文
いくつかの、書状がレイシェスの元に届く。
晩餐会の事情を聞きつけた、他公爵の身内からの、エスコートのお誘いだ。
別途招待されている、王の親族からのそれも来ていて。
彼女は、丁寧に断りの手紙を書く。
最初に誘われた、スタファとの約束を守るつもりだったのだ。
ふぅ。
フラの次男坊のことを思い出して、レイシェスはため息をつく。
今日は、何度ため息をついただろう。
まったくあきらめる様子のない、彼の熱い瞳を思い出してしまうのだ。
フラの人間は、思い切りがいい。
妹を見て、それからフラの兄弟を見ると、それがよく分かる。
彼らは、怖くないのだろうか。
人に拒絶されたり、悪く思われたり、壁にぶつかったり足場がなかったり。
そんな、ごく当たり前にある障害にあたるのを、どうして恐れないで足を踏み出せるのか。
レイシェスは、それが不思議でならなかった。
手に入れようとしなければ、難しい問題は起きないというのに、手を伸ばすのをやめようとしないスタファ。
その手の先にいる自分。
血筋としては、申し分ない相手だ。
そう考えかけて、彼女は苦笑した。
こういう考え方が、自分の基本なのだと。
公爵になる自分。
この自分の身は、ロアアールという領地に捧げられるものなのだ。
自分の私欲のために、使ってはならない身。
その感覚が、きっと血の中にも流れているに違いない。
ウィニーが、フラの血が濃く出た娘ならば、レイシェスはロアアールの血が濃く出たのだろう。
そんな公的な身である彼女は、自分の中の私心と向かい合う羽目になったのだ。
その結果が──ため息。
そんなため息にかぶさるように、扉がノックされる。
侍女が応対に出た後、レイシェスの方へ書状を持ってきた。
また、晩餐会のエスコートの件だろうか。
受け取ったそれを見たら、胸に微かな疼きが生まれる。
スタファからだった。
書きかけの返事の手を止めて、レイシェスは封を切る。
中身は。
まあ、いわゆるひとつの──恋文だった。
彼女の美しさと聡明さをたたえる美辞麗句のあいさつに始まり、言葉で語られるのとはまた違う思いが文字にしたためてある。
一見、恋愛のみに偏った軽薄な手紙に感じるが、スタファはこうも書いていた。
『貴女と手紙を送りあえる関係になりたい』のだと。
手紙。
それは、レイシェスの心を震わせる言葉だ。
フラの公爵と始めたそれは、彼女に外の世界を見せてくれた。
きっとスタファは、彼ならではの手紙を書いてくれるのではないかと思ったのである。
正直に言えば、美しい言葉の羅列よりも、そちらの手紙の方に興味があった。
男と女だから、恋を覚えたり惹かれたりするという、古代からの感覚を否定したいのではない。
それよりも、その人の性質や考え方や、根元で一番大事にしているもの。
そういうもので、人を尊敬したいのだ。
尊敬と恋が、ふたつ並ぶほどの相手であれば、保守的なレイシェスであったとしても、重い腰を上げられるのではないか。
自分の性質をよく理解した上で、彼女はそう思った。
書きかけの、他の人の返事を押しやり、レイシェスは新しい便せんを目の前に置いた。
愛の言葉は、書かない。
この手紙に、彼がどう答えるのか。
彼女は、わずかな空想を巡らせながら、気がついたら長い手紙をしたためていた。
※
返事が、来た。
予想以上の速さで。
彼女はまだ、他の方への断りの返事を全て書き終えていなかったというのに、侍女が再びスタファからの手紙を届けて来たのだ。
「まあ……」
人知れず、驚きの声をあげてしまった。
レイシェスからの手紙を読んで、すぐに返事を書き始めたのでなければ、これほど速くはないだろう。
封を切ると、また違う美辞麗句の文句から始まっていた。
それはもはや、彼ら一族の基本であるらしく、どんな手紙であっても変わらないのだろう。
だが、そこから先は、速く力強いペンの流れと共に言葉が綴られている。
スタファは、これまで公爵の補佐の仕事をしてきたようだ。
資料もなしに書き綴られたであろう、秩序正しい仕事の話は、彼が有能であることを垣間見せてくれた。
とどめが。
『私は、公爵の補佐が得意なのです』、という文章。
これには、レイシェスもふっと笑いを洩らしてしまった。
一見、ただの自信のあらわれのように見えるが、まるでレイシェスに自分を売り込んでいるように思えたのだ。
ロアアールの公爵の補佐も、きっと得意です、と。
言外にある、彼の小気味よい言葉は、心の中にある余裕を思わせる。
精一杯支えますよ、ではなく、貴女を支えてなお、私にはまだ余裕がありますよ。
だから、何の心配もありませんと、たった一言の中に込められている気がした。
それが、彼の細めた目と、ゆっくりした声で聞こえてくるように思えるのが不思議だ。
レイシェスの中に刻まれた言葉。
つい、くすくすと思い出し笑いをしてしまったのは、これまでにはない自分の中の感情。
彼の余裕の言葉を聞くと。
何だろう。
レイシェスにも、少しだけ余裕が生まれてくる気がしたのだ。
「不思議な方ね」
レイシェスは、微笑みを消しきれないまま、新しい便せんを手に取った。
他の方への返事は──もう少し遅れそうだった。