晩餐会の始まり
「……!」
出来上がりでございますと、侍女たちがウィニーの周囲から下がっていく。
ようやく、姿見で自分の全身を眺めながら、彼女は驚き──そして喜んだ。
最新の、しかし派手さより可愛らしさを主とした、ふっくらとしたデザインのドレス。
暖かい緑と、清楚な白の糸が入り混じるそれは、ウィニーの赤く強い髪を鮮やかに印象付けてくれる。
綺麗にアップされた髪は、侍女たちの頑張りの賜物だ。
さわるとパキパキと音がするくらいに固められているのだが、ふんわりと見えるようになっている。
気合の入った化粧をしたのは、これが初めてかもしれない。
これまでウィニーは、ほとんどロアアールの公式の行事に出たことはなかったのだ。
だから、おしろいで白くなった肌や、まぶたの上の色や、増えて長くなったまつ毛や、艶やかに光る朱の口紅で彩られた自分を、食い入るように見つめてしまった。
どきどきどきどき。
白い手袋の手で、鏡に触れる。
姉に、美貌で遠く及ばないのは分かっていた。
だが、いつもの自分よりも、二段階くらい可愛くなっていると思う。
それくらいの自惚れは、許されるのではないだろうか。
フラの公爵様は、何と言うだろう。
そう考えると、なおさら心臓が物凄い音を立てるのだった。
※
扉が、開く。
赤毛の兄弟が、ロアアールの姉妹を迎えに来てくれたのだ。
気高い美しさの姉の、少し後ろに控えていても、ウィニーの心は躍り回っている。
「ほぅ……」
公爵の足が止まる。
驚きの目は──ウィニーに注がれていた。
えへ。
それが、嬉しかった。
姉が美しいのは、当たり前のことだ。
もう、彼らはそれを目の当たりにして知っている。
だが。
ウィニーが気合を入れたのを見たのは、彼女自身がそうであるように、初めてなのだ。
目新しさに過ぎなくとも、ウィニーは素直にそれが嬉しかった。
「化けたな……うっ」
スタファの驚きの呟きは、公爵の肘鉄で閉ざされた。
「余りの美しさに、ぼうっとなってしまった……今晩は、可愛い私のはとこ殿」
「本日は、どうぞよろしくお願い致します」
公爵と姉が挨拶を交わす。
そんな決まりごとの後に、彼はウィニーの前に立ってくれるのだ。
「ほ…本日は……」
どきどきしすぎて、うまく舌が動かない。
「赤い花束のように美しいよ、ウィニー。エスコート出来る私は、幸せ者だ」
手を。
取られると思ったのに。
ウィニーに顔が近付いてきたかと思うと、頬に軽い口づけをしてくれた。
カ、カァァァァ。
もっと近しい挨拶のように思えて、彼女は茹であがってしまう。
これもきっと、ドレスと化粧の魔法なのだ。
赤い花束。
緑のドレスに赤い髪。
そう呼べなくもないが、そんな言葉が即興でスラスラ出てくるのは、やっぱり大人だからだろうか。
「フラの澄んだ海より美しいですね……」
「本当にこんな青なのでしょうか、そちらの海は」
隣で、スタファと姉が挨拶を交わしている。
彼は、手袋の手に挨拶をしていた。
だが、その目は熱い色を帯びている。
ウィニーには、『化けたな』扱いだったというのに。
「驚いたな……ちゃんとレディに見えるぞ」
続いてスタファは、彼女の前にやってくる。
彼の言葉は、歯に衣着せない分、本当のことなのだ。
本命以外には、極端なところがあるのが、たまにきずだが。
「スタファ兄さんも、紳士っぽく見えるわ」
お互い、苦笑いを浮かべながらのご挨拶となった。
さあ。
いよいよ、晩餐会デビューだ。
ウィニーは、公爵にエスコートされながら、口から飛び出しそうな自分の心臓を、ごくんと飲み下したのだった。
※
光。
ホールは、目も眩まんばかりの光に溢れていた。
夜とは思えない。
数えきれないほどの蝋燭のともされたシャンデリアが、炎の灯りを上から照らしているだけではない。
繊細な飾り硝子の覆いのかけられた燭台が、美しいインテリアとなって壁やテーブルで光を放っているのだ。
ちかちかとする目を、ウィニーはまばたきをして取り戻した。
華やかな王都に来たのは分かってはいたが、その華やかさの全てがここに詰まっているように思える。
更に、宝飾品やドレスの飾りが、光に反射してキラキラしている。
目が落ち着かず、どこから何を見たらいいか分からない。
そこまで来て、ようやくホールに美しい楽隊の音楽が流れていることに気づいた。
「大丈夫かな?」
手を取ったまま固まっていたウィニーに、公爵が優しく問いかけてくれる。
こくこくと頷いて、彼女はようやく足を踏み出した。
今日の招待は、5公爵と王族。
そんなに多くないと思っていたのだが、その家族までとなると結構な人数になるようだ。
「王太子殿下が出ていらっしゃるまでは、ダンスもないからね……おしゃべりでもしていようか」
公爵の言う通り、あちこちでは挨拶だの雑談だのが始まっていた。
その視線の多くは、一度は必ず姉のレイシェスに注がれる。
それは、決して短い時間ではない。
隣のスタファは、そんな視線をものともせずに、姉と語り合っていた。
あ、笑った。
公式の場で、姉がくすくすと微笑んでいる。
楽しそうだなぁ。
あっ、誰か来た。
そんな二人に、若い男が近づいている。
スタファの目が、一瞬怖くなった気がした。
「大丈夫だよ……スタファは、ああ見えて抜け目がないからね」
一人ではらはらしていたウィニーは、ぽんと肩を叩かれてどきっとする。
全部、公爵に見られていたようだ。
「姉さんとスタファ兄さんは、うまくいくのかな?」
そうなったらいいなと、彼女は思った。
しかし、不安もいっぱいある。
「ま、それはあいつの頑張り次第だろう。おっと……王太子殿下のおでましだ」
一度、音楽が完全にやんだ。
まるで、それが合図だと皆が知っているように、ホールはシンと静まり返る。
続いて、ファンファーレが鳴り響き、ホールの奥にある大きな扉が開く。
黒いものが、出てきた。
馬だった。
「え?」
間抜けな声が、ウィニーの口から洩れた。
現れたのは、王太子ではなく──ただの黒馬だったのだ。