問題だらけの王太子
ホールから出たのは、ウィニーだけだった。
王太子が戻ってきた姿を見て、レイシェスは心底ほっとしたのだ。
あのまま妹が連れ去られて、この男に無体なことをされるのではないかと恐れていたのだが、少なくともそれはないと分かった。
妹の処遇について、問いかけようとレイシェスが動き始めた時。
ホールにいた男たちの方が、先に王太子の元へと詰めかけ、挨拶を始めるではないか。
すっかり囲まれた王太子を見て、これではとても近づけないと諦める。
だが。
「王太子なら、あそこにいるだろう?」
王太子本人は、残酷なまでの笑みを浮かべて、顎で馬など指している。
この男の仕組んだだろう、ひどい茶番。
ファンファーレを鳴らして入ってきた馬を自分だと言い、馬に挨拶に行けという戯れを口にするのだ。
鼻白む周囲の人間たちを試すように、更に畳みかけている。
フラの公爵は、すっと動いた。
王太子本人の方ではなく──馬の方に。
「立派な馬ですな。王太子殿下の愛馬ですか?」
王太子の戯れに、フラの公爵は乗ることもなく、笑みさえたたえた上で受け流している。
馬は馬だ。
それ以外の何物でもないのだと。
一瞬、馬の方に別の意味で動きかけた他の人間は、そんな彼の堂々とした態度に安堵したように、「いやあ、本当に立派な馬ですな」と迎合し始める。
「フン……」
面白くなさそうに、王太子は鼻を鳴らした。
彼は、瞳と顎の動きで静かなる指示を出す。
さっきまで、皆の注目を集めていた馬はホールからさげられ、楽隊が音楽を奏で始める。
「皆の者……好きなように楽しめ」
そんな一言を冷たく言い放つと、彼はレイシェスの方へとやってくるではないか。
再び、一人で彼に立ち向かわなければならないのか。
そう思った時。
すっと、隣に進み出た男がいた。
「ウィニーの様子を見に行きましょう」
王太子に声をかけられるより速く、そう語りかけられる。
スタファだ。
レイシェスは、ほっとした。
このまま、急いで彼の助け舟に乗れば──そう思ったのだ。
だが、そこまでの時はなかった。
彼女の腕は、すでに王太子に掴まれていたのである。
「一曲、相手をしろ」
そしてレイシェスは、栄えある王太子の一曲目の舞踏相手になってしまったのだった。
こうなってしまっては、スタファが助けるのは不可能になる。
相手は、次代の王。
公爵でさえ、ここは引かねばならない相手。
「ウィニーをお願いします」
レイシェスは、振り返ってそう伝えるので精一杯だった。
逆を言えば。
一番、このホールの中で動きやすいのはスタファだろう。
公爵の家族という肩書きの彼は、ここにいる義務はない。
退席したとしても、誰にも咎められはしないのだ。
不機嫌そうに、しかし軽く頷く仕草をすると、スタファは出入り口の扉に向かって歩き出した。
それにほっとした直後。
ぐるんと身体は回され、目の前に現れた王太子に、レイシェスは冷ややかな眼差しで見つめられることとなるのだ。
「確かに、まったく似ていないな」
厳しい声。
「嘘など申しません」
その責めを盾で押し返すように、彼女は踊りのポジションを取った。
向こうが踊るというのを拒めないのだから、さっさと終わらせて離れようと思ったのである。
誰もが注目する中、この晩餐会の主催者である王太子が、一曲目の相手に自分を選んだ。
その事実は重いものの、逆にレイシェスは周囲の人間が、こう考えるだろうと想像したのだ。
王太子の戯れ。
彼女が誰なのかなど、一瞬の間に伝わって行く話。
次期、女公爵。
そんな肩書の人間を、いくら王太子とは言え後宮に入れることは出来ない。
ただ、美しいから選んだだけだろう、と。
後宮の寵を競う相手とならない女など、空気と同じなのだ。
「さっきの赤毛は、タータイト公の弟だな……随分と親密ではないか」
腰に回された手に、力がこめられる。
もっと密着するように引き寄せられたが、レイシェスは一曲の辛抱と、抵抗しなかった。
下手に逆撫でて、長いこと拘束されるのは御免だ。
「親戚ですから」
ウィニーの髪を見れば、フラの血がロアアールに混じっているのは明らかではないか。
レイシェスは、親戚という隠れ蓑を使った。
「親戚と言えば、ロアもそうだろう」
「そうですわね」
くるりと回って位置を変えながら、言葉を軽く流す。
誰とつきあおうが、この男には関係のないことだ。
人目のある環境というのは、レイシェスにとっては非常に助かる。
ただ、礼節を守ってさえいれば、周囲の目が自分を守ってくれるのだから。
「私が……何もしないと思っているだろう?」
耳元で見透かすように言われ、ぎくりとする心を抑える。
「何のことでしょう?」
素知らぬふりに、王太子は性質の悪い微笑みをたたえながら──レイシェスの身を突き放した。
踊っている真っ最中に放り出され、彼女はよろけてしまった。
慌てて彼を見上げると。
「そうだな……お前には、何もしないでいてやろう」
1曲目のダンスの途中で相手を放棄するや、王太子はついていけないレイシェスや周囲も全部置き去りにした。
そして、今度こそホールを出て行ってしまったのだ。
『お前には、何もしないでいてやろう』
不吉な言葉が、立ちつくすレイシェスの中でこだまする。
では。
誰に。
何をすると。
言うのか。