夕日の庭
「姉さん……ちょっと花を見に行ってもいい?」
ウィニーは、そっと姉の寝室に入ってそう聞いた。
長旅の疲れと、公務の精神的な負担が響いたのだろう。
姉は、頭が痛いと今日は早々寝室へと入ってしまった。
時間は、夕刻。
まだ、太陽は夕暮れの位置で、沈み切ってはいない。
ウィニーはおとなしくしてはいたのだが、一人で寂しい思いをしていた。
フラの公爵との時間が、楽しすぎた反動だろうか。
「場所が……分からないでしょう?」
ベッドから半身を起こしながら、青い顔でレイシェスは止める。
「あ、大丈夫。ネイラが、行き方は分かっているみたい」
召使いは、主の遣いで部屋からよく出る人間だ。
そのため、王宮の出入り出来る場所は、ロアアールを出る前から、彼女らには教え込まれている。
彼女の召使いのネイラも、ぎりぎりで王都に来ることが決まったが、ちゃんと下調べはすませてくれていた。
「そう……大丈夫? 私も行きましょうか?」
「平気よ、姉さん。ちょっとだけ、花を見てくるだけだから」
おそらく姉は、ウィニーの身よりも『不作法』を外にさらけだす方を心配しているのだろう。
スタファの一件で、それは十分懲りたので、今度こそはちゃんと公爵の娘らしくしとやかにすればいいだけ。
「ネイラも一緒に連れて行くから、姉さんはゆっくり寝てて」
「そう? 気をつけて……早く帰ってらっしゃい」
心配そうな視線は消さなかったが、最後にはようやくレイシェスは折れてくれた。
おそらく、庭が本当に美しかったのだろう。
そして、気楽に散策できる場所だったに違いない。
姉の許可に、少しほっとしながら、ウィニーは召使いのネイラを連れて部屋を出たのだった。
初めて、一人で出歩く王宮に、わくわくする。
そのわくわくに、ウィニーは必死に重しをつけた。
公爵令嬢らしく、公爵令嬢らしく。
自分に呪文をかけながら、彼女はしずしずとネイラの誘導通りに廊下を歩いて行った。
これから少しずつ夜に変わっていく時間のせいか、お偉い方々は既に部屋に戻ってしまったようだ。
おかげで、すれ違いの会釈や挨拶など、ほとんど無縁で通ることが出来た。
ようやく、庭に降りられるところへたどりつくと、ちょうど西側を向く形になり、強い夕日が眩しくウィニーを襲う。
この季節、ロアアールでは考えられない、光の強さだ。
本当に遠くまで来たのだと、肌で思い知る瞬間でもある。
その夕日に照らされ、春の花はオレンジがかった赤に燃え上がっているようだった。
本当の色は別にあるだろうに、全てその色に染め上げられているのだ。
まるで、自分の髪の色のような世界。
そう思うと、少し上機嫌になって、ウィニーは庭へと下りた。
自分の色の世界であれば、きっと自分に優しいに違いないと、根拠のない自信を持ちながら。
「わあ……」
黄色もピンクも白も、みな赤く彼女を迎え入れる。
彼女は、花と夕日に包まれて、とても幸せだった。
「夕日の精か?」
そんな──男の声が聞こえてくるまでは。
庭の真ん中ほどにきていたウィニーは、驚いて西を見た。
声はそちらから聞こえて来たが、その眩しい夕日のせいで、誰かよく分からない。
誰、だろう?
ぽかんと、近づいてくる人を見ていたウィニーは、はっと我に返った。
たとえ誰であれ、ここは王宮で、そして庭を散策できる身分の人であることは間違いない。
姉ならまだしも、ただのオマケでついてきたウィニーより、身分が低いはずがなかった。
「失礼いたしました……」
慌てて、近づいてくる人に腰をかがめて挨拶をしようとすると。
「ドレスを汚したいか?」
腕を無理矢理取られ、強い力で立たされる。
それほど近くまで寄られたとは思いもせず、ウィニーは驚きで心臓が止まりそうになりながら、慌てて目の前の男を見上げた。
ああ。
さすがの太陽であっても、黒は染められない。
自分に影を落とす男の髪は、柔らかくも美しい闇の色。
無表情にも不機嫌にも見える瞳の色は、影のせいでよく分からない。
そんな男に。
「本当に赤いな……フラの娘か?」
突然、前髪が──引っ張られた。
「いたっ」
びっくりした。
いきなり、初めて出会った女の髪を引っ張るなんて真似をされるとは、思ってもみなかったのだ。
「な、何を……不作法だわ」
今日、さんざんウィニーが言われたその言葉が、反射的にぽろっと飛び出してしまった。
慌てて口を押さえるが、時は既に遅い。
「不作法? 私が不作法なら、お前は無知で無教養で、そして時代遅れのドレスを来ている田舎者だ」
言葉は、まるで刃物のようだった。
ひとつ目の痛みに気を取られていたら、容赦なく次々傷つけられ、もうどれがどれの痛みやら分からなくなってしまっている。
時代遅れのドレス。
その言葉が、一番悔しかった。
無知で無教養は、それは十分身にしみている。
これは、ウィニーが勉強を真面目にやらなかった罪だ。
田舎者も、本当のことだろう。
だが、ドレスの悪口だけは、彼女の怒りを跳ね上げてしまった。
「これは、お祖母さまが遺してくれた、大事な大事なドレスよ! このドレスが時代遅れというのなら、私は時代になんか乗らなくてもいいわ!」
カッとなったウィニーは、この失礼な男の言い様の、その一点に噛みついていたのだ。
悔しくて悔しくて、これ以上切りつけられる言葉を投げられるのに耐えきれず、彼女は踵を返した。
速足で花園を後にする。
召使いのネイラが、慌ててついて来ているのを気にもかけられないまま、ウィニーは自分の部屋へと急いで戻ったのだ。
もう絶対、フラの人以外とは会わない! フラの公爵の部屋以外行かない!
そう固く心に誓いながら、彼女は夕食も無視して、フテ寝をすることに決めたのだった。