赤毛の扱い
う、馬?
ウィニーは、茫然とその光景を見ていた。
きらびやかな馬具をつけてはいるが、馬は馬である。
王太子が魔法で馬に変えられた、なんてことがない限り、あれは正真正銘の人ではないものだ。
ホールは、一瞬水を打ったかのように静まった直後、一斉にザワつき始めた。
初めての晩餐会出席のウィニーではあるが、この状況が普通ではないということだけは、その様子から分かった。
「何を考えてらっしゃるのか……」
隣にいるフラの公爵さえも、唖然とそんな言葉を口にしている。
どうやら安心して驚いていいようだと分かったウィニーは、彼に言葉をかけようとした。
『王太子殿下は、どうなさったのでしょう』でもいいし、『馬が出てくるなんてびっくりしました』でもいい。
胸につっかえた驚きを、言葉として吐き出せればそれでよかったのだ。
なのに、横を向こうとしたウィニーの髪の毛は──ぐいっと引っ張られて、公爵の方を向くことは出来なかった。
「っ……!」
突然の髪の抵抗に別の驚きを抱えたまま、髪に気をつけてゆっくり後ろを振り返ると。
男がいた。
黒髪の、冷たい目をした男。
その男の手には、ウィニーの赤毛が握られている。
赤毛の毛先が、彼の指の間から跳ね出しているのだ。
それを見た瞬間の彼女の絶望感は、とても言葉に出来ないものだった。
毛先があるということは、既に結われた部分から引きずり出されているということだ。
綺麗に上げるのに、どれほど侍女たちが苦労したと思っているのか。
いまの自分の髪は、ひどくみっともない状況にされていることだろう。
初めての晩餐会だというのに。
「な……何するんですか!」
ウィニーは、男に噛みついた。
この男の顔は、覚えている。
一度だけ、花咲く庭で会った失礼な男だ。
田舎者だと言われ、ドレスを時代遅れだと馬鹿にされたのである。
ウィニーは、思わず言い返して逃げた。
あれは、非公式な場だった。
だが、ここは公式な場所で。
そんなところで、正装した女性の髪を引っ張ってめちゃくちゃにするなんて、どんな仕返しなのか。
小さな男の子のようではないか。
せ、せっかくの、せっかくの晩餐会が。
綺麗なドレスと髪で、公爵にも褒めてもらえてウィニーは幸せだった。
その幸せは、毛先ひとつで急転直下だ。
「……やっぱり赤毛だな」
髪を離さないまま、男はウィニーを見ずにフラの公爵を見ていた。
いや、睨んでいたと言った方がいいだろう。
そうだ。
ここには、公爵がいた。
こんなひどい仕打ちをする男から、きっと自分を助けてくれるに違いない。
頭をうまく動かせないまま、ウィニーは後方の助けを待った。
だが。
そこから聞こえて来たのは。
「王太子殿下……」
という、苦しげな呼びかけだった。
おうたいし、でんか?
ウィニーは、瞬間的に言葉の意味が理解出来なかった。
大きすぎて、持て余すほどのそれ。
本当ならば、馬が出てくるところから現れるべきだった次代の王。
「タータイト公は、嘘をついたな」
「あっ」
髪が引っ張られ、その痛みでウィニーの身体も引っ張られる。
王太子の方へ。
「嘘などついておりません」
彼女は、王太子に背を抱かれるような形になり、結果的に目の前にフラの公爵を見ることとなった。
彼は、とても不機嫌な表情でこちらを見ている。
おそらく、怒りを抑えているのだろう。
「赤毛の娘など、いないと言っただろう?」
後ろから、冷たい声が降り注ぐ。
ぞわぞわする。
「フラから連れて来ておりませんと、お答えしたはずです」
周囲の人たちが、馬から王太子へと意識を移し始めていた。
ようやく、そこにいることに気づいたようだ。
それは伝染するように、次第に外側へと向かって行く。
「では、この赤毛はどこの誰だ?」
責められるような形で、髪が引っ張られる。
「私の妹ですわ」
進み出て来たのは──レイシェスだった。
青ざめた顔で、姉はウィニーの前に来てくれた。
本来であれば、母よりも身分的には怖い相手である。
なのに、来てくれた。
ウィニーは、それが嬉しかった。
髪を引っ張られた痛みとは別に、泣きたくなるほど。
「ああ……なるほど、確かにまったく似ていないな」
「王太子殿下……女性の髪は、引っ張るためにあるものではありません。お離しいただけますか?」
フラの公爵が、一歩足を踏み出す。
「妹の髪を直しに、一度下がらせていただきたく思います」
姉もまた、一歩踏み出してくれた。
二人とも、ウィニーを助けようとしている。
嬉しくて嬉しくて、二人に抱きつきたくなった。
足を踏み出そうとしたが──またも、頭がついてこなく引き戻されることとなる。
「分かった……だが、私が乱した後始末だ。私が責任を持って直させよう」
王太子は、冷たい言葉のままウィニーを引っ張った。
ようやく髪から外された手は、彼女の腰に回っているではないか。
な、何で!?
公爵と姉からひきはがされる。
そして。
ウィニーは、ぽいっとホールから放り出された。
控えていた侍女に向かって。
「髪を直してやれ」
と言い置くや、王太子はホールへと戻って行ったのだ。
その理不尽な背中を、ウィニーは茫然と見ていた。
い……。
震える心と頭で、彼女はようやく言葉を思い浮かべることが出来た。
目の前で、ホールの扉は閉ざされる。
一体、何だっていうのよー!!
ウィニーだけ──追い出されてしまった。