ダイス
レイシェスは、わずかに漏れてくる隣の部屋の笑い声で目を覚ました。
鬱々とした気分が、その明るい声で慰められる。
この部屋はカーテンを閉め切って日は入らないが、隣の部屋には太陽があるように思えたのだ。
「どなたかいらしているの?」
控えている召使いに問うと、フラの公爵の弟──スタファだという。
ウィニーを妻にすることは出来ないと言っていたが、随分と仲良くなったようだ。
隣室の明るさが気になって、レイシェスはついにベッドから離れることにした。
昨夜の夕食も、そして朝食も取っていないため、飲み物とクッキーを少し用意させる。
空っぽの身体に、甘いものが染み渡る感覚を味わい、ようやく一息ついてから支度を始めた。
今日は、深い落ち着いた赤のドレスにする。
顔色が良くないと、思われたくなかったのだ。
母は彼女に青いドレスを着せたがるが、レイシェスは赤い方が温かみがあって好きだった。
身支度が整うと、臥せっている間に届いた、いくつかの事務的なことをこなす。
今回の滞在中の予定表が届いていたり、他家からの贈り物が届いていたり、あるいは昨日送った贈り物の、礼状を早々に送ってきているところもあった。
見れば、それはロア(北)とニール(東)の公爵である。
ロアアールとは友好な、穏やかな関係の地域。
それらに返事を書き終わり、ひととおりのことを済ませて、ようやく彼女はウィニーの部屋へと向かったのだ。
寝室から続く扉を、使用人にノックさせる。
そこが、妹の部屋。
「姉さん、もう平気なの?」
カードで遊んでいた手を止め、慌てて妹は立ち上がった。
スタファも同じく立ち上がり、こちらへと進み出てくる。
「朝から、お騒がせして申し訳ありません」
今日は手を取られることはなかったが、わざわざ側まで寄って深い礼を見せる。
情熱のひるがえる瞳だ。
ロアアールの憧れる、温度の高い黒曜石。
「いえ……私が余り相手を出来ないので、ウィニーも退屈でしょう。心遣い、痛み入ります」
レイシェスは、彼とその向こうにいる妹に、順番に視線を移した。
ウィニーは、えへへと笑っている。
心の底から上機嫌のようだ。
「いま、スタファ兄さんにカードを習っていたの。お祖母さまの教えて下さったのとは、全然違うの」
姉さんも、一緒にどう?
勧められるテーブルには、カードの他にも遊具の入った箱がある。
フラの男たちは、オモチャ箱持参で都に来たのだろうか。
それに、『スタファ兄さん』とは。
彼が異論を一切挟まないところを見ると、その呼び方には同意しているのだろう。
二人の間には、一切色気などないのだと──それを、周囲に知らしめるような呼び方だった。
彼が昨日言ったことは、やはり揺らいでいないのか。
「兄上には、やたらと待ち時間があるので、暇つぶしです。勿論、一度勝負が始まったら、どっちも本気ですが」
彼女の視線が、箱に釘付けになっていることに気づいたのか、スタファはどうぞと道を開ける。
「どっちが勝つんですか?」
彼の言葉に反応したのは、妹だ。
結末が気になって気になって仕方のない、好奇心に溢れる黒い瞳。
それに、つい微笑みが溢れてしまう。
「ふふ……どちらなのでしょうね」
ちらりとスタファに視線を投げ、それからウィニーの横に腰かける。
そして、姉妹二人でにこにこと彼を見上げるのだ。
「6:4で兄上が勝ちますよ……これで満足いただけましたか?」
白状させられる真実に、彼は苦そうな表情だ。
嘘をついても、さしたる罪もない質問だったというのに、彼は偽らなかった。
「やっぱり公爵のおじ様の方が、お強いのね」
天真爛漫に、妹がスタファに追い打ちをかける。
もはや、彼も子どもではないのだ。
このような遊戯で、大人に遅れを取ることはほとんどないだろう。
ということは、あくまでフラの公爵の方が実力は上ということだ。
そんな残酷な現実を、ウィニーはざくざくと刺したのである。
「ダイスだけは、私が強い……運がないわけではない」
さすがに面白くないのか、スタファは言い返してきた。
運。
言葉に、レイシェスは口元をおさえる。
笑い声が、出そうになったのだ。
弱い言い訳なのは、彼も分かっているのだろう。
スタファは、不本意そうに向かいのソファに腰かけながら、箱に手を突っ込んだ。
その手からすると、とても小さく見える白と茶のダイスが二つ取り出された。
白い方を、ウィニーに渡す。
「同時に投げて、大きい方が勝ち。分かりやすい運の勝負だろ?」
妹に考える暇を与えない速さで、説明が終わるや否や「せーの」と手を振り出す。
「えっ……」
慌てながらも、ウィニーも真似てダイスをテーブルに転がした。
「……いまのナシです」
妹が、悔しそうに唸る。
彼女の出した目は──1。
何がどうあっても、勝てない数字だった。
「勝負は勝負だ、ウィニーの負け」
5を出した男は、1の白いダイスを持ち上げ、今度はレイシェスへと差し出す。
勝負を、ということだろう。
自分の指の白さとは、また違う白。
軽く、それを指の中で回してみる。
「いきましょうか……せーの」
性急な掛け声は、レイシェスを慌てさせる。
さっきの妹の気持ちがよく分かる一瞬を駆け抜けながら、彼女はダイスを放った。
からからと、テーブルの上で転がる六つの顔。
そのダイスが、近くで止まったスタファの茶のダイスにぶつかって、ようやく止まった。
「あー」
ウィニーが、驚きの声をあげる。
出た目は──6。
最高の数字だ。
だが。
「引き分けですね」
レイシェスを見つめながら言う、彼のダイスもまた6の目を上に向けていたのだった。