赤い髪の記憶
フラの公爵は、王太子との謁見をようやく許された。
まさか、夕食も過ぎた後の時間になるとは思ってもみなかったが、身なりを整えて王太子の謁見室へと向かう。
正直、もう明日になるだろうと思っていた。
王太子はとても気まぐれで、性質が余りよろしくない。
その上、頭だけは切れるせいで、本当にタチが悪かった。
だから、こんな常識はずれな時間の呼び出しにも、何か意図があるのではと思ったのだ。
ウィニーと二人で話をしている時、既にレイシェスが挨拶に行ったことは聞いていた。
妹である彼女には言わなかったが、それを良い事だとカルダには思えない。
どうせ王太子も、レイシェスの噂に釣られたのだろう。
その謁見が、うまくいったかどうかは分からないが、少なくともフラの公爵と会うことは先延ばしにしたようだ。
「ご機嫌いかがですかな、王太子殿下」
謁見室の椅子にふんぞり返っている男に、カルダは恭しくも穏やかに挨拶をし、言葉をかけた。
彼が公爵を継いだのは去年だが、父の体調の関係で、2年前にも代理で来ていた。
だから、これが二回目の謁見ということになる。
椅子の上からこちらを見降ろす視線は、カルダの頭に不躾に注がれている。
「相変わらず赤いな……妹はいるか?」
フラの髪が赤いのは、今の始まったことではないというのに、今更どうしたというのだろう。
しかも、いきなり身内の話に振られる。
「おりますが……二人。しかし、どちらも既に嫁ぎました」
赤毛の女にでも、興味が出てきたのだろうか。
側室に寄こせと言われる前に、カルダは先手を打った。
この王太子に、可愛い妹たちをやるものかと思いながら。
目をつけられる前に嫁に出しておいて、本当によかった。
胸をなでおろしていたカルダであったが、王太子が不機嫌な表情に変わっていくのが見える。
「お前は、嫁いだ妹まで連れてきているのか?」
常識外れを、咎め嬲るように王太子は言葉を投げる。
「おっしゃっている意味が、分かりかねます」
カルダは──慎重に答えた。
余り不機嫌になられると、後が面倒だからだ。
アール(西)の公爵が、2年前の謁見会で、酒の入った杯を頭上でひっくり返されるという事件があった。
勿論、彼の頭に酒を飲ませようとしたのは王太子だ。
晩餐の席での話である。
あのおしゃべりな公爵に、そうしたくなる気持ちも分からないではないが、人前で大恥をかかされた彼は、カンカンに怒っていた。
勿論、怒ったところで王族に逆らうことも出来ず、王に苦情を陳情するのが精いっぱいだったようだ。
そのおかげか、王太子の前でアールの公爵は、無駄に口を開かなくなったとか。
とにかく、この王太子を不機嫌にすると、ロクなことがないのだけはよく分かっていた。
「赤毛の娘を、連れてきているだろう?」
これ以上、しらばっくれるなとでも言わんばかりに、強い言葉でカルダを串刺しにしようとする。
赤毛の、娘。
一瞬、真っ白になりそうだった意識を、カルダは何とかとどめた。
思い当たる人物は、たった一人しかいなかったのだ。
ウィニーである。
一体、どこで会ったのか。
少なくとも、その髪の色だけで王太子がフラに探りを入れるということは、ちゃんと話をしたわけではなさそうだ。
彼女──ウィニーが、自分をフラの人間だと言うはずなどないのだから。
しかし、悪い気配が大挙してカルダの足元に集まってくるのが分かった。
もし、ここで彼女がロアアールの娘であることを知ったら、ロアアールの姉妹がとても不幸になる気がしたのだ。
レイシェスは、まだまだ公爵を務めるには、精神的に育ち切っていない。
そんな彼女では、おそらく王太子に妹を取り上げられようとしても、抵抗出来ないだろう。
それどころか、姉妹のお互いの気持ちを利用して、二人とも手に入れかねなかった。
「いいえ……殿下。私が連れて来ているのは、弟一人でございます……髪の色をお間違えではありませんか?」
慎重に、本当に慎重にカルダは言葉を綴った。
この男の視界から、ロアアールの姉妹を隠してしまうように。
「確かに赤……いや、夕日のせいか……もういいさがれ」
フラの公爵に、じっと見られているのに気づいた王太子は、眉間に皺を深く刻んで彼を追い出した。
ありがたい事に、これで慣例の挨拶は終わりにしてくれるようだ。
謁見室を出て自室へと戻りながら、カルダはゆっくりと安堵の息を吐き出した。
とりあえずの問題は、回避出来た。
だが、まだ安心できた訳ではない。
おそらく、王太子の気まぐれな興味だろうが、今度ウィニーと会えば、どうなるか分からない。
参ったな。
どこで、王太子に見られたのか。
部屋に戻って、召使いに酒を持ってこさせていると、スタファがやってきた。
まだ部屋着にも着替えていないところを見ると、彼の戻りを待っていてくれたようだ。
「珍しい、兄上がそんな疲れた顔をしてるなんて」
顔を見るなり、驚かれた。
王太子のあの発言は、よほどカルダを疲れさせていたようだ。
「赤毛の娘について聞かれた」
蒸留酒のグラスを受け取りながら、カルダは弟にさっきの出来事を語った。
スタファの反応は、ただの一言。
「あの馬鹿……」
弟らしい、分かりやすい一語に、全てが凝縮されていた。
勿論、それは王太子に向けられたものではなく、彼らの愛すべきはとこへのものなのだが。
「また、ふらふら外に出たのか」
弟はそう言うが、カルダはそこを責める気はない。
まだ15歳なのだ、ウィニーは。
好奇心も旺盛だし、初めての王宮で浮かれているところもあるだろう。
ただ、彼女は女性なのだ。
レイシェスと一緒にいるからこそ、ウィニーは自分の容姿を平凡なものだと思っているだろうが、決して悪いわけではない。
年の頃も、そろそろ結婚の話が出てもおかしくない。
迂闊にその姿を人にさらすと、どこから婚姻の話が来るか分からないのだ。
それが、ウィニーの望むものであれば、カルダも反対はしないが、残念ながら王太子が釣り上がることもある。
「今度会ったら、二度と部屋から出ないように言っておこう」
レイシェスびいきのスタファからすると、ウィニーの行動は姉の評価を落とすものだと判断したようである。
公爵代理で葬儀に出席させたら、ロアアールで恋の風邪にかかってきた弟だ。
そんな彼にかかれば、ウィニーは自分の妹のような扱いになる。
赤毛同士の親近感ゆえだろう。
兄弟の中で一番末の子だけに、自分より下の面倒を見るのは、そう嫌いではないようだ。
「そうだな……余り出ない方が、ウィニーのためだろう」
弟にはまだ、王太子がレイシェスだけ特別に、最速で謁見した話はしていない。
したところで、スタファにはどうすることも出来ないし、王太子への余計な恨みを蓄積するだけだろう。
それより、まだ弟にウィニーを守らせておく方がいい気がした。
弟が彼女のことを好きになれば万々歳──などということは、もはや考えていない。
フラの男は、愛が強い。
一途な愛ならば、どこまでも貫き通す。
いっそ、強すぎると言ってもいい。
だからこそ、カルダは正妃を持ちながら、二人の側室も持ったのだ。
正妃一人にぶつけるには、愛が強すぎて女性を壊してしまいかねなかった。
実際、正妃は身体を壊してしまったではないか。
正妃に最初に子を産んで欲しかったため、誰よりも多くの愛を注ぎ続けた挙句の結果だとするならば、彼女が亡くなった大元の原因は、自分にあるのだろう。
それほど愛の深い血筋のため、もはやスタファの心が動かないことは分かった。
だが、妹のようにウィニーを守れば、それが結果的に彼の愛するレイシェスとロアアールを守ることになる。
「ウィニーが部屋を出てしまうのは、退屈だからだろう……ちょくちょく遊びに行ってやれ」
「私が子守?」
兄の言葉に、少し不満そうではあったが、それでもウィニーを口実にレイシェスに会う機会が増えるという考えに至ったのは、カルダの目からも非常によく分かった。
「分かった……ウィニーの子守をしよう」
しばしの後──弟は勿体ぶりながらそう答えたのだった。