ダンスのお相手
ようやくウィニーがスタファと共にホールに戻ると、王太子の姿はなかった。
ここに、戻った訳ではないのだろうか。
だが、そんな嫌な相手よりも。
「大丈夫、ウィニー?」
心配そうに語りかけてくる姉と。
「もっと美しくなったようだね」
優しく手を取ってくれるフラの公爵の二人に、本当にほっとしたのだ。
赤毛の兄弟が一瞬視線を交わし合い、お互いをねぎらう素振りを見せたのを、ウィニーは見逃さなかった。
女性を守りきった、誇らくも男らしいねぎらい方に思えて、嬉しくなってしまう。
「遅くなって申し訳ありません……一曲、お相手いただけますか?」
そんな男同士の無言の会話が終わるや、スタファは早速レイシェスにアタックを始めた。
「喜んで」
勿論、断るような姉ではないし、そんな赤毛の男に優しい微笑みさえ浮かべている。
ウィニーでさえ、見とれてしまう一瞬だ。
どうやったら、あんな上品で美しい笑みを浮かべられるのだろうか。
自分の顔で実践しようとして、顔の筋肉がつりそうになって断念した過去を持つウィニーだった。
お似合いの二人が、自然にダンスの輪の中に入って行くのを、彼女はついうっとりと見つめてしまっていた。
「さて、私の可愛いはとこ殿」
自分が、フラの公爵に手を取られていることさえ忘れていたので、声をかけられてはっとする。
「いままで帰りを待っていた、憐れな私と一曲踊っていただけますか?」
レディにダンスを乞うような言葉に、ウィニーは赤くなってしまう。
もしかしたら、髪より顔の方が赤いのではないかと思うほど、彼女の頬の温度は上がった。
「姉さんと踊らなかったんですか?」
つい、照れ隠しで姉を引っ張り出してしまう。
二人が、ただずっと待っていたというのは、何となく想像出来なかったのだ。
「勿論踊らせてもらった……けれど、私はウィニーを待っていたのだよ」
見事な──殺し文句だった。
女性なら誰でもいいわけではなくて、今日のパートナーである彼女を、最大限に引きたててくれる言葉である。
嬉しいやら、舞い上がるやらで、ウィニーの頭の中は大変なことになっていた。
もっとちゃんとダンスの稽古をしておけばよかったと、心底後悔しながらも、彼女は公爵の手を軽く握ってホールへと進み出る。
端っこでいいと思っていたのに、彼はどんどんウィニーを中央へと引っ張って行く。
既に踊り始めている、レイシェスとスタファの横を通り過ぎて、踊るスペースを確保する。
「さあ……可愛いはとこ殿……いや、ウィニー嬢。あなたのデビューのダンスだよ。皆に、その美しい姿を見せつけてあげよう」
囁かれた行為と言葉が、余りに不慣れなものだったため、挙動不審になりそうだった彼女は、穏やかな温度と大きなてのひらに腰を支えられ、一度ぴたりと動きを止めた。
公爵を見て。
一歩目を。
踏み出す。
「……」
出す足を間違えて、思い切り公爵の足を踏んでしまったが。
しかし、さすがはフラの男である。
顔色一つ変えずに、彼はウィニーに微笑み──もう一度仕切り直してくれたのだった。
※
ケチのついた晩餐会の始まりとは裏腹に、ウィニーはとても楽しい時間を過ごしていた。
このまま、時が止まってしまえばいいのに、と思うほど。
だが、幸せな時間は、いつか終わってしまう。
そして、それはあっという間に来てしまうものなのだ。
「タータイト公、そちらのご令嬢をご紹介いただけませんでしょうか?」
ダンスの合間に、そう言って若い男が近づいて来たのだ。
ウィニーは、母方の実家であるロア以外の人は、ほとんど知らなかった。
「ウィニー・ロアアール・ラットオージェン嬢ですよ。ウィニーこちらは、フォルトラ・アール・クレイアルス氏だ」
フラの公爵の丁寧な紹介に、ウィニーは型どおりの挨拶で応える。
だが、西の関係者と言われて、複雑な気持ちだった。
まだ若いので、長男ではないようだ。
「ロアアール? あ、ああ……失礼。タータイト公のお身内かと思っていました」
「血は、しっかりとつながっていますよ。はとこですからね」
そっとウィニーを引き寄せ、公爵は微笑んだ。
常に彼に守られている気がして、彼女は幸せな気持ちになる。
「そうでしたね……ウィニー嬢をダンスに誘ってもよろしいでしょうか?」
その幸せな気持ちは、次の瞬間には驚きへと変貌を遂げていた。まさか、ダンスに誘われるとは思ってもみなかったのだ。
フラの公爵のおかげで、多少はダンスらしい形になったが、それは彼がリードしてくれたからであって、他の人と上手に踊れる自信はまったくなかった。
どきどきびくびくしながら公爵を見上げると、彼は優しく微笑んでこう言った。
「一曲、踊ったら戻っておいで」
ここは、社交の場だよ。
そう諭された気がした。
みなが、自分の家を背負ってここにいるように、ウィニーもまたロアアールの一部を背負ってここにいるのだ。
うう。
フラの公爵に促されてまで、強硬に断ることも出来ない。
足を踏まないように、踏まないように。
呪文のように、さっきの失態を唇の中で呟きながら、彼女はアールの子息とホールへと進み出るのだった。
さあ、肝心の一歩目。
ウィニーが、どきどきしながらダンスの体勢を整えようとしたその時。
身体が──後ろに動いた。
いや。
後ろに、引っ張られていたのだ。
一瞬にして遠くなるアールの子息を茫然と見ていたウィニーは、くるりと反回転させられて、視界を真反対に変えられた。
いたのは。
うわぁ。
ウィニーは、いやな悲鳴をあげそうになった。
そこにいたのは。
王太子だったのだから。