ドラ猫にエサを与えないで下さい
カルダは、放り出されたレイシェスの手を取りに向かった。
まったく、あのドラ息子は。
心の中で王太子を毒づくのは、これが初めてではない。
彼が、傍若無人に振舞えば振舞うほど、声にならない恨みつらみを積み重ねて行くことになるというのに、そんなことはこれっぽっちも気にかけていないのだ。
反乱を、起こされたいのか。
初ダンスの最中で置き去りにされたカルダのはとこは、茫然とホールの中に立ちつくしている。
周囲から寄せられる冷たい視線は、同情半分、嘲笑半分。
王太子の機嫌を損ねた、憐れな女性に向けられる視線など、そんなものなのだ。
レイシェスの手を取り、カルダはダンスの流れの中に彼女を引き戻した。
「公爵様……」
ほっとしたような、しかしまだ顔色の悪い頬で、彼を見上げてくる。
「興味を失われたようで、何よりだ」
放り出されたことはよいことなのだと、レイシェスに伝えようとした。
この一瞬は、恥のように思えるかもしれないが、王太子という厄病神に離れられたことは、今後の彼女のためになるだろう。
腕に添えられた少女の手に、微かに力がこもる。
「でも……ウィニーが……」
視線は、ホールの出入り口の方を向く。
さきほど、王太子が出て行った先だ。
ああ。
なるほど、とカルダは眉間を寄せた。
ウィニーとレイシェスにちょっかいをかけていた王太子は、結局ウィニーの方に走ったのか。
なまじ、とびきりの美しさをウィニーに求めていない分、厄介な事だった。
「スタファがついている……手に負えない事態になれば、私を呼びに来るはずだ」
これまでの王太子の動きは、カルダが見る限り、試食の繰り返しだった。
レイシェスをつまみ食い、ウィニーをつまみ食い、そしてまたレイシェスを──それが、ある一定以上進んで、ようやくどちらを本当に食べるか決めたような。
女という生き物を、これまで好きにつまみ食って来たのだろう。
カルダから見れば、食事の作法がなっていない、まさにドラ猫だった。
誰も叱れない、王の庇護下の横暴な猫。
その仕打ちに誰かが怒り狂って、いっそ反逆くらい起きればいい、と思っているに違いない。
そんな事態に発展する前に、カルダはウィニーをフラへと呼び寄せなければならなかった。
「都にいる間に、ロアアールの公爵へ書状をお送りしよう」
その時間を、少しでも短くするために、彼は動き出すことにしたのだ。
レイシェスが、ほっとしたように表情を緩める。
こうして見ると、彼女も年相応だ。
ウィニーとたった一つしか変わらない16歳であることを、時折忘れそうになる。
彼女もまた、カルダの愛すべきはとこの一人で。
幸せになって欲しいと、願ってしまう。
その幸せのかたちは、ウィニーとは大きく違うことになるだろうが。
「妹を、よろしくお願いします」
けなげな彼女のお願いに。
「スタファをよろしく頼むよ」
そう返すと。
「まぁ……」
レイシェスは、とても困った笑みを浮かべるのだ。
困らせる程度には、彼の弟も頑張っているようだった。
※
王太子は、一人で戻って来た。
ウィニーにふられたのか、随分機嫌の悪い様子で。
彼の性質を知っている人間は、近づくのを避けるところだが、娘を連れて近づく馬鹿がいる。
アール(西)の公爵だ。
家族同伴を許されたという事実を、王太子の新たな側室探しだと勘違いしたのか。
ウィニーの髪を引っ張り、レイシェスとダンスを踊って放り出し──そんな態度を見れば、勘違いしてもおかしくないだろう。
ロアアールの娘二人が無碍にされたのを見て、自分の娘ならばうまくやるとでも思ったのか。
食事の作法の悪いドラ猫の前に、エサを置くな。
前に、水をぶっかけられたことも忘れて、のこのこ王太子に近づくアールの公爵に、カルダはため息を洩らした。
不機嫌な男に、その娘は踊りに連れ出される。
カルダは、ダンスの輪からレイシェスの手を引き、脇に下がった。
面倒に巻き込まれるのは、御免だったからだ。
だが、それは杞憂だった。
気がつくと、王太子とアールの娘は、ホールから消えていたからだ。
正直。
カルダは心底、ほっとした。
わずかの時間でも、王太子の興味がそれるなら、願ったりかなったりだ。
少なくとも、相手の女性もそれを望んでいるのならば、彼が口を出すことでもないし、同情する気もない。
「かわいそうに……」
ただ、レイシェスは小さくそう呟いた。
彼女の行く末が、幸せなものにはならないだろう──そう思ったに違いない。




