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暑い国の血

「こんなことになるとは……思ってもみませんでした」


 レイシェスは、そう切り出した。


 側にいるのは、スタファ。


 彼は、まるで昨日と同じように、レイシェスを庭へと連れ出してくれたのだ。


 ずっと詰めていた息を、その開放的な空間で深く吐き出す。


 妹の、人生を決める一瞬だったのだ。


 何一つ簡単な選択など、なかった。


 遠いフラの地の、年の離れた公爵。


 更に、前の正妃が亡くなった後の、新たな正妃として入るのだ。


 複雑で、非常に難しい立場である。


 苦労しないはずなどない。


 遠すぎて、助けの手も差し伸べにくい。


 何かあった時、妹はかの国で孤独な存在になってしまいはしないか。


 それらを全部考えた上で──なお、ロアアールにいるよりは、ウィニーのためになるのではないかと考えたのだ。


 だが、同時に。


 妹を、手元から失うのである。


 ウィニーは、レイシェスの心の支えだ。


 彼女の明るさや強さに、どれほど助けられただろう。


 そんな大事な妹が、滅多に会えないほど遠くに行ってしまうことを、手放しで喜べるほど、レイシェスは大人ではなかった。


 そして、憂鬱も付きまとう。


 ウィニーが嫁いだ後は、母と二人暮らしになる。


 どれほど、それが息苦しいことか。


 妹の結婚にまつわることを考えると、上手に微笑めないのだ。


「不安ですか?」


 スタファが差しだした腕を、レイシェスはそっと取った。


「そうですね……私が、もうすこししっかりした大人だったらと、いつも思います」


 判断というものは、とても難しい。


 どんな結末がやってくる可能性があるのか、いくつも想定をしなければならない。


 不幸な可能性を出来るだけ回避できるよう、あらゆる対策を打たねばならない。


 そして。


 どんな結末になろうとも、それを受け入れ、対処し──責任を取らなければならない。


 それが。


 公爵になる、レイシェスの一番大事な仕事なのだ。


「支えが必要でしたら……いつでも寄りかかって下さい」


 スタファの腕にかけた手に、すっと手が重ねられた。


 あっ。


 挨拶とは違う体温に、彼女はどきりとしてしまう。


 まさか、ね。


 一瞬、自惚れたことを思いかけて、レイシェスは困った笑みになってしまった。


 彼は、フラの人だ。


 公爵の手紙でも挨拶でも、これまでの会話でも、かの国の男性が女性に情熱的なのはよく分かる。


 優しさや親しみのこもった多くの言葉を並べるのは、ごく当たり前ではないか。


「困らせてしまいましたか?」


 うららかな春の日差しに、髪は明るく赤い光を放つのに、黒い瞳は憂いを揺らした。


「いいえ……お心遣い、ありがとうございます」


 曖昧な笑みに変えて、レイシェスは花を見るように視線を動かした。


 本当は、ちゃんと見てはいないのだが。


 スタファは、好ましい男だ。


 ウィニーを実の妹のように可愛がり、レイシェスに対して紳士な態度で接してくれる。


 だが、さっき胸を掠めた自惚れが、たとえ事実であったとしても、二人に未来はないだろう。


 一つ目は、母がフラを嫌っていること。


 ウィニーをそこへ嫁がせる分は、遠くへ追いやれるという理由で許されるかもしれないが、スタファを喜んで迎えることは想像出来ない。


 二つ目は、ウィニーとフラの公爵の婚姻が成立した場合、ロアアールとフラの政治的結びつきは完了したこととなる。


 これは、周囲の目から、という意味だ。


 それなのに、更にフラからスタファをレイシェスの夫として迎え入れた場合、他の公爵や王からあらぬ疑いをかけられてしまうかもしれない。


 特定の公爵同士の、結びつきが強くなりすぎる。


 ただでさえ、王家に側室を送らないロアアールだ。


 謀反の嫌疑でもかけられては、非常に厄介なことになる。


 それらを考えると、スタファを相手として選ぶのはとても難しい。


 特に、あの王太子がその内に王となり、レイシェスは長く付き合わねばならないのだ。


 迂闊な穴でも見せようものならば、無慈悲に突き刺されるだろう。


「貴女の考えていることを、当ててみましょうか?」


 視線を花に逃がしたレイシェスに、スタファは不思議なことを言った。


 どきっとする。


 自分の婚姻さえも、政治的な駆け引きの材料なのだと知られたら、さぞや女らしくないと思うだろう。


 だが。


 こんなことを考えているなんて、知られるはずなどないのだ。


 なのに、不安は拭いきれず、おそらくそんな目で彼を見上げてしまった。


「『ウィニーが、フラに行ってしまったら寂しい』、というところでしょうか?」


 優しいけれども、力強い瞳。


 そして、その唇は──少しだけからかうような響き。


「まあ……当たりです」


 少し前に、確かにそれは思ったことだった。


 本心が知られずに済んだことに安堵しながら、レイシェスは肩の力を抜いて笑ってしまった。


 なのに。


「美しきも賢きロアアールの姫……」


 その強い瞳は。


 レイシェスの青い瞳を射ぬいて、止まる。


「ロアアールの冷たい冬から、貴女をお守りする炎として、私を側に置いてはいただけませんか?」


 美しい言葉と、情熱的な声。


 本当に雪さえ溶けそうな熱い声音と瞳に、一瞬めまいを覚えた。


 ついさっき、駄目だと思ったばかりなのに、スタファはその禁断の地へ足を踏み入れてしまったのだ。


 フラの太陽に照らされ、自分の肌が溶けてしまいそうな錯覚の中。


「それは……とても難しいと思われます」


 これ以上の障害を背負うには、彼女は若く、それほど強くはないのだ。


 憂鬱に視線を伏せるレイシェスに、しかしスタファはふっと笑った。


 はっと顔を上げると。


 前よりも、燃え上がった目で自分を見ている。


「それは……私自身のことは、好ましく思って下さっているという意味に取ってもよろしいですね」


 障害を前に、何一つ怯む気配もない。


 それどころか、なおさら情熱の炎を燃やすような男だった。


 これが、暑い国の血なのね。


 想像も出来なかった反応に。


 困りながらも、レイシェスの心は──揺れてしまった。



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