の話は、一度白紙に戻そう。思う存分、ロアアールに尽くすといい」


 結局、カルダは心の中で、王太子に恨み言を言うことにした。


 彼女を変えたのは、自分ではなかったのだ。


 その事実だけ取っても、男として面白いものではなかった。


 言葉に、ウィニーははっとした。


 そして、一瞬赤くなったかと思うと、その直後、急転直下で真っ青になっていったのである。


「おじ様……公爵のおじさま……わ、私」


 ようやく、自分が向かおうとしている方向が、フラの正妃と同じところにはないのだと気づいた顔だった。


 違うのだと。


 必死な目に涙をためて、ウィニーはその身を二人の間のテーブルの上まで乗り出してくる。


 彼女が、よその地に嫁ごうと思った気持ちが嘘ではなかったことくらい、カルダにだって分かっていた。


 ただ、いまの彼女に、それよりも重要なことが芽生えてしまったのだ。


 初めて故郷を離れたことで、ようやく外から客観的に見る事が出来たのだろう。


「ウィニー、故郷のために戦いたいと思う気持ちは、とても素晴らしいものだ。私のかわいいはとこ殿……私は貴女を誇らしく思うよ」


「ごめんなさい、ごめんなさい……おじ様。せっかくおじ様が……」


 ひっくとしゃくりあげる彼女の鼻の頭は、顔色とは正反対に真っ赤になっていく。


「私の正妃となる未来が、なくなったわけではない。ウィニーなら、いつでも歓迎だよ」


 手の中に入れようと思っていた小鳥が、飛び立っていく感覚を、カルダは少し寂しいものとして受け入れたのだった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ